山田詠美・武田砂鉄 ラジオ対談書き起こし

山田詠美・武田砂鉄 ラジオ対談書き起こし ACTION

山田詠美さんが2020年1月31日放送のTBSラジオ『ACTION』に出演。武田砂鉄さんと対談をしていた模様の書き起こしです。

(武田砂鉄)本日のゲストは作家の山田詠美さんです。よろしくお願いします。

(山田詠美)こんにちは。よろしくお願いします。

(幸坂理加)よろしくお願いします。

(武田砂鉄)お越しくださってありがとうございます。僕は何度か……去年、一昨年かな? 女性セブンで一度、対談をさせてもらいまして。その時に詠美さんが一番最初に「砂鉄くんとは私が嫌いな人が一緒だった」っておっしゃっていて。それですごくほぐれまして。

(山田詠美)ああ、そうそう。うんうん。そこ、重要です(笑)。

(武田砂鉄)重要ですよね。やっぱり好きなものが一緒というよりも、嫌いなもののピントが一緒だったという。

(山田詠美)あと、「重箱の隅をつつく」っていう共通点が(笑)。

(武田砂鉄)重箱の隅をつつくっていうのは、これは昔からですか?

(山田詠美)ああ、そうです、そうです。

(武田砂鉄)重箱の隅をつついても、つついても、つつくべきものがどんどん浮上してくるみたいな。

(山田詠美)そうなんですよね。それで他の人と違うところをつついてるみたいで(笑)。

(武田砂鉄)でもエッセイを読んだ時に、たくさんワイドショーをご覧になってるじゃないですか。その時にTBSの『あさチャン!』の沢松奈生子さんのワイプが一番素晴らしいっていうことを書かれていて。

(山田詠美)そうですよ。女王ですよね(笑)。

(武田砂鉄)それをね、エッセイで読んでから沢松さんのことが気になってしょうがないっていうね(笑)。当結構でもずっとワイドショーはご覧になっている?

(山田詠美)ああ、見てますよ。

(武田砂鉄)何目的ですか?

ワイドショーをチェックする目的

(山田詠美)「単なる野次馬になって見る」っていうのが面白いと思うの。あそこに何か倫理的な批評を入れると、あんまり面白くなくなっちゃうので。

(武田砂鉄)でも、その倫理的な批評を入れたくなる瞬間っていうのはないんですか?

(山田詠美)ありますけど、なるべくそういうところでやるとゴシップが何かゴシップじゃなくなってくるっていうか。そういうのであんまりやらないようにしてますけど。でもどうしてもいろいろ文句言いたくなることはありますよね(笑)。

(武田砂鉄)でも基本的にその時々で石を投げられてる人っていうのがたぶん映ってますけど。詠美さんはやっぱりその石を投げる側の顔を見るのがお好きと?

(山田詠美)そうなんです。石を投げる人を正面から見て「ああ、この人ってこんな卑しい顔をしてる」とか、そういう風に思って。「ええと、この人にこういうことを言う権利ってあったっけ?」とかね、そういうことを見ながら楽しんでいます(笑)。

(武田砂鉄)そのズレがやっぱり非常にエッセイなんかを書かれていても面白くて。やっぱり今、その総攻撃する相手っていうのを常に用意している。ここ1、2週間だとね、俳優さんと俳優さんの不倫なんていうのがずっと出てましたけどね。

(山田詠美)本当ですね。また盛り上がってますね。

(武田砂鉄)盛り上がっていますよね? それこそ何で石を放り投げる権限がおありになるんだろうか?って思ったりしますよね。

(山田詠美)ああいうのは単なるやじ馬にならないと面白くないっていうか、なんかそういう感じがするんですけど。

(武田砂鉄)僕は女性自身という雑誌で連載をしていて。詠美さんが女性セブンという雑誌で連載をしているので、いつもね、ライバル関係というか……。

(山田詠美)そうなのよ。時々、読んでる(笑)。

(武田砂鉄)時々読んでくださって、ありがとうございます(笑)。でもこの女性セブンの連載ももう200回ぐらいですもんね。

(山田詠美)そうなんですね。いつの間にか続いてます。

(武田砂鉄)やっぱりでもつも、ちょっとした気づきから入っていくっていうのが、それは自分もエッセイを書く上では勉強になるというか。その取っかかりがいつも、ちょっとしたことですよね?

