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石田勇治と荻上チキ ヒトラー・ナチスドイツの緊急事態条項活用を語る

石田勇治と荻上チキ ヒトラー・ナチスドイツの緊急事態条項活用を語る 荻上チキSession22
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東京大学教授で『ナチスの「手口」と緊急事態条項』の著者の石田勇治さんが2017年9月7日にTBSラジオ『荻上チキ Session-22』に出演。荻上チキさんとヒトラー、ナチスドイツがワイマール憲法の緊急事態条項をどのように活用して独裁政権を確立していったのかについて話していました。

(荻上チキ)そういったそのナチスがより力を拡大して議席を広げていく。そのプロセスはどういったプロセスだったんでしょうか?

(石田勇治)これはやっぱり選挙で見るのが一番いいと思います。1930年の時に18%ぐらい。これで第二党になります。それからその2年後の1932年7月の選挙で大一党に躍進するんですね。この時に37、8八%ぐらい。でも、それがピークだったですよ。よく誤解をされているのは「ヒトラーは選挙で過半数を取って首相になった」っていうような見方があると思いますけども、それは間違っていますね。ヒトラーはワイマール共和国の時代、一度も過半数を取ったことはありません。最大で37、8%。

そしてその37、8%を取った32年には2回、国政選挙があるんですが。その2回目の11月選挙では議席数が減っているんですよね。33%まで減って、地方選挙でも負け始めているという。つまり、ヒトラーが首相になる前の段階で、もうナチ党はピークを過ぎていました。だから放っておいたらもう退潮して、もう政治の場面から消えていく可能性すらあった。もうお金もなくなってきて、将来の展望もないというような状況が1932年の12月だったんですよ。その翌月にヒトラーは首相になるんですよ。

(荻上チキ)なるほど。そういった中で、こんなメールも来ております。

国民から熱狂的に支持され過半数を取ったわけではない

(南部広美)はい。メールです。「以前の放送で『ナチスは決してドイツ国民から高い支持を得て政権を奪取したのではない』とうかがいました。ですが、歴史ドキュメンタリーの映像などを見ますと、大きなスタジアムなどでヒトラーに熱狂的に声援を送る人々の姿が映し出されています。もちろんその映像を撮影したのがナチスのカメラマンなので、全国民が支持しているように撮影するのは当然だと思います。しかしそれを差し引いても、当時からかなり多くの国民が支持していたように思えてしまいます。実際には政権奪取後、どの時点から国民が熱狂的に支持するようになったでしょうか?」。

(石田勇治)はい、わかりました。それはおっしゃる通りです。つまり、その映像がいつのものなのか?っていうのは非常に重要だと思いますね。やはり33年1月に政権を取る前と後では状況は全然違います。それで今のご質問で言うと、やはり政権を取ってからは意外と早いですね。33年1月に政権ができて、そして2ヶ月後に「授権法(全権委任法)」というものができる。その間に国会議事堂炎上事件というのがあって。そして独裁体制が樹立していくとですね、そういう風になっていくんですね。

(荻上チキ)授権法というのは全権委任法と言われる、もう強大な権力というものを政権に委ねるという。

(石田勇治)そうですね。これがワイマール憲法48条。つまり「緊急事態条項」に非常に絡む重要なテーマなんですけども。それが乱用されてしってヒトラー独裁が実現した。これは実はヒトラーが首相になった段階では、そういう風になると見当をつけられていた人というのはごくわずかです。ほとんどいなかったと思いますね。つまり、ヒトラーは徹底してそれを乱用した。そして、あれを作ってしまった。

33年1月から3月の2ヶ月の間、ヒトラーは首相なんですよ? だけど、まだ国民はヒトラーをそんなには支持していません。それは選挙でわかるんですね。33年3月の選挙でナチス党は40数%まで伸びてますけど、決して過半数までには至ってないんですよ。あれだけの統制選挙をやっておきながら。ヒトラーは過半数に行くと思ってたんだけど、行かなかった。6割の人が別の政党に入れているわけです。社会民主党とか共産党とかカトリックの地方党とかね。いろんな政党。いわば、反ヒトラーの意思表示ですね。

33年の3月5日の選挙でそうなんですね。しかし、その数週間後に授権法が通ったことによって、ヒトラーの政権が完全に安定する。それどころか独裁的なものになっていくっていうのがわかった瞬間にガラガラガラッと変わっていくんです。

(荻上チキ)そのきっかけとなったのが国会……議会の炎上事件ということですけども。これはどういった事件だったんでしょうか?

(石田勇治)それは1933年2月27日の夜、何者かによって国会に火が放たれた。そして炎上したという。これが当時は誰がやったのかはわからなかったんですけども。ナチス党とヒトラーはただちに「これは共産党員がやったことだ」と断定して。そしてたちどころに先ほど言ったワイマール共和国憲法の48条……ここにありますけど。それを読んでいただけますか?

