R-指定とDJ松永 KEN THE 390を語る

R-指定とDJ松永 KEN THE 390を語る Creepy Nutsのオールナイトニッポン0

R-指定さんとDJ松永さんが2021年2月2日放送のニッポン放送『Creepy Nutsのオールナイトニッポン0』の中でラッパー、KEN THE 390さんについて話していました。

(DJ松永)じゃあ、お知らせに行っていいですか? 再来週ですね。2月16日はスペシャルウイークでございます。この番組にゲストがいらっしゃいます。KEN THE 390! イエーッ!

(R-指定)イエーッ!(拍手)。

(DJ松永)ラッパーの大先輩、KEN THE 390さんがいらっしゃいます。Rさん、ご紹介を。

(R-指定)KENさん、日本語ラップの中でも皆さん、知ってると思うんですけど。『フリースタイルダンジョン』の審査員とかでも有名ですよね。東京のラッパーで、俺らよりもだいぶ世代は上で。言うたらサイプレス上野さんとかの世代というか。80年代生まれの世代。般若たちの世代のちょっと下ぐらいなんですよね。で、基本的にラッパーってほぼいかつい人たちが全盛やった時に全然普通の爽やかな青年の格好でMCバトルとかに出てたんですよ。

(DJ松永)2000年代前半とかだよね。

(R-指定)2005年とかかな? それぐらいの時にMCバトルとかにずっと出てて。で、バンバンそういう猛者たちを普通のキャップをかぶった爽やかなイケメンの青年バタバタなぎ倒していた。それが何を隠そう、KEN THE 390さんで。その青年たちのまわり、どっちかっていうとストリート系というよりかは、ホンマにラップ好きな人たちっていうのが集まって、Da.Me.Recordsっていうレーベルを結成したり。そこからTARO SOULさんとTARO SOUL & KEN THE 390で曲を出したりとかして。

(R-指定)そこからえソロになってメジャーデビューもして。自分のDREAM BOYっていうレーベルも立ち上げて今もずっと活動をしているっていう。

(DJ松永)そう。メジャーデビューしたKENさん、ミュージックステーションに出てます。

(R-指定)そう。そしてメジャーデビューした1発目、青山テルマさんとの曲でKEN THE 390さん、しっかりMステで歌詞、間違えてます!(笑)。もう伝統やから。全員。

(DJ松永)かわいいな(笑)。

(R-指定)しかも、青年の時に猛者たちをバタバタなぎ倒していて。あの時、不良しかいなかったようなMCバトルで1人、爽やかな青年としてKENさんが立ち向かった相手、MC漢さんも『フリースタイルダンジョン』のDungeon MonstersでMステ出た時に歌詞飛ばしているっていう(笑)。もう悪い、普通も関係なくMステで歌詞を飛ばすっていう(笑)。

(DJ松永)Rも歌詞、飛んだもんな(笑)。

(R-指定)俺もちゃんと飛ばした。伝統。正統後継者です。

(DJ松永)まあ、飛ばさないのはラッパーじゃないもんな?

(R-指定)飛ばさねえのはワック! フェイクアス!

(DJ松永)じゃあ、般若さんはフェイクアスというか?

(R-指定)いやいや、般若さんは違うよ。誰か1人、飛ばしゃいいんやから。Dungeon Monstersの時は漢さんがその役目を買って出てくれた。誰か1人、グループで1人間違えれば……。

(DJ松永)そのルール、全然ピンと来ない(笑)。

(R-指定)で、KEN THE 390さん。この人は普通に見た目的にはめちゃくちゃ男前で爽やかなんですけど。ラップはもちろんのこと、早稲田出身で。超高学歴っていうか。で、その早稲田でヒップホップのサークル、ギャラクシー(GALAXY)っていうところに入っていまして。このギャラクシーっていうヒップホップ・ブラックミュージックサークルはRHYMESTERがいたところ。RHYMESTER3人が歴代部長を務めてたサークル。そこ出身なんですよ。

早稲田大学・GALAXY出身

(R-指定)KEN THE 390さん、TARO SOULさんもいたりして。俺らはだいぶ若い頃からお世話になってますよね。

(DJ松永)お世話になっている。

(R-指定)KEN THE 390さん、言うたら結構その存在自体がセンセーショナルで。なんか俺らみたいにバリバリ腕っ節みたいなやつじゃなくてラップ好きっていうやつからしたら結構な希望の光だったよね。ホンマに。