(山田詠美)ちょっとしたことなんですよね。なんか、ええとまあ、「こいつ、気に食わない」っていうところから始まっていう時が多いんですけども(笑)。

(武田砂鉄)そのちょっとした気づきっていうのは何か頭の中で貯蓄のようにあるんですか? それとも突発的に出てくるんですか?

(山田詠美)ええとね、その都度その都度ですね。私も週刊誌の連載ってかなり久々だったので、「どういう風にやるんだっけ?」って思い出してたんですけど。やっぱり日々アップトゥデートをしながらやっていかないとダメなので。そこは小説とは全然違うところですね。

(武田砂鉄)「作家に必要なのは記憶力だ」っていう風によくおっしゃっていますけども。それは小説を書く時とエッセイを書く時と、その記憶の使い方というのは違いますか?

小説とエッセイの違い

(山田詠美)違いますね。うん。やっぱり小説を書く時の記憶力っていうのは、事件とかその何て言うのかな? 起こったことに対する記憶力っていうよりは、そこで感じたことの肌合いみたいなものというか、皮膚感覚とか、そういう自分の感覚を駆使した記憶力であって。それでエッセイなんかの時には細々とした事実関係をはっきり……その場でいったい社会状態がどうだったかとか、そういうようなことを記憶してるっていう。そこにどういう時、どういう立場で自分がいたか?っていう、そういう時の記憶だと思うんです。

(武田砂鉄)うんうん。その「小説を書く時の記憶の肌合い」っていうのは、やっぱり「じゃあ今、言語化してくれ」って言ったらなかなかしにくいものだと思いますけれども。非常にその感覚的だけど緻密に覚えてるっていうような感じなんですか?

(山田詠美)そうですね。たとえば大昔に火傷するようなぐらいに傷付いたヒリヒリするようなことっていうのをそのまんま、もう1回思い出して、自分で追体験するっていうか。そういうことなんですけど。その記憶力が小説を書く時には重要なんじゃないかなとよく言ってます。

(武田砂鉄)その記憶っていうのは、何か好都合に加工されたりすることっていうのはないんですか? 自分の頭の中で。

(山田詠美)うん。記憶ってだいたいもう記憶になった段階で当人がねつ造をしてると思うんですけれども。そのねつ造をいかに無駄を省いて、その抽出したエッセンスを文章にするかというか。そういうようなことをいつも気にしています。

(武田砂鉄)そのなんかねつ造の自覚っていうのはあるんですね。

(山田詠美)そりゃそうですよ。あれ、でもねつ造の自覚がないくて書いてる人ってたぶんいっぱいいると思うんですけど。そういうのは……あんまり評価しませんね(笑)。

(武田砂鉄)フフフ、それはじゃあ人の記憶のねつ造っていうのは小説であれば、読んでいれば分かる?

(山田詠美)ああ、そんなのは分かりません。それで分からないように書くのが才能だと思うので。

(武田砂鉄)じゃあそれを読み手に分からせてはいけないっていうことですね?

(山田詠美)そうですね。ただ、どうしても見えちゃうっていう人もいるので。そういう人は、ええと、いろいろな意見の人と「あれ、よくないよね?」と意見交換したりとか。作家同士で話したりとかはします。

(武田砂鉄)ああ、なるほど。でもそれはその作家同士で話したら、そこの感覚っていうのが割とシンパシーはそこですぐ出る?

(山田詠美)そうですね。私なんかが思う「ああ、この人は本当に優れた作家だな」なんて思う人とは全部合いますね。

(武田砂鉄)そういうものなんですね。でもね。

(山田詠美)だいたい文学賞の選考会なんかでもそこはすごく重要視される部分だとも思います。

(武田砂鉄)本当にその詠美さんの小説を読んでると、なんかここにはこの言葉しかはまらないだろうっていう、そのパズルが完成する瞬間が続いていくみたいな感覚をすごく感じることがあって。それってでも、普段お書きになられてて、いろんなパターンがあると思いますけど。その言葉を見つけに行くのか、あるいはそこに自然と入り込んでいくのか。これ、どっちなのかな?って思いながら……読者として思うんですけどね。

