町山智浩『83歳のやさしいスパイ』を語る

町山智浩『83歳のやさしいスパイ』を語る たまむすび

町山智浩さんが2021年6月1日放送のTBSラジオ『たまむすび』の中で映画『83歳のやさしいスパイ』を紹介していました。

(町山智浩)で、今日紹介する映画は『83歳のやさしいスパイ』というタイトルの映画です。これね、83歳のおじいさんが私立探偵の事務所に雇われてスパイをするというドキュメンタリーなんですよ。

(赤江珠緒)83歳の方が?

(町山智浩)はい。これはチリ映画ですね。南米のチリ。これ、どういうことになってるかというと、探偵をしなきゃならないのは老人ホームにソニアさんというおばあさんが入ったんですけれども。なんかどうも介護士の人たちに虐待されてるんじゃないか?っていう風に家族の人たちが怪しみまして。お金持ちらしいんですね。それで、私立探偵に依頼して「調べてほしい」っていう風になったんですね。「高価なペンダントとかを盗まれたりしてるらしい」って。それでどうするかというと、おじいさんをその老人ホームに潜入させて。その内部から調査をさせようということになったんですよ。

(赤江珠緒)そうね。潜入捜査員という意味ではたしかに、この場合の83歳という年齢は……。

(町山智浩)そうじゃないと入れないですからね。で、まず新聞で募集したんですけども。これ、面白いのはチリでも新聞を読んでいる人ってあんまりいないらしくて。「募集を新聞なんかに出していいのか?」ってなるんですけども、おじいさんは新聞を読んでいるんですね(笑)。で、その募集にウワーッと殺到するんですよ。それで、「年金があんまりないから、ちょっとでも仕事がほしいんだ」っていう人もいて。ただ、ここで採用される人はセルヒオさんというおじいさんで。「奥さんが亡くなって、何もすることがない。お金もあるんだけども、毎日何をしたらいいか分からないから。なんでもいいから、なんか宿題みたいなことがほしい」っていうことでは応募をしてきたんですね。

(赤江珠緒)うんうん。

(町山智浩)で、彼が雇われて、まずはスパイをしなきゃならないから……これ、ほとんどコメディみたいな映画なんですけど。スマホの使い方を……要するに「写真を撮って送れ」とか「テキストを」とかって言うんですけども、スパイになりたいおじいさんはみんな、全然できないんですよ。全然スマホが扱えなくて、どうしようもなくて。で、電話をする場合でも、普通にしゃべってはダメだから、「暗号を覚えてほしい」ってなるんですね。で、「QSL:今、何が起こっている QAP:……」とか、いろんな暗号を教えるんですけど全然、覚えないんですね(笑)。

(赤江珠緒)アハハハハハハハハッ!

(町山智浩)で、これは僕もそうなんですけど。短期記憶が無くなるんですよ。だんだん、歳を取ってくると。これね、昔のことはねいくらでも覚えてるんですけど。それこそ、小学校の時に校庭でドジョウすくいをしたことを覚えているぐらいなんですけども(笑)。

(赤江珠緒)そうですね。先週、話してくださった(笑)。

(町山智浩)それなのに先週、どこで何を食べたとかは全然思い出せないんですよ。

(赤江珠緒)それはそうですよ。そうなってくる。

(町山智浩)そう。でね、昔の俳優の名前とかはいくらでも覚えてるんですけど、最近の俳優とかはもう全然、名前と顔が一致しないんですよね。

(赤江珠緒)町山さんでも? へー!

(町山智浩)全然出てこないんですよ。「あれ、あれ、あれ」とか言って、全然出てこないんですよ。で、僕ぐらいの年齢の人で、要するに映画ファンとみんなで話をするじゃないですか。そうすると、本当に誰も名前が出てこなくて(笑)。全員で「あれ、あれ!」って言っていて。出てこないんだけども、全員誰だかわかっているんですよ。

(赤江珠緒)そうね(笑)。みんなで思い浮かべている人は一緒なんだけど……っていうことか。

(町山智浩)そう。でも出てこないとか、そういう状態になるので。そういう人をスパイで行かせて大丈夫なのか?っていうね。で、「まず、このソニアさんの顔を覚えてくれ」っていう風に言われるんですけど、まずそれが覚えられないんですね(笑)。

(赤江珠緒)ええっ? そこからだと厳しいなー。

(町山智浩)「これがターゲットなんだけど」って言っても、覚えられないんですよ。そういう状況で行くっていうので、もう笑っちゃうんですよね。コメディでね。

(山里亮太)ドキュメンタリーなんですもんね?

