オークラさんが2021年12月8日放送のニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』にゲスト出演。自身も作家として関わっていた『はねるのトびら』について話していました。
(佐久間宣行)ということで、『はねるのトびら』が始まったのが2001年。20年前ということで来週はインパルスの板倉くんが来てくれます。では、本日のゲストをご紹介しましょう。この方です。
(オークラ)どうも。放送作家のオークラです。よろしくお願いします。
(佐久間宣行)オークラさん!
(オークラ)いや、もう4回も来てしまって申し訳ありません(笑)。
(佐久間宣行)あのね、ちょうど板倉が『あちこちオードリー』に来てくれたんで。今日、『あちこちオードリー』の収録がキングコングだったんですよ。で、梶原が『はねる』の話をしてて。西野は『はねる』はめちゃくちゃ楽しかった。ただ、梶原は西野が真ん中で楽しかったけど、とにかく秋山、塚地、板倉っていう天才に囲まれてセンターの振りをするのは……(笑)。要は、凡人ってわけじゃないけど。梶原は梶原のよさがあるけど。その天才たちに囲まれて「センターでござい!」って顔をしているのを「キツかったんすわ……」って言っていた(笑)。
(オークラ)まあね。キツそうでしたもんね。最初の半年で参っていましたもんね。
(佐久間宣行)言ってたよね。だって梶原は「オークラさんは俺のこと嫌いだと思っていた」って言っていたもんね。
(オークラ)「嫌い」とかって言いますけども……。
(佐久間宣行)そう梶原が思ってたっていう話ね。
(オークラ)単純にでも、僕もあの当時、バナナマンとか、ああいう人たちと一緒にやってきて、ちょうどその時に入ったんですよ。だからそこそこライブシーンでは「俺、やれてる作家だぞ」っていうのがちょっとあったわけですよ(笑)。で、ちょうど2000年ってキングコングがもう鳴り物入りでバーン!って来たから。やっぱそういうスターに対して少し、「どれほどのもんだ?」みたいなのがあるじゃないですか。若い頃って。俺だけじゃなくて。
(佐久間宣行)2000年ってことは、オークラさんは30?
(オークラ)21年前だから、26とか27とか。そのぐらいですよ。
(佐久間宣行)そうか。じゃあ、あるね。キングコングがハタチぐらいでしょう?
(オークラ)キングコング、すごかったじゃないですか。もう本当、学生時代から賞を取って。「天才、天才!」ってみんなが言っていて。俺の周りでも「大阪にすごい天才がいる」っていうのがあったから。
(佐久間宣行)だってNSCで「今年はキングコングいるからええやろ」って言われたらしいよ。その同期の人たち。「キングコングが出たからもうええやろ」みたいな(笑)。
(オークラ)そんな中、僕も東京の……勝手にですけども。東京のお笑いを背負っているつもりでしたから(笑)。
(佐久間宣行)ああ、そうだ。オークラさんの本の話になっちゃうけど。オークラさんの本を読むと、オークラさんがいかに「俺は天才だ→挫折→天才だ→挫折」っていうのを繰り返してきたかっていう。その何度目かの……「演者としては緊張するからダメだったけど、新しいお笑いを俺は東京のコント師たちと作れているんだぞ!」くらいの? また天才に気持ちが戻ってきた頃でしょう?
(オークラ)その時に『はねるのトびら』がちょうど始まって。それで僕、ドランクドラゴンと仲良かったから。「ドランクドラゴンと仲がいいんなら、ドランクのコントを書けるんじゃないの?」みたいなので呼ばれたんですよ。
(佐久間宣行)ああ、そうか。それぞれ得意な芸人の……座付きなわけじゃないけど。そっちのジャンルが得意なんじゃないか?っていうことで呼ばれたんだね。
『はねるのトびら』の会議
(オークラ)その時に僕とか大井くんとかが呼ばれて。大井くんはたしかに吉本とか、ロバートと近いんじゃないかっていう感じで。それで呼ばれたんですよ。で、初めて呼ばれた会議で8時に呼ばれたんですけど、会議が始まったのが深夜3時ぐらい。
(佐久間宣行)俺、その話、大好きなんだよなー(笑)。要はね、『めちゃイケ』一派の会議はとにかく長いんだよね。なんでか?っていうと、それは理由があって。台本の1ページ目から全部、みんなで決めていくから長いのよ。で、8時に始まって朝までとか、普通だったんだよね?
(オークラ)全然普通です。12時間会議してました。
(佐久間宣行)そうだよね。その中の、『はねる』の演出だった方は『めちゃイケ』育ちだから。『めちゃイケ』をやりながらだったんだよね?
