荻上チキ セクハラ議論と「あれもこれもセクハラか?」と言いがちな人たちを語る

荻上チキ セクハラ議論と「あれもこれもセクハラか?」と言いがちな人たちを語る 荻上チキSession22

荻上チキさんがTBSラジオ『荻上チキSession-22』の中でセクハラに関する議論についてトーク。その際に「じゃあもう何も言えないね」「あれもこれもセクハラか?」などと言いがちな人々について話していました。

(南部広美)ピューリッツァー賞の委員長に選ばれた人気作家、不適切な行為をした疑惑で調査へ。アメリカの報道や文学などでもっとも栄誉があると言われるピューリッツァー賞委員会は10日、先月委員長に選ばれた人気作家のジュノ・ディアス氏が不適切な行為をした疑いがあるとして調査を開始すると発表しました。ドミニカ系アメリカ人のジュノ・ディアス氏はモテないオタク青年を主人公にした代表作『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』などが国内外で高く評価され、先月委員長に選ばれましたが疑惑を受け辞任しました。

委員会は疑惑の内容を明らかにしていませんが、先週女性作家が自身のTwitterで「無理やりキスをされた」と告発。他の女性作家からも同様の訴えがあるということです。先月発表された今年のピューリッツァー賞の公益部門には大物プロデューサーのセクハラ疑惑を追求した報道が選ばれましたが、選考する側の委員会の幹部も告発される異例の事態となりました。

(荻上チキ)こうした告発があった場合には、たとえばノーベル文学賞もそうですけども、その賞自体を今回開くことを見送るであるとか、あるいは委員長に対しても疑惑ということで、ただただ処分をするだけではなくて調査をする。つまり、辞任をしたわけですけども、辞任は辞任として賞の委員会としては問題を再発させないためにしっかり調査するということが同時に行われていくということになるわけですよね。

日本でも財務省でセクハラに関する講習が行われたりしましたけども、講習だけではなくて、そもそもの調査というものがあまりにも早期に打ち切られたりとか、同様の被害にあっている人がいないかどうかっていうことについても把握が進められていないというようなことで、いろいろな問題点が起こっているわけですね。

当然ながら、こうしたセクシャル・ハラスメントというものはいろいろなコミュニケーションの過程でハラスメントが行われるわけですけども。職務上得た権限に対する必要性のある接触……だからインタビューをしなければいけないとか、あるいは相手の誘いを断りづらいとか。その職務上など諸々によって発生するリスペクトとある種の恋愛感情っていうもののミックスというか誤解、混同というか、そうしたことをしてしまうことがないように様々な性に関する教育というものが世界でもっともっと必要な状況なんだなということをとても感じざるをえないような状況ではあるわけですね。

「あれもこれもセクハラか?」とすぐ言い出す人たち

さらに加えて言うなら、こういった実際に問題だということで議論がされてくると、ちょっと筋からはズレるかもしれませんんけども、「じゃあもう何も言えないね」とか「あれもこれもセクハラか?」とかいう話をすぐに口にする人がいるんですけども。「あれもこれもセクハラだ」という風に認識している人は、あえてちょっとブレーキをかけた方がいいと思いますし。セクシャルなコミュニケーション以外にでもいくらでも楽しい話ってできるわけです。

なおかつ、今回のような具体的な当事者が認めているようなケースとか、あるいはアイドル……ジャニーズの山口達也氏が未成年に実際にキスを迫ったとか、そうしたような話についても明らかにこれはセクシャル・ハラスメントではなくて性暴力に該当するようなケースだったとしても、そうした議論をしているのに急に「あれもこれもセクハラか?」みたいな話にまですっ飛んでしまうという……いや、そういう一般論の細かな話ではなくて、明らかに明白なものをなんとかしましょうっていうことと、あとは具体的な組織の再発防止をどうしましょうかっていうことと、「あれもこれも」ではないからその線引きについての社会的合意はどうしようか。あるいは個人間の合意はどういう風にしたらいいのか。そうした意思確認の話を丁寧にしている状況なわけですよね。

しかも、「あれもこれもセクハラか?」って言う人って、だいたい男性の方に多かったりするわけですね。要は「ハラスメントとして告発される側」としての怯えみたいなものからのディフェンシブな対応なのかもしれませんけども。ただ、ハラスメントの対象には男性だってなりうるっていうことを忘却している気がする。

つまり、これから場合によってはいろいろな攻撃を受けるかもしれないから、(男女を問わず)共通の自分を守る権利……場合によっては家族や友人など自分の大事な人を守るための社会的合意の線引きをどうしましょうかという議論なのにもかかわらず、「自分が何かをできなくなってしまうのではないか」みたいな文脈でしか議論ができないのであれば、その段階ですでに認識がハラスメントを行ってしまう側目線に自然に、無意識のうちに立ってしまっているということに気づいた方がいいんですね。

(南部広美)たしかに、そうですね。

(荻上チキ)そうしたような観点をより広く投げかけるというような、そうした問題提起、気付きのポイント。そうしたものをいろんなところに埋め込んでいくということが必要なんだなという風に思います。

<書き起こしおわり>

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