高田文夫「大喜利」を語る

高田文夫「大喜利」を語る ラジオビバリー昼ズ

高田文夫さんが2022年1月31日放送のニッポン放送『ラジオビバリー昼ズ』の中で大喜利についてトーク。大喜利の誕生や語源、テレビで行われるようになったきっかけなどを話していました。

(高田文夫)今日は31日だろう? 本来は1月31日って大の月……西向く侍が小の月だろう? 2月、4月とかな。で、大の月は31までだろう? 31っていうのは1日、余るじゃない? 10日、20日、30日まで行って。だから31日のこの日にだけ昔は「大喜利」っていうのを寄席でやったのよ。

(乾貴美子)ほー!

元々は31日だけ、寄席でやっていた

(高田文夫)今、みんなほら、関西の人とか「大喜利、大喜利」って普通に言うじゃない? 寄席ではさ、10日興行とか15日興行で。15日やって、またメンバーが変わって15日やって、とか。すると、1日余るじゃない? そうすると、手の空いている芸人が集まって高座にズラッと出てお互いに面白いことを言い合って。それが大喜利っていうのよ。江戸時代から使う言葉はみんな「大」だからね。大掃除とか大晦日とか。だから大喜利っていうのもそうで。元々は「大切」だけど「切」っていう言葉はよくないから「喜利」に変えただけ。演技がいいから。だから元々は2月にいっぺんしかやらなかったんだよ。噺家が集まってやって。

(乾貴美子)そうなんですか!

(高田文夫)今はテレビで当たり前にやっているけどさ。そうなんだよ。元々大喜利なんてさ。みんな、普通に「大喜利、やりましょう」なんて言っているけどさ、明治とか大正の頃はそうじゃないんだよ。

(乾貴美子)31日とかにやるものだったんですね。

(高田文夫)大の月にやるから大喜利。だから「大」ね。

(乾貴美子)はー! 昨日の笑点は桂宮治さん、すっかり馴染んで大喜利なさっていました。

(高田文夫)やっていたけどさ。昇太とかはこういうこと、知ってないよ?(笑)。

(乾貴美子)伝えておきます。申し送りを。水曜日に、はい。

(高田文夫)その大喜利っていうのを最初にテレビに持ってきた……噺家、みんな集まってテレビでやろうって言ったのが、柳昇師匠。すごいだろう? 昇太の師匠なんだよ。それが『お笑いタッグマッチ』なんだよ。

(乾貴美子)そうなんですか!

(高田文夫)そうだよ。その時、芸術協会が大量真打ちができて。後に文治になった伸治さんとか、小圓馬さんとか。大量真打ちをどうやって売り出すか?っていうことで『お笑いタッグマッチ』でずらっと並べて大喜利をやったの。それが柳昇なんだよ。

(乾貴美子)アイデアマンだったんですね!

(高田文夫)で、それをキャバレーがあったから。その全盛期に立ちで噺家を集めてやったのが談志なんだよ。で、談志がなぞかけっていうのをブームにしたんだよ。キャバレーでお題をもらって。着物、着替えないでいいじゃない? だから圓鏡さんとかみんな引き連れて。で、ネタをもらってすぐに答えるっていう。スピード感だろう? 談志はそれを最初にやったの。で、談志が「これはおもしろい」っていうんで。みんな、噺家を引き連れてやるのが。それで、それを日本テレビに持っていって『金曜夜席』っていうのを隔週で始めたんだよ。それが評判になって、当時、三浦綾子の『氷点』っていう小説がブームだったから。それを洒落て『笑点』にしたわけ。

(乾貴美子)はー!

(高田文夫)それで毎週になったわけよ。そうだよ?

(乾貴美子)えっ、待ってください。この話は作り話では……?

(高田文夫)俺は本当にさ、学究肌なんだよ?

(乾貴美子)ちょっと今、誰も信じられなくなっているんで(笑)。

(高田文夫)俺は本当だよ? 俺、実は一番物を知っているんだからね?

(乾貴美子)生き字引ですからね。

(高田文夫)そう。ウォーキング・ディクショナリーって言われているんだから(笑)。

(乾貴美子)ウォーキング・ディクショナリー(笑)。

ウォーキング・ディクショナリー高田文夫

(高田文夫)大喜利って今、みんな普通に言っているけどさ。元々はそうなんだよ。だから寄席でも2月にいっぺんしかやらない。今は余一会だろう? 今日、やるだろう? 元々大喜利は31の日。大の月に集まるから大喜利っつーんだよ。だから昔は噺家が一緒にやるなんてありえなかったんだよ。ピン芸の仕事だから。それで、みんなで集まってなんかやろう。そうすると、面白いからっていうんで。それをテレビに持っていったのが柳昇さんであり、談志なんだよ。そうだよ?

(乾貴美子)はー! その歴史を踏まえて、今の『笑点』を見ると昇太さんが司会だったりっていうのは……。

(高田文夫)昇太はわかってないんだよ。自分の師匠が『お笑いタッグマッチ』でテレビに持っていったっていうことをな? 犬と猫を持ってしゃべるんだけどさ。その時にキューを振っていたADが横澤さんだよ。

(乾貴美子)ああ、そうなんですね。『ひょうきん族』の。

(高田文夫)そうそう。僕らのプロデューサーだった人。あの人が使い走りで。まだ入ったばかりの頃でね。それで芸術協会に大量真打ちができたんで。まとめて売り出すためにそういう番組を作ったんだよ。そういうことだよ。なんだって勉強になるだろう?

(乾貴美子)勉強になります!

(高田文夫)さあ、じゃあ俺は帰っていいかな?(笑)。

(乾貴美子)いやいや、まだまだこの後、今日はゲストが来てくださいますので(笑)。

<書き起こしおわり>

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