(オークラ)しかもですよ、普通8時に……いくら若手とはいえ、8時に集められて、来るのが夜の3時ってそれ、ありえないですよね?
(佐久間宣行)7時間待ちね(笑)。
(オークラ)ずーっと会議室で待たされて。でも僕ら、その時はテレビ局なんてほとんど来たことがなかったから。しかも向こうは『めちゃイケ』の収録で遅れてるっていう。で、こっちとしても当時、『めちゃイケ』っつったら、始まって3年目ぐらいですから。ちょうどもうイケイケ中のイケイケですからね。だから僕ら、ずーっと待ってたんですよ。それで来て……一切謝らず(笑)。
(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ!
(オークラ)「あ、君たち?」みたいな感じで。すごい感謝はしてるんですよ。ただ、びっくりしちゃって。「はっ!」って思って。「こんな感じなんだ!」って(笑)。
(佐久間宣行)ああー、面白い。最終的に俺、「『はねるのトびら』とは何だったのか?」ってみんなの証言を集めて本を出した方がいいと思うよ。
(オークラ)これはね、本当に僕、『はねるのトびら』って素晴らしいコント番組だと思ってはいるんですよ。
(佐久間宣行)だって『はねる』の初期のグローバルTPSとかさ、あとオークラさんが書いていたのはなんだっけ?
(オークラ)僕は馬場さんとか。あとは「栞と博のテーマ」っていう、秋山がやるやつとか。あとはまさしくこの僕の一番最初に結構シリーズ化されたのは板倉の「ナレーション」っていうコントなんですけれども。なんかコントなんですけど、どんどんナレーションが入ってきて。そのナレーションが「この時、こいつは○○を思っていたのだ」みたいな。そのナレーションを板倉だけがしゃべっていて。それでパッてなると「お前、なにナレーションを読んでいるんだよ?」っていう。そういうコントのシリーズパターンのやつで。
(佐久間宣行)ああ、システムね。
(オークラ)そう。システムのやつなんですけども。僕、『はねトび』に最初に入った時に正直、全然ハマんなかったんですよ。
(佐久間宣行)ああ、そうか。言ってたよね。俺、たぶんそれを聞いてるから。「『はねる』じゃあ全然ハマんない」って聞いて「ああ、そうなんだ」みたいな。
(オークラ)まあ、僕もプライドがあったのかもしれないですけど。
(佐久間宣行)そっちもデカいでしょう?(笑)。バナナマン一派として入っていって。
(オークラ)東京でブイブイ言わせているイケイケの若手作家なのに、テレビコントなんて……みたいなのもあったんですけども。すげえハマらなかったんですよね。全然採用されなかったんですよ。最初の何ヶ月間か。しかもちょっと、おっかないんですよ。演出が。近藤さん、当時はおっかなかったんですよ。今はすごいフランクにしゃべれるんですけども。当時は僕も若手だし、すごい怖かったんですよ。「てめえよ、才能ねえんだから群馬に帰れよ!」とかって言われて(笑)。
(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ!
(オークラ)すげえ言われたんですよ。それで俺、自分で言うのもあれなんですけども。「才能ある」って当時、思ってたから。すごいショックで(笑)。
(佐久間宣行)ああー、なるほどね。大変だね。オークラさん、毎回怖い人につくね。近藤さんだけじゃなくてね。
(オークラ)俺はね、もう正直、あらゆるパワハラディレクターの……まあ近藤さんがパワハラだって言ってるわけじゃないですけども。もう全員、いろんなタイプの人を味わっているから(笑)。
(佐久間宣行)一時期、俺は『ゴッドタン』を一緒にやりながら。俺、オークラさんよりも年下だけど、同い年に近いじゃない? で、毎回『ゴッドタン』でその1週間、つらかった出来事を話すのよ(笑)。30代のオークラさんがね、いろんな現場の……どの現場とは言わないけど。「こんな目に遭った」とか「こんな感じで怒られた」とか(笑)。それを毎回、『ゴッドタン』の会議の頭3、40分、それを聞く時ありましたもんね?(笑)。
(オークラ)佐久間さん、聞いてくれるから(笑)。でもお笑い自体がものすごい武闘派な世界で。「こんなもんなんだよ!」みたいな感じだったので。
(佐久間宣行)まあ、本当にマッチョだったもんね。
(オークラ)その頃にどっぷりなんで。僕なんて。ましてや僕、ターゲットにされやすいタイプなんで。
(佐久間宣行)まあ、そうだね。だって一緒にやってる作家の大井くんはね、キックボクシングのチャンピオンだもんね(笑)。
(オークラ)もうイケメンだし。当時、まだ全日本7位っていう。
(佐久間宣行)それはね、同じ風にオークラさんが同期で入ってたら、オークラさんの方を言うよね?(笑)。
(オークラ)俺なんか、「群馬に帰れ」って言われてるんだから(笑)。でも、そんなことを帰ってきてバナナマンには言えないじゃないですか。「どうだった、『はねトび』。テレビコントは?」って言われた瞬間、そんなことは言えないから。「ああ、まあまあ、頑張ってます」って。
(佐久間宣行)そうか。バナナマンに対しては、バナナマンはまだテレビに出まくってる頃じゃないから。「いや、テレビのやつらもまあまあ……俺、やれてますよ。バナナマンとやってる俺、バナナマンに恥をかかせてないですよ」ぐらいの感じで?
