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高見沢俊彦 THE ALFEE『メリーアン』までの9年間を語る

高見沢俊彦 THE ALFEE『メリーアン』までの9年間を語る 宮藤さんに言ってもしょうがないんですけど
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THE ALFEE・高見沢俊彦さんが2021年4月16日放送のTBSラジオ『宮藤さんに言ってもしょうがないんですけど』に出演。宮藤官九郎さんとTHE ALFEEが『メリーアン』で大ブレイクするまでの9年間の愚痴を話していました。

(宮藤官九郎)今日はT見沢俊彦さんの愚痴を聞いていきます。自己紹介をお願いします。

(高見沢俊彦)T見沢俊彦です。

(宮藤官九郎)フフフ、すいません(笑)。よろしくお願いします。ご無沙汰しております。

(高見沢俊彦)ご無沙汰してます(笑)。

(宮藤官九郎)T見沢さんですよね。

(高見沢俊彦)はい。

(宮藤官九郎)三人組のバンド、THE Aルフィーの……(笑)。

(高見沢俊彦)Aルフィー(笑)。

(宮藤官九郎)の、メンバーです。バンド結成47年!

(高見沢俊彦)そうですね。デビューで今年47年で。結成だと48年か。1年前でしたから。

(宮藤官九郎)えっ、逆に言うと、結成して1年でデビューしたんですか? すごいですね!

(高見沢俊彦)そうそう。高校時代から……僕は後から入ったんだけど。桜井と坂崎のバンドは1回、違う名前でデビューをしていて。高校生の時に。フォークで。

(宮藤官九郎)ああ、そうなんですか?

(高見沢俊彦)そうそう。で、僕は同じ大学に入って。1人で辞めたんで、僕が誘われて。それで入って、そのままデビューしちゃったっていう。

(宮藤官九郎)えっ、じゃあアルフィー……もういいや。アルフィー時代は……。

(高見沢俊彦)フフフ、「Aルフィー」ね(笑)。

(宮藤官九郎)アルフィー時代は、その1回デビューをしたのはなかったことにして学校にいたんですか?

(高見沢俊彦)そう。名前は全然違う名前だったんで。それで74年の8月にアルフィーとしてデビューをしたというか。

(宮藤官九郎)ああ、そうなんですか。昔ってインディーズっていう言葉はなかったですよね?

(高見沢俊彦)ないよね! もうメジャーデビューするしかないのよ。プロになるにはね。

(宮藤官九郎)ですよね。どうだったんですか? その、デビューするってなった時って?

(高見沢俊彦)だからそのね、一番デビューして困ったっていうか。俺たちはね、どっちかっていうとサイモンとガーファンクルので優勝したりとか。あとCSNYのコーラスでギターで。そういうのをやっていたんで、まあオリジナル曲っていうのはないわけ。なかったんですよ。

(宮藤官九郎)カバーをずっとやっていたから。

(高見沢俊彦)カバーをやっていたんで。そのギターとコーラスがちょっと面白いっていうんでプロのデビューしちゃったもんで。そのデビューしてからが大変でしたよね。だから最初はね、筒美京平さんと松本隆さんのゴールデンコンビの初不発曲ですよ!(笑)。本当に。

(宮藤官九郎)たまにある(笑)。

オリジナル曲なしでデビューした後に苦労する

(高見沢俊彦)たまにある。それの……松本隆さんなんか、初めてじゃないかな? こういうグループに書いたのは。しかもね、僕はギターでバンドに入ったんですよ。そしたら、そのレコーディング時に「もう1曲、君のために作ったから」ってその曲を歌わされてデビューをするわけですけども。「もうギターは弾かないでいい。ハンドマイクで行け!」って。僕、ハンドマイクですよ?

(宮藤官九郎)最初ですか?

(高見沢俊彦)最初。で、手をどうしていいかわかんないの。

(宮藤官九郎)そうですよね。じゃあ、ポッケに入れたり?

(高見沢俊彦)入れたら、もう叱られますからね。「入れるんじゃねえ! 態度が悪い!」みたいな。で、TBSの『ぎんざNOW!』っていう番組、僕らレギュラーだったんですから。

(宮藤官九郎)じゃあ、その時はハンドマイクで?

(高見沢俊彦)ハンドマイク。「NOW、コマーシャル!」とかやっていましたよ。本当に。3人、白いスーツでね。もう、どうしようもなかったですね。

(宮藤官九郎)迷走してた頃ですかね。

(高見沢俊彦)迷走ですね。だから……で、2枚目も松本隆さんと筒美京平さんの曲で(笑)。それもまあ、ダメで。で、次のシングルが「じゃあ、面白いことやってみようか」っていうんで。3億円事件が時効の日に3億円事件の歌を……まあ、それも僕らの歌じゃないんですけど。それを、出そうとしたんですよ。

(宮藤官九郎)3億円事件の? 時効の日に?

