西寺郷太 ジョージ・マイケル追悼特集

西寺郷太 ジョージ・マイケル追悼特集 荻上チキSession22

NONA REEVES 西寺郷太さんがTBSラジオ『荻上チキ Session-22』のジョージ・マイケル追悼特集に出演。荻上チキさん、南部広美さんと彼の偉大な足跡を振り返っていました。

(荻上チキ)今夜のテーマは、こちらです。

(南部広美)追悼 ジョージ・マイケル。その魅力を西寺郷太さんと振り返る。今夜はジョージ・マイケルの追悼特集です。12月25日クリスマスにイギリスの人気ミュージシャン、ジョージ・マイケルが亡くなりました。53才でした。ジョージ・マイケルは80年代に組んだデュオ、ワム! のメンバーで『ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ』、『ケアレス・ウィスパー』、『ラスト・クリスマス』など数々の大ヒットを生み出しました。また、ワム! 解散後はソロシンガーとしても活躍し、ソロデビューアルバム『Faith』は世界中で2500万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、生涯で売り上げたアルバムは1億枚にのぼります。

ワム! のもう1人のメンバー、アンドリュー・リッジリーは「愛する友を亡くして心が張り裂けそうだ」とコメント。またエルトン・ジョンが「とても優しく心の広い最愛の友を亡くした」。マドンナが「また素晴らしいアーティストが私たちのもとから去った」とコメントするなど音楽界からも追悼の声が続々と寄せられています。今夜は80’sポップスに精通し、その音楽性に多大な影響を受けたNONA REEVESの西寺郷太さんをお迎えして、ジョージ・マイケルのワム! 、そしてソロシンガーとしての魅力を楽曲とともに振り返ります。では、さっそくご紹介します。TBSラジオではおなじみです。NONA REEVESの西寺郷太さんです。よろしくお願いします。

(西寺郷太)よろしくお願いします。

(荻上チキ)よろしくお願いします。西寺さん、今年はこの番組、「追悼モード」というモードがあって。あんまり番組としては使いたくないモードがあるんですけど。とにかく使うことが多くてですね。特にミュージシャンの方がたくさん亡くなりましたね。

(西寺郷太)そうですね。ロックが生まれた、1955年のビルボードにロックンロールチャートができて……っていうのでもうだいぶ年が重なっていますから。本当に50年代とか60年代に活躍していたミュージシャンが亡くなることっていうのはあったんですけど。僕はいまアラフォーというか40代ですけど、その僕らの世代が10才とか、10代だった頃にまだ20代だった人が50代とかで亡くなっていくのがいま増えているのでショックですね。特に僕、このジョージ・マイケルさんとワム! というグループで本当にポップスの入り口にハマったといってもいいミュージシャンで。僕、マイケル・ジャクソン、プリンス、ジョージ・マイケルってよく言っていたんですけど。マイケルもプリンスも、やはり70年代――マイケルは1969年の秋ですけど――70年代から活躍し始めて、80年代で割ともうトップスピードでドーン!って人気者だった人なので、好きになった時には過去のキャリアが割とあった人たちなんですね。

(南部広美)うんうん。

(西寺郷太)プリンスにしても、『Purple Rain』とかで子供の僕が知ったとしても、その前に何枚かアルバムが出ていた人だったんですよね。マイケルなんかはジャクソンズもあって、ジャクソン5もあって。でもワム! の場合は本当にテレビにマクセルのカセットテープのCMで両方からワム! のアンドリューとジョージが空中を飛んできて。誰だろう?っていう……

Wham! Maxell CM

本当にもしかしたらいまの子供たちよりもテレビとラジオしかなかったので、あんまり垣根なく、境界線なく、かっこいいとか好きなものは好きっていうことで最初のアルバムの段階ぐらいからすごくワム! の曲っていうのは見れていたので。だから自分の中でも本当に「自分のスター」だったんですね。マイケルは先輩もいる。そこには追いつけない。プリンスももっと年上の人たちのものだったのをませて聞いている気持ちだった。でも、ワム! は本当に「僕のものだ!」って思えて。で、すっごく変化していくんですけど。本当にびっくりするぐらい、ヒゲを生やしたり、解散したり。で、ソロになってもどんどんどんどんジョージは変化していったんですけど、その変化も全部見れたっていう意味で言うと、自分にとっては本当に特別で。

(荻上チキ)うん。

(西寺郷太)あと、もうひとつ言うとやっぱりマイケル・ジャクソンもお父さんがミュージシャンを目指していたけれどもなれなくて。で、子供たちにスパルタ教育をして、チャイルドスターとしてデビューしている。プリンスもお父さんがピアニストで、離婚したりして不幸な家庭の中でいろんな楽器を覚えて。やっぱり親が音楽家だったり、音楽に愛情があった人たちなんですよ。でもジョージっていうのは普通のレストランを経営していた……お父さんはギリシャのキプロス島というところからの移民だったんですけど。それでものすごく働いて、家族全員をイギリスに呼んで、それで生活を安定させていたっていう、キプロスから出てきてがんばった田中角栄さんのイギリス版みたいな人で。すごく大出世したお父さんなんですよね。

