荻上チキ 大竹まこと謝罪放送とメディア報道の問題点を語る

荻上チキ 大竹まこと謝罪放送とメディア報道の問題点を語る 荻上チキSession22

荻上チキさんがTBSラジオ『Session-22』の中で、大竹まことさんが家族のトラブルに関して謝罪会見を開き、また自身の番組『ゴールデンラジオ』でも謝罪した件についてトーク。それを報じるメディアの問題点などを話していました。

(荻上チキ)今日なんですけども、文化放送の大竹まことさんの『ゴールデンラジオ』のオープニングで大竹さんが謝罪をするところから始まったんですね。で、そのラジオ番組が放送される前には、大竹さんが記者会見をしておりまして。そこでもまた謝罪をしていたんですよ。それはいったいどういったことなのか? というと、大竹まことさんの娘さんが大麻取締法違反で逮捕されたということが報道されたんですね。というか、「逮捕された」ということはその情報が警察からなのかどこからなのか、報道機関に渡ったということもあるとは思うんですが。そういった動きがとにかくありまして。

(南部広美)うん。

(荻上チキ)で、そういったことについて大竹まことさんが「父親として監督不行き届きだった」というような言葉を使いながら謝罪をするということになったわけです。なおかつ、その番組の中では「明日以降、自分がここにいるかどうかはわからない」と。つまり、レギュラー番組なんだけども、明日以降どうなるのかはわからないというような説明をしたわけですね。

(南部広美)はい。

(荻上チキ)で、そのことがまた一斉にメディアで取り上げられたりしていて。その取り上げられ方も含めて、すごい問題だなという風に思ったんです。どういう風に問題なのか? というと、まず大竹まことさんの娘さんはすでに成人をしていて。1人の個人、一個人なわけですよ。そういった個人の行動に対して、たとえばそれが具体的な犯罪の疑惑だったりして、それの責任というものが親にまで及ぶものなのだろうか? それが親に及ぶという形が……いろんな形。たとえば「説明を求められる」というものから、「仕事を奪われる」というものまで、いろんな影響が出がちなこの日本ですけども。そういった影響の及ぼし方というのはもう止めませんか?っていう風にかねがね思っているわけですね。

で、そういった状況の中で今回、ひとつ薬物に絡めて謝罪会見ということが報じられ、番組を降りるんじゃないか? 休むんじゃないか? しばらく出ないんじゃないか? とか、そうした議論も出たりしているわけですけども。やっぱりその個人の活動というものに何かトラブルが生じたとして、その家族が何かしらの責任を取らなくちゃいけないとか、何かを自粛しなくちゃいけないとか、そうしたことは僕はない方がいいと思うんです。

(南部広美)うんうん。

(荻上チキ)たとえば、大竹さんは会見で、「自分の意志で、自分が公人であり父親だから……」ということで説明をされて。

(南部広美)おっしゃってましたね。

(荻上チキ)そういった説明をしてはいけないとは思わないんですね。ご自身でいろいろ思われるところもあるでしょうし、非常にそういった会見というものが辛いということもとてもよく理解できます。また、いろんなものに対して説明したいという気持ちもあったのかもしれません。その内心は計りようがないんですけども。ただ、「説明しなくてはいけない」であるとか、そうしたような風潮というのは僕はない方がいいと思うんですね。親子といえど、別人格ですから。説明義務もないですし、むしろたとえば芸能人の方とか政治家の方とか、どういった方でもいいんですけど、家族のトラブルについて親が謝らなくてはいけないという風潮のモデルになってはいけないと思う。ならない方がいいと思うんですね。

成人した家族のトラブルを親が謝らなくてはいけないのか?