(山田詠美)見つけに行くっていうことはないですね。あの、そこにあるものをやっぱり掘っていくっていうか。そうすると、あった!っていう風な感じで。なにか見つけに行かなきゃいけないものっていうのは、あんまりいらないようなものの気がして。自分が書きたいものはそこに眠っているっていう。いつもそういう風に信じて書いています。

(武田砂鉄)でもその小説について詠美さんが「何となく雰囲気だけで書くような書き方っていうのは絶対にしたくないし、そういうものを読みたくない」っていう風にもおっしゃってましたけれども。その雰囲気っていうのと、でもそこにもう言葉がたどり着いているっていうのは、ともすればちょっと距離としては近いというか、似てるような感覚もあると思うんですけども。

(山田詠美)でもね、私が嫌いなのって「行間を読ませる」っていう風に当人が思って書いてる小説で。まあ、私はそういうのを「しゃらくさい」と思うんですけども。

(武田砂鉄)「しゃらくさい」(笑)。

「行間を読ませる」風に思って書いている小説はしゃらくさい

(山田詠美)行間を読ませるんじゃなくて、行間まで全部作者が文字にはしてないんだけど、限定させたその世界を作ってほしいと思っているので。

(武田砂鉄)なるほど。僕はこの2005年の『文藝』という古い雑誌を持ってきました。詠美特集で。

(山田詠美)フフフ、特集ね(笑)。

(武田砂鉄)これがその作家さんから詠美さんへの質問というコーナーがあって。江國香織さんから「詠美さんにとって我慢ならない、あるいは唾棄すべき小説とはどういう小説でしょうか?」「答え:行間に感性があると勘違いした小説」ということで(笑)。

(山田詠美)そう。一貫していますね(笑)。

(武田砂鉄)一貫してますね。あとですね、「人間なんてこんなものと安易にシミュレーションした小説」っていう。、これも変わりなく?

(山田詠美)変わらないですね(笑)。

(武田砂鉄)「一行おきに改行して原稿料を稼いでいる小説」っていう。これもまた、手厳しいですね。

(山田詠美)ねえ。もう許せないよね(笑)。というか私、偉そうじゃない?(笑)。

(武田砂鉄)いやいやいや(笑)。そんな。でも、その「感性」という言葉っていうのは結構、それこそ小説家のインタビューであるとか、あるいは批評する側なんかも結構便利に使う言葉な気がしますけれども。そこらへんはやっぱり認めない……「認めない」っていうか……?

(山田詠美)「認めない」っていうよりも、そういうことでごまかすタイプのことじゃないと思うんですよね。言葉ってもっと限定されるものだと思っているし。で、限定されなくても、目に見えなくてもその言葉が作り上げる世界っていうのはすごく正確であるべきだと思っているので。なんかそういう意味で、感性とかでごまかしたりとか、あとはほら、何て言うんだろう? よく変な女優さんとかが「私、感性が鋭いし」とかっていうような態度を取る人、いるじゃないですか?

(武田砂鉄)変な女優さんとかがね(笑)。

(山田詠美)ああいうのとかね、ちょっと許せないなと思うんですけどね。

(武田砂鉄)でもそれはたぶん、そういう人たちもたくさんインタビューとか答えてきた時に、「どうやらこういう言葉を言っておくと、話を聞いてくれる方もなんか良さげに取ってくれる」っていうこともあるから。なんとなく、そういうとこで強化されていった言葉なのかもしれないですね。

(山田詠美)ちょっといいイメージがあるのかな? 「感性」っていう言葉に。でも、小説の場合はあんまりそれを過信すると良くない方向に行くと思いますけどね。

(武田砂鉄)でも詠美さんはそのインタビューの中でも「言葉を使って波風を立てたいんだ」っていうような言い方をされていて。それはでもすごく素敵な考え方だなと思って。やっぱり、シチュエーションとか何かっていうよりも、その言葉自体で波風を立てていくという。

(山田詠美)そうですね。すごくいろいろな可能性があると思うんです。で、音楽なんかもそうなんだけど、もうほとんど古今東西でやり尽くされているものではあるんです。だけど、それを組み合わせによって全部世界を変えることっていうのもできると思うんです。そこで、「こんな形容詞とこんな名詞を組み合わせたものは一度もなかった」みたいな感じで心がざわっとさするっていうか。そういうものを作ることもできると思っているので。まあ、そこのところは意識しますね。