(高見沢俊彦)時効の日に。『みんなでわけよう3億円』っていうね。なんか……。

(宮藤官九郎)ダメじゃないですか(笑)。

(高見沢俊彦)ダメなんですよ。そしたらね、それがね、発売中止になっちゃったんですよ(笑)。

(宮藤官九郎)フハハハハハハハハッ! すごい話ですね(笑)。

(高見沢俊彦)そうですよ。もう、どうにもならないですよ。この不幸は。

(宮藤官九郎)すごい! よくやめなかったですね(笑)。

(高見沢俊彦)そこではたと気がついたの。これは何がいけないのか? 「オリジナルがないからだ!」って(笑)。

(宮藤官九郎)フハハハハハハハハッ!

(高見沢俊彦)そこからですよ。僕、一生懸命に曲を作りだしたのは。

(宮藤官九郎)「自分で作ろう」と。

(高見沢俊彦)そうそうそう。まあ、ギターはそこそこ弾けたんで。なんとかできるだろうということで。

(宮藤官九郎)あの頃っていうのは、だからどっちかっていうとまだ……?

(高見沢俊彦)もう迷走ですよ。大迷走ですよ。「俺は一体、何をしてるのかな?」みたいなね。だからもうしょうがないから、コントの台本を自分で書いてるんですよ。

(宮藤官九郎)えっ?

(高見沢俊彦)書いていたんですよ。

(宮藤官九郎)誰が演じるコントを?

(高見沢俊彦)いや、3人でやるんですよ。

(宮藤官九郎)3人でコントをやっていたんですか?

(高見沢俊彦)そうですよ。

(宮藤官九郎)俺ら、グループ魂と変わらないじゃないですか!(笑)。

自分でコント台本を書いていた

(高見沢俊彦)変わらないですよ。だからレコーディングの時に一緒にやった時、全然違和感なかったもん(笑)。「懐かしいな」って。

(宮藤官九郎)そうなんですか(笑)。へー!

(高見沢俊彦)まあ、今でもたまにやっていますけどね。

(宮藤官九郎)そうか。だから腰が低い感じ、しましたよね。最初から。なんか調子に乗らない感じが……。

(高見沢俊彦)そうそうそう。そういうの、いっぱい見てきたからね。

(宮藤官九郎)「たぶん苦労があるんだろうな」って(笑)。

(高見沢俊彦)いやー、ありましたよ。あのね、大手の事務所に入っちゃったもんですからね。もう大変ですよ。全てのバックをやりましたからね。その人たちの。

(宮藤官九郎)ああ、そうですよね。いろんな方のバックを?

(高見沢俊彦)やりました、やりました。ええ。やっぱりかまやつひろしさんとか、吉田拓郎さんとかね。研ナオコさんとか。拓郎さんはもう本当にすごくかわいがっていただきましてですね。よく飲みに連れて行っていただいてですね。「お前ら、絶対に売れるから、頑張れ! 歌以外でな」って言われましたよ(笑)。「そうなんすか?」みたいな。

(宮藤官九郎)へー! じゃあ、何で売れるんですか? 歌以外でって(笑)。

(高見沢俊彦)まあ、拓郎さんの歌を上手く……『ショック!! TAKURO 23』っていうのを出したことがあるんですよね。それでちょっとかわいがっていただいたことがあるんですけどね。

(宮藤官九郎)へー! すごいですよね。なんかその、我々がちゃんと認識している前の時代の話、面白いですよね。

(高見沢俊彦)もう大変でしたよ。あの頃は。だから、何とか売れたいと思いましたよ!(笑)。「何でもいいや!」と思いましたよ。「売れなきゃアカンわ、これ!」みたいな。

(宮藤官九郎)よくラジオとかでも聞くし、ご本人の口からも聞きますし。面白いから聞いてられますけど……すごい苦労ですよね。それって。

(高見沢俊彦)まあ、でも若さってそういうの、耐えられるよね。

(宮藤官九郎)なんかモメたりしなかったんですか? その間に。

(高見沢俊彦)ああ、3人で? それがないんですよ。僕らの場合。

(宮藤官九郎)じゃあ、仲がいいんだ。

(高見沢俊彦)仲がいいっていうかね、なんかこう、ぬるま湯なのね。うちらね。関係が。ぬるま湯でね、こう、浸かっていて楽なんですよ。そこにいると。

(宮藤官九郎)「ああ、アルフィ~……」って。

(高見沢俊彦)そう。アルフィー湯。「ああ……ここでいいや……」って(笑)。

(宮藤官九郎)「メリーアーン……♪」って(笑)。

(高見沢俊彦)そう。「うーん……」みたいな。そうそう(笑)。そんな感じかな? まあ、ぬるま湯も冷めたらあっためなきゃいけないし。熱かったらちょっと冷まさなきゃいけない。一応、とりあえずね、努力はするけども。大した努力じゃないんですけどもね。まあ、楽な関係ですね。

(宮藤官九郎)じゃあ、1回もそういう危機とかってなかったんですか?

