町山智浩さんが2025年2月25日放送のTBSラジオ『こねくと』で映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』について話していました。
※この記事は町山智浩さんの許可を得た上で、町山さんの発言のみを抜粋して構成、記事化しております。
(町山智浩)それで来週のアカデミー賞でたぶん主演男優賞を取るだろうと思うのが今回、紹介する映画なんですね。『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』という映画の主演男優のティモシー・シャラメくんですね。彼が今回、ボブ・ディランという人を演じていて、たぶんそれで主演男優賞を取るだろうと思います。
これ、まず1961年に始まるんですね。ボブ・ディランはその頃はボブ・ディランという名前ですらなくて、19歳のただの貧乏というか、ギター1本以外、何も持ってない若者として大都会ニューヨークに出てくるんですよ。で、その彼が……ボブ・ディランといえば、なんていうのかな? ビートルズみたいなものですね。ビートルズ、エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディランというのはポップミュージックの三大巨匠というか。そびえるスーパースターなわけですけど。
ボブ・ディランはフォークソングの神様と言われていたんですよ。フォークソングってね要するにギター1本で歌うっていうだけじゃなくて、自分が作った歌……しかも自分の本音を歌詞にして歌うということはその当時、なかったんですよ。当時は歌謡曲とかでわかると思うんですけど、作詞・作曲は他の人がやって、それを歌手が歌って。その歌の内容は完全にフィクションで。歌手にとって何の関係もないことを歌ってたんです。昔は。
ところがフォークソングというものは自分の本音をギター1本で語るというエッセイのような世界なんですね。それを最初にスーパーヒットさせたのがボブ・ディランなんですよ。で、彼はその発明者なのかっていうと、実は発明者じゃないっていうのがこの映画なんですよ。そこがすごいんですね。
最初、お師匠様みたいな人が何人も出てきて。あの人たちは要するにその当時、フォークリバイバルということをやってた人たちで。フォークソングっていうのは「民謡」っていう意味なんですよ。で、アメリカには昔から民謡があったんですけれども、テープレコーダーが発明されたんで、そのテープレコーダーでアメリカ中を回って民謡を集めて、それを残そうという運動が始まるんですね。まず最初に。で、そうすると今まで、フォークソングっていうのはレコードとかにちゃんとなっていなかったんです。
要するにジャズとかブルースと違って、商業主義のものじゃなかったんで。地道に田舎で歌われていた歌だったんでね。そういったものから、ウディ・ガスリーという人が出てきて1930年代から貧しい人たちの気持ちを代弁して歌うというプロテスト・フォークというものが出てくるんですよ。それは「こんなに金持ちたちが威張っていて、許せないよ!」っていう気持ちをぶつける歌なんですね。で、それに憧れた田舎の若者がボブ・ディランで……という話なんですよ。
ボブ・ディランはスポンジのようにですね、次々と会った人たちから知識を吸収して、それをスーパーヒットさせていくという。本人自身が発明するのではなくて、いろんな人から影響を受けたものを1万倍ぐらいにして曲にしていくという人だったんです。それがこの映画なんです。本人には何もないんですよ。そこがまたすごい。で、ちょっと1曲、聞いていただくといいんですが。『風に吹かれて』をお願いします。
Bob Dylan『Blowin’ In The Wind』
(町山智浩)聞いたことがあると思うんですけども。この歌はですね、「どれだけたくさん道を歩けば、彼は人間として扱われるようになるのか?」っていう感じなんですね。これは映画をご覧なったらわかると思うんですけど、ボブ・ディランが初めて黒人の人権運動を見るんですよ。ニューヨークで。その頃、1960年代の初めっていうのはアメリカの黒人、特に南部の黒人に人権が全くなかったんです。