(武田砂鉄)僕は河出書房というところにかつていて。まあ文藝という編集部にいた時に文藝賞という賞の下読みをやってたんですけれど。まあ自分がそのいい小説と悪い小説を見抜けるようになったとは思わないんですけども。悪い小説っていうのはやたらその難しい言葉を使うっていう傾向があって。

(山田詠美)ああ、そうそうそう。ねえ。

(武田砂鉄)この人は絶対、この言葉を体の中にあんまり入れたことがないだろうなっていう言葉を使うから。むしろ「これは読ませるな」という小説は自分が普段、使っている言葉の組み合わせが別の形で置かれてたりとか。そういうことに読ませるものが多いですよね。

(山田詠美)そうなんですよ。ねえ。なんか、音楽なんかでもサンプリングなんかでも組み合わせによって全く新しい世界ってできるので。言葉によってもそれはできると思っています。

(武田砂鉄)そういうなんか、「この言葉は自分の体の中に入ってるな」とか、「これはまだ自分の体の外にあるな。入りかけてるな」みたいな感覚っていうのは、その言葉ごとに存在したりするんですか?

自分の体の中に入っている言葉

(山田詠美)ああ、あると思いますね。うん。ええと、小説家によっていろんな方法論みたいなのは違うと思うんですけれども。でも、ちゃんとその仕事を続けてきた人で、その自分のワールドを作ってきた人はそれを持ってると思います。

(武田砂鉄)それでは最初、お書きになった頃にはやはり自分の中では体得できてなかったものなんですか?

(山田詠美)いや、私はね……私、習作も何もないんですよ。練習した文章もないので。一番最初のデビュー作からそれは決まっていたとは思います。ただ、経験をずっと積んで、キャリアを積んでいくに従って、もっと外しのテクみたいのがあるなって思って。なんて言うんだろう? もうちょっとね、力を抜いて……たとえば着物を着る時に襟を抜いたりとかね。そういうような書き方をしてみたいっていう風に思うようになって。そこからは、もう私にしかできない手練手管みたいのを身につけていきたいっていう風にも思いました。だけどその芯になるのはやっぱり、これしかない言葉っていうのをちゃんと掘り起こしていこうっていう。そういうことには変わりないなという風に思ってます。

(武田砂鉄)でも一度固まったものから抜いていくっていう……その着物から襟を抜くだけで抜きすぎちゃったら全部脱げちゃったっていう風になってはいけないわけですよね?

(山田詠美)そう。だから羽織の紐とかね、そういうのを外すとか。そういうようなことをやってみたいなと思い始めたのが、もうそれも何十年も前なんですけど。そこからだんだん力が抜けて。いなせな文章みたいなことに近づきたいなって思うようになって。そこから世界もまた広がって……なんてことをしていたら直木賞をいただきました(笑)。

(武田砂鉄)でもその言葉を……一度固まってきたスタイルというのかな? 言葉から抜くことっていうのは、恐怖心みたいなのはなかったですか?

(山田詠美)ええとね、それはないですね。うん。自分の中の冒険なので、「やってみたい」っていうことの方が強かったっていうか。そういう感じですね。ただ、そういうことじゃなくて、かならず自分が書けないものを書こうっていうことを次の作品に課しているので。そこに飛び込むまでに時間がかかって。そこに飛び込むまでの恐怖感というのはすごくあるんですけど。あの文書に関しては、割と私の場合は最初からちょっと出来上がっていたところが自分でもあると思うので。そのことに関してはなかったですね。

(武田砂鉄)うん。常にやっぱりその新しい作品が最高傑作であるということをおっしゃってましたけれども。その作品を書いていく中で「ああ、これはいついつの山田詠美と一緒じゃないか?」っていうような怖さにかられることっていうのはないんですか? つまり、これで何か……。

(山田詠美)うーん。それね、自分の模倣をしてしまうっていうことに行くと思うんですけど。ええと、そういう風にやるのもまあ様式美としてね。そのある作家のスタイルではある人もいると思いますけど。私の場合は、あれですね。まあ違うものを書こう、書いたことがないもの、書けないものを書かなくちゃっていうのを自分に課しているので、そこはあまり感じたことはないですけど。でもさすがにやっぱりこう、何十年も続けてくると、「ここはちゃんと書けちゃうな」っていうところはあるんですよね。でもそこはなるべく、書けないような書き方で書くっていうことを常に意識しています。

