沖井礼二さんが2022年1月11日配信のSHOWROOM『豪の部屋』にゲスト出演。吉田豪さんとCymbalsについて話していました。
(吉田豪)その次の、いわゆる渋谷系の盛り上がりとかも、なんか「いいな」と思って見てた感じだったんですか?
(沖井礼二)そうですね。まあ90年代に入ってからのって感じですよね。「いいな」と思って、ピチカート・ファイヴのCDを買ってみたりとか。あとはまあ、いろんなレコードが再発とかされたじゃないですか。ああいうのを買ってみたりとか……。
(吉田豪)渋谷系文化って完全に再発文化なんですよね。
(沖井礼二)再発文化ですね。
(吉田豪)CDが普及してきて、いろんな名盤がどんどん安く買えるようになって。
(沖井礼二)それでいろんな方たちが「こんなものもありますよ」って提供してくれて。それを嬉々として掘っていくっていうか。そのためにバイトをして……みたいな。いろんなバイトをしてましたけどもね。そんな感じでしたね。なんか、そうですね。よくCymbalsをやってたから「渋谷系が……」っていう話をされるけれども、まあさっきから繰り返してるように僕は渋谷系のファンではあったけども、恐らくその中の1人ではないだろうし。
(吉田豪)まあ第1次ムーブメントの中の人間でもなかったし。で、第2次ムーブメントも「ムーブメント」と言っていいのかどうか、みたいな感じでしたもんね。
(沖井礼二)ムーブメントはなかった気がしますね。
(吉田豪)世代なだけで。
(沖井礼二)そんなムーブメントがあったんだったら、もうちょっと楽な人生があったんじゃないかなって思いますけどね。でもメジャーセブンスを使ったら渋谷系なのか、みたいな。そんな話にもなっちゃうし。
(吉田豪)でもまあ、今も……全然関係ないですけど。アイドルの人たちの、なんかいわゆる渋谷系っぽい音づくりの人たちの話を聞くと、「ちょっとCymbalsを意識して……」みたいな話が出ますね。
(沖井礼二)なんか「この曲を作った人は僕の曲を聞いたんだろうな」みたいなのは結構時々、耳にしますけれども。まあ、そういう形でなにか、後に残すことができたんだったらよかったなと思うんですけどね。ただまあ、そういうのを聞いて「それだったら俺、書くの得意だから、俺に話しかけてよ」とは思いますけどね(笑)。
(吉田豪)それっぽい曲を作るんだったら、本人にやらせてっていう(笑)。
(沖井礼二)沖井っぽい曲なら僕、うまいんで(笑)。とは思いますけどね。でもなんか、それで若い人たちが僕の気付かなかったような解釈でそういうのを作ってくれるのは、まあ逆にしめしめと思って。それを僕も研究したりしますけどね。
(吉田豪)Cymbalsも素晴らしいバンドだったと思いますよ。
(沖井礼二)ありがとうございます。私もそうです。大好きです(笑)。
(吉田豪)Cymbals自体は比較的なんか順調に活動してたイメージがありますけども。
(沖井礼二)うーん。たぶん順調だったんだろうな。当時、リアルタイムででも僕は……まあとにかく必死だったし。でもまあ、デビューしちゃうとどうしても、たとえば他のアーティストさん、バンドとか、他の人の……要は、もう隣の芝生はどんどん青く見えるようになるわけじゃないですか。それをものすごい自分の中に不満に思っていて。もしかしたら、いつもちょっとそこはイライラしてたかもしれませんね。なんか、そうですね。「順調だ」って思えるほどに楽観的には過ごせてなかったっていう感じですね。
(吉田豪)だからそれこそ第1世代的な売れ方というか、話題にも届いてないみたいなモヤモヤもあって?
(沖井礼二)そうそう。まあ「正当に評価されたい」っていう気持ちはありましたし。で、そうだな。あと、そうやってなんか、なにしろ一生懸命必死にやっていくから、やっぱりちょっとおかしくなっていくんだと思うんですよ。自分の今、作っている音楽がまた不満でしょうがない、みたいな。で、そこをどうやったら切り抜けていけるのか、みたいな。それでかなり悩んだっていうのと、ちょっと違うかな? でもそれで必死でだったから。だから、あの当時のことって、たとえばライブとか、リハーサルとか、レコーディングスタジオとか以外の、いわゆる普通の日常生活とか、全然思い出せないですよ。「何をしてたんだろう?」って。
(吉田豪)楽しいことがそれなりにあったはずなのに?
