武田砂鉄『テラスハウス』問題を語る

町山智浩『テラスハウス』がアメリカでウケている話 ACTION

武田砂鉄さんが2020年5月29日放送のTBSラジオ『ACTION』の中で出演者の木村花さんが亡くなったリアリティーショー『テラスハウス』問題について話していました。

(武田砂鉄)待ちに待ったプレミアムフライデーということでですね。もう先月から私はあえての擁護派に回りましたからね。ホームページもまだ1月からずっと更新されてないので。私が守り抜くっていう気持ちになってますけど。

(幸坂理加)はい。

(武田砂鉄)昨日、ディレクターさんに「明日はプレミアムフライデーですからね」っていうことをメールしたら、「すいません。忘れてました」なんておっしゃるんでね。これからはやっぱ手帳に「○」かもしくは「P」と。プレミアムの「P」という風に書いてほしいなと思いますけどもね。あっという間に今月も終わろうとしていますが。

(幸坂理加)本当だ(笑)。

(武田砂鉄)今週は連日、報道されてますけど。フジテレビとネットフリックスでやっていた『テラスハウス』に出演されていたプロレスラーの木村花さんがお亡くなりになって。いろいろとご本人のSNSにぶつけられた誹謗中傷に悩んでたという風に言われてますけれども。『ACTION』でもね、4月の放送回で『テラスハウス』が好きな人たちが集まって座談会っていうことをやりましたけど。そのことはちょっとまた後で話しますけれど。自分は結構日頃、原稿を書いたりとかですね、Twitterでいろいろ書いたりしてると、本当にこちらにその意見に納得のいかなかった人から、おおよそ匿名で「バカ」とか「死ね」とかいう風に強い言葉をぶつけられることがあるんですけど。

そういうこと言われることについて「武田くん、大丈夫?」とかっていう風に言われると即座に「ああ、大丈夫、大丈夫。全然気にしてないよ」っていう風に言うんですけど。これは、嘘なんですよね。「大丈夫です」って言ってるけど、大丈夫じゃないんですよね。これ、矛盾してるんですけど。「大丈夫だけど、大丈夫じゃない」っていうところがあって。

そもそもその自分の精神状態って自分で完璧に把握してるわけじゃなくて、知らないうちにストレスが膨れ上がって、それが気づいたらすごく大きな存在になっちゃうってことってこれは誰にでもあることだと思うんですけど。今回の件を踏まえて、あるサッカー選手がTwitterで「誹謗中傷をするなと言ってもなくならないし。なので、やってもいいからちゃんと強い人を狙え。俺のところに来い」っていう風にツイートされていたんだけども、これはやっぱり危ういなという風に僕は思ったんですよね。

なぜって、たぶんそのサッカー選手も大丈夫じゃないからだと思うんですよね。今、その方が「大丈夫だ」と思っていても、もしかしたら大丈夫じゃなくなるかもしれないっていうのがこういう匿名での言葉の怖さというところがあって。今回のようなことに限らず、なんか僕たちってショッキングなことがあると、どうしても理由を探して、特定して、それで安心をしたいという生き物なので。「あの人がああいう風に言ったことが悪かったんじゃないか」とか、そういう詮索が始まって、その悪かった人を引っ張り出して叩こうという動きがどうしてもあるわけですけど。

そうすると、特定の条件を並べると何がしかの原因が定まっちゃうっていうところがあって。今回だったら誹謗中傷する言葉を投じたSNSのアカウントであるとか、あるいはその番組に出演していたタレントの人たちの言葉の数々っていうのがそういうことに該当してしまう可能性があって。でも、それって「テラハに出ていた彼女の行動が気に食わないから力ずくで叩こう」っていう動きと、「その人によって彼女が亡くなったんだから、その人を叩こう」っていうのは動きが似てきちゃうじゃないですか。

で、やっぱり僕、ここで求められるのは制作側からの説明だと思うんですよね。今、「放送中止」を発表したけど、ただ中止にしたということだけで、ホームページから情報を削除したりとかね、そういうことがされてるみたいなんですけど。そうすると、「木村花さんが亡くなられて、そして番組が終わりました」っていう、ただそれだけになってしまうというところがあって。やっぱりそこで説明がないといけないと思うんですけど。

今、一緒に同居してたメンバーの人たちのInstagramを見ると、「木村さんはその環境にいること自体は楽しんでたし、テレビに映し出されているのはほんの一部ですよ」っていうことをメンバーの方たちが仰ってたりして。それを見ると「ああ、やっぱりそうだったんだ」っていう風に思うんですけど。番組側がその説明をせずに出演者、メンバーの言葉にすがってるような感じが僕はどうしてもしてくるんですよね。

(幸坂理加)メンバーの負担が大きくなってしまいますよね。

番組制作側の説明がほしい

(武田砂鉄)大きくなりますよね。で、その「やらせだ」とか「やらせではない」っていうような大きな議論とは別に、これは作ってる人たちだけが撮影をして、映像素材を選びぬいて、編集して、具体的に放送して、その後にどういう反応があったのかっていうことを見比べることができたわけですよね。こういう番組はこうやって出来上がっていたんだっていうことを僕たちが説明を受けることができれば、見る側のリテラシーっていうものも鍛えることができると思うんですよね。で、さっきも言ったように4月にこの番組で『テラスハウス』の特集を放送しましたけれども。その時に自分は何を言ってたのかな?っていうので昨日、スタッフの方に頼んで音声を送ってもらったんですけど。

その日の放送で誰かの人格とか存在を根っこから否定するような言葉っていうのを吐いていたわけではないんですけども。でもたとえばその本人に刃物のような強い言葉を飛ばす人の養分というか、エキスになっていたっていう可能性はこれはどうしても残るわけですよね。