(DJ松永)本当にやっぱりあのイメージからか、か細い感じで見てる人もいるんだけど、あんな肝っ玉が据わってる、根性のある、太い人間を見たことがないよ。

(R-指定)これは言っておかなあかん。日本語ラップ史上、下手したら一番肝が据わっていて太いのはKENさんの可能性ありますよね。

(DJ松永)だってあの感じでさ、それこそB BOY PARKのマジで一番恐れられた漢さん。その時期の漢さんにゼロ距離で、本当にそこでブチギレながらツバを飛ばし合っていた人ですからね。あの時はまだ、MCバトルって地下格闘技みたいな漢字だったから。本当にちょっと身の危険があるような状態だったんですよ。

(R-指定)バトルで勝ったのに後でシメられるとか。それは別の相手のことですけども。そういうようなこともあったっていう、そんな話もしていますから。

(DJ松永)あの人が目が泳いでるところとかさ、動揺してる瞬間とかを俺、1回も見たことないんだよね。どんな瞬間でも。

(R-指定)だから俺からしたら熱いんですよ。そのKENさんと漢さんが同じ番組に出ているっていうのも熱いし。そういうヒップホップの歴史とかを知ってたら結構、KEN THE 390さんの活躍とか今の感じとか、すげえグッとくるものがあるんですけど。で、俺らなんかは10代の頃……松永さと組む前。コッペパンっていう、大阪のKOPERUっていうラッパーと組んでいた時に、言ったら今の梅田サイファー周りのやつらで結構KENさんのイベントに出してもらってたんですよ。

(DJ松永)『超ライブへの道』ね。

(R-指定)『超ライブへの道』っていうイベントをずっとKEN THE 390さんがやっていて。そこで結構KENさんが若手とかをフックアップしてくれてたんですね。そこに俺とかKOPERUとかが出たりしてましたし。その活動を経て、Creepy Nutsを組んだ時もCreepy Nutsとしての初のライブもこのKEN THE 390さんの『超ライブへの道』なんですよ。

(DJ松永)そう。大阪サンホールだったかな?

(R-指定)サンホール。あそこ、懐かしいよな。しかもあの時にお互いのソロ……俺のソロ。で、松永さんのソロ。言うたら『トレンチコートマフィア』とか俺のソロの『使えない奴ら』とか『Dr.strangelab』とかを持っていって。それでもちょっと時間が足りへんから、その時にちょうどまだ作ってた途中やった『シラフで酔狂』っていうCreepy Nutsの曲。その、まだ2バース目ができてない状態とかをやりましたよね。ライブで。

(DJ松永)やった! 懐かしい! Rもね、あの頃はもっと陰鬱な人間だったね(笑)。MC中も嫌なことしか言わないような。

(R-指定)ああ、そうですね。MC中もずっと下向いて、なんか嫌な下ネタとか。

(DJ松永)笑えない、じめっとした嫌な下ネタを(笑)。

(R-指定)じめっとした下ネタをして。松永さんも別にフォローもせず、ずっと客席をにらんでるだけで(笑)。

(DJ松永)「こいつ、ヤバいやろ?」って(笑)。

(R-指定)あれ、ヤバいって(笑)。で、お客さんから「女の子もいるんだよ!」みたいな野次が飛んできて「黙れ!」って言ったりとかして。むちゃくちゃ嫌なことをしてましたよ(笑)。すいません、KENさん! なんですか、あの若手は? つまみ出してください!

(DJ松永)本当に。せっかく呼んでくれたのに(笑)。客を盛り上げたりするみたいな発想がなかったようね。なんか「一方的にカマして帰るだけっしょ?」みたいな感じだったもんね。

(R-指定)そうそう(笑)。「カマせば大丈夫」って思っていて(笑)。

(DJ松永)「俺らのスキルを見てお前ら、唖然とすればいいんだよ」っていう。

(R-指定)「恐れおののけ」って思っていたよね(笑)。「俺たちのあふれでる才能に恐れおののけ! 楽屋の先輩たちも震えろ!」って思っていたもんな。

(DJ松永)「お前ら、どけ! のけ!」っていう気持ちでやっていたよね。「みんなで楽しもうよ、幸せになろうよ」っていう気持ちはなかったよね。復讐心でやっているっていう節、あったもんな。

