高橋源一郎 能町みね子『結婚の奴』を語る

高橋源一郎 能町みね子『結婚の奴』を語る NHKすっぴん!

高橋源一郎さんが2020年2月21日放送のNHKラジオ第一『すっぴん!』の中で能町みね子さんの著書『結婚の奴』を紹介していました。

(藤井彩子)さあ、そして今回のテキストはなんでしょう?

(高橋源一郎)はい。取り上げる本は能町みね子著『結婚の奴』です!

(藤井彩子)我らが『すっぴん!』水曜日のパーソナリティー、能町みね子さんの去年の年末に出版された新刊です。

(高橋源一郎)たぶんというか、僕がパーソナリティーの本を取り上げるのはこの8年で初めて?

(藤井彩子)初めてですね。

(高橋源一郎)はい。初めてだと思いますが……もうこれはね、正直言って本当に素晴らしい本だったので、ぜひやろうと。ただね、あんまりいいと取り上げにくいんだよね、逆に(笑)。

(藤井彩子)フフフ(笑)。

(高橋源一郎)なので本当は2回ぐらいやりたいぐらいなんですが、ちょっとまあ僕も楽しみにしています。

(藤井彩子)能町さんには「今日、取り上げますよ」ということをご本人にお伝えしてありますので、もしかしたら今、聞いてくださっているかもしれません(笑)。

(高橋源一郎)余計しゃべりにくいんですけども(笑)。

(藤井彩子)もし間違っている点がありましたらご指摘ください。能町さん、よろしくお願いいたします。著者の能町みね子さんは1979年、北海道のお生まれで茨城県で育ちました。2006年、イラストエッセイ『オカマだけどOLやってます。』でデビュー。エッセイ、コラム、イラスト、漫画まで多くの雑誌やネットメディアでの連載を手がける一方、テレビやラジオでも幅広くご活躍です。元は男性で今は女性の能町さんの恋愛対象は男性。能町さんがご結婚されたサムソン高橋さんは男性で、恋愛対象は太っていて年上の男性です。今回の本『結婚の奴』はそんな恋愛対象ではない同士のお二人が、恋愛ではなくて結婚を前提にお付き合いをして、同居して結婚に至るまでと、それから結婚してからの生活もつづられています。

能町みね子さんとサムソン高橋さんの結婚のプロセス

(高橋源一郎)ということで、まずこの本のひとつの軸となっているのは、能町さんがこのサムソン高橋さんと結婚していくプロセスです。始まりはね、「私の中にむくむくと結婚ブーム、すなわち結婚について考えるブームがわき起こったのは37歳の初夏のこと」と書いてあるところから始まって、恋愛ではなく結婚したい。誰かと一緒に住むという。それである意味自分の生活を変える、変えたいと思って。ただこれ、普通だとね……まあ「普通」っていう言い方も変ですね。まあ「普通」って言われてるものだと恋愛をして、人を好きになって、誰かと家庭を持つという。

(藤井彩子)だからそっちが現代では「主流」と考えられているということですね。

(高橋源一郎)主流とされているものですね。でも、そうではない結婚をしようと。そのためにちょっと知っているサムソンさんにある意味、話を持ちかけて、なんとか結婚へと持っていこうとするところが最初の方の話で。

(藤井彩子)「結婚を前提に恋愛ではないお付き合いをしましょう」というところでしたね。

(高橋源一郎)これがなかなか面白くてってね。直接、なかなか言えない。直接「結婚しましょう」と言えない能町さんの恥じらいみたいなのがとても素敵なところがあります。でも、ところがお相手のサムソンさんはある意味、早く気が付いて。「いいですよ」というところで2人の結婚生活が始まっていきます。これがまあメインの話なので、ええとこちらは今回、省きます。もちろんこれ、すごく面白い。

ひとつひとつのエピソードがよくできた小説

ひとつひとつのエピソードがよくできた小説だと思いますっていうぐらいよくできてるんですが。僕、もうひとつこの本には軸がありまあして。それは能町さんが今まで過ごしてきた人生の中で考えてきたこと。その経験が書かれている部分があって。今日はそっちの方の話をしようと思ってます。さっき藤井さんって言っていたように能町さんは元々男性だったんですけど、途中から「自分はちょっと違う」ということで「女性になろう。女性を選択しよう」という風にされて。その頃の話。大学生の頃のことを書かれている部分が真ん中ぐらいにありますね。

