三遊亭小遊三と高田文夫 三遊亭円楽を語る

三遊亭小遊三と高田文夫 三遊亭円楽を語る ラジオビバリー昼ズ

三遊亭小遊三さんが2022年10月17日放送のニッポン放送『ラジオビバリー昼ズ』に出演。亡くなった三遊亭円楽さんについて話していました。

(高田文夫)さあ、そこでパックンの話はどうでもいいんですけど。もっと大事な話があるんですよ。今日、来ていただいたのはやっぱりね。

(三遊亭小遊三)ああ、これといった話はね、ない!

(高田文夫)フフフ(笑)。だいたい知ってるよ。これといった話はずっとなかったからね。俺と付き合っていても。それは知っているんだけどもさ。これといった話がないっていうのは。そう思っていたけども……だけどさ、マスコミも騒いだし。報道もいっぱいされたし。ねえ。『笑点』の同じメンバーじゃないですか? 木久扇さんですよ(笑)。あ、違うか?(笑)。

(三遊亭小遊三)逸れてるよ、それ(笑)。大きく逸れてますよ(笑)。

(高田文夫)そっちも近いだけに心配で……(笑)。

(三遊亭小遊三)引き付けるだけ引き付けといて(笑)。よりによって木久扇さん(笑)。

(高田文夫)木久扇さんじゃないんだよ。この間ね、円楽さんを偲ぶっていうことで『笑点』も1本、作ってましたもんね。ちゃんとオンエアーしてました。

(三遊亭小遊三)この週刊ポスト、今週号ですか?

(高田文夫)今日、出たやつ。楽ちゃんのことを。

(三遊亭小遊三)エッセイね。エッセイ尾形ね。

(高田文夫)尾形(笑)。まあエッセイね。コラムね。それから月刊Hanadaでは4ページ、いろんな楽ちゃんの思い出を書かせてもらって。

(三遊亭小遊三)いい文章で。拝見して。あ、そういえば御曹司もまたいい記事を書くね!世界の松山をインタビューしちゃって!

(高田文夫)よく読んでいるな(笑)。

(三遊亭小遊三)6時に起きて、もう。

(高田文夫)うちの倅の、日刊スポーツまで読んでくれて。

(松本明子)今日の日刊スポーツですよね。

(高田文夫)うちの倅の記事まで。

(三遊亭小遊三)嬉しくて! 高田文夫って、記名記事(笑)。

(高田文夫)子供の時から知っているから(笑)。

(松本明子)もう小さい頃かな?

(三遊亭小遊三)知っているよ。今日、こうやって文太くんが活躍できるのはみんな私のおかげだから! 相模湖に行った時にボートから突き落としてりゃ、それっきりだったんだから(笑)。

(松本明子)悪いねー(笑)。

(高田文夫)だから、覚えてる? うちの倅が小学生の時。小遊三さんのところの倅が小学生の時に「館山に行こう!」ってなってね。ちょっとしゃべったんだよ。要するにさ、お互いさ、ルーズな親父じゃない? どこも子供を海にも連れていかないしさ。「なんかねえかな?」ってなったら俺がさ、「いいの見つけたよ! 小遊三、小遊三。サトちゃん。サトちゃんのカミさんの家が館山なんだよ!」って(笑)。奥さんだよ? 亡くなったサトちゃんの奥さんな。よくしてくれた。あの奥さんの実家が館山なんだよ。

で、目の前に海がある。「そこ、ちょっと行こうよ」っつって。なあ? 子供を連れてさ、サトちゃんの奥さんの実家に行って。そしたらサトちゃんの子供もいるじゃん? で、俺ら3人だからもうワーッ!って。すぐにさ、ビールよ。「ちょっと高田さん、ビール抜こうよ。いいよ、いいよ!」なんて。昼間から飲み始めちゃって。で、パッと見たら、子供3人でポツンとしてるんだよ(笑)。

(三遊亭小遊三)誰の夏休みだかわかんないんだよ(笑)。

(高田文夫)こっち、昼間っから飲んじゃってさ(笑)。サトちゃんとね。で、子供が3人、ポツンとしてるんだよ。そしたら庭の向こうからさ、颯爽とさ、現れたんだよ。短パンにTシャツのかっこいい男がさ。「はい! 坊っちゃんたち、お兄ちゃんがヨットに乗ってあげましょう!」って。なあ。それが楽ちゃんなんだよ。

(三遊亭小遊三)たまたま、偶然そこにいたのよ。一緒に行ったわけじゃなくて。偶然、向こうも館山で友達がいて遊んでいて。

(高田文夫)それでヨットがあって。それで子供たちを乗っけてくれて。

(三遊亭小遊三)俺たちは握り飯。向こうはヨットだよ?

(松本明子)アハハハハハハハハッ!