仕事以外のことは思い出せない
(沖井礼二)はずなんですけどね。だから「仕事以外の時、何をやってたんだろうな?」っていう感じなんですよね。なんか、うん。まあ、それぐらいにはバンド活動に没頭してたっていうことなんでしょうけれども。
(吉田豪)相当追い込まれている状態で。追い込まれながら、あんな死ぬほどポップな曲をちゃんと作って?(笑)。
(沖井礼二)まあ、追い込まれていたのか、自分で追い込んでたのか、どっちかはわかんないですよね。そこはね。まあまあ、でもまあコンスタントにレコードは出させてもらってたし。だから、そこは恵まれてるなとは思っていたかもしれませんね。
(吉田豪)当時、何に悩んでたんでいたんですか?
(沖井礼二)何ですかね? なんか……でもたぶんなんか、そのバンドのあるべき姿みたいな理想はきっとあったんですよ。で、常にそれに届いてない感じがして……っていうことなんだろうな。だからなんか「売り上げが」とかそういうことではなくて。食えていくぐらいには、一応あの頃はいい時代だったし。で、そことかには不満はなくて。うん。なんだろうな? まあ、たぶん今この歳だから自分で思えるのかもしれないけど。まあ僕のせいなのかもしれないけれども。
どっかずっと、野暮ったいんですよ(笑)。たぶんそれが気に食わなかったんじゃないかな? たとえば土岐とか矢野とかっていうのはそこは僕ほどは野暮ったくはないので。いろいろとそこは彼らがカバーしてくれていたところもあるんじゃないかなとは思うんですけどね。だからまあ、そこはいいバランスには当時はなってたんだろうなとは思いますけれども。だからまあ、そこで僕1人でたぶん悩んでたのかもしれないですね。物事を言葉にするのもうまくない方なんで。
(吉田豪)意外な評価ですね。意外な自己評価というか……。
(沖井礼二)ああ、そうですか?
(吉田豪)「自分だけが野暮ったかった」っていう。
(沖井礼二)うーん、そうですね。「野暮ったいな」って思いますね。でもたぶん、Cymbalsをやっていた30ぐらいの頃はたぶん、それもあんまり自分では認めたくなかっただろうなとは思うんですけれども。でも、もうその時点で野暮ったいじゃないですか。余裕がないってことだったんじゃないかなと思いますけどね。まあ、とはいえものすごく一生懸命やったから、自分の作ってきた曲は全部好きだし。で、ちゃんと誇れる仕事、誇れる作品たちになってるなって思うし。だからこそ、今でも「Cymbals、好きです」って言ってくれる若い人たちがいるって思って。そこは本当に誇らしく思ってますけどね。
(吉田豪)当時僕は矢野さんとは微妙な接点があって。
(沖井礼二)微妙なんですか?
(吉田豪)イベントで会って話したりとかを2、3回したぐらいの。
(沖井礼二)そうなんだ。結構僕、密なあれがあるのかと……。
(吉田豪)そこまで密じゃなかったですけど。僕が一方的に矢野さんの……矢野さんが当時、モーニング娘。にもハマって。ハローに曲を書いたりとかしていたのを絶賛とかした流れで、「この曲、おすすめなんで聞いてください」とかって無理やり聞かせたりとかしてたぐらいの関係ですね(笑)。
(沖井礼二)矢野さんはあの頃、ハロプロ……隠していたわけじゃないんだろうけど、突然ドーン!って矢野さんの中でハロプロが来て。それが彼の嗅覚なんだろうなと思うんですけども。だから、そうですよ。「野暮ったくない」っていうのはたぶん、そういうことなんですよ。そのあたりの……。
(吉田豪)そこにコンプレックスがないというか、そういうものにも気軽にはまれる。
(沖井礼二)そうですよね。なんか、なんだろうな? 「僕と違って」っていう言い方が正しいのかどうか、わかんないけれども。いいとかよくないとか、好きとか好きでないみたいなものにちゃんと自分でそう言い切れる。それがなんでなのかも自分で説明できる。僕はたぶん1回、ちょっとそこでもう1人の自分がいて。「本当にそうか?」って結構詰問されるタイプで。そこでたとえばもう1人、誰かがそう言ってくれたら安心して行けちゃうんだろうけど。そこは矢野さん、すごいなって思いますよ。矢野さんも土岐もそういうところはあって。それはすごいなと思ってましたね。で、まあそういう2人がいるから僕も信用してくれてたから、なんかあんな風にできたんだろうなと思いますけどね。いいバンドだったと思いますよ(笑)。