(武田砂鉄)「小説を書き始めるのと終わるのがどっちが大変か?っていうと、終わるのは楽ちんだけど始めるのがすごく大変だ」っていう風におっしゃっていましたけども。

最初の一行を書くのにすごく時間がかかる

(山田詠美)ああ、そうですね。私は取りかかるのにすごく腰が重いタイプで。最初の一行を書くのにすごく時間がかかるんです。最初の一行さえできれば、あとは自然と行けるっていう確信があるので。その最初の一行を最後の一行に持っていくっていうことに関しては心配しないですけど、最初の一行のその、何て言うんだろう? 私、手書きなんですけど、真っ白なその原稿用紙に向かい合った時の緊張感というすごく他にはないなと思って。

(武田砂鉄)うん。その最初の一行っていうのは5パターン書くのか、それとも1パターンを時間をかけてたどり着くのか、どっちなんですか?

(山田詠美)ああ、たった一行ですね。たった一行を書いて……そうです。そこに行き着く……自分の中で何か作ってるんだと思うんですね、もうすでに。

(武田砂鉄)それはもう、何て言うか言語化しにくい感覚なんですか? 「ここの火曜日でなんとかこの一行をお願いします」と言われても無理なわけですよね?

(山田詠美)ああ、無理、無理、無理。だから私、小説の場合は締切りのある仕事をしてませんから。

(武田砂鉄)じゃあ、それは別にそれが5ヶ月になることもあれば、3日かもしれないし。3年かもしれないっていう?

(山田詠美)だからもう、ある程度全部書き上げてから編集者に渡すようにしているので。だからその、急き立てられるのが一番苦手なので。その最初の一行に関しては十分に時間を取って。もういよいよ始めないと自分国に入れないぞ、ぐらいな感じになってから書きます。

(武田砂鉄)自分国を閉じるのにそこまでストレスがかからないっていうのは何でなんでしょうね。終わるのに。

(山田詠美)何だろう? パスポートさえ取っちゃえば、あとはどこでも行けますっていう(笑)。

(武田砂鉄)まあ、どこにたどり着こうがいいか、みたいな。

(山田詠美)そういう感じで発進したらもう大丈夫で。

(武田砂鉄)ああ、なるほどね。じゃあ、もうパスポート取得と。

(山田詠美)そうなんですよ。

(武田砂鉄)なるほどな。まあ、昨年その『つみびと』という作品を出されて。これはその大阪で実際に起きた2人の子供の置き去り事件をモチーフにした作品ですけれども。まあこういう世の中の事象とかをこういう風に小説に落としこむという言い方が正しいのか分かりませんけれども。まあある種、インスパイアされて書かれる小説っていうのは、これはやっぱり常に社会、そして自分が書いている小説っていうのとの距離感みたいなものを頭に置いていらっしゃる?

(山田詠美)そうですね。でも、私はノンのフィクションを読むの好きなんですけど。読みながらも、ノンフィクションには絶対にできないことがあるっていうのを思っていて。それがその当事者たちの内面に入っていって、その内面はどうだったか?っていうことを言語化するっていうことだと思うんですよ。だからそれにトライしたっていう、私にとってもすごくトライアルな作品で。まあ、大変でしたね(笑)。

(武田砂鉄)でもたしかにそのノンフィクションだと、その当事者の内面のモラルであるとか、それから倫理感みたいなものっていうのはある種、推察しすぎてはいけないものであるから……。

(山田詠美)そうなんですよね。そこが……でも、全く私とはあの共感も何もない人間に対して、「でもこの人のことを言葉にできるのは私だけだ」っていう、そういう風に信じて。なんかね、「この人のためにちょっと私がやってやろうじゃないか」みたいな気持ちで挑戦していたっていう感じで。時々、やっぱり「うーん」って思うんだけど、それをどうやって自分の元に引き寄せて。私の中にもそういう部分があるんじゃないかとか、まあ自問自答しながらやっていくという作業でした。

(武田砂鉄)それは別に安直に共感するということではないわけですよね?