あくまでもドキュメンタリー

(町山智浩)ドキュメンタリーですよ。で、これ、撮影をどうやったのか?っていうのが謎なんですよ。見ていると。本当に老人ホームの中で彼がいろいろ調査してるのが普通に映っているんですけども。「これ、カメラはどうやってるんだ?」って思って。で、映画の中では全く説明がないんですけども。元々、監督のマイテ・アルベルディという女性監督が本当は私立探偵物のミステリーを作ろうとしていたらしいんですよ。

で、私立探偵の事務所を取材してたんですね。で、いろいろ取材してたら、「老人ホームのスパイの仕事が入ったんだけど」ってなって。「じゃあ、それが面白いから、それを撮りましょう」って……なんていうか、行き当たりばったりで撮っている映画なんですよ。で、この映画はね、この間のアカデミー賞のアカデミー国際映画賞という部門にノミネートされてるんですね。候補作になってるんですよ。それなのに、ものすごくいい加減な行き当たりばったりの制作をしている映画なんですよ(笑)。思いつきでやっているんですけども。

(赤江珠緒)そうですね。たまたまですもんね(笑)。

(町山智浩)たまたまなんですよ。で、この老人ホームで撮影するのをどうするのか?っていうことで、彼女は「老人ホームのドキュメンタリーを作るんだ」と言って、老人ホームの管理人とか経営者の人を説得してるんですよ。ところが実際は、老人ホーム内で虐待が行われているかどうかという調査なんですよ。でも、それについては黙っているんですよ。で、セルヒオさんが私立探偵から送られたスパイだってことは、老人ホーム側には知らせてないんですよ。これ、すごく複雑なんですよ。で、さらに老人ホームにいる人たち。中に入ってる人たち。おじいさん、おばあさんたちには「ある老人のことを心配している家族がいるので、頼まれてここに撮影に来てます」って言ってるんですよ。だから「自分たちが撮られている」とは思ってないんですよ。

(赤江珠緒)ああ、なるほど。

(町山智浩)これ、二重、三重に嘘をついていてね。「これ、いいのかな?」って思いますけども(笑)。まあ、あとで説明して納得させたから公開されているんだろうと思いますけど。だからどっきりみたいな感じですよね。撮り方としては非常に欺瞞に満ちた撮影の方法をしているんですけども。で、調査としてセルヒオさんが入るんです。「いろいろ調査してくれ」って言うんですけど、まずそのソニアさんの顔を覚えてないし。このセルヒオさんはすごくシャイで、話しかけられないんですよ。

(赤江珠緒)ええっ?

(町山智浩)で、またここに入っている人たちのほとんどがおばあさんなんですよ。女性が圧倒的に多いんです。で、彼とあと数人しか男性がいなくて。周りは全部、女だらけだから、このおじいさんは若い頃から奥さん一筋だったので、めちゃくちゃ緊張しちゃうんですよ。「わ、私は妻以外とはあんまり、しゃべったことがなくて……」みたいな。で、全員に敬語で話してるんですね。おじいさんになるとすごい傲慢で、「おーう!」みたいな人もいますけども。彼はシャイで礼儀正しいんですよ。それで……モテモテになっちゃうんですよ。

(赤江珠緒)アハハハハハハハハッ!

(町山智浩)スパイ、モテモテってありますけどね。ジェームズ・ボンドとかね(笑)。美女をいっぱいはべらして……っていう。それに近い状態になっていくんですけどね(笑)。でね、そうしているうちに「彼はシャイだし、ジェントルマンで、紳士で優しいし。人の話をよく聞いてくれるの」って言うんですけど……それは調査してるんですけどね(笑)。

(赤江珠緒)アハハハハハハハハッ!

(町山智浩)聞き込みをやっているから、いろいろと話を聞くんですよ。「そうなんですか。そうなんですか」って礼儀正しく。でも、こういうところの人たちって、話を聞いてもらえないんですよね。

(赤江珠緒)ああ、そうですか。

(町山智浩)そう。で、本当に熱心に話を聞いてくれるから。「あの人、本当に好きだわ」みたいな感じで。で、年に1回の老人ホームのお祭りがあるんですね。その時にまたね、このチリの人たちは嫌なことをやるわけですよ。「一番人気のある人は誰?」ってやるんですよ。嫌ですね。高校とかでありますよね。日本なんかでは絶対にやらないけども。アメリカとかでは一番人気のある人がクイーンとかキングとかになるんですね。プロムとかですね。ああいうの、やめた方がいいですね。ムカムカするからね。フットボール部のやつとか選ばれたりするんですね。で、チアガールの子がクイーンになったりしてね。で、王冠をかぶせられて2人で並べられて街を練り歩いたりするわけですよ。アメリカって。

(山里亮太)でも、そういう2人ってだいたい、仲間同士で湖畔に行くと襲われますよね?

