安住紳一郎 TBS入社試験を振り返る

安住紳一郎「そんな彼(彼女)がいまの夫(妻)です」メッセージを語る 安住紳一郎の日曜天国

安住紳一郎さんが2021年1月3日放送のTBSラジオ『日曜天国』の中で自身の会社員人生を振り返り。TBSの採用試験を受けた際の音源を紹介していました。

(安住紳一郎)『日曜天国』お正月番外編。TBSテレビアナウンサー、安住紳一郎。社員番号97002、放送を語る。今日は1月3日。まだ三が日ということでTBSラジオに人はほとんどいません。スタジオは私、1人です。

(BGM 松村とおる『戦国自衛隊のテーマ』)

(安住紳一郎)今日はお正月ということで、自分のことについてお話したいと考えました。私、安住紳一郎は平成9年。1997年から仕事を始めました。今年で24年目になります。こんなに長くアナウンサーを続けるとは当初思っていなかったのでとても意外な感じもしますが、自分はやはりこの仕事が好きなんだなということを思いながら毎日、暮らしています。

テレビの仕事が中心でした。『はなまるマーケット』という薬丸さん、岡江久美子さんが司会の番組のアシスタントに呼ばれ、その後、三雲孝江さんの『ジャスト』という午後の番組を手伝いまして7年半。並行してバラエティは1999年から『さんまのSUPERからくりTV』サラリーマン早調べクイズ、みんなのかえうた。そして今年でもう19年目になります。2001年から『金スマ』。2002年から『ぴったんこカン・カン』を担当することになりました。

『ドリーム・プレス社』。そして今も続いています『情報7DAYS ニュースキャスター』。『レコード大賞』などテレビの番組を中心に担当してまいりました。この番組『日曜天国』、TBSラジオは2005年から。先ほどもお伝えしましたが今年で17年目。最初からお聞きになってるっていう方はいらっしゃいますか? 最初の1年目、アシスタントは中澤さんではなくて原ゆう子さんという方が担当していらっしゃいました。

番組の開始当初からいるスタッフも私とあと1人が当初のメンバーということになりました。皆さん、ご存知かと思いますが私は局アナ。局に所属しているアナウンサーということで、逆に1人のサラリーマンとして私を身近に感じてくれるという方たちもいるようです。それが私はとても嬉しいです。

私自身、放送に対してさまざまな側面から関わって仕事をしていくのが好きなので、フリーにならず局アナとして仕事を続けています。私がサラリーマンとしてどう仕事を進めているのか? そして私の局アナのすごろく、人生ゲームの進み方をトゥルーマンショーとして楽しんでくださっている、そんな人がいるかもしれません。そういうところも私はとても嬉しいのです。

サラリーマン・安住紳一郎

私のことをTwitterやネット上で「係長」や「副部長」と呼んでくれる皆さんのこと。そのことが私の強みだと思っています。これからもどうぞよろしく。昨年、コロナで外出自粛になった時、家の荷物を思い切って整理しました。昔の資料や紙、物などがいっぱい出てきました。その中で日付が「96年2月」と書いてあるものがありました。当時、私はまだ学生で。ちょうどその時、TBSの採用試験を受けている時でした。

履歴書、学力テストの答案が出てきてびっくりしました。私の局アナすごろくの最初の人生ゲーム、1マス目の出来事です。当時は試験がいっぱいありまして。試験官が20人くらいいて。まだ昭和の香りがする放送マンたちが眼鏡を上げ下げして学生をにらみつけていて、ただただ怖かったという印象でした。その試験会場の司会をしていたのは小林豊アナウンサー。「コマーシャル原稿朗読」という課題がありまして、「元気よく物がたくさん売れるように明るくアナウンサーが読む」という課題なんですが。

今だったら「赤坂山王飯店、サマーサービスバイキング。8月31日まで。お急ぎくださいっ!」と簡単にできるところなんですが、当時の私はこれができない。国会の官僚の答弁のように暗々と読んで失笑された思い出があります。あれから26年。あの時のことを思えば何者でもなかった自分が少しはどうにかなっているのかな? そんな風に思えます。採用試験を受けた時のテープが出てきました。

<音源スタート>

<音源おわり>

「なぜ受かったかがわからない」

(安住紳一郎)懐かしい。けれど、なぜ受かったかがわからない。ただ、一点突破したようですね。うーん……がんばりまーす(笑)。

<書き起こしおわり>

安住紳一郎 TBSアナウンサー新人時代を振り返る
安住紳一郎さんが2021年1月3日放送のTBSラジオ『日曜天国』の中で自身の会社員人生を振り返り。TBSアナウンサー1年目の音源を紹介していました。
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