(荻上チキ)はい。

(西寺郷太)で、このせっかく作ったレストランを息子に継がせようというのでがんばっていたのに、バカみたいな音楽をやっている。それも相棒のアンドリューっていうのはギターも何も弾けないし、ただニコニコしているだけ。「こんなやつらとやって上手く行くわけねえから、俺の仕事を継げ!」って。17才までずっと親に音楽をやることを基本的に反対されていた人なんですよ。で、白人でブラックミュージックが好きで。そういう人が18、19でデビューしたらいきなり『Club Tropicana』だったり『Bad Boys』だったり『Wham Rap!』だったりっていうヒット曲を作っていって4年間、ワム!っていうのを作って。まあ『Faith』でも成功する。なんかそれって、最初は「本物じゃない、本物じゃない」って言われて……ラップだってそうなんですけど。黒人文化の中で生まれてきたものをジョージ・マイケルほど上手に早く白人でやれた人っていなくて。

(荻上チキ)うんうん。

(西寺郷太)そういうのが、なんか日本人である自分にとっても、音楽家の息子とかじゃなくて普通の家庭に生まれているので、ものすごい、勝手にですけどシンパシーを抱ける対象だったんですよ。最初からマイケル・ジャクソンとかプリンスになれるわけがないけど、もしかしたら中学生や小学生の僕はジョージ・マイケルみたいに立身出世できるかもしれないと。ブラックミュージックが好きでも、否定されていても。

(荻上チキ)壁を壊してくれたんですね。

(西寺郷太)そうなんですよ! だからそれがあったから、たとえばジャミロクワイのジェイ・ケイさんとか、いまでいうとブルーノ・マーズとか、ジャスティン・ティンバーレイクとかロビン・シックとか。白人でめちゃめちゃ歌が上手くてソウルフルな歌を得意とする人っていっぱいいると思うんですけど。まあ、ブルーノ・マーズの場合はいろんな人種が混ざっていて、それもすごく素敵なことなんですけど。ああいう人たちの本当にパイオニアだったというか。だからもう本当にラップをやるということが……ラップが本当にオーバーグラウンドになるのって『Walk This Way』っていうラン・D.M.C.がエアロスミスの曲を下敷きにして作ったあの曲が86年なので。『Wham Rap!』って82年とかなんですよね。

(南部広美)ああ、そうですよね!

(西寺郷太)だから、それこそニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックっていうアイドルがラップしたとかビースティ・ボーイズとかが出てきたのもやっぱり85年以降の話なんで。いかに『Wham Rap!』っていうのでデビューしたワム! が革新的というか……

(南部広美)なんじゃらほい?って思いましたもんね。

(西寺郷太)で、めちゃめちゃラップも上手いし。なおかつ、2曲ぐらいですぐ止めて。ちょっとしたら『Careless Whisper』を歌っているっていう。そのへんもね、本当に幅広すぎるだろ!っていう。

(南部広美)転換もまた早いですよね。

(西寺郷太)そう。転換も早いんですよ。だから革ジャンを着て不良な感じで『Bad Boys』だ!って言っていたのに、金持ちになったら「僕、もう金持ちなんで」って小麦色の肌に焼いて、『Club Tropicana』で有名人の仲間入りだ!って。僕、そういうの大好きで(笑)。ファンを裏切るっていうか。ファンはその失業保険の歌とかを歌って、「すごく反体制だ!」って思っていたのに、こいつら金持ちになったら急にセレブの子と楽しんでいるやん? みたいな(笑)。そういうのもワム! の良さで。正直って言ったら変ですけど。

(荻上チキ)飾らないっていうことですかね?

(西寺郷太)そういうグループでしたね。そのワム! が4年で終わってソロになってからも、まあ今後話していきますけども。ジョージ・マイケルがやったことっていうのはものすごく時代を転換させたし、逆に言うとプリンスとかマイケルはやっぱり、当たり前なんですけど本当に黒人音楽の伝統に則っていて。だけどジョージ・マイケルの音楽っていうのは僕ら日本人の子供たちにも非常にわかりやすかったんですよ。メロディーが美しいものもあれば、ビートの強いものもあれば……っていうのがすごく彼は彼でイギリスの青年がアメリカのいい音楽を聞いて、「これ、いいな。あれ、いいな。こんな風にやりたいな」っていう。モータウンっていうレーベルが好きになっちゃったっていう素直なところから愛情で作っていってるので。

それがやっぱり僕らみたいなアジア人にもすごく浸透したんじゃないかな?って。それはもしかしたら、ギリシャのキプロスっていうところは長い歴史の中でトルコ側についたりとか、いろんなところで、「ヨーロッパの端っこ」って言ったら変ですけど。アジアへの入り口になっていたところなんで。だから『Careless Whisper』みたいなバラードを聞いても、なんか西城秀樹さんの『抱きしめてジルバ』とか。郷ひろみさんもカバーされましたけども。