子供たちをヨットに乗せて遊んでくれた

(高田文夫)ちょっとたとえが……比喩が(笑)。別にいいじゃんか。向こうがヨットでこっちが握り飯って(笑)。それでな、遊んでくれたりね。楽ちゃんには世話になっているんだよね。そうだよ。小遊三さんは、そうか。『笑点』からだから……83年か? 『笑点』レギュラーは。

(三遊亭小遊三)そうそうそう。

(高田文夫)で、楽ちゃんは早かったから。27からだから。

(三遊亭小遊三)早かった。僕よりも7年も前から出ているから。

(高田文夫)そう。77年から。

(三遊亭小遊三)27歳でレギュラーになって。二ツ目でレギュラーになって。

(高田文夫)お師匠さんの圓楽師匠が司会をやっていたから。

(三遊亭小遊三)いろいろ教わりましたよ。『笑点』のことは。で、あの人、下町で育ってるから。人の付き合い方がこうね、細やかでね。

(高田文夫)そう。細かい。繊細で優しいのよ、実は。

(三遊亭小遊三)で、僕なんかうっちゃっておけば稽古しない方だから。だから「あんちゃん、これやんなよ」っつって。資料を貸してくれて。「これ、覚えて」とか。

(高田文夫)楽ちゃんの方から噺を。「これ、覚えた方がいいよ」って。面倒見、いいだろう? よそんちの弟子なのにさ(笑)。

(三遊亭小遊三)それでさ、その先代の圓楽師匠はもっとすごかったね。カセットの自分の全集を渡して「ああ、これをおやんなさい。おやんなさい」って(笑)。

(高田文夫)カセットを持ってきて?

(三遊亭小遊三)「おやんなさい、おやんなさい。ああ、かまわないよ。どんどんおやり」って(笑)。

(高田文夫)「どんどんおやり」(笑)。ああ、そうか。だから歳は楽ちゃんの方が若いんだけど、本当に圓楽師匠が引き上げて。自分の弟子でもあるから。楽太郎、二ツ目になってすぐだもんね。27で。

(三遊亭小遊三)それで向こうは遊びたい盛りだったから。本当にね、いろいろ交友関係も広くて。プロレスラーとかも……ジャイアント馬場さんと一緒にゴルフやったこともあるよ。ハワイで。

(高田文夫)一緒に回ったの? いいねえ。楽ちゃんと。

ハワイでジャイアント馬場とゴルフ

(三遊亭小遊三)馬場さんが迎えに来たんだよ。オープンカーで。すごいんだよ。オープンカーから顔が出てんのよ。ドーン!って(笑)。

(松本明子)アハハハハハハハハッ!

(三遊亭小遊三)それで葉巻をくわえて。それがハワイには似合うよ。馬場さんは。俺らみたいなチビがなんかやったってダメだね。

(高田文夫)あの大きい人がね。

(三遊亭小遊三)で、「迎えに来たよ」っつって、乗っけてくれて。で、馬場さんもおかしいんだよね。「小遊三さん、これね、OK……しない」とかね(笑)。

(高田文夫)洒落っ気があるんだね(笑)。そうなんだよ。だからあれだよ。天龍源一郎と同級生だったから。両国中学で。そのラインで、全日本プロレスとはすごい親しかったもんね。楽ちゃんは。で、若い衆にほとんどメシを食わせていたもん。いっつも。

(三遊亭小遊三)天龍さんも今、ちょっと具合が悪いってね、新聞に出てたけど。心配ですよ。

(高田文夫)同級生ですからね。楽ちゃんとね。そうそう。だから、もう40年ぐらいやってんの? 小遊三さん、『笑点』は。

(松本明子)ずっと一緒だったっていうことですね。

(高田文夫)そうだね。39年って書いてある。ずっといたんだから。

(三遊亭小遊三)ああ、参ったな。

(高田文夫)やっぱりさすがにちょっと、変な話だけども。『笑点』メンバーもさすがに落ち込んでいたでしょう?

(三遊亭小遊三)そりゃあ、もう。

(高田文夫)撮りが、撮影があったからね。

(三遊亭小遊三)今年の2月の頭にね、あれ脳梗塞が余計だったよね。まあガンは自分もね、心得て。それなりにちゃんとした最高の治療をしてるから。それはある程度は大丈夫だなと思ったけど。脳梗塞が、あれがちょっと寿命を縮めたかもしれないですね。

(高田文夫)そうだね。まあ、そこら中悪かったからね。かわいそうだったよね。あの人、ちょっとね。

(三遊亭小遊三)だけどそんな素振り、あんまり見せなくてね。やっぱり気が強いからね。

(高田文夫)人に気を使わせまいとするんだよね。東京の人間だからさ。すごいね、人に嫌な思いをさせないようにって。気を使ってくれるんだよ。

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