R-指定 降神『あの海』を語る

R-指定とDJ松永『ヘルレイザー』を語る サウンドクリエイターズ・ファイル

R-指定さんが2020年9月6日放送のNHK FM『サウンドクリエイターズ・ファイル』の中で降神『あの海』について話していました。

(DJ松永)じゃあ、続いてはRさんですかね。

(R-指定)そうですね。高校時代。さっきね、松永さんがその部活。途中でその居づらくなったみたいな話をしていたっすけど。俺、それの一発目は中学校やったんですよ。実は。小学校の時のミニバスでちょっと頑張って。それで中学のバスケ部に入ったら、それこそバスケ未経験のやつがいっぱい入ってくるから。最初は俺、経験者やから上手いと思ってたんですけど、まさしく身体能力で1、2ヶ月抜かれたんですけど。それでも、友達がそれをいじってくれたんですよ。

(DJ松永)ああ、それは助かるね。

(R-指定)そのカンっていうやつも「お前、元から鈍くさかったもんな」って。それで俺も最初は自意識的に嫌やったっすけど。どんどんみんなが「野上、鈍くさいよな」とか「お前、運動神経ないもんな」とか言うて。めっちゃ最初は嫌やって、傷ついたんですけど、途中から笑えるようになって。「ボケ!」とかって言い返せるようになって。普通にそれを言える空気にしてくれたんですよね。

(DJ松永)それ、救われるな。

(R-指定)そうなんです。だから俺のことを追い抜いていったやつも他のスポーツの授業とかで「やっぱりお前、サッカーも下手やねんな」「うるさいわ!」みたいなのを言えて。俺、めっちゃ今、あいつらには感謝しているんですよ。で、それがあったから、高校の部活でも当然俺、下手やったっすけど、みんなと仲はよかったんですよ。ちゃんと「下手なやつ」として……。

(DJ松永)ちゃんと立ち位置が存在したんだね。

(R-指定)まあ、複雑ですけど。今、考えるとよかったなって。当時はそれが悲しくもあり。その役割に準じているのが悲しくもあり、恥ずかしくもあったんですけども。今、思うと友達ではいれたので。そんな中で、高校時代もバスケ部をやってたんですけど。どっちかっていうと、俺はもう試合とかで活躍するのは無理やっていうことで。もうちょっと、みんなを楽しましたりとか、盛り上げたりする方を頑張るか、みたいな感じで。

応援……それこそ当然、ベンチ外なので。ベンチ外から応援する時に応援歌みたいなのを作ってたんですよ。みんな結構、部活の試合とか応援あるじゃないですか。あれをみんな、「ディーフェンス! ディーフェンス!」とか「1本! そーれ、1本!」とかあるんですけど。それを結構、昔のヒット曲を替え歌にしてやってる他校とかがあったから。「なるほど。そういうのがあるんや」ってことで。それで応援団長みたい先輩に「新作、できました」っつって。

まあ、煽りなんですけど。バスケには「トラベリング」っていう反則があって。ボールを持って3歩あるくことはトラベリングっていう反則なんですけども。で、相手がトラベリングした時とかに相手を煽る応援もあるわけですよ。ミスった相手を挑発するっていう。

(DJ松永)ああ、なるほどね。嫌な応援歌(笑)。

(R-指定)で、「トラベリングやったらあれができるやん?」ってことで。「新しいの、できましたよ」っつって。先輩に宇多田ヒカルの『traveling』を替え歌にして。「トラーベリン♪ 3歩、トラーベリン♪ 歩く」みたいな。めっちゃいじるやつを俺、考えていって。

(DJ松永)もうその当時から片鱗があったね。ダルいわー(笑)。

(R-指定)MCバトルの片鱗が(笑)。

(DJ松永)煽っていたわー。10代の時のRのスタイル。煽りスタイルね。

(R-指定)そう。僕、10代の時にMCバトルとか始めるんですけど。その時の俺、嫌な感じ!