そうした風潮を世の中からなくしていきたいなと思っている。子供は子供、親は親。そこまで成長した後のことに責任を取れ、監督をしろって言ってもそれは不可能だし。そうした形で責任追及をしていくことによって、「家族」の責任にすることで、「社会」の側の課題というものを見落としてしまうということがあるわけですね。だからもともと、たとえばこういった犯罪に絡むような容疑の報道で、「○○の親が逮捕」とか「○○の兄が逮捕」とか「○○の娘が逮捕」とか。そうした著名人の家族がどうなったという形で報じられる。それはネームバリューがあって、警察にとってはね、そうした活動をしているという象徴的な報道として説明するというかアピールする機会にはなるのかもしれませんが。

啓発効果ということを狙っているのかもしれませんが。啓発したいんだったらそんな誰かを人身御供というか、「叩きなさい!」とみんなの前に差し出す必要はないわけですよね。通常の問題として啓発をしていくということが重要だと思うんですよ。でも、たとえばネット上でも、あるいは一般でもそうなんでしょうね。「親の責任」という言葉でバッシングをする人というのが少なからずいるわけです。でも、こういった問題になった時、親の責任ということで、たとえば今回は大竹さんですけども、他の問題でも誰かを周りが叩くということで何が解決するのか? 何も解決しないどころか、むしろ追い込むことによって消耗しますよね。摩耗しますよね。本当にその問題を解決したいと思うんだったら、その問題の当事者になった、たとえば大竹さんなり家族なり、その周辺の人たちをどうサポートしようか?っていう議論につなげることが必要だと思うんですよ。

でも、そうした中で個人の名前を晒したり、家族を晒したりすることによって、やっぱり薬物というものは、たとえば「依存したらSOSを発することは難しいことなんだ。叩かれることなんだ」っていう感覚を世の中に発信することにもなるし。なおかつ、「親も叩くべきなんだ」っていうことで、「家族こそが面倒を見なくてはいけないんだ」っていう志向をより強めてしまったりしますよね。だから、やっぱりいの一番に考えることは誰かの人格を評価するとか査定することでもなく、あるいは「著名人だから有名税なので……」という手垢のついた言葉で何かこういった問題を語るのではなくて、象徴的な事例としてこういったものを祭り上げてそれが叩かれるという事例を作ることによって薬物問題などなどの問題が前に進むのか、後ろに進むのか? 僕は後退すると思います。より問題を表に出して語ることが難しくなる。

(南部広美)うん。

(荻上チキ)そうしたようなことをバッシングであるとか過剰報道というものが助長するという風に思うんですね。で、こういった誰か個人をネットを含めてメディアがリンチすることって、しばしば続くわけです。で、本当に大竹さんも含め、そうした出来事が起こると大変な状況が起きるわけですよ。自分の家族をたとえばサポートしなくてはいけないと思っている中で、報道に対する対応もしなければいけないと思っている一方で、たとえば普段仕事をしている人たちにもいろんな影響が出てくるということで、二重三重四重とのしかかってくるものがあるわけですね。

(南部広美)はい。

(荻上チキ)だから、そういった親の責任ということでその親の抱える自罰感とか苦悩というものをむしろ下ろせる環境を作らなくてはいけない。でも、それを追い込んで行くことによって、それすらもできない状況になるというのは、これは誰も得しないことだと思うんですね。なので、こういう報道のあり方とか、それに対する捉え方。薬物依存とか薬物使用に関しても、まだまだ世の中では無理解な状況というのがあって。薬物依存というのはひとつの病気で。それに対しては適切に医療につながったり、様々な支援が必要な場面もあったりするので。単に自己責任だけでは済まされない。ましてや「家族の問題だ」という形で家族を追い込むということも、むしろサポートから遠ざけてしまうということがまず一点。

それからそういった問題がしっかりと語られる必要があるんだという風に取り上げるべきメディア。そのメディアこそが「芸能人の家族が……」みたいな形で率先して報じる。ひとつのネタにする。それでコメンテーターが眉間にシワを寄せて何か適当なことを言う。そういうことでリンチをする社会みたいなものを助長する。そういったこともメディアの問題としてすごく感じるところがあるわけですよね。だから、この番組で去年ギャラクシー賞をいただいた放送で、「薬物報道ガイドラインを作ろう」というものをやりましたけども。

(南部広美)ええ。

(荻上チキ)報道をする側も、誰かを追い込むのではなく、どんな支援が必要なのか? どんな情報が存在するのか? そうしたことをより伝えてほしいですよね。「薬物に関しては医療につながることで回復できますよ。医療者は守秘義務があるので、そのことで警察に通報されることはありませんよ。家族が相談しに行ってもいいんですよ。そしてたとえば薬物依存については薬家連(全国薬物依存症者家族連合会)などの家族会というのもあります。ダルクなどのリハビリ施設などもあります。いろいろなものがあります」。そうした情報をより提供するということをメディアはやってほしい。

