荻上チキ「#検察庁法改正案に抗議します」を語る

荻上チキ「#検察庁法改正案に抗議します」を語る 荻上チキSession22

(荻上チキ)そして、もし検察官が逃げるということであれば、どんなにたくさん検察官を取っても逃げてしまうのであれば意味がないから、それも定年延長の説明にはなっていないという話になるわけです。ということは、その法律を改正したいのであれば、その法律を変えるための根拠がなければならないわけです。その根拠として今、政府が取ったり、あるいは擁護する人たちが取っているのは「国家公務員法の方を65歳に引き上げるということに合わせて検察官も引き上げるだけなんです」という風に言ってるんです。

一旦、ここだけ聞くと「なるほどね。まあ定年を上げるのは今の時流の流れだから、それはいいんじゃないの?」っていう気分になるでしょう? まあ、世の中にはなる人もいるわけですよ。でも、「国家公務員法の方の定年を引き上げる」っていう話と「だからそれに伴って検察官の定年延長をやっていいか」ということはこれはまた別問題です。というのは、検察の役割というのは時には政権とか国会議員とかにまで、その捜査の手を及ぼすというもので、通常の国家公務員とまた違う役割というのがあるわけです。

検察というのはシンプルに言えば「司法」ではないわけですよね。あくまで省庁の一環ということなので「行政」ということになるが、しかしながら「司法的な役割」も持っているわけです。というのは、よく「三権分立」という言葉が出てくるんだけれども。「権力」というものを3つに分けて。「行政」「司法」そして「立法府」、それぞれが監視しあおう、役割分担をしようっていう風な議論として割と説明をされる。これが中学、高校とかの公民の授業で学ぶんだけども。この説明だけでは実は不十分で「3つ以上に分けましょう」ということが重要なんですよ。

(南部広美)「3つ以上」?

「三権分立」ではなく「3つ以上に分ける」

(荻上チキ)そう。たとえば同じく「行政」の中でも、全ての行政を一貫してやってるわけじゃなくて、「文部科行政はここ、法務行政はここ」っていう風に分けたりしていますよね。そうした他の行政、他の省庁の部分にはあまり侵犯しないようにし合って、仕事を分けている。まあ、それはそれでいろいろ問題も当然あるわけですよ。縦割り行政だとか。でも、一方でたとえば財務省などが通した、あるいはその政府が通した予算案について、その予算のあり方などについて「会計検査」ということでチェックをするっていうことをやっていたりしますよね。あとはたとえば検察などはそうした官僚とか政治家などについても捜査をするっていう。

つまり「同じ『行政』というくくりになっていたとしても、その中でちゃんとクロスチェックしましょうね」という役割があって、これこそが三権分立。あるいは三権以上分立、あるいは権力分散、権力分立。そうした言葉が指し示す意味なんですよ。「3つに分けましょう」ということがポイントなのではなくて、「適切にそれぞれの権力を縛り、コントロールし、監視し合いましょう」というのが重要なんですね。

で、「今回の検察の定年延長というのは三権分類に反する」という批判に対して「いやいや、検察は行政だから三権じゃないです」って言ってる人もいるんですよ。「いや、そうじゃないんです」っていう。そういう風に言っている人もいるんだけども、「検察は行政。だから政府だ」と言っているんだったらそれは問題で。じゃあなぜ、国家公務員法と検察庁法を分けて運用してきたのか?っていうと、国家公務員以上に検察というのはそれだけ大きな権限や大事な役割を持っていて。時には政権や国会などの幅広いものに対する権力の行使。あるいはさまざまな理性の歯止めをかけうる場所なんですね。暴走をすることもありますよ。検察は。証拠のねつ造とか改ざんとか。

でも、そうしたようなことを考えたとしても、だからこそ検察の健全な運営というのが必要で。権力におもねったりせず、適切な運用するということが重要になってくるわけですね。しかしながら、そこに対してたとえば内閣が「この人を残したい。なぜならこの人は大事だから」みたいなやり方で定年を延長する。そしてそのことについて「定年延長したい」ということを要望して、国会がそれをおめおめと通すということになったならば、これは当然ながら三権分立どころか、権力の相互監視。あるいは権力の相互監視だけじゃなくて自主管理、自主徹底ということもできないという状況になってしまうわけですよね。

だからこそ、この「#検察庁法改正案に抗議します」の「抗議します」が僕は重要だと思っていて。いい言葉選びが取り上げられたなと思っていて。その「法案そのものに反対するかどうか」ということだけではなくて「一連の経緯そのものがとても重要なんだ」という。その上で今回の法案について考えた時に、さてどういった議論が必要なのか? 少なくとも、この短期間で法案を通すということはないのではないか? あるいは政府がしっかりとその立法趣旨やその必要性。およびこれまで言っていた政府解釈を覆すほどの説得力を持つような言葉を発していない状況の中では、法改正はやってはいけないんじゃないのか?っていうのが僕の立場なんです。

議論をやった上では完全反対というわけじゃないですよ。いろいろな……たとえば「定年延長」ということで言うと、純正に働く時間が長引くというのはそれはそれで有りなのかもしれない。でも、検察官というものは法曹関係者で法律のプロだから、他の国家公務員たちとは違って、他の法律関係の仕事に転職する人が多かったりするわけですよね。そうなると、その違いも考えないといけなくて、「国家公務員と同じくしたんです」という一言だけではごまかされないよ。すっ飛ばしている議論があるよっていう話が出てくるわけですね。

著名人たちの発言とそれに対する反応

まあ、こういったようなハッシュタグに多くの著名人をはじめとしたTwitter上の人々がつぶやきをしたということは結構驚きであるとは思うんです。この問題をずっと取り上げてきた者からすると「もっと響かないかな?」って思ってたんですけど、思わぬところで拡散をした。その中では様々な書き込みもカオスのように広がっていて。誤解もあるし、そこの誤解は僕は訂正をしたい。

一方で、そうしたツイートする著名人に対して「がっかりしました。ファンやめます」みたいな人たちもいて。著名人が何かを書くと、そういう風な書き込みが出てくるというのは海外もそうなんだけれども。でも、そうしたことで決して心折れないでほしいなと。

僕は批判をするのは「著名人が政治的発言をした時」ではなくて、「著名人が差別的発言をした時」は批判をしますし。政治的な発言をした時にそれが自分と合わない場合は批判はしますが、「政治的発言をするな」とは絶対言わないですよね。

(南部広美)そうですね。チキさん、かねてからずっとその立場ですね。

(荻上チキ)だけれども、そうしたようなレベルの議論がいろいろごちゃごちゃになった結果、「何だかな……」っていうような言論空間も今、生まれたりしているけれども。こうしたTwitterを使ったり、ネットを使った著名人を巻き込んだ政治的論議みたいなものをこれから形を変えながら行くという、そういった過渡期にあるのかもしれない。そうした時にある種、政治自警団みたいな人たちがTwitterに出てきて。

「政治的な発言をする著名人」を吊るし上げるみたいなまとめを作ったりとかね。「今回、賛同した著名人はこの人」っていうリストを作ったりとかね。あるいは、逆に「賛同をしなかった人リスト」みたいなものを作っていったりとかね。それはそれでまたいろいろな効果を呼ぶなという風に思うわけです。というわけで、検察庁法改正の話は明日のメインの特集でやるとして。今日はこのネットの空気をはじめとしたいろんな問題について、共通で考えられるちょっとした現象について取り上げたいと思います。

<書き起こしおわり>

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