(西寺郷太)ああいう、なんかカラオケで日本のいろんな街でお父さん、お母さんが歌ってもおかしくないっていうのを書けたのはそういう彼の生粋のイギリス人じゃない、アジア的な部分も、オリエンタルな部分も武器だったのかな? とか思ったりすると本当に無敵のソングライターでシンガーだったなと思いますね。

(南部広美)郷太さんは本の中でも「ジョージ・マイケルの声の質が僕たち日本人に東洋系のなにかを思わせる、そういう要素がある」っていうことを書かれていましたけど。

(西寺郷太)そうですね。本当にこの人はラップも最初やっていたぐらいなんで上手いんですけど。明るい歌も得意だし、びっくりするぐらい濡れた、マイナーキーのすごく悲しい歌も得意な人だったんで。その振れ幅がここまである人ってなかなかいないなと思うんですけど。特にそういうバラード的な成分っていうのは日本人のウェットな心にも響いたんじゃないかな? と思いますね。

(荻上チキ)郷太さんは本の中でね、『噂のメロディ・メイカー』という2年前に発売された本ですけども。本当に最後の締めの言葉のところで「来日公演してくれ!」と。もうラブレターですよね、これはね。

(西寺郷太)そうなんですよね。僕、プリンスの時もそうだったんですけど、日本だとどうしてもやっぱりテレビに出たりとかニュースになったりCMに出たりとか。それこそ、頻繁にライブがあるとか。そうじゃないと、ガクンと集客も減るし。なので、ジョージ・マイケルもヨーロッパやアメリカではずっと人気があったんですけど、日本の人気はやっぱりどうしてもワム! の時の、ちょっと極端なことを言うと光GENJI的なスーパーアイドル的な人気。諸星和己さんのようなああいう感じのキャーッ!っていう、輝いているアイドルとしてのワム!っていうのでどこか1回、イメージが終わっちゃっていて。

(荻上チキ)うーん。

(西寺郷太)もちろんそれも彼、ジョージ・マイケルの魅力なんですけど。でも、そのシンガーとして僕、本当にもしかしたらですけど、日本人にとっての小田和正さんみたいな、そういう長くいろんな歌を歌って愛されて……たしかにオフコースもあるけど、小田さんは小田さんとして。もう「元オフコース」とは誰も言わないじゃないですか。そういうことじゃなくて。オフコース時代もよかったけど……っていうところで、ワム! は海外ではたぶんワム!っていうのは「それはそれ」っていう風になっていて。小田和正さんがずっとやられているみたいに、歳をとっても歌だけで人を喜ばせることができる人だなって。もちろん、精神的に不安定なところだったり、いろいろトラブルとかスキャンダルももちろんあったんで僕らも一喜一憂していたんですけど。

(荻上チキ)はい。

(西寺郷太)ただやっぱりそこをなんとか……僕はプロになってから20年ずっと、なんとかそこの情報の壁を是正して、またジョージが国際フォーラムとかに来てくれてみんなでライブが見れるようになったらいいなというのが最終的な目標でがんばっていたんですけどね。ソニーの人とかともずっと僕、交流を持っていたんで。当時の宣伝担当の人だったりとか、内部の日本でがんばっていた人とかにもいろいろと働きかけて動いていた矢先だったんで、残念ですけどね。本当に。

(荻上チキ)うん。やっぱり海を越えるっていう、なかなかトレンドラインがずいぶんと違うような状況で日本が音楽環境もあるわけですけども。そうした状況で、日本でも再評価というか、いま現在進行系の姿を見てほしかったということを……

(西寺郷太)そうですね。でもいまTwitterとかを見ていると本当にみんなね、特に海外のアーティストなんかは……だからさっき、光GENJIって言いましたけど。本当にSMAPとかね、ああいうものだったんだと思うんですよ。ワム! とかジョージ・マイケルは。

(荻上チキ)昨日のSMAPのタイムラインはすごかったですからね。でもそれぐらい海外では……

(西寺郷太)本当にああいう存在だったんだと思うんですよ。最初にレコードを買ったのがジョージ・マイケルとかワム! とか。みんな子供の頃に。いまの30代とか40代のアーティストって、やっぱりそこでさっき僕が言ったみたいに「俺もできるかもしれない」って。「僕はプリンスになれる!」っていう人は少ないと思うんですよ。プリンスってもう何の楽器をやっても素晴らしいし、すごすぎて。図抜けているから。魔術師っていうかね。だけど、ジョージ・マイケルはやっぱりさっき言ったような話で、お父さんにも止められていたっていうね。

(南部広美)独学に近いっていう。

(西寺郷太)そうなんですよ。僕の好きなエピソードで17才まで対して目が出ていないというか。デモテープを車の中で聞かせたら、「ジョージよ。お前、17ぐらいの子供は基本的にみんなポップスターとかになりたがるから」って親父に怒られて。そしたら、ジョージ・マイケルが「いや、父さん違うよ。ポップスターになりたがるのは12才までさ!」って言うのが俺、すっごく好きで。17になったらそれぐらい本気で言っているっていうのを、僕は何回もそのページを……自伝『裸のジョージ・マイケル』って出てますけどね。これ、CBSソニー出版。ねえ。これ、もうボロボロでしょう?