(山田詠美)そうですね。共感しなくても、「こういうことでこういう風に行ってしまう場合はあるよね」っていう風なところで。割と傍観者。心の中に入っていきながらも、その人の心を傍観するみたいな。そういう感じでいました。

(武田砂鉄)あの小説家の方の中には、何か具体的な事件を追う時には綿密に取材をされる方もいますけれども。詠美さんがかつて、水上勉さんから「詠美はキッチンとベッドだけ書けばニューヨークの街が書ける」っていう風に。これもまたすごい素敵な発言だなと思いましたけれども。

「キッチンとベッドだけ書けばニューヨークの街が書ける」

(山田詠美)そう。だいたい私ね、海外旅行とか当時すごく行ってたんですけど。行ってもあんまりホテルの部屋から出ないで読書をしている。でもそこで、部屋に来た人とかあと窓の外とかラジオ聞いたり。そんなことをしていながら、そうするとその部屋を書くと、その国が書けちゃうみたいな。そういうところがあったと思います。で、そこに水上先生が目をとめてくれたのはすごい嬉しかったって言うか。

(武田砂鉄)うん。その言葉を見かけたて「ああ、たしかに本当にそうだな」と思って。そこの街のディテールを追うということと、その街の匂いを嗅ぎ取ることっていうのは似てるようで全く違うことですよね。

(山田詠美)ああ、そうなんですよね。うんうん。だからやっぱり小説家の仕事は匂いを書くことだと思うんですよね。で、ノンフィクションの仕事はその外側の現実にあるディテールを書くことだとは思うんですけど。そこはどういう風に融合して新しい作品になるかっていうのはこれから私もトライしていきたい部分ではあります。

(武田砂鉄)よくその詠美さんの作品の中で、詠美さんの作品が好きな人がね、詠美さんは男の人が好きって書いてるんじゃなくて……でも詠美さんは「雨が降ってきた時に男の人から蒸気が上がる感じ。私はそれを書いてるんだ」っていう風にお書きになっていて。たしかにその蒸気感っていうか、それがあらゆるところにあって。でも蒸気って、ともすれば別に男性だけでもなくて、もちろん女性だけではなくっていう。で、僕はこの『タイニーストーリーズ』っていう短編集の中にある『電信柱さん』っていう短編がすごい好きで。

(山田詠美)ええ、ええ。

(武田砂鉄)これは電信柱に語らせているっていう小説があって。この蒸気感で行くともう、男とか女とか子供とか大人っていうことじゃなくて、何にでもその、さっきは「匂い」っておっしゃってましたけど。匂いとか蒸気みたいなものを宿らせることっていうのは可能ですよね。

(山田詠美)ああ、できると思いますね。

(武田砂鉄)それはもう当初から、最初から気づいていましたか?

(山田詠美)いや、どうなんでしょうね? 何かいろいろ書いていくうちにだと思うんですけど。ただ、人間を書くって言っても、人間を書かなくてもその人の周りにある空気を正確に書くということで。そうすると、その蒸気とかそういうのも見えてくるっていうような、そういうところがあると思うんです。で、そこを見逃さないように書くっていう。そういうのが何か人から人へ伝わるバイブレーションみたいなものを会話だと他の人にも聞こえるけど、本人同士しか分からないそのバイブみたいな。そういうことっていうのを、やっぱり言葉を使って全部隅々まで書きたいっていうか。そういう欲望があります。

(武田砂鉄)やっぱりその隅々まで書くっていった時に、さっきの匂いの話で言えば、たとえばその中華料理屋さんに行ったらたぶんそのラーメンの匂いが一番鼻に来るけれども。でも詠美さんはたぶんそこに添えられているたくあんの匂いとか、ご飯の甘みみたいなものまで入っていて。

(山田詠美)アハハハハハハハハッ!

(武田砂鉄)でもそれって、やっぱり僕らが文章を書こうとするとどうしても、そのラーメン屋さんならラーメンの匂い。スパゲッティー屋さんならスパゲッティーの匂いなんだけど。何か詠美さんはそれももちろん嗅ぎ取りながら、そこに添えられてるものも嗅ぎ取るみたいな。それは、なんかテクニックがあるんですか? テクニックはないのかな?

(山田詠美)わかんないけどたぶん、それを持ってきたウエイターのお皿にかけた指とか、そういうのをたぶん見るような気がしますね、私は(笑)。

(武田砂鉄)そうですね。まずラーメンが運ばれてきた時に、ラーメンじゃなくてまず指を見ているっていう感じなんですかね?