大学のサークルで堀内結子さんっていう方と仲良くなります。非常に気持ちも趣味も共感ができて、すごく仲良くなるんですが。「私が性別を変えたいという気持ちを彼女に打ち明けたのもかなり早い段階のことだった。堀内は私の意志を取り立てて肯定するでも否定するでもなく、ただ淡々と聞いてくれた」。いい人ですよね。ところがある日、驚くような発言を堀内さんがするんです。

「堀内がその発言をしたのは、別の私の性にまつわる話なんぞをしている時じゃなかった。堀内が自分の話をしている時だ。夜中じゅう起きている日特有の一種おかしな興奮状態で、もう酔いもだいぶ冷めているはずなのに堀内は妙に深刻なトーンになっていた。ちゃんと結婚したいし、いずれは子供が欲しい、という話をしながら『私はやっぱり子供を産まないと女じゃないと思ってるから』と自分自身に焼きごてでも押し当てるように言ったのだ。

あーそうなんだ、とかなんとか、恐らく返事にもならない返事をして私は特に反論もしなかった。だからそれは、私を責める言葉でも、あてつけでもないと分かっていた。「迷わずに子供を産みたい。他人はともかく自分はそう思っている』という意味での発言に決まっている。しかし、その言葉は私にどす黒い復讐心を燃やさせるに十分なものであった。映画や本や音楽なんか私よりもはるかにたくさん知っていて、新卒でしっかり就職してオシャレで……そんな彼女がそう言ってしまう世の中なのだ。

これが世間だ。彼女が世間に化けて私に迫ってきた。何も私は世間に喧嘩を売りたいなんて思っちゃいない。むしろ迎合できるならしたいくらい。恋愛して結婚して子供を産んで、何の迷いもなくそうできたらどれだけ楽か。いちいち悩むの面倒くさい。楽できるものなら楽したい。迎合しようがないから悩むより仕方がないだけ。なのに、目の前の、ちょっとした憧れだった女の子が目も鼻もないのっぺりとした世間という形になり、『子供を産まないと女ではない』という呪文を発した早朝だ。

そのときに私は、自分もさっさと男と恋愛をしなきゃダメだ、と思った」という。これはすごい怖いシーンで。たぶん親友だと思ってたんですよね。心の中もよく知った、趣味も合って素敵だと思った人が、たぶんその堀内さんも傷つけるつもりもなくて。能町さんも言っていますけども。まあ、「世間と同じことを言った」っていうことですね。

(藤井彩子)それはしかも能町さんに向けられた言葉ではなくて、ご自身に向けて言った言葉だったということなんですね。

(高橋源一郎)つぶやきだと思います。

(藤井彩子)根が深いですよね。

(高橋源一郎)つまり、そう。あえてその言葉をね、嫌がらせで言ったんなら「なに言ってんのよ!」ってなるけど、つぶやきだから。で、僕らの中にも個人のつぶやきなのか、世間のつぶやきなのかわからないものがある。僕、さっき言葉の話をしましたが。実は僕たちが言っていることの多くは世間が言ってることがそのまま言葉になって出てくるものがある。その瞬間ですよね。

(藤井彩子)本当に恐ろしいことだなと思います。

世間が言ってることがそのまま言葉になって出てくる

(高橋源一郎)なんかすごくこの相手が傷つけるつもりがないっていうのが余計に恐ろしい。これでたぶん能町さんはすごく変わったていくんですね。で、ここから能町さんのひとつの冒険が始まります。それは「自分も誰かと経験をしなくちゃ」という焦りだったり、それから「自分は女性になりたいから男の人と経験をしなきゃ」っていうことで、ひとつひとつ、「本当に自分がそう思ってるのか、そうを望んでいるのか」ではなくて、やっぱり何か「しなきゃいけない」っていう焦りを伴いながら前へ進んでいくんですね。

(藤井彩子)「それが私なりの世間のおもねり方だと思ったのです」と書いていらっしゃいますね。

(高橋源一郎)それでこんな部分があります。「平凡な恋愛と結婚をして早く埋没したい、などと強く思っていた裏には、堀内をはじめとした世間への復讐心に、悔しさもないまぜになっていた。というのは、もちろん『モテないから悔しい』などという単純なことではなく、恋愛というものを何の疑問もなく受け入れて楽しんでいる人たちに対する悔しさである。考えてみれば私は小学生の頃から、世間にあふれるヒットソングはなぜことごとく恋愛の歌音なのか、という疑問も持っていた。世界には恋愛以外にも果てしなくモチーフが存在するのに、なぜ猫も杓子も恋の歌ばっかり歌って売れているのか、と」。謎ですよね。