(南部広美)うわーっ!

(西寺郷太)僕、これをもう何回読んだか?っていう話なんですよ。だけど、自分の『噂のメロディ・メイカー』にもここからちゃんとそれなりに引用してますけども。

(南部広美)この本、図書館で借りた(笑)。

(西寺郷太)この本、復刊してほしいですね。本当に1人の青年が成功していく苦悩っていうか。もう最初は普通の青年なんで。太っていて、メガネかけていて。で、引っ越して来て、「どうしよう?」って思っていたらアンドリュー・リッジリーっていう男前の元気なやつが……

(南部広美)転校生だったんですよね。

(西寺郷太)ジョージが転校して来たんですよね。お父さんがだんだん会社を大きくしていくたびに引っ越していったんですけど。それで、引っ越してきたら最初に「じゃあ、転校生に世話役を1人、見つけなきゃいけない」と。で、ガキ大将のアンドリューが手を挙げて「僕がやります」って言って、「わかった」ってなって最初、仲良くなるんですけど。まあ、言うてもアンドリューっていうのは人気者で、サッカーも上手くて、陽気なガキ大将で。ただ、ジョージは体はデカかったんですよね。太っていたんですけど。で、地味な感じやったんですけど。それである時にケンカになって、ジョージが怒ってアンドリューを突き飛ばしたら、そこから仲良くなったという話でね。だからまあ、すごいいい話なんですけど……曲、行きたいですね。ごめんなさい。

(南部広美)曲、聞きたい。

(西寺郷太)ごめんなさい。僕も熱くなってしまいました。

(荻上チキ)いえいえ。こういった前提をしった上で、やっぱりどれだけの影響を与えたのか。どれだけ斬新だったのかというのを含めた上で、今日は曲を味わっていただきたいと思います。特によく聞くけども知らなかったというね。「あ、そうか!」と。ジョージ・マイケルが歌っていたんだということを知らなかった人にも今日は届けたいですね。では、さっそくもう1曲目をかけちゃいましょうか。今日はちなみにどんな基準で選曲されたんですか?

(西寺郷太)ワム! だけにとどまらないようにということで選んできたんですが。ちょっと僕はしゃべりすぎちゃうきらいがあるんであれですけども。まずはワム! で『Clug Tropicana』。これはファーストアルバムの『Fantastic』っていうアルバムに入っている曲で、先ほどちょっと言ったんですけどラップでデビューして、みんなこの路線でダンサブルに行くのかな? と思っていたら、それも内容は社会批判のような、「失業保険をもらって俺は踊りにいくぜ!」っていうようなけしからん若者の代表みたいな感じで出てきたのに、人気者になってきたら小麦色に肌を焼いて、女の子を2人連れて、プールのワインのあるところで踊りまくっているという。ビデオもすっごい印象的で。ぜひみなさん、何かのチャンスに見てください。ワム! で『Clug Tropicana』。

Wham!『Club Tropicana』

(西寺郷太)ワム! で『Club Tropicana』ですね。

(荻上チキ)南部さん、1曲目から感無量な……

(西寺郷太)うるんでますもんね。

(南部広美)いやー……最初にビデオを見た時に、ちょっとついて行けなかったんですよ。あまりのハジケぶりっていうか。触れたことのない文化で。

(西寺郷太)真っ白いビキニのパンツを履いてますからね。

(南部広美)そうなんですよ。岩手の田舎の中学生で。もうどうしていいのかわからないけど……「アンドリュー!」って思って見ていた。

(西寺郷太)アンドリュー、素敵ですよね。

(南部広美)私、アンドリュー好きだった。

(西寺郷太)いや、本当にアンドリュー・リッジリーっていう人は、このあたりのカッティングとかはしているんですけど。まあ基本的に18、19でプロになったバンドで、そんな全然アンドリューはギターが上手じゃないんですよ。でも、なんて言うんですかね? 昨日も飲んでいたんですけど、ピエール瀧さんみたいな人なんですよ。

(荻上チキ)ああ、電気グルーヴで言うところの。

(西寺郷太)電気グルーヴって、卓球さんと瀧さんだけど、卓球さんが音楽を作って瀧さんは歌ったりももちろんするけど、瀧さんがいなかったら石野卓球じゃないですか。卓球さんとしての素晴らしさはみんなわかっているけど、瀧さんがいることでバーン!って華やかになるでしょう?

(南部広美)はい、はい!

(西寺郷太)ワム!っていうのの本当にちょっとふざけていて、女の子とイチャイチャしていてっていう、なんか人気者のイメージっていうのは、さっき話したガキ大将だったアンドリューのキャラクターなんですよ。僕、ジョージ・マイケルっていう人がすごいなと思うのは、これだけの野心家でこれだけの才能がある人が相棒にそういう友達であるという理由だけで、「お前のキャラ、面白いな」って。アンドリューとやろうと思ったっていうその発想がやっぱりジョージ・マイケルの天才性なんですよね。普通だったら、「こいつ、ギター弾けへんし辞めさせよう」って思いますよね?

