DJ松永 DJ NAPEY feat. 茂千代の『別れ唄』を語る

DJ松永 DJ NAPEY feat. 茂千代の『別れ唄』を語る サウンドクリエイターズ・ファイル

R-指定さんとDJ松永さんが2020年9月27日放送のNHK FM『サウンドクリエイターズ・ファイル』の中でDJ NAPEY feat. 茂千代の『別れ唄』について話していました。

(R-指定)で、ここからちょっとまたテーマを絞って選曲して行こうかなと思います。選曲テーマは……。

(DJ松永)「ラジオ」です。ラジオにまつわる曲。ラジオで出会った曲とかね。それをかけていきたいなと思うんですけども。俺はね、DJ NAPEY feat. 茂千代の『別れ唄』をかけたいですね。

(R-指定)来たっ! 「お別れ もう最後 振り向いたら……♪」。

(DJ松永)フフフ、いや、これからかけるのよ(笑)。俺らの合唱、いらんのよ(笑)。

(R-指定)これ、最高やねんな!

(DJ松永)これ、なんでラジオかっていうと、そんな感じもしないんですけど。これは。ラジオを好きになったきっかけっていうのがRHYMESTERが昔、TOKYO FMでやっていた『WANTED!』っていう番組なんですよ。そこでRHYMESTERのやつを聞いてラジオが好きになり。で、ラジオのパーソナリティーが好きになると、そのパーソナリティーの全部が好きになる、あの病気あるじゃないですか。その病気にかかって、RHYMESTERの全てが好きになったんですよ。

だからこそ俺はヒップホップにのめり込んだ。ヒップホップとラジオの相乗効果によって今、俺はここまで来たっていうのがすごいあって。で、やっぱり俺の知らない日本語ラップをめちゃくちゃかけてくれたんですよ。そこでやっぱり1回目かな? DEV LARGEさん、D.Lさんの『Crates Juggler』をかけましたけども。DEV LARGEさんとかがゲストに来て曲をかけたりだとか。

DJ松永 D.L(DEV LARGE)『Crates Juggler』を語る
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(DJ松永)あとはGAGLEも来たし、DJ MASTERKEYさんが来ていろんな曲をかけたりだとか。もういろんな俺の知らない日本語ラップがいっぱいかかったんですよ。そこでいろいろ、曲を知って好きになっていって。で、ラジオの後半にね、DJプレイのタイムがあって。ここではDJ JINさんがいろいろと選曲してDJプレイをやるんですけども。RHYMESTERが地方でライブに行くとき、絶対あの人たちはラジオを生でやるから。地方の局を……普段は半蔵門のスタジオでラジオをやるんだけども、地方でラジオの生放送をやるんだよ。

その時はその土地にいるDJに来てもらって曲をかけ、DJミックスしてもらうっていうのをやっていて。で、その時にDJ URATAさんが出られていて、後半のDJミックスをやったんですよね。その時に、それこそその『別れ唄』がかかっていて。「えっ、なにこれ?」って。一聴して「めちゃめちゃいい曲! 超耳に残る!」って。でも当時ってプレイリストとかも全く出ないんですよ。DJミックスだから「次にこの曲をかけます」とかも一切言わないんで。で、当時はスマホもないからShazamも出来ないんですよ。だからこの曲がなにか、全くわからなかったんですよね。

これは、俺はそれこそ第1回目で言いましたけども。D.Lさんの『Crates Juggler』、レコード掘りのテーマソングを聞きながら俺はハードオフとかレコード屋さんとかブックオフに行きまくっていたんですよ。その曲を聞きながら、その時は中古CDを漁りまくっていたんですよ。で、俺もヒップホップの知識がないから、ヒップホップっぽいジャケのやつを片っ端から買っていたのよ。で、手にとって「DJ NAPEY」っていうやつ。「これ、わかんないけど。聞いたことないけど、たぶんこれはヒップホップだな」って思って買って、家に帰ってかけてみたら「お別れ~♪」って。「うおおーっ、あれじゃーん! ええーっ!」って思って。

(R-指定)最高や(笑)。

(DJ松永)はじめて聞いてから期間が5年くらい開いて。「これだ!」ってなって。

(R-指定)その瞬間、めっちゃ嬉しない? 「あれや!」みたいな。

(DJ松永)「あれだ!」みたいな。こういうのが多かったのよ。

(R-指定)でも、わかる。今でこそ便利やけども。不便さゆえの感動みたいなの、昔あってんな。

(DJ松永)そうそう。これは不便だからこそ生まれた感動で。やっぱり地元の先輩TOCさんが昔、NITE FULL MAKERSの『SUNRIZE』っていう曲とかもラジオではじめて聞いたんだけども。それもタイトルコールとかなしだからわからなかったんだけども。で、大人になってDJを始めて新潟のシーンに出てからはじめて、その当時かかった『SUNRIZE』を知って。「あの時のがこれだったのね」っていう。そういうのがいっぱいあって。だからラジオっていうのは俺に本当にたくさんの感動を与えてくれたなって。

(R-指定)これ、歌詞にも出てきますから。「ラジオから、さよならCOLOR」って。で、その『さよならCOLOR』っていう曲は松永さんが新潟から上京する時にずっと聞いていた曲で。

「ラジオから さよならCOLOR」

(DJ松永)ああ、よく覚えてますね。それはSUPER BUTTER DOGの永積タカシさんが歌っている『さよならCOLOR』っていう曲ですけども。あれはSUPER BUTTER DOGが解散するタイミングで最後のリード曲なんですけども。

(R-指定)だからいろいろとやっぱりね、ヒップホップって人生と重なってくるんですよ。で、この茂千代さんがなぜ「ラジオから さよならCOLOR」って歌っているのか?っていうと、この曲も茂千代さん。それこそさっき、紹介したAK-69さんとかと同い年。1978年生まれで大阪でいち早く頭角を現した若手の超かっこいいラッパーやったんですけども。一時期、シーンから離れて別の所で暮らしていて。それでカムバックした時に歌ったのがこの曲なんですよ。みんな、シーンと別れていた時のその間の葛藤とかを歌ったりしていて。

(DJ松永)最高ですね。

(R-指定)だからいろいろなね……ホンマにヒップホップって人間交差点ですよ。

(DJ松永)本当だね。

DJ NAPEY feat.茂千代『別れ唄』

<書き起こしおわり>

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