武田砂鉄 自粛警察とメディアの役割を語る

武田砂鉄 自粛警察とメディアの役割を語る ACTION

武田砂鉄さんが2020年5月1日放送のTBSラジオ『ACTION』の中で「自粛警察」についてトーク。その活動を助長するようなメディアの動きなどについて話していました。

(武田砂鉄)緊急事態宣言がどうやら1ヶ月延びるらしいですよ。

(幸坂理加)ねえ。

(武田砂鉄)昨日、補正予算っていうのが成立しまして。ようやくその国民への一律10万円というのが始まるらしいんですけど。早いところで5月の上旬。遅くなると6月のところがあるっていうんですけどね。まあ2月末からいろいろ、あらゆる自粛要請が始まって。10万円を配るのに3ヶ月とか4ヶ月かかってるっていうことになりますけど。まあ毎週言ってますけどね、ここからやっぱりさらに補償がないと大変ですよ。これからね。それで僕の知り合いの書店員が言ってましたけれども。やっぱり「心おきなく営業することもできないし、心おきなく休業することもできない。そのどちらともできないんだ」っていう風に言っていて。

なんで心おきなく営業できないかっていうと、やっぱりその従業員の感染リスクっていうのもあるんですけども。それよりも「周りの目線だ」という。今、この「自粛警察」っていうね、嫌な言葉が出てきてますけど。

なんかこう、その言葉って国民が国民を監視してるっていうような言い方で使われることが多いんですけど。僕はやっぱりそれよりもメディアはですね、国民が国民を監視するように仕向けてるじゃないかな?っていうように感じることが多くて。少なくとも加担はしてるんじゃないかなという気がしていて。

国民が国民を監視するのにメディアが加担

昨日、ちょっとTwitterでこういうツイートをしまして。「朝からワイドショーを見ているとあちこちで『観光地に来た車をチェックしてたら練馬ナンバーです、所沢ナンバーです』とやってる。じゃあそれを撮影するロケ車は何ナンバーなだろうと思う。なんで政府じゃなくて国民の監視を優先するんだろう?」っていうことをツイートしたら、まあいろんな反応をいただいて。

たとえば「単身赴任で東京から地方に来てるからナンバーがそのままになってます。その車でそこらへんを走るのもちょっと緊張しちゃってます」っていう人もいるし、あるいは「訪問で医療や介護の仕事をしているで当然だけど県をまたぐこともあります」って言っている人もいるし。ちょっと笑っちゃったのが「もういかにも農作業をしてますっていう格好をして、地元民ですっていうことを強調して日々、車に乗っています」というような意見を見かけたんですけど。

確かにナンバーを見ただけだったら、それぞれの事情って別に勘案されないじゃないですか。他にもなんか、テレビを見てると「それでもやってるパチンコ屋特番!」みたいになってる番組も多いじゃないですか。それで書店員さんが言ったように心おきなく営業する、休業する。そのどちらもできないっていう状況があるわけですよね。それだけじゃなくて、スーパーとかドラックストアとか、あるいはトラックドライバーとか。そういうところに対する心ない声もあるっていう風に聞きますけれども。とにかくなんか今、テレビカメラが「密」というものを捕獲しよう、捕獲しようっていう風にしているところが強い感じがして。

まあ、戸越銀座商店街なんてずっとカメラが追われてて。ネットでは「殺人商店街」なんてひどい言い方もされたみたいですけど。今日、朝日新聞を読んでたら商店街の連合会の女性のコメントっていうのが載っていまして。「まるで非国民のように思われていると感じました」っていう悲痛なコメントが出てるんですけれども。なんか監視をするっていうことよりも、こういう状況をどうやれば打開できるのか? あるいは政府がそれにきちんと取り組んでるかどうか?っていうのをチェックするのが僕はメディアの役割だと思うんですけど。なんかそういうところから離れていっているような気がしなくもないんですよね。

(幸坂理加)うんうん。

(武田砂鉄)それでこの自粛警察っていうのは「みんなと同じ行動しない人たちを注意せよ!」っていうことですけど。これ、今に生まれた概念じゃなくて、栗原康さんっていう学者さんがいて。僕も親しくしてるんですけど。この人は大正時代を生きたアナーキストの大杉栄っていう人を研究してる人なんですけど。その栗原さんが大杉栄っていう人の文章を読むきっかけになったのが、高校時代に満員電車に乗っていたらもう辛くなって、途中で降りて公園に行ったんですって。それで公園に行ってその大杉栄の本を読んだら、「これは自分のことだと思った」っていうのをよくいろんなところでエピソードとして語っているんですけども。