(南部広美)(笑)

(西寺郷太)いまだったら、たとえばゴールデンボンバーとかもそうだと思うんですけど。ボーカルの鬼龍院翔さんだけでは面白くないからっていうので、弾けないけどあの人たちがいることであのゴールデンボンバー感が出るじゃないですか。

(荻上チキ)喜屋武さん、歌広場さん、樽美酒さん。

(西寺郷太)いまは誰もそんなこと言わないでしょ? あの人たちの意味っていうのをみんなわかっているじゃないですか。

(荻上チキ)わかっています。トータルです。

(西寺郷太)トータルなんですよ。だけどそのワム!っていうののトータル感って女の子には伝わっていたんですけど。友達同士のバディ感っていうか。親友なんで。でも、やっぱりそれはなかなか、男の人で真面目な人からしたらワム! をホール・アンド・オーツみたいなもんだと思っているんで。「あれ? アンドリューの曲は? アンドリューの歌は?」みたいな。クレジットを見ても、なにもやっていなかったりして、よくよく聞いたら「バーで酒飲んでいた」とか。で、「帰ってきて”ええやん”って言った」とか。そういうのばっかりなんですよ。めっちゃ「お前、天才やな!」って褒めたっていう。まあ『Last Christmas』なんかもそうなんですけど。

(荻上チキ)ええ、ええ。

(西寺郷太)アンドリューと自宅で曲を作って。ジョージが1人で作っている間にアンドリューはテレビを見ていた。で、朝方にできて、「どう思う?」って言ったら、「いや、これは歴史的な名作になるよ! 出そう!」って言ったのがアンドリューで。そういうアンドリューがいなくなってから、ジョージはどんどんどんどん寡作になるんですよ。自分に対してすごくストイックなんで。

(南部広美)ああー……

(西寺郷太)だから、『Last Christmas』はもしそのタイミングで「出そう!」って言って出してなかったら、実はお蔵入りしていたかもしれないなって思いますね。

(南部広美)ええーっ!?

(西寺郷太)まあ、クリスマスにしか出せない曲ですから。基本的に。だからアンドリューのそういう存在感ってやっぱりワム! のひとつのあれだったんですけど。で、もう1個言いたかったのは、その「クリスマスの曲、クリスマスの曲」っていうので「ジョージ・マイケルは冬の曲」っていうイメージも多少あるんですけど、こういう『Club Tropicana』みたいな夏の曲も得意で。

(荻上チキ)常夏感。

(西寺郷太)そう。ラップがあれば、『Careless Whisper』みたいなド・バラードをもあれば、夏から冬までカバーしているという。それを最初の2枚のアルバムでやったというのがすごいなと。もう1曲、行っていいですか?これがね、僕もTBSではおなじみ宇多丸さんも「人生でいちばん好きな曲」と言ってはばからない。で、一緒に『80’s Night』というイベントをやると、どっちが先にかけるか? でケンカするっていう。

(荻上・南部)(笑)

(西寺郷太)この前、僕がかけたったんですよ。僕の方が先だったんで。そしたら、めちゃ怒ってはるんですよ。ほんで、ブースに来て一緒に歌っていました。「もう最高や!」って言って。でも、それぐらい、取り合いになるぐらい本当にヒップホップファンからしても、僕みたいなポップファンからしても好きだった歌。これがね、ワム! で『Everything She Wants』っていう曲ですね。これは2枚目のアルバムの『Make It Big』という、ワム! の大出世作ですけども。その中のちょっと遅れ気味にシングルで。『ウキウキウェイク・ミー・アップ』『Careless Whisper』って出て。『Last Christmas』なんかも出た時の、最初はB面だったんですけど。アメリカでは翌年にリリースされて。黒人層にもめちゃくちゃウケてナンバーワンになったっていう曲ですね。本当に女性不信の内容の歌なんですけども。聞いてください。『Everything She Wants』。

Wham!『Everything She Wants』

(西寺郷太)はい。『Everything She Wants』。『恋のかけひき』っていう放題がついていましたけども。この曲で割とミディアムテンポで、ダークとまでは言わないですけどちょっとアンニュイなイメージっていうのを……ワム!ってどっちかって言うと元気とか、もしくは『Careless Whisper』みたいな悲しいっていうか、フラれましたっていう。僕、このね、赤でもない、青でもない、紫色のグルーヴっていうのが大好きで。

(南部広美)ふーん!

(西寺郷太)もう本当にダンサブルなんだけど切ないし、アンニュイな。これがね、ジョージのまたもうひとつの魅力で。この曲は本当に人気の高い曲で。ジョージもワム! 時代の曲ってあんまりソロになってからやらなくなったんですけど、この曲はかならずやっていたぐらいの曲ですね。そして、ワム!って19才、ハタチ、21才、22才ぐらいの間の4年間の出来事だったんですね。これって日本で言うと大学1年生、2年生、3年生、4年生。で、23才になった瞬間にウェンブリーで解散のライブをやるんですね。まあ、(日本で言うと)国立競技場みたいなところですね。そこでもう辞めるんですけど。つまり、ワム! の4年間は大学生の4年間だったって思うと、就職もしていない人たちが『Last Christmas』も、それから『Careless Whisper』も作ったんだっていうその早熟ぶりにびっくりするんですよ。

(南部広美)うーん!