(DJ松永)やっぱりその応援歌の感じも嫌な感じだったんだな(笑)。

(R-指定)俺が相手やったら殴りに行こうかなと思うぐらいの(笑)。でも、そういう感じでちょっと煽りの応援歌とかを作って。一応ね、頑張ってはやっていたんですけど。やっぱりそれと同時に、めちゃくちゃやっぱり俺の中では「ラップしたいな」っていう気持ちっが高まっていくんですよね。で、中学校の時の一緒にラップを聞いてくれていた友達は別の高校に行っちゃったんですよ。

で、バスケ部のやつとは仲がいい。学校の中では一応、そういう風に楽しくみんなとは過ごしながらも、でも、やっぱり別にスポーツも上手くない。バスケ部の中でもスタメンじゃなかったし。勉強も得意じゃなかったから、やっぱり高校の中では普通に別にいい思いもせずっていう感じやったんですね。まあ、道化というか。どっちかっていうと。部活の中で道化という感じで。

で、別のところの高校にホンマにヒップホップを分かちあえる友達が行ってしまったから。でも、そんな中ででも家が近かったんで、たまに放課後に会ったりしていたんですよ。で、たまに会う中で同じくヒップホップの情報は共有し合ってたんですよ。それがヤマトっていう友達とタクっていう友達、ヒロムっていう友達なんですけども。そいつらとヒップホップの情報を共有してるうちにヤマトが「サイファーって知ってる?」みたいな。

で、俺ら4人とも全員、カラオケでラップを歌い合ったり。俺もフリースタイルの真似事みたいなのとか。自分で書いた歌詞とかをみんなで発表し合ったりしてたんです。カラオケとかで。で、「どうやらサイファーってやつが梅田で行われてるらしい。サイバーというのはみんなで輪になって。ビートボクサーのやつもいて。ラップをみんな、即興で輪になってってやり合うことがサイファーらしいぞ」ってヤマトが教えてくれて。

「はいはい。じゃあ、バトルとかじゃないんや?」「そうそう。普通にフリースタイルし合うだけやねん」「でもライブとかやりたいけど、できへんから。言うたらラップを披露する場所がほしいし。というか、俺ら以外の人にも聞いてほしいよな」「じゃあ、サイファーしに梅田まで行ってみる?」ってなって。それで堺市から部活が終わって、ヤマトと合流して。もう堺市から梅田って、当時では結構大冒険なわけですよ。

(DJ松永)いや、遠いよね。

はじめての梅田サイファー

(R-指定)そう。結構遠いし。言うたら、ミナミとかもほぼ行ったことないような。もう堺市の中のチャリ移動だけやったのが、みんなで電車に乗って。2人で遠い梅田に降りるわけですよ。はじめて降りた大都会。梅田。「めっちゃ大都会や!」ってなって。で、歩いていって梅田の歩道橋。その日は雨が降ってたんで、その地下の雨が当たらへんみたいなところに行ったら、今の梅田サイファーのメンバーのKZっていうラッパーとふぁんくさん。あとはテークエム、KOPERU、ペッペBOMB、タマコウっていう……。

(DJ松永)結構アツいメンバーが……。

(R-指定)そう。今も残っているようなメンバーがおって。そこで「はじめまして」みたいな。その時、もう中学校の時に俺は「R-指定」っていう名前を自分で付けてたんですよね。

(DJ松永)はいはい。あ、い、イケてる、イケてる。か、かっこいいよ……。

(R-指定)お前、いじっとるやろ!(笑)。そらそうよ。やっぱり中学校の頃はそれはあぶねえ名前にしたいし。で、感じが入っている方がかっこいい。で、あぶねえ名前で感じが入っていて、それでエロい名前。だから中学校の時に「R-指定」にしたっていう。

(DJ松永)直接的すぎる(笑)。

(R-指定)ど真ん中よ、そんなもん。でも、やっぱりヤマトはちょっとひねくれていたから「ラードマン」っていう名前にしていて。「なんでなん?」って聞いたら「脂、いいやん? 俺、お父さんに『お前は脂を練って作り上げた人形や』みたいなことをちっちゃい時に教えられた」っていう。その意味不明の嘘を……(笑)。で、そういうことを言ってきたりして。それで「ラードマンです」「R-指定です」って自己紹介してちょっとラップするんですけども。

(DJ松永)なんちゅう自己紹介だ(笑)。

(R-指定)で、俺の中では独学でラップをやってきて、ちょっとだけ腕に覚え有りだったんですよ。それこそ、ヤマトとかタク、ヒロムとかよりは得意やっていうか。だからバスケとかは全然苦手やったんですけど、人生で初めて得意なことができたっていうのがたぶん俺の中ではラップなんですよ。で、友達に褒められて。カラオケで歌った時に。「お前、ラップめちゃ上手くない?」みたいに言われて。で、ちょっと自信がついているぐらいの時に梅田サイファーに行ったら、もう比べ物にならんぐらいみんな上手かったんですよ。