大杉栄「自我のの棄脱」

大杉栄さんの文章に「自我のの棄脱」っていうのがあって。そこの文章の中にこういう一節があるんですね。「兵隊の後について歩いていく。ひとりでに足並みが兵隊のそれと揃う。兵隊の足並みはもとよりそれ自身、無意識的なのであるが、我々の足並みをそれと揃わすように強制する」っていう。まあちょっと難しい文章なんですけど。つまり「無理やり強制されると、いつの間にか足並みが揃ってしまう」っていうことを言っていて。これがその満員電車に乗っている自分の姿と重なったっていうことを栗原さんよくおっしゃっているんですけども。なんか最近の報道を見て、僕はそれを思い出しちゃったんですね。

で、僕もこの大杉栄っていう人についてはね、編集者時代に特集本みたいなのを作ったことがありまして。自分も興味を持って読んできたんですけど。この大杉栄さんという人は関東大震災の後の動乱の中で憲兵によって殺害されちゃうんですよね。当時はいろんな人たちがデマとかで殺されるってことがあったわけですけれども。自分もこの大杉さんの中でね、印象的な一文というのがあって。「奴隷根性論」という一文があるんですね。

これはこういう一文です。「奴隷根性を生んだのは、もとより主人に対する奴隷の恐怖であった。けれどもやがてこの恐怖心に、さらに他の道徳的要素が加わって来た。すなわち馴れるに従ってだんだんこの四這い的行為が苦痛でなくなって、かえってそこにある愉快を見出すようになり、ついに宗教的崇拝ともいうべき尊敬の念に変ってしまった。本来人間の脳髄は、生物学的にそうなる性質のあるものである」という風に書いてあるんですけども。

つまり「こういう風にしてください」っていうことを守っていると、それが徐々に苦痛じゃなくなって愉快にすらなってくる。指示を出す方を尊敬するようになるっていう風に大杉さんは書いているんですけど。まあ今のこのご時世というか、そういう風になる危険性をちょっとはらんでいるなっていう風に思うんですよね。別にこれ、「じゃあ好き勝手にやれ!」っていうことではなくて、もちろん異論は最低限しなくちゃいけないし。人との接触を避けていくっていうのも大事なんですけど。で、もちろんそれを守らない無謀な行為っていうのは許しがたいところはあるんですけど。

だから本当、今週人にちゃんと会うのは僕もこの番組での幸坂さんのみというか。もう手帳を見て8割をカットすると幸坂が残るという、この1ヶ月ぐらいそうですけれども。だけど、国民同士で「どうして従わないのか?」っていう風に監視をするんじゃなくて、やっぱり「いつまでこの生活を続ければいいのか? いつ解除されるのか?」っていうことを問いつめたりだとか。「じゃあ、どういう補償をしてくれるんですか?」っていうことを問いつめたりだとか。昨日、補正予算が決まりましたけど、その中に1兆7000億円もの金額で感染拡大が収束した後の「Go Toキャンペーン」というのが含まれてたんですけど。

僕なんかから見ると「それより他に優先順位が高いことがあるんじゃないですか?」っていうことを思ったりもするんですけども。なんか「その監視する方向をですね、国民じゃなくて政府に向けませんか? 少なくともメディアはそうしませんか?」っていう風に僕は思ったんですけどね。

(幸坂理加)そうですよね。

監視をする方向は国民ではなく、政府に

(武田砂鉄)それをしないとやっぱりすごくギスギスしてくるから。それで国民同士で監視をしていて、それを政府が見ていて。なんか最近、ほら。「あれがまだ足りてません」みたいなことを言われることが多いじゃないですか。「8割減らすという目標にまだ足りてませんよ!」っていうなことを言われることが多いんですけど。だから国民同士が監視してると、それはやっぱり管理する側からすると「しめしめ……」みたいなところもあったりするので。まあ、それよりもやっぱりとりわけメディアはね、監視するのは国民じゃないだろう。政府だろうっていうことを今週は思いましたですね。

<書き起こしおわり>

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