(西寺郷太)で、解散しまして。「僕は自分の音楽をやります」っていうことで作ったのが1987年に発表されたジョージ・マイケルの『Faith』っていうアルバムです。これがまあ、アンドリューの魅力もあり、2人の魅力もあってアイドル的に見られていたワム! を1回消し去るということで自分でアレンジもして、プロデュースもして、作詞作曲もして……っていうことで作ったアルバムです。その中で、ファーストシングルが『I Want Your Sex』っていう曲で。これ、僕も中1だったんで。もう「Sex」って出ていた時点で親に買ってもらえへんなって。うちの親父、英語の先生で。その頃、もちろん自分で稼いでないですから、レコード屋とかで親に買ってもらったり。お金をもらって買っても、「なに買ったん?」って見れるわけですよ。

(荻上チキ)はいはい。

(西寺郷太)もう『I Want Your Sex』って歌が出るってなった瞬間に、「もうこの世の終わりや」と僕は思いました。「ジョージ・マイケル、なにしてくれとんねん!」と。

(荻上チキ)もうちょっとぼやかせよと(笑)。

(西寺郷太)ぼやかせよと。親にバレるやんけ! と思ったんですけど、でもこの曲は本当にさっきの『Everything She Wants』をさらにファンキーにしたという曲なんで、ぜひ聞いてください。ジョージ・マイケル『I Want Your Sex』。

George Michael『I Want Your Sex』

(西寺郷太)はい。ジョージ・マイケルで『I Want Your Sex』を聞いていただいてます。

(荻上チキ)この曲を最初に聞いた時、南部さんはちょっと引いたんだって?

(南部広美)なんかね、「不潔!」っていう……

(西寺・荻上)(笑)

(南部広美)「大好きなジョージ・マイケルが自分のイメージから逸脱してくれるなよ!」みたいな気持ちでずっといて。「えっ、ダメダメダメ! 嫌だ嫌だ嫌だ!」って。

(荻上チキ)好きなアイドルがキスしたぐらいの感覚かな?

(南部広美)そうなの。「許せない!」っていう(笑)。「そっちに行かないで!」っていう。思春期でね、潔癖な感じっていうの?

(荻上チキ)郷太さん、男子は盛り上がっていたっていう感じなんですか?

(西寺郷太)男子もね……でも、『Faith』とかは好きでしたけど、やっぱり『I Want Your Sex』で盛り上がっていたのは俺ぐらいですね。

(南部広美)いやいや、クラスで盛り上がっている人、いましたよ。

(西寺郷太)あ、いました?

(荻上チキ)花巻では。はい。メールいただいております。

(南部広美)(メールを読む)「中学時代に映画『ビバリーヒルズ・コップ2』のサントラが好きでカーステレオでも聞いていたんですが、親の前なのでジョージ・マイケルの『I Want Your Sex』をかならず飛ばさなくてはいけないという苦い思い出があります」。ああ、早送りして。

(西寺郷太)なんかね、親と聞くのは嫌ですよね。

(南部広美)わかります(笑)。(メールを読む)「私がワム! とジョージ・マイケルを知るきっかけになったのはカーペタンターズ目当てで買った70’sのオムニバスCDになぜかグロリア・ゲイナーがカバーした『Careless Whisper』が収録されていたからでした。ウィキペディアによると『Careless Whisper』の発表は1984年らしいです。ずっとグロリア・ゲイナーのオリジナル曲だと思っていたのですが、クリスマスシーズンの定番曲『Last Christmas』を作った人がこの曲を作っていたのかと驚きました。同時に『Careless Whisper』がたくさんのミュージシャンにカバーされていることを知って二重にびっくりした記憶があります」。ああ、そうか。この方は86年生まれの30代だからね。「……私はワム! のリアルタイム体験世代ではないのですが、ジョージ・マイケルの早すぎる死がとても残念です」。

(荻上チキ)うん。

(南部広美)(メールを読む)「マイケル・ジャクソン、デヴィッド・ボウイ、プリンス、ジョージ・マイケルと郷太さんが大好きなアーティストが次々と亡くなってかなりショックを受けてらっしゃることでしょう。80年代に洋楽を聞いて育った私も本当にショックを隠せません。ジョージ・マイケルの『Faith』、大好きでカセットテープが伸びるぐらい聞きました。ワム! の『Last Christmas』、今年のクリスマスも日本でたくさん流れていましたね。本当に寂しいです」と。そして……(メールを読む)「忘れもしない1983年の年末、洋楽専門番組で見たワム! に衝撃を受け、『Bad Boys』の12インチレコードを購入したのが洋楽を聞き始めたきっかけでした。ファーストアルバム『Fantastic』はベースブリブリの曲が多く、中学生だった私は1日中聞いていた記憶があります。昨夜は大事に取ってあったアナログ盤を聞きながら過ごしましたが、もう一度ジョージ・マイケルの演奏が聞きたかったです。なんか自分にとっての80年代が終わったような気がして、本当に寂しいです」。わかる~!