(山田詠美)ああ、そうですね。そんな感じ。

(武田砂鉄)でもそれはまあ、視点を変えるっていうことだけで得られるものでもないんでしょうけれどね。なるほどな。でもそういうこう、詠美さんの小説を読んでると「みんながこう思う」とか「多数決だからこうだ」とかっていうものを、これはもうずっとことごとく嫌ってこられたらなっていう。

(山田詠美)そうですね。多数決は小説の敵だと思いますね。うん。

多数決は小説の敵

(武田砂鉄)でもその小説を書く上で、多くの人に読んでもらいたいという風に考えた時に、まず多数感を出しちゃいますよね。

(山田詠美)書く方は「多数決を敵だ」と思って、読む方には「『私たちはこうやって同じものを好きになっている』っていう連帯感を持ってほしい」っていうのね、すごくアンビバレンツな、欲張りな欲望を持ってるんです(笑)。

(武田砂鉄)うんうん。だってこれまでも教科書検定とかで何度も落ちていますよね。

(山田詠美)ああ、そうそう。

(武田砂鉄)何で落ちるんでしょうね?

(山田詠美)それは……見る目がないんじゃないですかね?(笑)。わかんないけど。なんか「ヤバいものほど立つ」っていう、そういう小説の掟みたいなものを知らない人たちが選んでるからじゃないですかね?

(武田砂鉄)まあ、その本当に今、エッセイなんかを読んでいてもね、やっぱり「みんなが道徳家になっちゃったよね」っていうようなことをお書きになることが多いですけれども。まあさっき、一番最初にその「倫理」なんていう言葉が出ましたけれども。倫理とか道徳観っていうのはたぶんもうデビューされて今年が35年になりますけれども。もうガラッと変わってきたと思うんですけれども。

(山田詠美)そうですね。

(武田砂鉄)それと小説を書く上でその倫理観の変節みたいなものと、どう付き合って?

(山田詠美)ああ、それはね、自分が変節しなければそれが自分の倫理観になるので。世の中の変わっていくのに注意深く耳をすませたりとか、そういうことをしながらも自分の中では常に新しい倫理観を自分だけのものとして更新していくっていうのはすごく重要だと思います。そうすると、ずっと長年本を読んでくれていた人は絶対に私の変わらない倫理観がその作品の中にあるということを知っててくれてるし。それでいながらも、スモールチェンジしている部分も分かってくれると思うんで。

(武田砂鉄)そこがやっぱりすごいなと思うのは、自分の中での倫理観を更新すると同時に、世の中の倫理観がどうなってるか?っていうのをものすごくチェックされているわけですよね。

(山田詠美)そりゃそうですよ。

(武田砂鉄)それをしないで、ある種かなり大文字でね、「世の中って今、ダメだよね」って片付けて自分の倫理観を更新するのと、世の中の解像度……それこそ「沢松奈生子のワイプがいいよね」っていうのを書きながら……。

(山田詠美)アハハハハハハハハッ! こだわるね(笑)。

(武田砂鉄)こだわるんですよ。でも、それがあるからこそ、その詠美さんが更新される倫理観に対するやっぱり読者の信頼みたいなものっていうのがこれもまた更新されていくんじゃないかな?っていう気がしますけどね。

(山田詠美)ああ、そうだと思います。それは本当に嬉しいことですね。

(武田砂鉄)じゃあこの最新作の紹介をしておきますかね。

(幸坂理加)はい。山田さんの最新小説『ファースト クラッシュ』は文藝春秋から発売中でございます。

(武田砂鉄)いやー今日はジェーン・スーさんもね、いまフロアの外で見守っていますからね。

(山田詠美)ああ、びっくりしたよ(笑)。

(武田砂鉄)今日はいろんな人から「詠美さん、出るんだね」って言われて。もう本当に出ていただいてありがとうございます。

(山田詠美)いやいや、こちらこそ(笑)。

(武田砂鉄)まあお話が尽きないんですけれどもね、お時間になってしまいましたので。山田さん、本日はありがとうございました。

(山田詠美)ありがとうございました。楽しかったです。

(幸坂理加)ありがとうございました。本日のゲストアクション、山田詠美さんでした。

<書き起こしおわり>

タイトルとURLをコピーしました