PUNPEE ターンテーブルを買ったきっかけ語る

PUNPEE ターンテーブルを買ったきっかけ語る InstagramLive

PUNPEEさんが2020年7月28日、EXPANSION NYのカークさんのInstagramライブに出演。中学3年生の時にターンテーブルを買ったきっかけやヒップホップにハマっていった道のりについて話していました。

(カーク)それで、中3の時にターンテーブルを1台買って。もう片方はCDプレーヤーでスクラッチの練習をし始めたっていう。それが始まりですよね? ヒップホップというのが……。

(PUNPEE)そうですね。最初、元々はバンドから音楽は始めて。うちの親父がギターはやっていたんで。

(カーク)はいはい。「レコードコレクター」っていう風になにかで読ませていただいたんですが?

(PUNPEE)そうですね。レコードをすごい収集していて。でもね、レコードを好きなんですけども。ビートルズ世代なんですけども。でも結構途中からは山下達郎さんがラジオで「棚からひとつかみ」っていうコーナーがあって。そこでレコメンドされたものを親父は買うみたいな。だから、途中から結構そういうのの追っかけじゃないですけども。いろいろ影響された親父はレコードを買ってましたね。

(カーク)「リー・ペリー」とか書いてあったから。「えっ?」って思ったりとかもして。

(PUNPEE)なんか流行っている音楽っていうのは基本的に好きで。洋楽が好きで。で、たとえばリー・ペリーだったり、あとはオーガスタス・パブロだったりとか。レゲエも聞いていると思えば、いきなりコモンを買ってきたり。あとはジャネット・ジャクソンとか。なんかたぶん雑誌を見て「これが今、新しい流れだ」みたいなのをチェックして買ってきているんですよね。

(カーク)Pもそれを聞いていたっていうこと?

(PUNPEE)聞いてました。聞いていたし、ジュラシック5とか買ってきた時はなんか、「もうそろそろ無理してるんじゃないかな?」みたいなのはあったっすね(笑)。

(カーク)すげえ(笑)。

(PUNPEE)だから最初のヒップホップの体験は親父が買ってきたクリス・クロスだったっすね。小学生の時に買ってきたんですけども。それが最初でしたね。

(カーク)じゃあ、あのニプシー・ハッスルの(『Hussle In The House』)とかはビビッと来たんじゃない?

(PUNPEE)ああ、そうですね。


(カーク)それでPはオフスプリングとかを?

(PUNPEE)洋楽で初めて買ったCDはオフスプリングの『Americana』……そのひとつ前ですね。なんてやつだったっけな?(『Ixnay on the Hombre』)。でも、オフスプリングでした。その時に、中学生とか高校生ですごい流行っていたんで。それが初だった気がするっすね。

(カーク)そこでターンテーブルを買った理由というのは何だったんですか?

(PUNPEE)洋楽とかオフスプリングの流れで、その後にロックとヒップホップの流行りが来たじゃないですか。リンプ・ビズキットとか、コーンとか、なんかそういうターンテーブリストがいるバンドっていうのがいっぱい出てきて。

(カーク)うんうん。

「バンドにDJがいるの、かっこいい」

(PUNPEE)そういうバンドがいっぱい出てきた時があって。その時に、元々スクラッチの音は知ってたんですけど。何か「バンドにDJがいるの、かっこいい」と思っちゃったんですよ。それで、そこからスクラッチをひたすら練習して。DMCのバトルとか。あとはDJクラッシュさんのスペースシャワーTVに出てたやつとか見て。もうひたすらスクラッチしてた時代があって。

(カーク)『Change The Beat』とかそういうのを買って?

(PUNPEE)ああ、そうですね。

(カーク)で、俺もそうだったんですけど。やっぱりターンテーブルって高いじゃないですか。だからひとつがCDプレイヤーで、もうひとつ……たぶん右側の方のがテクニクスかなんかのターンテーブルだった、みたいな?

