星野源 ラジカル・ガジベリビンバ・システムとオークラを語る

星野源 ラジカル・ガジベリビンバ・システムとオークラを語る 星野源のオールナイトニッポン

星野源さんが2021年5月11日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中で以前、オークラさんが佐久間宣行さんのラジオでラジカル・ガジベリビンバ・システムについて話していたラジオトークを紹介。それを聞いて思ったことなどを話していました。

(星野源)どうも、こんばんは。星野源です。最近ね、オークラさんのことをよく考えてるんですよ。オークラさんと、あと日村さんのことをよく考えてるんですよ(笑)。オークラさんというのはバナナマンのお二人に今、ずっと付いてる作家の方ですね。で、この番組にも来ていただいて。僕のガチファンの方ですね。僕の歌をいつも練習してくれているという。この番組でも、あれは『くだらないの中に』だっけ? なんだっけ? 『ばらばら』か。それを歌ってくれたりとか。あとは、僕にいつも誕生日プレゼントをくれるですけど(笑)。

で、そんなオークラさんとあと、なんか日村さんのことをよく考えていて。で、そういえば佐久間さんのオールナイトニッポン0にオークラさんが出た回っていうのを俺、聞いてないやと思って。で、「面白かったんだ」みたいな話を前にそういえば聞いたなと思って。聞いてないから、ちょっと聞こうと思って。で、録音をお願いして取り寄せて、聞いたんですよ。それで2回、オークラさんが出ていて。2回目に出た方に……その、普段オークラさんがいつも接しているバナナマンのお二人とか、あとは東京03の皆さんとかね、いつも一緒に行っている人たちの話をしてたんですよ。

で、その自分が若い頃とかの話もしてて。そういうちょっと青春っぽい話とか。で、オークラさんって今は作家だけど、元々はお笑いをやってた側で。そこから作家になって……っていう、そういう話もしてて。「ああ、面白いな」と。で、バナナマンのお二人のTBSラジオの番組の方でもオークラさんはしゃべるけど、あんまりそういう話はしないっていうか。基本的に、設楽さんにいじられたりとか。あとは、なんか裸になるとか。そういう感じでいじられ、もしくはおもしろの部分が多いと思うんだけど。

割と佐久間さんとは熱い話をしていたんですよ。そこでね、バナナマンのお二人と一緒にやり始めた頃の話だったかな? やり始めたか、やり始める前ぐらいだったかな? その頃……80年代ぐらいの時に、ラジカル・ガジベリビンバ・システムっていう演劇ユニットがあったんですよ。で、そのラジカルの話をオークラさんがしてて。元々シティボーイズの皆さんがいて。大竹まことさんとかきたろうさん、斉木しげるさん。そのシティボーイズの皆さんと、あと竹中直人さんとか。あと、前に僕の番組にもゲストに出てくださったYOUさんとか。YOUさんともその時に話をした記憶があるんだけども。

YOUと星野源 ラジカル・ガジベリビンバ・システムを語る
YOUさんが2021年2月16日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』にゲスト出演。星野源さんとラジカル・ガジベリビンバ・システムについて話していました。

(星野源)そんないろんな面白い人たちが行った、まあ演劇なんだけど、笑いっていうのと、あとは音楽と、あとファッションショーとか。そういういろんな、もうめちゃめちゃかっこいいもの。面白くてかっこよくて素敵なものがもう全部、そこにあったみたいな。そういう、お笑いなんだけど、お笑いだけじゃなくて。もういろんな要素……演劇の要素もあったっていうような、そういう集団なんですよね。ユニットの話をオークラさんがしてて。

で、その人たち。その主宰というか、一番中心でやっていたのが宮沢章夫さんという劇作家の方なんですけど。その宮沢さんがやっていたその後に、シティボーイズの皆さんがシティボーイズライブっていうのをやっていて。そこで三木聡さんという方が今度、作家になってずっとやっていて。で、その三木聡さんがやってた頃ぐらいからWOWOWでその公演、シティボーイズライブっていうものを中継し始めて。それを見て、それにとても影響を受けたっていう話をオークラさんがされてたんですよね。

オークラ、ラジカル・ガジベリビンバ・システムを語る

(星野源)で、僕も小学生の時、シティボーイズライブをWOWOWで見ていて。すごく面白くて、とても影響を受けているんですね。で、そういう話をしていて。「やっぱり面白いな」と思って。僕も『バナナサンド』に出た時にシティボーイズの話をしたりとかっていうので。やっぱり、そうなんだなと。で、シティボーイズがずっと好きで、バナナマンさんのコントを初めて見た時に「ああ、シティボーイズを好きなんだろうな」って感じがしたんですよ。

で、それはもう本当にハタチぐらいの時だったと思うんだけど。それで、そういうのも思い出したりとかして。話を聞いてて。そしたら、98年とか99年ぐらいの話だと思うんだけど。そのラジカル・ガジベリビンバ・システムがもう全然終わっていて。で、そのラジカルっていうのはいろんな公演があるんだけど。その中で『スチャダラ』っていうタイトルの公演があって。それは『スチャラカ社員』の「スチャラカ」という言葉と『スーダラ節』の「スーダラ」っていう言葉……そういう、古い世代の喜劇、コメディの2つの言葉を合わせて『スチャダラ』っていうタイトルにしている公演だったんだけども。