途切れずラップしてるし。「何、こいつら?」みたいな。俺なんかは一生懸命、韻を踏む言葉を考えて。やっと2小節、4小節を即興でできるぐらいのところまで行ってた、つかまり立ちみたいな状態やったのにみんな、もうバンバン走っていくから。それで衝撃を受けてたんですけど、なんとか頑張って絞り出してやっていたらKZさんとかが「えっ、結構できるな!」みたいな。「MCバトルとか、出てみいひん?」みたいなこと言われて。で、当時は年齢制限とかID確認とかなかったんですよね。ミナミのクラブとかは。

(DJ松永)まあまあ、当時はね。俺の地元もそうですよ。

(R-指定)それで、部活をやりながらも夜になったら梅田のみんなと合流して、夜中のMCバトルのイベントとか出るわけですよ。で、ちょっとバトルをやってみて。でもその時はやっぱり勝てなくて、負けて。で、そのまま朝、学校に行って、部活をやって……みたいなことをするんですけど。もうちょっと無理やなって。普通に超しんどくて。で、いい加減やっぱり部活で自分は何もできないことは分かってるわけですよ。でもラップは、もしかしたら自分がはじめてできる得意なことかもしれへんみたいな。それで、かつ自分がやっぱりやりたいと思ってるから。バスケはやっぱり友達付き合いみたいなところもあって。

(DJ松永)まあ、結局部活ってそうだからね。

(R-指定)そうなんですよ。で、やっぱり当然ありましたよ。部活、運動部を抜けるってことは敗残者を意味するみたいなのがあったんですけど、ちょっと決断を……人生で初めて自分で決断したんちゃうかな? 「俺、部活を辞めて……」って。

(DJ松永)俺も全く同じ。

(R-指定)ああ、マジで?

(DJ松永)「決断したな」って俺も思ったよ。部活を辞める時は。

(R-指定)それまではなんとなく、親の勧めとか友達の誘いに流され、流され……やったけど。はじめて決断したのがこれやったんですよ。

(DJ松永)いや、本当。だって学校もさ、結局滑り止めで入っているわけだから。その流れに身を任せてそこにたどり着いただけなんだよね。「部活を辞める」っていうのは本当に初めてした決断だった。俺もすごく自分に思うところがあって。

(R-指定)あと、ちなみに俺も言い忘れていたけど、俺も高校を落ちてるからね。一発。

(DJ松永)バカだねー(笑)。

(R-指定)お前に言われたないわ! で、「よし、俺はもう部活を辞める。バスケはここまで頑張ったけど、無理やった。俺はもうそこまで情熱もないから、バスケを辞める。俺はラップの方が好きや。やる!」って決めて。それで高校のバスケ部の友達に言うんですよね。で、言って。「俺、ラップがやりたいから辞めるわ」って。それでみんな、俺がラップ好きなのは知ってたし、やってるのは知ってたから。結構ね、ちゃんと送り出してくれたんですよ。

みんな……でも、言うても部活を辞めるってことが学校の中でどういった立ち位置かっていうのはみんな、分かってるから。「辞めるなよ。最後まで続けようぜ」みたいなことを言ってくれて。「でも俺、決めたから」みたいな感じで。それでみんな、結構体育館の外とかで輪になって。みんな泣きながら俺を止めてくれて。で、俺も泣きながら「いや、でも俺、決めたから。辞めるわ。頑張るわ」みたいな。「じゃあ、絶対売れろよ」みたいなことを言って。それで俺、部活を辞めたんですよ。

(DJ松永)かっこよ!

(R-指定)それでラップをやり始めて。高校2年ぐらいの時に初めて『カーニバル』っていうMCバトルで優勝して。そこから結構、10代の頃はMCバトルの方ではたぶん自分なりには頑張って。「ああ、活躍できてるかも」みたいな実感を得れるぐらいに。だからやっぱり……。

