星野源とシソンヌ 小劇場と『演劇ぶっく』を語る

星野源とシソンヌ長谷川 よく聞くヒップホップを語る 星野源のオールナイトニッポン

シソンヌのお二人が2021年12月14日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』に出演。星野源さんと若い頃に見ていた小劇場の劇団や雑誌『演劇ぶっく』などについて話していました。

(星野源)シソンヌのお二人は……お二人とも東京NSCなんでしたっけ?

(長谷川忍)そうなんですよね。

(星野源)出身はそれぞれ違って、NSCで出会ったという感じなんでしたっけ?

(じろう)はい。

(星野源)元々、お笑いをやりたいなっていう感じだったんですか? お二人は。

(長谷川忍)うーん。まあ、なんか「やりたい」っていう気持ちは子供ながらにあったんですけど。まあ「やれるわけないな」と思って。意外と冷静な自分もいて。

(星野源)1回、なんか就職したりとか、そういうのはあったんですか?

(長谷川忍)僕は1年ぐらい、地元で工場でパートのおばさんたちを仕切る役をやってたっすね。

(星野源)じゃあ、ちょっとなんていうか、仕切る立場まで行ったっていう感じですね。

(長谷川忍)みたいなのをやってたんですけど。なんか、どこかでまだ引っかかっていて……みたいな感じで。それで勢いで、若かったんで何も怖いものがなかったんで上京してっていう感じですね。

(星野源)それでNSCに。じろうさんは元々、コント劇団的なものをやっていたって聞いたんですけど。それはNSCに入る前にやっていたんですか?

(じろう)入る前ですね。

(星野源)お二人とも今、43歳ぐらいだと思うんですけど。僕は40で。僕、高校演劇をずっとやっていて。その後、フリーで役者をやり始めたのが2000年ぐらいから。コント劇団っていうか、どのあたりで……それも東京でやっていたんですか?

(じろう)東京でやってましたね。

(星野源)その元々、劇団に入っていたっていう感じでもなかったんですか? 劇団の中から、割とコントグループが派生するみたいなのってよくあると思うんですけども。

(じろう)そんな感じではなかったですね。なんか元々少人数でやってるところに入って、みたいな。

当時、見に行っていた小劇場と劇団

(星野源)そうなんですね。その頃って、僕が高校生の時から小劇場を見始めて。で、その時に大人計画とか、そういうのを見始めて。ジョビジョバとか、まだスズナリとかでやってた頃に見たりとかしてて。それで、あとはなんだろう? 猫ニャーとか。

(長谷川忍)ああ、懐かしい!

(星野源)懐かしいですよね(笑)。ブルー&スカイさんの猫ニャーとか。猫のホテル、拙者ムニエルとか。

(長谷川忍)懐かしいですね!

(星野源)見たりしていました? そういうのって。小劇場……お笑いに結構特化してたような。

(じろう)たしかにちょっとお笑い系の劇団みたいなのが多かったですよね。あの時代。

(星野源)なんですよね。結構そのムーブメントがすごくて。早稲田のどらま館っていうちっちゃいところがあって、そういうのを見に行ったりとか。なんか結構、1500円とか2000円ぐらいで見れたので。お金がなくても見れたんですよね。そういうので出てたりとか、見たりとか?

(じろう)出るのはもう全然、そんな人たちに届かない、本当に自分たちだけでやって友達しか見に来ないみたいな。

(星野源)なるほど。自分でDMっていうか、はがきとかを送って。それの元々のなんかモチベーションっていうか……たとえば、あんまりまだインターネットが全然発達してなかったと思うんですけど。その頃、僕はなんか『演劇ぶっく』とかを見て……。

(じろう)はいはい。僕も『演劇ぶっく』、買ってました。

(星野源)ああ、本当ですか?(笑)。

(じろう)『演劇ぶっく』のオーディション情報を見て……。

(星野源)そうそうそう! 見てた、見てた(笑)。ああ、やっぱりそうですか?

(じろう)はい。毎月、買ってました。ひたすら買ってましたね。

毎号、『演劇ぶっく』を買っていた

(星野源)そうですよね。あれ、たしか2ヶ月に1回かなんかで。

(じろう)どっかからか、2ヶ月に。たしか、最初は毎月だったですけど。売れなくなったのか、2ヶ月に1回になったと思います。たしか。

(星野源)その頃は「ENBUゼミ」っていう学校みたいなのができ始めて。そういうのに入って、なんか講師が結構その頃の小劇場の主宰の人……松尾スズキさんとか宮沢章夫さんとか、なんかそういう人たちがいて。そこからコネを作って、みたいなルートと、あとはオーディション情報を見て、とにかくいろいろ受けるみたいな。なんかそういうところから……じゃあ、受けたりしてたんですか?

(じろう)まあ、やっぱりオーディションに行くまでの勇気がなくて。たまたまそのバイト先で一緒だった人が連れてってくれたお芝居が僕が入ったコント劇団だったんですけど。それがすごい面白くて「入ってみたいな」と思ったんですけど。

(星野源)なんか名前とか、聞いてみてもいいですか?

(じろう)いや、全然知らないと思います。イポックっていう……。

(星野源)ああ、知らない。

(じろう)銀座小劇場とかでやっていたんですけども。で、1年ぐらいバイトしてて『えんぶ』を毎月のように見てたら、メンバー募集でそのイポックっていうのが募集していて。「ああ、これだったら見ているし、行ってみたいな」って思って。そこからですね。それが21ぐらいの時です。たぶん。

(星野源)ああ、そうですか! じゃあ98年とか99年とか? そうですか! いやー、僕は東京タンバリンっていう劇団とか、なんかそういう小劇場の高円寺あたりでやってたところの人たちのオーディションを受けたりとかして。あと、故林広志さんっていう人のコントサンプルっていうのを……。

(じろう)故林広志さん、僕も行ってましたよ。

(星野源)マジっすか! 行ってました?