(PUNPEE)ああ、俺はベスタックスだったっす(笑)。

(PUNPEE)で、サンプラーを左のチャンネルに繋いで、右でスクラッチして。ひたすら……その時のDMCのチャンピオンがDJ A-Trakだったんですよ。A-Trakがカニエとかとやるよりも前で、17歳とかの時で。日本からはDJ HANGERさんとか、あとはCORE FIGHTERSの方々とかが出ていて。で、もうひたすらそれを見て、練習して……っていうのをやっていて。だから、バンドにDJがいるっていうのがすごいなんか面白くて練習したっすね。

(カーク)そこからどうのようにして、ヒップホップっていうか……それは洋楽の、アメリカの方の音楽を聞き始めたのか。そのミックスカラとか、どういう風に?

(PUNPEE)そこから、その当時ロックの人たちの中でも流行っていたビースティ・ボーイズは好きだったし。親父が買ってきたクリス・クロスとかもあったっすけど。リンプ・ビズキットのDJがハウス・オブ・ペインのDJだったんですよ。DJリーサルっていう人で。そこからハウス・オブ・ペインとサイプレス・ヒルにすごいハマっちゃったんですよ。ソウル・アサシンズっていう西海岸のDJマグスとかにハマっちゃって。そしてその人たちがビースティとやったり、Qティップとやったりしていたんで。そこから……そのへんからですね。


(カーク)そのへんから、じゃあニューヨークにシフトしていくっていう?

(PUNPEE)ああ、そうっすね。でもなんか、1曲単位でナズを聞いたりとか。そういうのは知っていたっすけども。ヒップホップにどっぷりっていうのは割とそのサイプレス・ヒルとかハウス・オブ・ペインとかからでしたね。そこからハマって、東海岸とかも。

(カーク)ちょうどその……たぶん99年ぐらいが中学生の頃とかだと思うんで。中3とか。ちょうど、今までヒップホップがカウンターカルチャーだったのがコマーシャル(商業的)になっていくという時代。2000年代ひ入っていくという時代だったんだけども。そういうのってなにか意識されてたのかな?って。

(PUNPEE)でも日本だと全然……自分がちゃんと聞いたナズのアルバムってサードの『I Am…』とかだったんですけども。全然それがコマーシャルっていうのがわからなかったんですよ。聞き始めたばっかりだったから。なんかアメリカではパフ・ダディがコマーシャルだっていう風に言われてるのかも知らなかったし。そこでなんか、「ナズはファースト、セカンドの方が良かった」っていうのを友達が言ってて。

あとはその頃のサウンド……スウィズ・ビーツとか。俺の先輩のDJの人がスウィズ・ビーツのことをめっちゃディスっていて。それで「えっ? 全然かっこいいじゃないですか」って言ったけど、「昔はこんなでした」みたいなのを聞いた時に、結構後追いでそのヒップホップの流れを知ったっていうか。そういう感じでしたね。だからその後、ナズのファーストの『Illmatic』とかも聞いたし。

(カーク)そういう情報はやっぱり友達とか先輩とか、どういう……? 雑誌とか?

(PUNPEE)ああ、でもスケーターの先輩とかが多かったんで。板板橋出身なんですけど。割と近くに浮間公園っていうスケーターが集まる公園があって。そこに集まってくる先輩は貸してくれるCDとかで。

(カーク)じゃあスケートしながら流れてるみたいな、そういう感じ?

地元のスケーターの先輩に教わる

(PUNPEE)そう。流していたりとか。それで、なんかスケボーしてる中にローラーブレードの人がいたらめちゃくちゃディスられたりしていて。なんでローラーブレードがディスられているんだろう?って。全然よくわかんなかったんですけど。そういうのでいろいろと教えてくれた先輩がいたっすね。

(カーク)Pはスケートしていたの?

(PUNPEE)自分もやっていたっす。スケボーを。で、弟と一緒にやってて。弟は中学生とかだからすぐ上手くなるんですよ。オーリーとかも縦コーンをすぐに飛んじゃうみたいな。でも自分はもう高校2年とか3年とかの時で。運動神経も良くないから追いつかなくて。なんかずっと昔、流行った古いスタイルに走っちゃって。スケボーの上で逆立ちするとか。

(カーク)ああ、はいはい(笑)。

(PUNPEE)そういうスタイルに変わったりしていましたね。でも、スケーターの先輩から教えてもらっていましたね。いろいろと。音楽とかも。

<書き起こしおわり>

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