バナナマンには言えなかった
(オークラ)そうです。だって僕はバナナマンのコントを作ってる1人なわけですから。そんなやつがテレビコントに負けるわけがないっていう。
(佐久間宣行)でも、そのテレビことの場所に行ったら「群馬に帰れ!」って(笑)。
(オークラ)めっちゃめちゃ怒られて。なんでこんなに怒らなきゃいけないんだ?っていうのは当時、ありましたよね。でもまあ1回ハマったらうまい具合に行って。それがちょうど板倉のコントで。それからうまい具合にハマり始めて。
(佐久間宣行)なるほどね。だからやっぱりみんな、いろいろあるんだな。だから梶原は「オークラさんとか大井さんは俺のことを面白くないと思ってた」っていう風にずっと言っていて。だから心をなかなか開けなくて。「秋山とか塚っちゃんとか楽しそうに話してんな、あの人たち。じゃあ、俺はもうこっちを頑張るしかない!」って体を張ってたとかって言ってたんだけど。
(オークラ)たしかにでもそれはちょっとあったかもしれないですね。僕らもちょっと……よくないんですけど。今考えると、同じメンバーなのにそこが……そういう気持ちが多少あったかもしれないですね。途中からは変わってきました。だって番組、10年間やってるわけで。最初の1、2年ですよね。
(佐久間宣行)そういうのは人間だからね。だからそういう意味で言うと本当に『ゴッドタン』って珍しいですよね。最初から最後まで何にもないですもんね。
(オークラ)『ゴッドタン』は何もないですね。はい。
(佐久間宣行)始まった時から今まで、特に何かしらでスタッフも出演者も特にもめることもなく。和気あいあいずっと楽しく。あと企画も出演者に断られることもなく。
(オークラ)そうですね。この本を読んだって今日、午前中に斉藤さんからこんな……もう本当に。
(佐久間宣行)ああ、斉藤さんというのは『あちこちオードリー』の演出もやっていて、俺は『キングちゃん』も一緒にやってて。要は元々、俺は斉藤さんのADだったんだよね。制作会社のディレクターで。『ゴッドタン』ももう15、6年ずっと一緒にやっているディレクター。今は『チャンスの時間』とかもやっているディレクターなんだけども。
(オークラ)で、『チャンスの時間』の、「古河新三郎」っていう『古畑任三郎』のパロディーがこの間、あって。僕、それが面白そうだったんで。「ちょっと見せてください」って言ったらそのデータをもらって、見たんですよ。で、すごいおもしろかったから。
(佐久間宣行)ああ、大井くんが書いたっていうやつでしょう?