そこにたしかスチャダラパーのANIさんが見に来ていて、その公演の『スチャダラ』から「スチャダラなラッパー」っていう意味で「スチャダラパー」っていう名前になって。それでスチャダラパーが生まれたっていう、そういう逸話があったりとか。そういう、もう伝説的なものだったんですね。でも、そのラジカルはもう終わっていて。で、その90年代の終わりに、『レトロスペクティブ』っていうのがあって。ラジカルが活動中に原宿のラフォーレで公演をやってたんですよ。で、それの前までは、お笑いっていうのはもうちょっと小さいところとか、演芸場だったりとか、そういうところでやることが多かったけど、それをラフォーレ原宿でやっちゃうみたいな、そういう革命的な人たちだったんだけども。

で、その同じ会場でその当時のラジカルの映像を流すっていう企画があったんですよ。それをオークラさんが日村さんと見に来て、それでそこからバナナマンっていうもののスタイルみたいなところにたぶん取り入れていったんだっていうような話をしてて。で、その話を聞いていて思い出したのが僕、高校生の時……高2で自分で演出みたいなことを始めて。当時、大人計画の「日本総合悲劇協会」っていう別ユニットがあったんだけども。それの『ドライブイン カリフォルニア』っていう作品があって。それを高2の時に見に行って。もうとんでもなく感動して。面白すぎて。

で、その場で上演台本を売っていたから買って帰って。「これを学校でやろう!」と思って。学校の中でスタッフとか出演者の人を集めて、なんか2日間ぐらいの学校内公演みたいなのをやったんですね。それは自分が演出をして、出演もして。で、その1年後ぐらい。高3の時に、『ヒネミの商人』っていう演劇公演をやったんです。それは宮沢章夫さんの、そのラジカルよりももっと後に作ったユニット、遊園地再生事業団っていうユニットがあるんだけど。その公演の台本があったから、それを買って帰って学校内でやらせてもらったっていう。

で、その公園が1時間ぐらいだったの。ちょっと短かった。1時間ちょいぐらいだったんですよ。なんで、なんか短いからその後に、僕はずっとコント好きだから、コントをやろうと思って。自分で書いて。で、その『ヒネミの商人』に出てくれてた周りの役者さんが全然違う役となって、そのままコントやるっていう。だからプラスで自分たちの自主公演をやるみたいな感じでオリジナルコントをやっていたんですよ。で、その頃にそのラジカルのこととか、ものすごく自分も好きだったから。高2ぐらいから勉強してて。

で、その当時とかちょっと後ぐらいにその『レトロスペクティブ』っていうラジカルの映像が見れるという……逸話でしか聞いてなかったから。その逸話ももう本当に少ない文献の中にしかなかったから。「ラジカルが映像で見れるんだ!」と思って。そこに俺も行ってたのよ。だから、あの場に、俺とオークラさんと日村さんが同じ会場にいたんだよ! ということがそのオークラさんのトークを聞いてわかったの。

同じ『レトロスペクティブ』の会場にいた

で、その5、6年後ぐらいか。5、6年か7年ぐらい後に『アキハバラ@DEEP』っていう現場で僕は日村さんと会うんだけど。で、そこで僕はもうSAKEROCKで音楽をやっていたから。その時にすでにオークラさんは僕のファンで……っていう。なんかちょっと運命的なものを、すごくその話を聞いて感じてたんですよ。だからなんか、面白いなと思って。で、こういうラジオをね、やっぱりバナナマンさんのラジオではオークラさん、たぶんそういう話はできないから。だから佐久間さんのああいう場。なんかもう本当に自分の話をするというか。「面白いことを……」っていうのはやらないで、もうとにかく自分の話をしていい場所みたいな。そういうの、すごく大事だなと思ったんですよね。

で、日村さんとオークラさんのことをなんで考えていたかっていうのは……ちょっとよくわかんないんですけどね(笑)。ちょっと、なんでなんですかね? ちょっとわかんないんですよね。うーん。ちょっとわかんないですけどね、はい(笑)。そんなわけで、今日も3時までよろしくお願いします。星野源のオールナイトニッポン!

(中略)

(星野源)メールが来ています。「ラジカル・ガジベリビンバ・システムの映像上映イベント、私も高校生の時に見に行っていました」。おお、本当!? 「調べると1997年3月に4日間ぐらい……」。ああ、そうそう。97年ぐらいか。「4日間ぐらい開催されていたようですが、私はトークショーのある日に行きました。対話者同士は日本語なのに、いとうせいこうさんが通訳としてデタラメな言語を話しているコントが印象に残っています。源さん、オークラさん、日村さんと同じ会場で同じものを見ていたんだと思うと、なんだか嬉しいです。元気だしてください」。

ああ、そうだった(笑)。今日のメールのテーマは「元気だしてメール」だったね。ありがとうございます。そうだね(笑)。いやー、懐かしいな。なんか、すごい今じゃ絶対にやれないコントをやっていたな。コンプラ的にもう絶対にダメっていうやつをやっていましたね。映像の中では。なんか、有名人が2人、「助けてくれ!」って言っていて。そのどちらかを選ぶっていう(笑)。有名人が2人、いるんだけども、そのどちらかを理由をつけて選ぶっていうコントをやっていて。今はもう絶対にできないっていう。相当にブラックだった記憶がありますね。ありがとうございます!

<書き起こしおわり>

タイトルとURLをコピーしました