高田文夫 志村けんを追悼する

高田文夫 志村けんを追悼する ラジオビバリー昼ズ

高田文夫さんが2020年3月30日放送のニッポン放送『ラジオビバリー昼ズ』の中で亡くなった志村けんさんを追悼していました。

(オープニング『東村山音頭』が流れる)

(高田文夫)さあ、3月30日、月曜日ですか、今日は。お相手が……。

(松本明子)はい。月曜ビバリー担当・松本明子でございます。

(高田文夫)いやー、本当にあっという間だったね。コロナ、怖いね。

(松本明子)怖いですね……。

(高田文夫)志村さんを持っていっちゃうんだからさ。いやー、たまんないね。

(松本明子)びっくりしました。

(高田文夫)びっくりしたな。

(松本明子)なんか笑わせてくれた……。

(高田文夫)そう。その分だけ悲しくなるんだよ。だからさ、二枚目の役者さんっていうのはさ、俺は死んでもあんまり悲しくならないんだけど。お笑いの人っていうのはたくさん笑わせてくれると、その分だけ悲しくなるんだよ。おなじ量だけ。だから本当に笑わせてくれたから……だってほら、アッコなんてナベプロとして?

(松本明子)そうですよ。大先輩です。

(高田文夫)黄金期だもん。君の事務所を支えたんだよ。それから、イザワオフィスだから。どうなのよ? ワタナベプロも。大変だろう? クレイジーからドリフターズだから。なんたって、もう。テレビ史、芸能史的には。

(松本明子)そうですね。もう一番……だから『8時だョ!全員集合』の全盛期があって、という。先生もだからそういった意味では?

駆け出し時代の思い出

(高田文夫)俺はそのもっと前だもん。俺なんかお互い駆け出しの時だよ。もうなんだかわからない同士で。今、俺が71歳で志村さんは70歳だよ。だから年齢はひとつ下なんだけど、あの人は高校からすぐ、いかりやさんのところのボーヤで入っちゃったから。いかりやさんのところに。あの人、もともとバンドが好きだったから。だから俺、ビートルズを同じ日、同じ時間、同じ公演を見ているんだよ。前になんか雑誌でアンケートで調べた回があって。そのビートルズ、2日目の最初の回かな? 同じ時に見ているんだよね。そのぐらい、あの人も音楽が好きで。それでドリフターズに来ているんだよ。高校から。音楽が好きで。

それで俺は大学でこの世界に入って、それでうちのお師匠さんの塚田茂っていうのがいかりやさんと仲が良くてさ。ドリフの演出なんか、そこの日劇の演出を全部やっていたからさ。だから俺と松岡孝っていうのがいて。あとはスズキテツっていうのと3人はさ、小僧っ子で。「お前ら、預けるから勉強してこい」って『全員集合』に預けられるんだよ。それ、まだ俺が21、2だよ。なんにもわかんないんだよ。行くともういかりやさんが怖いんだよ。もう死ぬほど怖いんだよ!

(松本明子)いかりやさんが……。

(高田文夫)もう怖いんだよ。週に3日は昼の3時ぐらいに集合で夜中の2時、3時の開放まで一言も俺たちは口が聞けないんだから。デカい会議室の一番……コの字の司会者席があるじゃん? あそこにいかりやさんがポンと座っていて。あとはこっちにダーッとディレクターと作家がいて。向かいの席にはメンバーがズラーッといて。美術さん、技術さん、全部座ってさ。当時、黒板があって。それでパッと思いつくといかりやさん、書いてみて。

「ああ、こういう坂は危ないから作れないか? じゃあこれに車を落としてみようか?」とかって。だから美術さんも気が抜けないわけだよ。いきなりパッと思いつくから。それをいかりやさんが思いつくまで俺たちは黙ってアイデアを出して。紙に書いて渡してもいかりやさん、ずーっと黙っているから。それが毎週2日、3日やるんだから。

(松本明子)うわあ……。

(高田文夫)それで俺なんかは駆け出しだからさ。その会議室の一番隅っこに、もういかりやさんと目が合わないように隠れて。息を潜めているわけだよ。でも俺なんか、こういう性格でズルいからさ。すぐ「休憩しよう。タバコを吸おう」なんて思っちゃってよ。子供心に、小僧心に。で、ドアをそーっと開けて出ると、志村さんなんかはあれだよ。バケツに水を持って立っているんだよ。すわ親治くん、諏訪園くんと。あとは後にマックボンボンを作った人とか。みんな、いかりやさんがなんか言ったらブワッてお水を持っていかなきゃいけないから。もう大変なんだよ。

(松本明子)まだ会議室も入れない?

(高田文夫)志村たちはね。俺はギリギリ、最後。もうドアのこっち側、内側に座っているんだよ。で、俺がそーっと出ていったらさ、お互いに面白がって。「うるせえな?」なんつってさ(笑)。志村さんがさ、「いかりや、うるせえだろう?」なんつって。俺も「塚田茂もうるさいんだよな、あいつら。どんだけ偉いんだよ、あいつら?」なんて。2人で愚痴ってるんだよ、廊下で。あれが楽しかったね。中にはまだ、荒井注さんがいたからね。注さんはワーッて寝てるし。稽古中、鼻くそほじくって寝てるしさ。それがさ、週に3日つかまるんだよ。もう地獄の青春なんだから。

(松本明子)大変ですね。

地獄の青春『8時だョ!全員集合』

(高田文夫)それからいろんなことがあって、俺の友達たちはそこの『全員集合』に残って志村くんの最後までを付き添って台本を書くのよ。ほいで弟子みたいな。朝長くんっていうのもいたんだけども。それも最後まで、テレビの台本を書いていたんだけども。俺の仲間たちは最後まで『全員集合』を書いて。俺は裏切って逃げて『ひょうきん族』に行ったんだよ。それが恩返しだよ。それは逆に言うと俺の恩返しで。「お世話になりました」っていうんで裏番組をやったんだけどさ。そういうことがあるからね。いろんなことがあるよ、やっぱり。

(松本明子)長いお付き合いですね。

(高田文夫)50年だよ。付き合いなんか全然ないよ。修行時代が一緒なだけで、後はお互い口も聞けないよ。立場も違うし、番組も違うし。そうなんだよ。最初の頃はビバリーにも出ていたんだけど。そしたら「2009年の一番最近の音がありましたよ」っていうから。2009年の4月24日。志村さんがここに来ているらしいんだよ。その時の音があるんだよね。じゃあ、ちょっと聞いてみましょう。

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