選挙にも行けないし。で、その人権を取り戻すための運動しているのをボブ・ディランはそこで会ったシルビーという風な名前にこの映画の中ではなっているんですが。その女の子に誘われて、黒人の人たちの抵抗集会を見て、そういう運動があることを知るんですよ。で、すぐにそれを歌にするんです。これって。「どうやったら人間として扱われるんだろう? それはいつだろう?」という内容を歌って。白人なのに、黒人の気持ちをそこでスッと掴んで歌って、これが大ヒットするんです。
でも彼はそれまでミネソタというド田舎に住んでいて、黒人なんてほとんど見たことなかったんですよ。彼はそういう人なんです。これ、映画を見ると次々と女の子に……まあティモシー・シャラメが演じてますからボブ・ディラン、かわいいんでね。「かわいい、かわいい」ってヒモみたいになっていくんですね。
彼、次から次に出会う女性たちに影響を受けて、ご飯も食べさせてもらったりして、かわいがられて変わってくんですよ。ボブ・ディランはどんどん。彼はスポンジみたいな人だったと思う。で、どんどん変わっていって、最初はもう素朴なフォーク歌手だったんですけれども。途中からサングラスをかけて、スーツを着てですね、なんというか、ファッションもロックンロールな感じになっていくんんですよ。
その中で、実はそれはアメリカ全体というか、世界全体が変わっていく時代だったんですね。1960年代っていうのは。具体的に言うと、それまでのアメリカ、1955年ぐらいまでのアメリカっていうか、世界には若者文化っていうものは存在しないんです。若者向けの服なんてないんですよ。55年以前は。55年から後にやっと若者っていう人口が増えていって。具体的には昔は高校を卒業すると結婚して、大人になっちゃったんで。子供を作って大人になっちゃったんで、若者っていうものが存在しないんですよ。昔は。
ところが55年ぐらいから、高校を出てから結婚するまでの間に10年以上の間隔が開くようになって、若者文化が出てくる中でポップミュージックとかロックが出てくるんですが。あとは自動車に乗ったりとかね、そういうものが出てくるんですけれども。その中でボブ・ディランはすごく歴史がどんどん変わっていって。要するに黒人の人権が初めて認められるとか。あと、その頃は若者たちが大人に反抗していくんですよ。「大人のようには生きたくない。そのまま父親の仕事は継ぎたくない。社会に入りたくない」っていう。それが初めての全世界的な現象で起こるんです。これ、日本でも起こりました。太陽族と言われる人たちがそうですね。
つまり、今までの大人の社会にすぐ子供が組み込まれるっていうことに反抗する人たちが出てきて、全世界的な反抗文化……「カウンターカルチャー」と言われるんですけども。大人に対して立ち向かっていく文化が全世界で盛り上がっていきます。その中でボブ・ディランが歌った大ヒット曲が『時代は変る』という歌です。ちょっと聞いてください。
Bob Dylan『The Times They Are A-Changin’』
(町山智浩)この歌はこういう歌詞なんですね。「国中のお父さん、お母さん、理解できないことは批判したり、批評しないでくれよ。あなたの息子や娘さんはあなたの言うことを聞かなくなってるだろうが、親のやり方なんてもう時代遅れなんだ。若い者に道を譲りなよ。あんたが手を貸さなくても時代は勝手に変わるものなんだ」っていう歌なんですよ。今、聞くとこれは普通の歌に聞こえるんですが当時は大変なセンセーションだったんですよ。誰もそんなこと、言ったことがなかったんですよ。これが最初なんです。
「子供たちが逆らうのはどうしようもないんだよ」っていう歌なんですよ。で、これをコンサートでティモシー・シャラメ演じるボブ・ディランが初めて披露するところでお客さんがもう大変なパニックになったみたいな感じで。超盛り上がるシーンがあるんですね。これは前に『エルヴィス』っていう映画でエルヴィス・プレスリーが初めてロックンロールを……それまで黒人の音楽だったものを白人に紹介した時、白人の若者たちが熱狂して大変なパニックになるシーンとすごくよく似ています。この頃は音楽が世の中を変えてた時代なんですよ。
その中で最もそのその時の政治……特にベトナム戦争ですね。そういったものに対してはっきりと反対を表明する歌を作っていたのがボブ・ディランで。で、商業的なポップミュージックとは違う、非常に政治的な、政治活動的な音楽として評価されたんですが……ボブ・ディランは途中でそれにも飽きちゃうんですよ。