「しかし、恐ろしいことにこの謎は長じるにつれて絶望のようなものに変わっていく。つまり、恋愛ソングなんてバカバカしくて興味がない、と思っているのは私くらいのもので、世の中のほとんどの人間は本気で恋愛ソングが好きであり、だから恋愛ソングが当然のようにヒットしている、ということがうっすらと悟れてきてしまったのだ。私の見る世界は私が生まれてから、広告もテレビの雑誌も本もネットも、永久機関にエネルギー源を保証されているのではないかと思うくらいずっと『恋愛』のネオンを発光させ続け、巨大な拡声機で絶え間なく恋愛の素晴らしさを謳っている」。

「私は成人してもなお、まるでそのことに共感を覚えなかったのだ。好きな人がまったくくできないわけではない。単純に『顔が好き』『声が好き』もあれば、『話が合ので好き』もあるし、『その人の仕事が好き』もある。しかし、その手の個別の好印象と、総合的ないわゆる恋愛感情というもの差が分からない。AさんよりBさんが好きだ、という量的な判断もできるけれど、好きという感情の質的な種別の中に『恋愛』が入ってこない」。

世間が、みんなが「恋愛が大事だよ」って恋愛を歌っているんだけども、能町さんの中ではその感情がしっくり来ないっていう思いがあった。あの僕、人生相談をやってるんですけども。ちょっと人と話しても、実際そういう人ってたくさんいるんですよね。

(藤井彩子)でも世間の風潮が恋愛礼賛と言いますが、「恋愛は素晴らしい」みたいなことが主流だと思われている。

恋愛至上主義への違和感

(高橋源一郎)はい。ということですよね。で、能町さんはそうやって世間との違和感の中でずっと生きてきて。それですごく絶望が深くなっていくんですよね。ある本の中で――これは結構売れた本なんですけども――その主人公がですね、普通の人ではない特別なコンプレックスを持っているんですが。ところが「男が女である主人公を愛してくる」という常識的恋愛に対しては違和感のかけらもなく、セックスという行為それ自体についても何らかの疑問を抱く様子もなく。私には世間を支配する圧倒的多数の常識側に完全に与した状態で物語が展開しているように思えた。

と、思うと能町さんは自分がやっていることがなにかすごく疑似……本当じゃないような気がしてくる。「私は寝ても起きてもずっと疑似をやっている気がする。本物の当然や常識に私はどうやっても一生手が届くことはない」という悩みの中で……。

(藤井彩子)つまり、本当の恋愛であったり本当のセックスであったりというものに手が届いてない感覚があるということですね。

(高橋源一郎)で、そうやって自分を否定してきたんだけども、それが本当だろうかっていうことですね。そして、能町さんはある時から自分を肯定していこうとしていくんですね。で、そういう肯定をできる相手を見つけてくる。これが新しい結婚という形になっていくんです。

(藤井彩子)つまり恋愛やセックスを経過しない結婚っていうことですね。

(高橋源一郎)誰かと一緒に暮らして、同じ方向……もしくは違う方向を見ながらでも一緒にやれるのかもしれない。

(藤井彩子)一緒に暮らすということですね。

(高橋源一郎)で、同居生活が始まってからのことが書かれています。これ、とても好きな文章なので、これを読んで結論に行こうと思うんですけど。「同居生活が始まって一週間。日常が革命的に変わっているのを感じる。自分なんかどうでも良いと思っているから、私は掃除もしないし料理もしない。荷物ひとつすら動かさない。不潔さが自分でギリギリ我慢できるレベルで生活をしていた。いや、あれは生活と呼べなかった。自分の部屋はただの寝る場所で、加寿子荘を出て以来、どこに引っ越してもそこを仮の住まいだと思っていたからだ。