(吉田豪)いや、奇跡的な3人が集まってたと思いますよ。
(沖井礼二)まあ今、思うとそうですよね。なかなかないじゃないですか。3人とも、解散して20年ぐらい経ってもまだなんかやってるってあんまりないじゃないですか。まあ、大したバンドだったなって思いますよ。
(吉田豪)そうなんですよ。ただ、だから僕は普通にそんな詳しくないファンとしてぼんやりと聞いてたぐらいの側だったんで。なんかね、解散間際にちょっとピリッとしてたみたいな説を聞いたりとかして。何があったんだろう、みたいな。
Cymbals解散
(沖井礼二)うーん……たぶん、特に何があったわけでもないんだと思うんですけどもね。なんか、まあ僕はそんな感じでだんだんだんだん、こうなって(視野が狭くなって)いって。で、まあ彼らは彼らで、さっき言ったそれぞれの自分たちの何かっていうのがたぶん、成長していくわけじゃないですか。それがまあ、最初とはやっぱりそこで関係性が変わってくるっていうのは当然あることなのかなとも思いますけどね。
だから、何かがきっかけで大喧嘩とか、そういうのはないですよ。だから、最後の頃はなんかちょっと隙間風が吹いてるな、みたいな気は自分ではうっすらしてましたけども。まあ、僕としてはやっぱりバンドがとても全てだったので。まあ、それをなんとか運転していこうっていう気持ちではありましたけども。まあ、あの解散は僕にとっても突然な感じがしたから、いまだに僕もよく分かってないかもしれないですね。
(吉田豪)そんな感じなんですか?
(沖井礼二)でも、もしかしたらなんかまあ土岐さんとか矢野さんとかに話を聞いたら、また別のことが出てくるかもしれないし。しかも、もう20年経っているから。もう既にそれはたぶん第一次情報じゃないだろうし。自分の中で熟成されたなにかになっているだろうから。だから、もうたぶん誰にも分かんないものなのかもしれない。
(吉田豪)もはや。
(沖井礼二)時の流れってそういうものなのかなって思いますけどね。
(吉田豪)『矢野フェス』とかに土岐さんとかは出てるけど、となく沖井さんとは距離がある気がして。
(沖井礼二)まあまあ、そうですね。まあでも、そういうもんなんだろうなって私は思ってますけどもね。『矢野フェス』、僕も生で見たことはないですけど。面白いことを考えるかなって。矢野さんらしいな、面白いことを考えるなと思って遠くから眺めている感じですけどね。
(吉田豪)その、結構な思い入れというか、力を入れていたバンドが終わっちゃった時って結構なショックだったんじゃないですか?
(沖井礼二)そうですね。まあ、かなりなロスにはなりましたね。そのあたりもよく覚えてないぐらいな感じですね(笑)。そうですね。あの頃、何をやってただろうな? かなりやけ酒をあおっていたとは思いますけど。うん。ただまあ、そうなったところで自分にできるのは曲を作ることだけなので……っていう。ちょっとあまりにもピュアすぎる。今、思うとね、そこで大急ぎで新たな何かのプロジェクトを立ち上げて……みたいなことをするっていう手もあったのかもしれないけど。まあ割と動けなくなっちゃってましたからね。で、もうとにかく曲を作ろうという感じでしたね。
(吉田豪)素朴な疑問なんですけど。いろいろ弱ってる時は、曲も弱った感じにはならないんですか? それでもちゃんとポップな方向に?
(沖井礼二)要は内省的な方向に向かないのか?っていう。たぶん、自分でそれはあまり聞きたいと思ってないんじゃないかな? たぶん、聞きたい曲しか作れないと思うんですよ。誰でも、曲を作る人は。そこであんまり内省的なものの方に向かなかったのかなとは思いますけどもね。そんなもの、作らせたら僕よりうまい人がいるし。きっと。僕は自分の作る曲としてはそういうものを望んでいなかったんじゃないかな。まあ、中にはきっとありますけれども。特にそういう発表するほどのものではなく、みたいな感じだったと思いますね。
<書き起こしおわり>