それから、これは言えた義理じゃないような気がするんですけども、文化放送。「局の判断でどうなるかわかりません」って今日、大竹さんが言っていました。局だけの判断じゃなくて、たとえばこういった状況になると本当に人前に出てしゃべるって大変なスタミナがいるんですよ。だから、たとえば今日は木曜日。明日は金曜日か。金曜日、たとえばお休みになったりして、土日が大竹さんはお休みかどうかわからないですけど、数日間、自分の体力を回復するためであるとか、周りの整理・対応をするだとか、そうしたために自分の判断でお休みになることは当然、権利としてあっていいと思うんですね。

ただ、局の側が「そういったことなので、出ないで」っていうようなことを言うのではなくて、むしろ僕は局は守ってほしい。そうした報道の場、言論の場っていうのを積極的に奪うということはしないでほしいと思います。で、たとえばリスナーの方。この番組を聞きつつ、文化放送も楽しんでいる方というのもいると思うんですけど。ラジオ局、ラジオという発信の場でいろんな人たちの言論というものが、いろいろななんとなくの世論とか、あるいは自粛とか、自己規制とか、そうしたもので萎縮するという事例を作るというのも違うんじゃないか。「そういったことで、別に自分たちは聞くのを止めないよ」っていう方は、そういった声を上げてほしいし。止める方もまあいるかもしれないですよ。中にはね。「そういった放送は聞けない」という人もいるかもしれないけれども。

でも、そういった人ばかりではないし。そういった(番組を聞き続けるよという)人たちもいるんだということを目に見えるようにしてほしいなと思うんですね。だから僕は明日以降もそうした番組は続いた方がいいと思いますし。これは別に大竹まことさんだから言っているわけではないです。当然僕には大竹さんに対して恩がありますから。大竹さん自身に対する個人的な信頼と心配というのはあります。それによっていろいろと自分の意見というものがより強まっているというか、ラジオのオープニングで力を入れて発信しようと思うようなところにまでは、個人的感情というのは乗っていると思います。でも、立場を問わず、あるいは政治家とかも含めて、僕は家族みたいなもののトラブルの責任というものを親に押し付ける風潮には反対です。

(南部広美)はい。

(荻上チキ)他の問題でも、やたら家族になんでもかんでも押し付ける風潮には普段から反対しているわけです。政治の流れでもね。「自助」とか「共助」とか。でも、そういったことは誰であったとしても、風潮としてあってはならないという風に思うわけ。もっともっと社会で分散して支えあるような状況にしたいという風に思うんですね。まあ、なので私はそんなことを思っているので。

(南部広美)チキさん、かねてからの主張ですもんね。

(荻上チキ)その薬物報道ガイドラインは番組のウェブサイトに文字起こしも掲載しておりますし。ラジオクラウドでもいまでも聞くことができますし。明日からの『ゴールデンラジオ』がどうなるか? というのを僕も注目していきたいと思いますけども。それにまつわる各種報道、これからの薬物に関する報道であるとか、家族支援に関する報道であるとか、あるいは推定無罪が守られない犯罪報道とか、いろんな課題も浮き彫りになるところなので。そうしたこともこれから、追っていきたいし。こういったことで適宜発信していきたいなと思います。

薬物報道ガイドラインを作ろう

TBSラジオ ときめくときを。
ラジオ放送局「TBSラジオ」のサイト。TBSラジオの周波数は。PCやスマートフォンではradiko(ラジコ)でもお聴きになれます。全国のラジオ34局ネットワークJRN(JapanRadioNetwork)のキーステーション。記事や番組内容、...

(中略)

(荻上チキ)あ、一言加えていいですか? オリコンニュースとかTwitterでもあるんですけど。「『ゴールデンラジオ』、明日以降も出演を継続する」というような取材の記事も出たりしているので。もしそうだったら喜ばしいことだなと思います。まあ、とにかく注目ですね。

(南部広美)はい。

<書き起こしおわり>

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