星野源と海野雅威 アート・ブレイキーを語る

星野源と海野雅威 アート・ブレイキーを語る 星野源のオールナイトニッポン

ジャズピアニストの海野雅威さんが2022年3月15日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』にゲスト出演。星野源さんとアート・ブレイキーについて話していました。

(星野源)では早速、今夜のスペシャルゲストをご紹介します。ニューヨーク在住のジャズピアニスト、海野雅威さんです。

(海野雅威)こんにちは。はじめまして。お会いしたかったです!

(星野源)いや、こちらこそ!

(海野雅威)夢が叶いました。

(星野源)ありがとうございます(笑)。いや、でもお元気そうで。

(海野雅威)日本に来るとやっぱり母親の、おいしいおふくろの味が食べられたりして。そういうので元気が出ますね。

(星野源)いつ頃、こっちに来られたんですか?

(海野雅威)3月2日でしたね。

(星野源)そうか。じゃあ本当にこの間ですね。先ほど、ちょっとお話させてもらいましたけども。ちょうど時差ぼけの時間が『おんがくこうろん』の再放送の時間と重なって。見ていただいたということで。

(海野雅威)ラッキーでした(笑)。まとめて一挙再放送していただいて。ニューヨークにいるから普段、日本のテレビは見られてなくて。そもそも僕、実はテレビ自体を持ってなくて。それで実家に帰ったらぜひ、これは見たいなと思っていたらやってくれたんで。放送と最新回も。中村八大さん回。

(星野源)ありがとうございます。どうでしたか? 見てみて?

(海野雅威)僕、結構NHKを見ていて。「ああ、これは『持論公論』のパロディだな」と思っていたんですけど……でもなんか本当、見てみたら超ためになる、めちゃめちゃ真面目な番組だったということで。

(星野源)ああ、嬉しい。海野さんがそう言ってくれるの、嬉しいです。

(海野雅威)あとパペットが昔、グッチ裕三さんの『ハッチポッチステーション』とかを見ていたから。あの路線も継いでいて、いろんな愛を感じて。すごいよかった!

(星野源)海野さんは同い年ですか? 80年の何月生まれですか?

(海野雅威)8月生まれです。

(星野源)ああ、じゃあ同じ学年ですね。そうか……。

(海野雅威)源さん……(笑)。

(星野源)海野さん……(笑)。

(海野雅威)僕の名前が「げんき」っていうんですけども。「源」っていう字で。

(星野源)ああ、「源」なんですね。へー!

(海野雅威)で、「星野」と「海野」で「源」で……全部、僕はもう昔から親しみを覚えていて。

(星野源)たしかに! 「海野」と「星野」と……しかも弟さんは「源」という字が。すごい!

(海野雅威)それで今回、弟にいろいろと頼んで。この本を……(笑)。

(星野源)ああ、『いのちの車窓から』。エッセイを。

(海野雅威)弟に取っておいてもらって。めっちゃ読んで。これを読んで、星野さんのお人柄とか……結構鳥肌が立つ部分が多くて。その話もの後々したいんですけども。

(星野源)しましょうよ。今日、だからちょっとラジオの時間で収まりきらない可能性があるんですけど。ちょっと海野さんのプロフィール的なところもお話ししたいんですけど。4歳からピアノを始めたんですね。で、9歳でジャズピアノという。なんかきっかけってあったんですか? ジャズピアノをやろうっていう。

(海野雅威)はい。父と母は家でいろんなジャンルの音楽をかけてくれていて。特に僕、ジャズに反応してたのをたぶん父親がキャッチして。で、ブルーノート東京にアート・ブレイキー、ジャズ・メッセンジャーズが来日した時に連れていってくれたんですよ。その時にアート・ブレイキーがステージに向かわずに客席に……僕、1人だけその会場で子供だったので。そしたらアート・ブレイキーが僕の方をめがけて客席にやってきて。で、頭を撫でてくれて。その時に僕はもうしびれちゃって。もちろん演奏に感動して。「イキイキする、高揚する音楽だな」と思って。それ以来、ジャズに目覚めたんですよ。

ブルーノートで見たアート・ブレイキーでジャズに目覚める

(星野源)へー! じゃあ、たとえば……でも世代的には僕ら、レコードからCDに移行する世代じゃないですか。だからじゃあ、レコードも回っていたっていう?

(海野雅威)そうですね。はい。でも、僕はゲストだけど源さんの話も聞きたいな(笑)。

(星野源)フフフ(笑)。で、僕の話をすると、僕の親父がジャズピアノを趣味でやっていて。母親はジャズボーカルを目指していて。でも僕が生まれて、どっちもその夢を諦めて、仕事を……家業を継ぐっていう選択をして。でも、親父もずっと趣味でやっていたんで。家でずっとジャズが流れていたんですよ。で、親父のジャズピアノが毎週というか、毎日流れていて。僕のライブの原体験は親父なんですよ。親父のライブを僕、埼玉だったんで。埼玉のジャズクラブみたいなところとか、公民館とかを借りて親父のジャズバンド……アワーデライトっていうバンドがあったんだけど。それを見に行くみたいな。で、うちの両親の昔のアルバムとか見せてもらった時に「源、これ見な。アート・ブレイキーだよ」って言っていて。で、母親がニューヨークに行った時にアート・ブレイキーと友達になって帰ってきたっていう。

(海野雅威)へー!

母親がアート・ブレイキーと友達

(星野源)奥さんが日本人だったんですよね。たしかね。だから日本に割と縁がある人だから。それで「アート・ブレイキーっていう人がいるんだ」みたいな。それで曲を聞いたり、レコードをよく聞いたりとかしてましたね。だからなんか「ああ、アート・ブレイキー繋がりがあるんだ」って今、思って。ちょっと嬉しかったです(笑)。

(海野雅威)それでお父さん、ジャズ喫茶をされてたっていう風に聞いたんですけども。それはなんて名前だったか、お聞きしていいですか?

(星野源)SIGNALっていう(笑)。

(海野雅威)SIGNAL。へー!

(星野源)それで、もう今はやってないんですけど。前、ずっと八百屋をやりながら親父は趣味でピアノをやっていて……っていう。そうなんですよ。そうか。9歳でってでも、すごいな。最初は誰かから習ったりとか?

(海野雅威)はい。それでジャズピアノの先生のところに親父が連れていってくれたのが9歳の頃で。ただ好きなだけで、なにも……天才少年とかじゃなくてね。しかも家庭には誰もミュージシャンはいないので。とにかく音楽が好きになってくれたらいいという思いで両親は習わせてくれたと思うんですけどね。

<書き起こしおわり>

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