(R-指定)あの時はモロにそう。ラップとかDJ、自分のスキルなんかは満たされなかった日々への復讐でしかなかったもんな。

(DJ松永)でも、それでもKENさんはずっと呼んでくれてさ。

(R-指定)そんなやつらでもKENさんはイベントに呼んでくれて。

(DJ松永)それこそ、KENさんをナメているやつがいたとしたら、知ってほしいことがいっぱいあるんだけども。

(R-指定)KENさん、優しそうやからな。

(DJ松永)あの人は太いし、あとライブがマジで上手い。

ライブがマジで上手い

(R-指定)ヤバい! それね、結構……KENさんのなにがすごいってね、生でラップを演奏する、歌唱するっていう技術。驚いたのはさっき、かかっていた『Lego!!』っていう曲。あれって結構、割と下の声。喉を張り上げずに歌うメロディーなんですけど。ライブで一緒になった時にその『Lego!!』を歌ってる時、むちゃくちゃその声が太いというか。

(DJ松永)そう。あの「Lego, Lego, Lego♪」が死ぬほど声が通っているのよ。「えっ、なんで?」みたいな。

(R-指定)で、KENさんは早口のラップみたいなのも結構するんですけど。ひとつひとつの言葉がね、ちゃんと全部聞き取れた上ですげえテクニカルなフロウっていう。それもKENさんのすごさで。

(DJ松永)あの人、聞き取れるんだよね。

(R-指定)だからKENさんってライブを見てさらにヤバさが爆発するタイプというか。

(DJ松永)そうそうそうそう。あの人、マジでミスらないしね。マジでいろんな、あらゆる場面で。

(R-指定)KENさんってミスらないんです。外さない男。ホンマに。曲でもそうやし、バトルとかでもそうやし。客演とかもそうやし、なんていうか、そのシーンの動き的、ムーブメント的なことも全然ずっと……。

(DJ松永)あの人はずっと生き残るよ。そこの厳しいヒップホップの世界だけど。

(R-指定)こんだけ入れ替わりが早いヒップホップの世界でも、ずっとおるんですもん。一線に。KENさんはすごいんですから。あと、そうやな。結構おちゃめな面とかもありまして。一緒にそれこそ『超ライブ』の打ち上げとかで昔ね、僕がまだハタチぐらいの頃。Creepy Nutsをやる前とかにコッペパンで出させてもらって。梅田サイファーのやつらとかとKENさんとでカラオケに行ったことがあるんですけど。そこでも、あの感じからカラオケで何を歌うのか、想像できないですけども。ジッタリン・ジンの『プレゼント』を全力で熱唱してましたよ(笑)。

(DJ松永)マジで?(笑)。へー!

(R-指定)で、最初はちょっと照れて普通の歌を歌うんやけども。もうそろそろみんな、酔いが回ってきたりしたらやっぱりカラオケとかでもラップを入れるわけですよ。そのKENさんの目の前とかで俺と梅田サイファーのOSCA。コマツさんと一緒にSOUL’d OUTを全力でやったりしましたよね。

(DJ松永)そうだよね。『超ライブ』の打ち上げでカラオケとか行っていたもんね。

(R-指定)ほんでKENさんが元々所属していた、RHYMESTERもいた早稲田のギャラクシーっていうサークルは結構いろんなラッパーを輩出していて。今では想像がつかないんですけど、志人っていうラッパーの人とかも一瞬、在籍してたみたいなね。

(DJ松永)ああ、そうらしいね!

(R-指定)志人さんってすげえ不思議なラップする人なんですけども。ラップ、超上手くて。で、その志人さんとKENさんが昔、ちょっと組んでた時期があったりとか。考えられへんよな?

(DJ松永)ねえ。伝説だよね。「本当に?」みたいなね。

降神・志人とも一時期、組んでいた

(R-指定)そういうのとかをKENさんが思い出話、語ってくれた後に俺とか梅田サイファーのみんな、志人が大好きやから。「マジっすか、KENさん!」「おお、ちょっと組んでいたよ」みたいな。その流れでKENさんが降神っていう志人さんがいるグループの『暴風雨』っていう曲をカラオケで入れて歌いだすんですよ。

(DJ松永)えっ、KENさんが『暴風雨』を歌うの?

(R-指定)そうそう。で、当然この流れやったらKENさん、思い出も語っているし。志人さんのパートを歌いたいやん? でもKENさんが歌い出す前に俺、志人さんが好きすぎてKENさんのマイクを取って。志人のパートを俺が歌って(笑)。

(DJ松永)じゃあ、KENさんがなのるなもないを?(笑)。

(R-指定)KENさんになのるなもないを任せて(笑)。

(DJ松永)やらざるをえなくなって(笑)。

(R-指定)いや、ホンマによう世話をしてくれましたよね。

<書き起こしおわり>

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