(長谷川忍)オーディションに?

(じろう)オーディションじゃなくて。ライブ、いっつも見に行ってました。

(星野源)そうですよね。ワークショップとかもあったし。あのすっごいちっちゃいところでやってましたよね? 久しぶりに僕も言いました。故林広志さん。

(じろう)「事故」の「故」で「故林」っていう。

(星野源)「小林」じゃなくて。そうですか! あの頃、やっぱりそのぐらいのユニットコントみたいなのをナイロンでケラさんとかも。なんか、いろんな人を集めて、とか。

(長谷川忍)自分もちょろちょろとは行ってましたけど。その故林広志さんのやつまでは届かなかったですね。

(星野源)アハハハハハハハハッ!

(じろう)やっぱり同じ時代に見てるっすね。

(星野源)そうですね。世代的には。

(じろう)その時に故林広志さんが面白いと思ったやつが出るライブっていうのを下北のどっかの劇場に見に行ったんですけど。その時、東京ダイナマイトさんが出てて、衝撃を受けたんですよ。「こんなに面白い人が!」って。

(長谷川忍)漫才やっていたの?

(じろう)コントをやっていた。「こんなに面白い人たちがいるんだ!」って思って。まだ全然売れてない頃で。たぶんオフィス北野にも入っていなかったと思います。あれに出るっていうことは。

(星野源)あの頃、僕もその拙者ムニエルとかを見ていて。駅前劇場とかで、客席が本当にみんな、頭をもたげて、もう息ができないぐらい笑うみたいな瞬間が結構あって。あと、猫のホテルとかも。もう本当に「死ぬほど笑う」みたいな、そういう経験をよくしてて。だからあの頃、まだ結構演劇とお笑いが結構密接だった頃っていうか。境がそんなになかった頃のような。僕が今、所属してる大人計画の松尾さんも昔、温水さんと「鼻と小箱」っていうコントをやっていて。で、『冗談画報』に出たりとか。そうやってテレビとかに出てコンビとして売れたりとか。そういうのもありましたよね。

(長谷川忍)そういう時代でしたね。僕もバイト先にそういうのが好きな人がいて。それこそ、大人計画とかナイロンとか、そのへんの拙者ムニエルとか。その人も『演劇ぶっく』を買う人だったんで。

(星野源)アハハハハハハハハッ!

(長谷川忍)それを見て……。

(星野源)『演劇ぶっく』を買っている人なんて、そんなに……(笑)。

『演劇ぶっく』を読んでいたバイト先の先輩に教わる

(長谷川忍)そんなにはいないんですけども。その人はなんかそういうのがすごい好きな方で。で、シティボーイズもその人に連れていってもらったりして。その人がいろんなことを教えてくれたんですよ。「芸人になりたいです」ってバイト先で言ってた時に、今から考えたらマウントを取られてるだけなんですけど。「大人計画、知ってる?」「いや、知らないです」「見ておいた方がいいよ。お笑い、やりたいんでしょ? コント、やりたいんでしょう?」って。「ああ、はい……」みたいな。それですごい衝撃を受けて。

(星野源)いやー、わかるなー。僕もそうでした。高校の時に先輩が「大人計画、知ってる? 今、見てないとヤバいよ」みたいに言われて、それで見に行ったのが『マシーン日記』っていうやつだったんですけども。初演だったんですけども。ちょうど『ファンキー!』っていうやつをやった後で。『ファンキー!』は見に行けなくて。で、生で『マシーン日記』の初演を見て。その後に『ドライブインカリフォルニア』っていう。

(長谷川忍)ああーっ!

(星野源)知ってます?

(長谷川忍)知ってます。

(星野源)そういうのとか、あとは宮藤さんの『ウーマンリブ』っていうのの1回目とかから僕、見始めて。ファンになって。

(長谷川忍)その時はまだお客さんだったんですね。

(星野源)全然お客さんでした。だからトップスとかスズナリとかの前ですげえドキドキしながら……高校生だったので。周りにあんまりいなくって。高2とかで大人計画を見てる人が。だから「怖い人たちばっかり……」みたいな。その当時のカルチャービンビンな人たち(笑)。

(長谷川忍)わかります(笑)。

(星野源)すげえ坊主にピアスめっちゃ付けてる人とかいっぱいいて。アンテナが高そうな。そうなんですよ。あと、ごめんなさい。そんな話ばっかりであれなんですけど。『スチャダラ2010』っていう宮沢章夫が昔やってたコントみたいなことをもう1回、やろうって言って。なんか円形劇場でやったのがたしか98年とか99年ぐらいで。なんかその頃、オッホっていう劇団の人とか。あとは三木聡さんとか。宮藤さんも含めていろんな作家の人を集めてコント公演をやるみたいなのがあったんですよ。

で、それがちょうどシアター・テレビジョンみたいな、CSで演劇チャンメルみたいなのができた時で。それがビデオで回ってきて、それを見て「コント、超面白い!」と思って、僕は高校でコントをやり始めて……みたいなのがあって。だからなんか、そういうのもあって。シティボーイズがお好きだっていうのも見たので。僕もシティボーイズ、小学生の時からずっと見ていて。

(長谷川忍)小学生の時から見ていたんですね。すげえ!

(星野源)WOWOWでやり始めたぐらいから……ちょうど親がWOWOWに入っていてくれていて。思いっきり、その影響世代っていうか。そのシティボーイズさんのは実際に見に行ってたんですか?

<書き起こしおわり>

星野源とシソンヌ シティボーイズを語る
シソンヌのお二人が2021年12月14日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』に出演。星野源さんとシティボーイズについて話していました。
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