(DJ松永)まあ、あなたは10代の頃から神童でしたからね。ちょっと全国に名を轟かせてましたからね。

(R-指定)まあまあまあ……。

(DJ松永)フハハハハハハハハッ! まあね。高校生ラップ選手権とかない時代に大人に混じって優勝しちゃったり……(笑)。よくしていらっしゃったようで(笑)。

(R-指定)フフフ、なんや、それ?(笑)。でも、そういうのがあって。でもね、言うても今ぐらいラップが浸透してなかったんですよ。だからね、どんだけ学校外の活動で俺がMCバトルで優勝してようが、「すごい!」っていろんな人に言われてようが、あんまり学校では関係なかったんですよね。高校生ラップ選手権とか、今のフリースタイルダンジョンがある状態で俺が高校生であの活躍してたら、まあモテてたやろうな。当時の高校生の俺なんか、ただ学校の外で何か変な活動をしている変なやつやったから。別に何も意味がない。

(DJ松永)まあ、当時はそうなんだよね。本当に。

(R-指定)変人扱いやったですからね。ただただ。

(DJ松永)いや、でも俺らが10代の頃に高校生ラップ選手権があってチヤホヤされていたら、変になってたよ。そう思わない?

(R-指定)逆になくてよかったかもな。

(DJ松永)そうそう。ちょうどいいよ。やっぱり別に……だって今、楽しいし。結局良かったと思うんだよね。

(R-指定)俺らみたいな勘違いしやすいやつはなくてよかったかもな。

(DJ松永)そうそう。結構ちゃんとさ、意外と下積みっぽいのあるじゃないですか。

(R-指定)ちゃんと折られてきてよかったかも。

(DJ松永)そうそう。結構挫折を経験してきたからさ。結果、それで今があるから。よかったと思うよ。

(R-指定)せやな。だからやっぱりその、怖いのが松永さんの高校時代の章にも、俺の高校時代の章にも台本に「甘酸っぱい話はありますか?」ってあるけど、2人ともやっぱり無視して進んでるもんな? そこ、触れないようにしているもんな?

(DJ松永)そうそう。そこ、赤線引いているから。

(R-指定)フハハハハハハハハッ! 消してる(笑)。で、その時に、俺はやっぱり大阪の今でもつるんでいるラッパー仲間と、梅田サイファーのやつらと密に仲良くなっていくんですけど。そいつらがより、俺よりは当然ヒップホップに詳しくて。そいつらに教えてもらった最高の、「こんな世界があるんや!」っていう。今までは不良のラップがかっこいいとか、RHYMESTERの感じ、ケツメイシのエロい感じもかっこいいと思ってたけど。もっとヤバい世界があった。アブストラクト……当時は意味わからなかった。今も意味わからんけど。なんか、わけのわからんかっこよさ。

(DJ松永)そうだね。当時、でもアブストラクトっていうジャンルは結構流行ってたんだよ。

(R-指定)そう。言ったら、不良の世界で俺は深くに潜っていた気がしてたけど、そのさらに深くがあった。しかもそれはもっと意味がわからん。「宗教的? 何、これ?」みたいな。まさしくね、すごい深い世界に触れたなと思って高校生の時に「最高!」って思った曲があるので、ちょっと聞いてもらえましたか。降神で『あの海』。

降神『あの海』

(R-指定)お聞きいただいたのは降神で『あの海』でした。

(DJ松永)いいね。『あの海』。

(R-指定)今、聞いても最高なんですね。志人さんという天才ラッパーとなのるなもないさんっていう天才ラッパー。この2人が組んでいるグループなんですけども。この、なんというか超ラップの技術は最高なんですけど、どことなく感じる神がかっている感じ。なんか常人の世界じゃない感じ。

(DJ松永)うんうん。結構不良だったり、ゴリゴリのヒップホップを聞いて別世界に飛んでいる感じとはまた違うよね。

(R-指定)また違う方向に飛んでいる感覚なんですよ。

(DJ松永)なんか、神の世界に飛んでいるような感じ。

(R-指定)神の領域に触れたような感じがして気持ちがいい。で、いまだに俺はこの曲が大好きで。梅田サイファーのテークエムっていうやつも降神大好きなんで。いまだに2人で酔っ払ったりしたら道端でこの『あの海』のサビを掛け合いで歌いだして。最後まで歌っちゃうことありますからね。どこからともなくおもむろにテークエムがチューハイを飲みながら「遊ばれるなら♪」「誘われるまま♪」「運ばれたベッド♪」「なぞられる背中♪」って掛け合いをしながらね。そういう夜道を歩いている人を見つけたら気をつけてください。

(DJ松永)まあ、お祈りをしているので。ご心配をなさらぬよう。あれは、お祈りです(笑)。

(R-指定)お祈りの時間なんですね(笑)。

<書き起こしおわり>

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