(町山智浩)そう。ジェイソンとかに斧で頭を割られたりするわけですよね(笑)。

(赤江珠緒)この場合、ジェイソンの話はいいんだよ!

(山里亮太)だいたい、湖畔に行くとね。

(町山智浩)そう。静かな湖畔の森の影からジェイソンが出てくるんですけども。で、その老人ホームではセルヒオさんがキングになっちゃうんですよ。まあ、男があんまりいないんですけどね。でも、王冠をかぶせられて。「この老人ホームにいる女性たちはみんな、あなたが好きなのよ」とか言われて。で、ダンスになるんですけど、「私と踊って」「私と踊って」ってなって、次々とワルツをしていくんですよ。本当に王子様ですよ! ねえ。なんか全然違う話になっているんですけども。

(赤江珠緒)本当だな。調査はどうなったんだろう?

(町山智浩)スパイで入って一番目立つって、ジェームズ・ボンドもまあそうですけどね(笑)。スパイで入っているのにナンパしまくって、めちゃくちゃ目立っているのがジェームズ・ボンドですけども。どこがスパイなのか、よくわからないんですが。そういう状態になっていますけども。それだけじゃなくて、そのパーティーでね、1人の女性……ベルタっていう女性から告られちゃうんですよ。

(赤江珠緒)ええっ?

(町山智浩)「セルヒオさん、私はあなたが好きなの」って言われるんですよ。みんながいるんですよ? で、みんな「うわーっ!」みたいな感じになって。彼女は……まあ、チリがカトリックの国だからなんですけど。ずっと独身だったんですね。85歳なんですけども。「私ね、バージンなの」って言われるんですよ。「私は本当に愛する人のためにずっと取っておいたの」って言うんですけど、85年物ですからね。大変なことになってますけどね。そういう、なんか全然違う話になっているんですね。

(赤江珠緒)本当ですね!

(山里亮太)しかもこれ、ドキュメンタリーっていうね。

(町山智浩)ドキュメンタリーなんですけどね。そういう笑っちゃうところもあって。でもね、結構いい話なんですよ。このベルタさんは「セルヒオさん、私のこと好きかしら?」って言ってヒナギクの花びらを1個1個やって、花占いをするんですよ。「愛してる、愛してない……」ってやるんですよ。で、みんなでカラオケ大会やってもね、やっぱりみんな恋の歌を歌うんですよ。80歳を過ぎてもやっぱり人間、恋してないと生きてられないんですね。

(赤江珠緒)そうでしょうね。

認知症の人々

(町山智浩)その一方で、やっぱり認知症になっていく人もいて。「ここから出して!」って毎日言っている人がいるんですよ。マルタさんっていう人で。で、その人は「ママが私はここに入れて、入れっぱなしなの!」って言うんですよ。「ママが全然迎えに来てくれないの!」って言うんですよ。80歳をすぎて。で、お母さんなんて、生きてるわけないんですよね。

(赤江珠緒)そうね。この方が80を超えてたらね。

(町山智浩)で、まあ子供に帰っちゃってるんですよ。で、「私の学校カバン、知らない? 教科書とノートが入っているの!」とか言うんですけども。で、「ママがいない!」とか言った時にどうするか?っていうと、その介護士の人が別の部屋からそのマルタさんの携帯に電話をしてくれるんですよ。で、「ママですよ」って言うんですよ。すると「ママ、どうして迎えに来てくれないの?」って言うんですけども……これね、認知症になると、自分の愛する人が亡くなったことを忘れちゃう場合がありますよね。その場合、絶対に「その人はもう亡くなりました」って言っちゃいけないんです。

(赤江珠緒)そうなのか……。

(町山智浩)これは絶対に言っちゃいけないんです。これは今、日本で公開されている『ファーザー』っていう映画がありまして。

(赤江珠緒)はい。町山さんに紹介していただいた。

町山智浩『ファーザー』を語る
町山智浩さんが2021年3月2日放送のTBSラジオ『たまむすび』の中でアンソニー・ホプキンス主演の映画『ファーザー』を紹介していました。