(西寺郷太)そうですね……

(南部広美)激しく同意!

(荻上チキ)取っていたアナログ盤を聞くタイミングですよ。もうここぞ! という時ですよ。さて、ワム! 時代からジョージ・マイケルがソロになって。

(西寺郷太)ここまではみんなが、日本でも大々的にアピールされていた時代なので。

(荻上チキ)それ以降の曲などとともに振り返っていきたいと思います。そんな後半です。

(CM明け)

(南部広美)今夜のメインセッションは追悼ジョージ・マイケルということでスタジオにはNONA REEVESの西寺郷太さんをお迎えしてお送りしています。郷太さん、後半もよろしくお願いいたします。

(西寺郷太)よろしくお願いします。

(荻上チキ)よろしくお願いします。さて、割と前半では日本でも知られている状態のワム! そしてジョージ・マイケル ソロの時代を中心に曲をお届けしてきたわけですけども。ここからは後半ということで、いろいろと曲をかけながらジョージ・マイケルのその後を知っていただきたいなと。

(西寺郷太)そうですね。特に「日本では」という条件付きで言いますけども。ずーっとヒーローだったんですけどね。ではまず、『Listen Without Prejudice Vol.1』というアルバムが1990年年に出ます。そこからジョージの充実した作曲、ボーカルが味わえる『Cowboys and Angels』っていう曲を聞いてください。

(西寺郷太)このアルバムでそれまでのスーパースター街道みたいなもの。センセーショナルな、まあワム! もそうですし『Faith』もやっぱりジョージってそういう部分の感覚がすごく鋭かったので。ある種、マスコミだったり世の中の人を驚かせるみたいなことで。そういうキャッチを作るのが得意な人だったんですけど。それをいったんやめて、本当に純粋に音楽に向き合いたいっていうことで作ったのがこの90年の『Listen Without Prejudice Vol.1』。「先入観なしに聞いてくれ」っていうアルバムなんですけど。

(荻上チキ)うん。

(西寺郷太)これは後のアンプラグドブームとか。90年代って割とオーガニックなものが増えてきたのの先駆けとなる名盤なんですけど。当時は『Faith2』を期待していた人からするとちょっと賛否両論だったんですが。これからどんどんどんどん評価されていくアルバムだと思います。その中から、『Cowboys and Angels』を聞いてください。

George Michael『Cowboys and Angels』

(西寺郷太)はい。ジョージ・マイケル『Cowboys and Angels』を聞いて頂いております。この『Listen Without Prejudice Vol.1』は本当にジョージ・マイケルの言葉を借りるとビートルズとかイギリスの伝統的な音楽というものにもう1回、自分もトライしてみたいということと、こういったジャズテイストのスタンダード・ナンバーのような曲もやっていて。ともかくかっこよくて、美しいアルバムで。今度、25周年盤が……本当は90年なんで2015年に出るべきなんですけど、だんだんジョージの判断が遅れていて。僕、そのライナーノーツを書くことを頼まれていたんですね。『Faith』は書いているんですけど、すごくわかりやすい解説になっていると思うんで、ぜひ新しい方の盤で読んでいただきたいんですけど。

それが今年の9月に締め切りで。僕はジャニーズのABC-Zの(舞台の)脚本をやったり、ジャネットの本を書いたりしていたちょうどど真ん中で。でも、『Listen Without Prejudice』だけは絶対に断りたくないなと思って引き受けたんですけど、なかなか向こうから、本当はいつが発売日か?っていうのが来なくて。で、「ジョージというか本国の判断で来年に延びます」みたいなアナウンスをソニーからもらったんですよ。

(荻上チキ)じゃあ、締切もちょっと延びたなと。

(西寺郷太)締切が延びたんですよ。で、「締切は1月中旬」みたいに言われて、その9月の後半の(時点の)俺からすると「ああ、よかった」と思ったんですよ。「絶対に俺、一生懸命書きたいし、いまは無理だからどうしよう?」って思っていたんですけど、「ああ、来年になった」って思ってて、今回こういうことになっているんで。だからまあたぶん、本当にこの『Listen Without Prejudice』以降のジョージっていうのが……残念極まりないんですけど、どんどんどんどん評価されていくと思うんですよ。さらに。

(南部広美)うんうん。

(西寺郷太)本当に、マイケルの時もそうだったんですけど。やっぱり後半、どうしても僕が思うにモーツァルトが『アマデウス』の映画で当時の人から「変わったことをする人だ」って白い目で見られるような時代があって。それから音楽が残っていくじゃないですか。でも本当に『Listen Without Prejudice』のジョージの持っていたさらなる野望っていうか。スーパースターでテレビに出てMTVでバンバン女の子を引き連れて……っていうそういうのじゃなくて、「僕がいなくなっても、僕がテレビに出なくても、僕の音楽を聞いてくれよ。音楽は残るから」っていうので、ビデオからもどんどんどんどん露出が減ったり。ジャケットも文字だけになったり。そういう時代だったんですけど。どんどんどんどん……本当に残念で、僕もいま、むしろ悲しみよりも驚きの方が多いですけど。これ以降のジョージのアルバムってどんどんどんどん聞かれると思うし、聞いてほしいですね。