彼、新しいものが好きなんです。で、自分はだんだんロックンロールがやりたくなっていくんです。ボブ・ディランは。ところがその頃、ロックンロールに使われる電気楽器っていうのはビートルズとかも出てきた頃なんで。「商業主義の音楽だ」って言われて、フォークが好きな人たち……というか、フォークっていうのははっきり言うと「左翼運動」だったんですよ。で、音楽に関して電気を入れたりしたら、それは裏切りだとされてたんです。資本主義に寝返ったという風に思われるんですね。
ところがボブ・ディランはこの頃、バイクに乗ったりして、だんだんワイルドになってきて。ギター1本で歌うっていうだけじゃ彼自身の衝動をですね、表現しきれなくなっていくるんですよ。で、ガツガツのロックンロールでギャーン!って行きたくなってくるんですね。ボブ・ディランは。でも、それを周りが許さないっていう話なんですよ、これ。彼にエレキギターを持たせないっていう話なんですよ。
で、ボブ・ディランはその頃、もうひとつの大きな革命をしていて。これ、レコードジャケットがそこにあると思うんですけど。ガールフレンドと道を歩いてる写真をレコードジャケットに使ってるんですよ。これ、本当に当時付き合ってたガールフレンドで、おそらくボブ・ディランが童貞を捨てた相手なんですよ。20歳ぐらいなんで。これね。
(町山智浩)で、彼女が黒人の人権運動とかに連れていってくれて、いろんな社会とか政治のことを教えてくれたんですね。で、これが2人で写ってるんですけど、当時未婚の男女が、恋人同士がジャケットに出るなんて、なかったんですよ。要するに男女が付き合っていて、はっきり言って肉体関係みたいなことが結婚以前にあるんだっていうことを表面にバーンと出したんです。これ、当時はありえなかったんですよ。だからこういうすごいこともやっていくんですけど、ただ彼女たちと次々と、いろんな女性たちと恋愛をしていく中で、その彼女たちも置いていって先に進んじゃうんですよ。ボブ・ディランは。そこは、ちょっとひどい男だったね。
(町山智浩)その中に1人、 ジョーン・バエズというボブ・ディランよりも先にスターになっていたフォーク歌手の人がいるんですけど。彼女との関係がすごく、ライバル同士なのに恋人っていうね。ステージの上でいちゃつきながら歌うんですね。あそこまでも、ちょっと切ないところでね。で、もう1人の彼女がそれを見るんですよ。結構、きついシーンですけど。で、そういった中で生み出されるのがボブ・ディラン最大の名曲と言われている『Like a Rolling Stone』なんですが。ちょっとかけてください。
Bob Dylan『Like a Rolling Stone』
(町山智浩)この歌はね、「転がる石のように」という意味なんですけど。もう、なんていうか何もかも拠り所がなくなって。『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』っていうタイトルはこの歌の歌詞から取ってるんですけども。「もう君は誰にも見えないし、隠すべき秘密だってないし、もう何も頼れるものはない。帰り道もないんだ。君は本当に転がる石みたいに、もう何にもないんだよ」という歌なんですよ。これはその時の自分のことを歌っているんですね。この人は本当にずっと変わり続けて。この映画で描かれた時代の後もですね、どんどんどんどんディランは変わっていって。正体が全然つかめない人のまま生きてるんですよ。この人、すごいのはね、自分が昔、録音したレコードとか、全然聞かないそうです。
というね、本当に僕はもう大好きな映画なんでね、あちこちでこれについて書いたり語ったりしてるんですが。これはアカデミー賞主演男優賞を取ると思います。『名もなき者』、ぜひ今週公開なので見ていただきたいんですが。来週はですね、アカデミー賞の授賞式の後なんですけども。アカデミー賞、今年の作品賞はたぶんね、『教皇選挙』という映画を取ると僕は思ってます。ローマカトリックのローマ教皇を選ぶ選挙についての映画なんですが。これを来週、紹介したいと思います。これ、たぶんアカデミー作品賞を取ると僕は思っています。