私は独り暮らしの自分の部屋を満足ゆくまで片付けようと思ったことが一度としてなかった。日常が生きていない。生きてない。生活じゃない。ところが、人が来たら違う。日々が生活になる。なんてこった。これが生活なのだ。今まで私は生活なんてちっともしてこなかった。これこそがまさにやりたかったことだけど、予想を上回る充実度である。ひとつひとつが新鮮で、毎日驚いてしまう。『おはよう』と言う相手の人がいたり、『おやすみ』と言う相手の人がいたり。すごいのは『ただいま』だ。帰った時に『ただいま』と言える。これに驚いた。人だ。人と話す。これだった」という。

太宰治を思わせる文章

僕、この『結婚の奴』っていう本を読んで、本当にいろいろ考えさせられました。とても素敵な文章。それからその恥じらいの感覚。僕、ちょっとね、太宰治じゃないかっていう風に僕は思いました。あの人もすごく世間に違和感があって。その中でどうやって生きていくかを考えた人だったんですよね。で、だからいろいろ批判されることもあったけれども。でも、何て言うかな? どうしても世間の価値とは一緒にはなれないけれども、かと言って1人で生きていくこともできない。その中ですごく苦しんできたと思うんですね。

そういうことが能町さんの本の中に読めて、僕はちょっと本当に「ああ、これ太宰治が今、生きていたらきっとこういう形の文章で、こういう物語を作ったんじゃないのかな」という風に思ったんです。さっきも言ったように、これは結婚に関する本なんですけども。でも普通、結婚というと、恋愛して性的な欲望が満たされて、家族を作って子供を産んで育てるっていう。全てのセット、ワンセットで「結婚」。

(藤井彩子)まあ、その他にも家事とか、相手の世話をし合ったりとか、いろいろありますけれども。

(高橋源一郎)でも、それって本当にそうなんだろうか?っていう。

(藤井彩子)「全部がセットなのだろうか?」っていうことですか?

(高橋源一郎)ということです。実際に恋愛は苦手だけども、人と一緒には住める人もいるし、性的欲望はないけど人を好きになることができる人もいるし。実は1個1個が……もしくは何もなくても、「誰かと住みたい」っていう人はいる。あるいは、「1人で生きていたい」っていう人もいますよね。で、「そういうのがまとまって全部ないとそれは普通の人間じゃないよ」っていうのが世間。でも、そうなんだろうか?っていうことですよね。で、僕はこれね、男性だった人が女性になるという一種のカミングアウトの小説でもあるんですけど。実は、さっきも言いましたけどね。男性が女性になる。「自分はちょっと人とは違う性向がありますよ」っていうだけではなくて、一人ひとりが全部、僕はマイノリティじゃないかと思っているんです。

(藤井彩子)それは、そうですよね。

一人ひとりがマイノリティ

(高橋源一郎)ねえ。つまり、みんな自分1人という経験しかしていないんだから。

(藤井彩子)全く同じ人なんていないわけだから。

(高橋源一郎)だから1人の人が別の1人の人とたとえば暮らすということは、それだけでもとてもすごい経験なんですよね。だからこれは結婚ということを「共に生きるということ」という風に定義し直している。世間の定義と違うんですね。「それでいい」っていう人がひとつ、新しい家庭を作る。この前、『万引き家族』っていう映画があって。あれは全く血縁がない家族の映画でしたよね。あれを見た時もすごく驚いたんですけども。家族ってまあ普通、血縁があって……っていう。でも血縁がなくてもあんなに仲良くというか、お互いを思ってたらあれこそ真の家族かもしれない。そう思うと、世間はね、あるいは社会はある特別な価値観を押しつける。それは今でもあるよね。「こういうことが正しい」っていう。

まあ日本は特に同調圧力が強いので。そうじゃないものは全部排除する。でも、そうじゃなくて一人ひとり、その人が一番いいと思ってる価値。それを認めてくれる誰かと一緒に暮らせばそれは家族じゃないですか。そういう風に思うと、何か能町さんのこの本はただ結婚をめぐる1人の女性……男性であった女性の生き方じゃなくて、この社会の未来のあり方自身を指し示しているような気がするんですよね。本当にこれ素晴らしくてですね。どうしてこれに芥川賞をあげなかったんだろう?っていうね(笑)。いい小説だなと思いました。

(藤井彩子)今日は能町みね子著『結婚の奴』から引用させていただきました。源ちゃんのゲンダイ国語のコーナーでした。

(高橋源一郎)能町さん、怒っているかな?(笑)。

(藤井彩子)どうだろう?(笑)。

<書き起こしおわり>

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