(町山智浩)83歳のアンソニー・ホプキンス主演でアカデミー賞を取りましたけども。彼にインタビューしたら、その娘役の人がオリヴィア・コールマンという女性で。この人もアカデミー賞を取っている人ですけど。そのお母さんの老人の介護士だったんですって。で、オリヴィア・コールマンのお母さんが言ったことは「うちの女房、どこだ?」とか「うちの旦那はどこ?」っていう風に認知症の人が言った場合、その人が亡くなってた場合には、それを忘れているんだから絶対に「もうすでにお亡くなりになりました」と言ってはいけないという。これは決まりなんですって。なぜならば、その人は自分の旦那や奥さんが死んでいることを知らないから。「死にましたよ」って言ったら、そこで殺したことになるんですよ。

(赤江珠緒)そこで初めて失ったっていう、その感覚をまた味わうのか。

(町山智浩)そう。愛する人を失うっていう悲しみをその人にその場で与えちゃうんですよ。もう一度。で、それを何度もやったりするバカな介護士もいるみたいですけど。絶対にやってはいけないんですよ。そういう風に言われたら「ああ、旦那さんはちょっと出かけてますから」とか。そういう風に言うものなんですって。それは本当の思いやりなんですよね。だからそういうところが出てきたり。

あとね、ルビラさんっていうすごくインテリな、非常に上品で教養のあるおばあさんが出てくるんですけど。短期記憶がなくなってくることがわかるんですよ。つまり、時間が飛ぶんですね。その数時間前が思い出せないっていう時間が飛ぶ現象が起こって。その『ファーザー』という映画は認知症の人の立場でもって撮られた映画で。時間が飛んで、今家にいると思ったら、全然違うところにいたりするんですよ。

(赤江珠緒)そういう恐怖があるって町山さん、仰ってましたもんね。「あれ? さっきしゃべっていた人がいなくなって違う人になっている?」とかね。

(町山智浩)そうそうそう。間が飛んじゃうから突然、そこにいた人が違う人になっていたり。自分が全然知らないところにいたりするっていうことがあって。そのルビラさんが非常に論理的に……頭で分かっているんだけど、そうなっちゃうんですよ。で、ものすごいパニックに襲われるっていうシーンがあって。で、記憶があやふやで。「あなたの顔とか名前が覚えられない」みたいなことで、ものすごい恐怖に襲われるんですね。つまり、だって自分が壊れていく感覚だもん。自分が故障していく感覚。俺が「ちょっと頭、ハゲたな」っていつも思ってるけど、それどころじゃないんですよ。その崩壊の仕方っていうのは、自分というものが、存在が壊れていく感覚ですよ。

(赤江珠緒)そうね。それは怖いな。考えると。本当に。

(町山智浩)そう。そういう恐怖に怯えてる人を、このセルヒオさんは優しく抱きしめてくれるんですよ。だからスパイとしてはね、ミッションを忘れたりしてて大ボケなんですけども。人としては素晴らしい人なんですよ。

(赤江珠緒)なんだろう? 思いもよらないことが浮き彫りになってきてますね。たしかに。

(山里亮太)目的、達成できるのかな?

(町山智浩)目的は達成できるのかどうか、よく分からないんですけど(笑)。というね、これはもう僕は間近なことなんでね。

(山里亮太)そうですか?

(町山智浩)そうですよ。だって僕、来年還暦ですよ?

(赤江珠緒)でも、ねえ。

(町山智浩)でもそしたら、あと20年後にはその状態ですからね。

(赤江珠緒)そうね。それは誰しもね、来ることだからね。

(町山智浩)でも、すごく心温まる素晴らしい映画でしたね。この『83歳のやさしいスパイ』という映画。これは7月に日本公開です。

(赤江珠緒)ねえ。今、写真を見てもこのおじいさんのセルヒオさんがいい感じのおじいさんだもんね。虫眼鏡をのぞいている、ちょっとチャーミングな感じの方ですもんね。

(町山智浩)こういうおじいさんにならなきゃなと思いましたね。

(赤江珠緒)そうですね。『83歳のやさしいスパイ』は7日月9日、シネスイッチ銀座ほか全国公開です。町山さん、いろいろありがとうございました。

(町山智浩)どうもでした。

『83歳のやさしいスパイ』予告

<書き起こしおわり>

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