(荻上チキ)より成熟しているというのはこうして続けて聞くとよくわかりますよね。

(西寺郷太)そうですよね。それと、この後に『Older』っていうアルバムを1996年に出しまして。これも美しいアルバムなんですよ。で、いったんロスのトイレで逮捕されるんですけど。そのトイレにも僕、行ったんですけど。まあ、今風の言い方をすると「聖地巡礼」ですけど。

(荻上チキ)はいはい。

(西寺郷太)その後にどうしたか?っていうと彼は『Outside』っていう曲を出して、それもユーモアにして。警察の格好をして歌い踊るんですよ。グルーヴィーな曲で。そこも大好きだったんです。

その後にまたしばらく沈黙があって、『Patience』っていうアルバムを2004年にリリースします。この中で、後半のジョージというか、いまになって「後半」ってなっちゃいましたけど。ジョージがバラードだったりジャジーなスタイルになっていたとだけ言えないのをわかってほしくてかけるんですが。この曲、めちゃめちゃかっこいいんですけど。The Onesっていうバンドの曲をそのまま引用した上でジョージが新しいメロディーを乗せたという『Flawless (Go to the City)』。

George Michael『Flawless (Go to the City)』

(西寺郷太)はい。ジョージ・マイケルで『Flawless』。めちゃめちゃかっこいいですよね。これ、よくクラブでかけますけども、いまだにものすごい盛り上がりますからね。まあジョージっていう人がいろんなタイプの曲をできる天才だったということを示したくて、いろいろ選曲を悩んでしてきたんですけど。

(荻上チキ)ワム! 時代以上にさらに曲の幅と深みが増しているというね。

(西寺郷太)そうですね。本当に寡作になっちゃったのは残念なんですが。シングルなんかもポツポツ出し続けていたんで。あと、ライブ盤とかカバー盤も多くて。そういうのは何年かに一度、あったので。全く出していないわけではなかったんですね。

(南部広美)ラジオネーム三橋のマイケルさんから。「ジョージ・マイケルが世界でいちばん大好きなアーティストなのでラジオネームに”マイケル”をつけています。ワム! の時代はポップで軽快な音楽が多かったんですが、ソロになってからは音楽性に深みが出て魅力がグッと増しました。アレサ・フランクリンやジャネット・ジャクソンなどのブラックミュージシャンとのデュエットも多いし、シールやスティービー・ワンダーのカバーなども本当に素晴らしいです。こんなにもジーニアスなセンスを持ったミュージシャンはジョージ・マイケルくらいしかいないので、本当に残念で悲しいです」。

(荻上チキ)うーん。ということで悲しんでいる方はとても多いでしょうし。南部さん、涙をこらえてますね。

(南部広美)「そうか。三橋のマイケルさん、そういう理由だったんだ」って思ってもうグッと来ちゃって……

(荻上チキ)すごいですね。そうした仕方でジョージ・マイケルとしても活動を続けていったわけですけども、最後におかけするのがあと1曲ですね。

(西寺郷太)そうですね。ジョージ・マイケルの、本当は同性愛の彼の性志向をちゃんとカミングアウトして、そういう人たちに対してのケアをしていたジョージの話なんかもどこかでしたかったんですけど。まあともかく、音楽家としてそこだけ見るなら、ジョージの魅力のもうひとつはカバーのセンスの良さ。カバーをずっと続けていたんですよ。オリジナルと同じぐらい大事にしていて。ワム! 時代からかならず1曲、自分の好きなアーティストのカバーをして。それは僕、西寺郷太もすごいそこは大事にしたいと思っているところなんですが。最後に出た『Symphonica』っていう2014年のライブアルバムで、それも同じ世代のテレンス・トレント・ダービーの曲をカバーした『Let Her Down Easy』っていう曲がありまして。

(荻上チキ)はい。

(西寺郷太)「そこを選ぶのか!」って。僕、テレンスも好きだったんで「そこを選ぶのか!」っていうのと、あと、『Let Her Down Easy』。「彼女を楽にさせる」というか。なんかフィーリングがいまのジョージにもいいのかな?っていう。すごく、この上なく美しい歌なので。で、テレンス・トレント・ダービーもどちらかと言うと社会に途中から認められなくなったというか。崇高に高みを目指しすぎた人なので、たぶんそういう意味で言うとジョージも同じような気持ちを味わってこの曲を選んだんじゃないかな?って思うんですよ。なので、最後の曲をこれにしたいなと。

(荻上チキ)そうですね。今日は曲とともにこのメインセッションはお別れとなります。

(西寺郷太)はい。ジョージ・マイケルで『Let Her Down Easy』。

(南部広美)西寺郷太さんでした。ありがとうございました。

(西寺郷太)ありがとうございました。

George Michael『Let Her Down Easy』

<書き起こしおわり>

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