ワイマール共和国憲法・48条 緊急事態条項

(南部広美)はい。ご紹介します。第二項。「共和国大統領はドイツ国内において公共の安寧と秩序が著しく阻害され、あるいは脅かされる時は、公共の安寧と秩序を回復させるために必要な措置を取ることができ、必要な場合に武装兵力を用いて介入することができる。この目的のために共和国大統領は一時的に第114四条、人身の自由。第115条、住居の不可侵。第117条、信書・郵便・電信電話の秘密。第118八条、意見表明の自由。第123条、集会の権利。第124条、結社の権利。および第153条、所有権の保障に定められている基本権の全部、または一部を無効にすることができる」。

(荻上チキ)はい。これがワイマール憲法に書かれている緊急事態条項ですね。

(石田勇治)そうです。これが発動されたんです。それできっかけは今、言った国会議事堂炎上事件。つまり「今、ドイツは危機に直面している。非常事態だ」という。で、これの発動は文字通り今、言われたような国民の基本権が停止されるということで。これは「一時的に」という風に書かれているんですけども、実は1945年まで。つまりこれ、連合軍がドイツを解放するまでずっと……。

(荻上チキ)12年ほど、その「一時的」が続いたんですね。

「一時的に」が12年間続く

(石田勇治)その12年間、ドイツでは基本権が保障されなかったんですよ。ということは、基本権が保障されないということは、誰でも逮捕・拘束できるということですね。つまり、本来なら司法の介入が必要ですけど、そういうものをカットして、誰でも「保護拘禁」と称してしょっぴくことができるようになるんですね。

(荻上チキ)まあ独裁中央集権ですよね。

(石田勇治)そうです。ですから、こういうことが法的に可能になっている状態だから、ホロコーストのようなものが起こりえたんですよね。これが緊急事態条項だったわけで。そして、これが発動されたわけですけども、その発動された緊急例は具体的には「共産主義者の驚異からドイツを守るため」っていう風に書いてあるんですよ。なぜ、そんなことをしたのか? ヒトラーは授権法がほしかったんですよね。

当時、共産党の国会議員っていうのはかなりの数がいたんです。で、その後の3月の選挙では共産党で80数名の国会議員がいたんですけど、その全員を拘束してるんですよ。この条項で、「共産主義の脅威からドイツを守るため」に。つまり、国会議員を拘束して。授権法を成立させるためには出席する国会議員の3分の2の出席と3分の2の賛成投票が必要なんです。で、それに対して反対を表明していたのが共産党と社会民主党なんですよ。それでまずは共産党の党員を拘束して、議会に入れないようにした。

そのことによって採決時の母数を減らすっていうことをしたんですね。で、社会民主党は大部分が今、言った授権法を採決する場に出席をしていますけども。彼らがいくら反対投票をしても、その3分の2の賛成票を阻止することができなかったということなんですね。

(荻上チキ)なるほど。その事件というのは本当に共産党員が起こしたものだったんですか?

国会議事堂炎上事件の真相

(石田勇治)それがですね、実は戦後ずっとそのヒトラー、ナチの言うような考え方……「共産党の仕業だ」という見方が有力でした。特に逮捕された人が1人いてね。オランダのアナーキストのルッベという人なんだけど。戦後ずっと共産党員が仕組んだというか、単独犯という説明だったんですね。「犯人は1人だ」という。ところがずっと「それは怪しい。本当か?」って議論が続いていたんですけども、近年の研究の成果によるとやはりこれはベルリンの突撃隊員が仕組んだ自作自演だったという。

ヒトラーがそれを本当に知っていたかどうかについては、まだはっきり分からない部分があるんですが。まあ、ちょっと言いすぎかもしれませんけど、ベルリンの突撃隊員がヒトラーの意向を忖度してやったんじゃないかという。日本的な今の言葉で言うとね。そして、その起きた事件を「これこそチャンス。今こそ!」っていう形で緊急事態条項に基づいて、それを大統領にお願いするんですけども。もうあらかじめ準備されていたんですね。これは「机の引き出し条項」と言われています。引き出しの中に入ってたんですよ。それを前にポンと出したという、そういうものでした。

(荻上チキ)なるほど。元々、憲法にあったその緊急事態条項。それを採用するために「共産党員が起こした事件」というものをねつ造したというか、作り上げて。それで「一大事だ!」ということで号令をかけて共産党っていうものを議会から追い出していって、そこで全権委任法、授権法を成立させ、そのことによってヒトラーに権力が集中するわけですよね。

(石田勇治)その通りです。そういうものなんですね。

(荻上チキ)そこからは、たとえばプロパガンダのを強化しつつ、「国民の熱狂的支持を得ている」というようなイメージを作りながら、実際に支持を拡大していくということになるわけですね。

(石田勇治)おっしゃる通りですね。だから、麻生さんが問題にした「ナチスの手口」というのはこういうものなんですよね。「ナチスの手口に学べば」っておっしゃっていたけども、こんなものを真似てどうするんですか?っていう話ですよね。

「ナチスの手口に学べば」

(荻上チキ)だから、改めて振り返ると動機は反共産主義、反ユダヤで手口は今、言ったようなその緊急事態条項やあの全権委任法ということで国民から権利と自由を奪って、権力を集中させて。それで好き放題やった結果、それが何をもたらすかというとホロコーストや他国への侵略ということになっていくわけですね。ということの議論を踏まえておくと「動機はどうあれ」とか「結果がすべて」とかっていう話でナチスを引き合いに出してはいけないということですね。

(石田勇治)ふさわしくないと思います。そういう話には全くふさわしくない。

(荻上チキ)なるほど。今、非常にヒトラーやナチスに関する知識がなかなか不足しているような状況で、これからどんな議論が必要だと感じますか?

(石田勇治)やっぱりあの時代をそんな単純に説明しようとしないでほしいなと思いますよね。本当に複雑ですので。複雑なものは複雑なものとして理解するように努力してほしいと思うんですね。それはやっぱり単純化してしまうと、大事なところを見失ってしまうような気がします。

(荻上チキ)はい。だから歴史に忠実にというか、誠実に向き合っていくということですね。

(石田勇治)だと思います。

<書き起こしおわり>

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