(オークラ)それで僕、感想を送ったんですよ。「すごい面白かった」って。でも、その送ったのは5行ぐらいの感想ですよ? それを受けて……斉藤さんが受けたかどうか、わかんないですけど。この本を読んでくれた感想を送ってきてくれたんですけど。本当にね、A4の紙にびっしりぐらいの感想で(笑)。
(佐久間宣行)ええっ? 斉藤さん、熱いからね(笑)。
(オークラ)今日、『あちこちオードリー』の収録があったんですよね? その前ですよ?(笑)。
(佐久間宣行)収録に集中しろよ(笑)。
(オークラ)だから俺、「またもう1回、『チャンス』の感想を書かなきゃいけないかな?」って思っていて(笑)。
(佐久間宣行)まあ、斉藤さんっていう人はとにかく熱い人だからね。とにかく熱くてやる気にあふれていたから、最初おぎやはぎとかと全然うまくやれていなくて(笑)。「やっちゃいましょうよ!」っていう感じのディレクターだったから(笑)。
(オークラ)だから、逆に佐久間さんがすごいハマったっていう(笑)。
(佐久間宣行)俺はまあまあ、ある程度柔らかいから。斉藤さんがイケイケで、その武闘派の隣にいたからおぎやはぎとかとすごい合ったんだよね。
(オークラ)そんな仲のいい……同時期にやっていましたからね。そんな『ゴッドタン』と比べて『はねるのトびら』はやっぱり旧き良き……。
(佐久間宣行)フジテレビバラエティの潮流っていう。
(オークラ)でも、コントをすごくちゃんと考えていて。コントオタクみたいな人たちが……演者もそうじゃないですか。
(佐久間宣行)そうだね。本当に新世代のコント師だったよ。
(オークラ)だからどちらかと言うと文系っていうか。部室芸というよりかは、どちらかと言うと籠もってコントを考える人たちがあったんで、すごい面白かったと思うんですけれども。どうしても、やっぱり「『めちゃイケ』の弟分」みたいな。そこで少し、なんていうか評価が少し悪かったっていう言い方はあれですけども。
(佐久間宣行)しかも本当にいろんな人が知ったのって、やっぱり上に上がって。すごい革命的なことではあるけど、コントキャラクターでゲームパッケージを『めちゃイケ』よりも推し進めたんだよね。それがバカ当たりしたんだもんね。それが本当、革命なんだけど。その分、そのコント番組だったことを忘れられたっていうのはあるよね。
(オークラ)それもありますね。その一方で、『リチャードホール』とかもあったじゃないですか。
(佐久間宣行)ああ、『リチャードホール』がお笑いゴリゴリでコントをずっと続けたから、お笑いファンは「こっちの方がお笑いやろ!」みたいな。
(オークラ)そうなんですよ。これが僕ら世代の弱さというか。結局その後、テレ朝でやっぱりその人たちがゴリゴリの……。
(佐久間宣行)ああ、『ミドル3』ね。『くりぃむナントカ』『アメトーーク!』とか。
(オークラ)いわゆる第5世代のゴリゴリたちですね。
(佐久間宣行)あの千歳烏山軍団と言われた。
(オークラ)それが『はねトび』メンバーとかを呼び出して。「なに? フジテレビで楽しそうな番組、やってるじゃん?」って言うと……(笑)。
(佐久間宣行)オークラさん、全部ね、ヤンキーにたとえすぎなのよ(笑)。まあでも、「あの頃の『ロンハー』のひな壇に出るのは怖かった」っていうのは『はねる』だけじゃなくて。金田とか……この間、YouTubeに来てくれたから。はんにゃ、フルポンはビクビクしながら行っていたっていう。
(オークラ)やっぱりコント番組ってその時代の笑いの若いカリスマたちがやらなきゃ、ちょっと説得力がないんです。だって、作品じゃないですか。作品っていうのは、やっぱりある程度のカリスマがやんなきゃ面白くなくて。ナメられてるやつの作ったものなんて、あんまり見たくないじゃないですか。
(佐久間宣行)もう美術作品だからね。
カリスマがやらないとコント番組は説得力がない
(オークラ)そうですね。イメージなんですけど。そうなってくると、そのフジテレビで集められた精鋭たちがかならず、そこらへんに呼び出されてちょっといじられるじゃないですか。それでいじられた瞬間に少し、コント番組としてのなんか格というか、あれが落ちてしまうというか。だんだん「ああ、あいつらはナメられてるのね」っていうことが起きて。次第にフジテレビのユニットコント番組がだんだんだんだん少なくなってきて。カリスマ性がなくなってきたっていう。
(佐久間宣行)なるほど。じゃあやっぱり、俺はわかんなかったけど。「他と絡まない」っていう戦略を取ってたじゃないですか。たとえば『めちゃイケ』メンバーとか。あれは一応、意味はあったんだね。
(オークラ)意味はあると思いますね。やっぱり。
(佐久間宣行)カリスマ性を保つには、他の人に……要は、お腹を見せるっていうことをしないままスターになった方が、カリスマ性は保てるもんね。
(オークラ)やっぱりそれはどうしてもあるから。だってとんねるずさん自体だって、『ひょうきん族』には一切絡まなかったから。
(佐久間宣行)そうだわ。やっぱりあの頃のスターって、自分独自の城をとっとと築いちゃってから。後で城を築いてから絡んでたもんね。じゃないと、スターになれないのか。
(オークラ)そう。お笑いは立ち位置ですから。基本、やっぱり。そんなね、『はねるのトびら』っていうのはすごい僕、いい番組だと思うし。今、コントを見てもらってもすごくよくできたシチュエーションコントとかやってるんですけど。
(佐久間宣行)やってる、やってる。俺、好きだったよ。本当にコント番組の『はねる』。
(オークラ)そういうイメージがついてしまったんですよね。それが僕の『はねる』の思い出ですかね(笑)。
(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ! ちょっと待って? 『はねる』の思い出で20分、しゃべってるんだけど?(笑)。
<書き起こしおわり>