(幸坂理加)そうですね。

(武田砂鉄)それでまあ、メディアに映し出されているものっていうのはどんなものでも一部分で、表層で、表面的で、加工されているもので。今、僕がこういう風に話していても、隣には作家さんがいて。「あと何分ですよ」と教えてくれたり。今、耳にイヤホンを突っ込んで、ディレクターさんとかプロデューサーさんがたまに「あれやこれや」と言葉を残したりっていうことがあるわけですけど。つまり、ただ話してるだけじゃなくて周囲に複数の状況があるわけじゃないですか。まあ映像ってのは特にそうで。フレームがあって、そこに映し出されているものが全てじゃないっていうのは、それはたぶん見てる人もラジオを聞いてる人も、それは想像することができると思うんですけど。

でも、そういうことをなるべく気付かせないようにするっていうのがこの「リアリティーショー」っていうね。「リアリティー」と「ショー」がつながってるっていう時点でちょっと不思議な言葉なんですけれど。みんなで一丸となって自然体を作るという不自然さがあるわけですよね。で、その不自然さの中でみんなで一丸となって自然な動きを続けるっていうのは、でもそれをしないと番組にならない。そこで個々人にすごい大きなプレッシャーがかかったということだと思うんですけど。

なんかこの、今になって「だから言ったじゃん。ああいう番組でこういうことが起こるに決まってるじゃん!」っていう風に言う人もいるんだけど、それはさすがにちょっと都合がよすぎるなっていう風に僕は思って。でも、自分もそういう風に思っていたんですよね。だから自分も……そんな私も非常に都合がよすぎるなっていう風に思ったですけど。というのも、まあ木村さんのSNSにぶら下がってるコメントを見ると、あんまりにも暴力的なコメントの羅列で驚くんですけど。

そういうリンチ状態みたいなものに対して「こういうのはやめませんか?」っていう風に突っ込む人はあまり見当たらなくて。つまり、私たちはっていうか、自分はそういう彼女に向けられていたリンチっていうのは発見しなかったし、助けようともしなかったわけですよね。街中でボコボコにリンチされてる人がいたら、通報したりとか、「ちょっとやめましょうよ」っていう風に言ったりするわけだけれども。それをしなかったっていうことがあって。

なんかテレビで報じられているこの件を見ると、「こういうツイートする人たちがいるから、最低ですよね」っていう作り方をしてて。まあ、それは最低なんだけど。何でこういう状態に気付けなかったのか?っていう、そのテレビの作りに対する言及がほとんどないんですよね。なんかもっと後ろめたさを持って考えることが必要じゃないかなって僕は思ったんですけど。この「誹謗中傷がひどかった」っていうだけじゃなくて、「なんで誹謗中傷が生まれたのか?」っていうことを検証しなくちゃいけないので。

だからこそ、番組を作ってる人たちが「こういうことでこういう風になりました」って出してもらわないと……つまり、詳細を明らかにしてもらわないと、僕たち見る側のリテラシーを考えるとかっていうことができなくなっちゃうわけですよね。そうするとやっぱり中止というだけではいけないと思うので。そうじゃないと、僕たちは思いっきり番組のせいにするだけで終わっちゃうというところがあって。

「こういう風に番組は作られましたよ」って出てくれれば、それに対しては「自分たちはなぜ、これに気づけなかったんだろうか?」っていうようなチャンネルを生まれてくるんですけど。今、それがないのが非常に残念だなという風に思うんですよね。あと、同時に危惧してるのはですね、今回の件に便乗するように「誹謗中傷」と「批評、批判」というものを意図的に混在させて、発言を制限させようとする動きが少し目だってきていて。

権力者への批判を「誹謗中傷」の枠組みに入れようとする動き

政治家とか権力者に向けられた批判に対して、誹謗中傷の枠組みに入れようというのは僕はちょっと姑息だなっていう風に思うですけれど。自民党がそのSNSの制度改正について対策を検討するプロジェクトチームを始めて。座長に三原じゅん子さんが就任されたんですけども。

三原さんがTwitterで「インターネット上の匿名での誹謗中傷の人権侵害に対して、政治家として動き出します」という風にツイートをされて。それにある方が「実名で誹謗中傷する人もいますので。よろしくお願いします。あと芸術だ。と言えば何でもいい。のも論外です。愛知、広島トリエンナーレ。昭和天皇への侮辱な画像とかも」とかっていうことを書いていて。それに対して三原さんが「本当ですね」っていう風に返していて。これは危険だなという風に思うんですけども。

誹謗中傷とか人権侵害というものがどんなものなのかっていうのを分かっていらっしゃらないので。SNSの言葉を使いこなすというのはすごく難しいことなので、それを判断する実力がこの座長に欠けているっていうのは非常に危ういと思うんですね。まあ、でも本当に何度でも言うけども、このまま「放送中止になりました」っていうので終わるんじゃなくて、「何でこういうことが起きたのか?」っていうことをしっかり伝えてもらって。その上で個々人が判断するしかないと思うんですよね。考えるしかないと思うんです。じゃないと、これに乗っかるように「これは誹謗中傷です」って力ずくで拡大させたがる人たちというのが出てくる。

まあ、誹謗中傷をした人と、それを放っておいた制作側、どっちが悪いか?っていうことじゃなくて、どっちも悪いんだし。この長寿番組の構造をただただ放っておいた外の視点というのにも……それは自分も含めてですけれども。問題があるので・だからこそやっぱり、どうしてこういうことが起きたのか?っていうのを検証することが必要だなと思いますね。この起きたことに蓋をして終わらせるんじゃなくて、考え続ける必要があるかなという風に感じました。

<書き起こしおわり>

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