(高見沢俊彦)ないですね。だから、くだらないことで喧嘩はしますよ。すごく。でも、それが音楽に響くとか、バンド活動に響くってことは全くないですね。

(宮藤官九郎)ああ、そうなんですか。

(高見沢俊彦)なかったなー。

(宮藤官九郎)だから、続けてこれたんですかね。

(高見沢俊彦)そうそう。それはあるのかもしれません。

(宮藤官九郎)74年にデビューして、それこそ『ベストテン』とかに出るようになったのって82年とか83年ですよね?

(高見沢俊彦)83年ですね。『メリーアン』、9年かかりましたからね。

(宮藤官九郎)その間、9年。

(高見沢俊彦)あっという間な感じもしましたけどね。

(宮藤官九郎)その時は何か手応え、ありました?

『メリーアン』の前で売れるはずだった

(高見沢俊彦)『メリーアン』? いやー、だけどね、本当はね、その『メリーアン』の前で売れるはずだったの(笑)。それで……少しずつコンサートが入ってきて。「ああ、小ホールはいっぱいになってきたね。これ、行けそうだな」っていうことで。雰囲気が。で、『メリーアン』の前に「このシングルだ!」っていうね、『暁のパラダイス・ロード』っていう曲をね。

(宮藤官九郎)もう売れそうですもんね。

(高見沢俊彦)そうそう。「これだったらもう、絶対大丈夫だ!」っていうことで。「よし、この勢いに乗って、パラダイス・ロードの先には武道館が待ってる!」みたいな感じで。そういう戦略を立てて行きましょうっていうことでレコード会社、事務所。いろいろ盛り上げていったんですよ。そして、出した。それでオリコンって当時ね、予想チャートが出るんですよ。

(宮藤官九郎)予想チャート?

(高見沢俊彦)そうしたらね、12位ぐらいに入ってるんですよ。

(宮藤官九郎)予想で?

(高見沢俊彦)予想で。「これ、すごいじゃん!」って思って。で、第1週。赤丸。初めて50位に入ったんですよね。それで次、行くんだなって思ったら、下がっちゃったんですよ(笑)。翌週、もうヒューン!って下がって。もうパラダイス・ロードどころじゃなくなったんですよ。

(高見沢俊彦)それで、もう僕は「もうダメだ。もうヒット曲なしで俺たちはやるしかないだろう!」みたいな。それで、アルバムをその時、作っていたんですよ。しょうがないから。武道館前にアルバムを出した方がいいかなと思いながら作ってた楽曲のひとつが『メリーアン』だったの。

(宮藤官九郎)へー!

(高見沢俊彦)で、その当時のディレクターが「高見沢。これ、シングルで切っていいか?」って言うから「いいんじゃないですか。もう何でもいいよ。どうぞ、どうぞ!」みたいな。

(宮藤官九郎)まあ、『暁のパラダイス・ロード』がね、パラダイスじゃなかったから。

(高見沢俊彦)もうあまりにもね、全然行かなかったんで。「もうなんでもいいや」ってなって。

(宮藤官九郎)暗闇ですもんね(笑)。

(高見沢俊彦)暗闇ですよ。途中で倒れちゃったみたいなもんだから。で、しょうがないから『メリーアン』っていう曲をシングルカットしたわけですよね。

(宮藤官九郎)アルバムの曲だったんだけど。

(高見沢俊彦)シングルカットして。それが、なんかジワジワ来ちゃったんですよね。で、武道館を終わった後にだんだんヒットしてきたっていうか。

(宮藤官九郎)ああ、武道館をやった後に?

(高見沢俊彦)そうなんですよ。

(宮藤官九郎)じゃあ、もう周りは盛り上がってたんだけど、世の中の、お茶の間に認知されるのにちょっと時間が?

(高見沢俊彦)ちょっと時間がかかったというか。そんな感じでしたかね。だから、ヒット曲なんて事故みたいなもんだよね。

(宮藤官九郎)ああ、今考えると?

(高見沢俊彦)考えると。だって、狙ったものは外れるし。戦略は全部外れるし。だからもう何やってもダメなんで、もう路線を少しずつ変えてきて。僕もアコースティックをちょっと置いて、得意のエレキを弾こうっていうことで。そこでちょっとバンドの改革をして、徐々に『メリーアン』にたどり着いてたってことですね。

(宮藤官九郎)ああ、そうなんですか。

(高見沢俊彦)フォークをやっても全然ダメだったんですよ。だいたい3人とも、叙情性ないもん。それがね、叙情なフォークの曲を歌っても、無理! 「だってこれ、俺たちにないだろう?」「ないな」って言いながら歌ってるんだもんね(笑)。

(宮藤官九郎)「ないな」って(笑)。

(高見沢俊彦)「こういうの、ないよな」と思いながら歌ってるのは無理ですね。やっぱりね。

<書き起こしおわり>

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