宇多丸 佐野元春『COMPLICATION SHAKEDOWN』ライブカバーを語る

宇多丸 佐野元春『COMPLICATION SHAKEDOWN』ライブカバーを語る アフター6ジャンクション

宇多丸さんが2020年2月12日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中でRHYMESTERが『新日本製薬 presents SONGS & FRIENDS 佐野元春「Cafe Bohemia」』に出演し、『COMPLICATION SHAKEDOWN』をカバーした際の模様を話していました。

(宇多丸)お話ししたいのはラジオエキスポもいいんですが、世の中他にもいろいろ面白なことがございまして。何かと言いますと、その遡ること2日前。土曜日、2月8日にですね、我々RHYMESTERは東京LINE CUBE SHIBUYA。これ、前は渋谷公会堂ですね。渋谷公会堂が新しくリニューアルされた状態で、今はLINE CUBE SHIBUYAという名前になっています。そちらで開催された『新日本製薬 presents SONGS & FRIENDS 佐野元春「Cafe Bohemia」』。このコンサートに出ていたわけです。佐野元春さん。もちろん日本を代表する大ベテランロックシンガー、ミュージシャンです。

その佐野さんが1986年に発表したアルバム『Cafe Bohemia』を再現するというか、トリビュートコンサートみたいな感じでいろんなアーティストが出ては。その『Cafe Bohemia』の収録曲をトリビュートカバーした……まあ、それを中心にカバーして。要するに佐野さに対するオマージュをするというようなイベントなんですね。音楽プロデューサーの武部聡志さんが選ぶ「100年後も聞き続けてほしい名アルバム」というのをトリビュートするというシリーズの第三弾として、佐野さんの『Cafe Bohemia』ということで。

その中で、我々がお声がけいただきまして。そこに出演されたのがGLIM SPANKYさん、小坂忠さん。ベテラン中のベテラン。そして田中和将さん(GRAPEVINE)。堂島孝平さん、中村一義さん、山口洋さん(HEATWAVE)。山中さわおさん(the pillows)という感じで出ていただく中、我々RHYMESTERもヒップホップ代表ということで。要するにですね、これは何があったのか? ちなみにこの様子は3月28日(土)お昼12時30分からWOWOWで放送をされるそうなんですが。

要は、我々だけはこの86年の『Cafe Bohemia』というアルバムではなく、そこから遡って2年前。84年の『VISITORS』っていう佐野さんのアルバムがあって。その中の『COMPLICATION SHAKEDOWN』という曲を我々が1曲だけカバーしたんですね。これ、どういうことかと言いますと、この『COMPLICATION SHAKEDOWN』というのは要するに日本語におけるラップ曲、日本語ラップ曲のかなり初期の試みの有名曲のひとつなんですね。まだ日本でそれほど日本語でラップをするという試みがされてない時代の一番早いうちの試みのひとつが佐野さんの『COMPLICATION SHAKEDOWN』という曲なわけです。

日本語ラップ最初期の1曲

佐野さんは1980年代、ずっと活躍されて。すでに日本で成功されてたんですが、1年間、ニューヨークに音楽修行という形で滞在されて。だから1982年から83年ぐらいなのかな? 滞在をされていた。で、その時期というのはまさにヒップホップの……その本当の黎明期は1973年年、ニューヨークのブロンクスという地域から発生したんですけども。そこから10年ぐらい経って、要するに元々ブロンクスのものすごいアンダーグラウンドなね、他の人種とか他の地域の人が聞くような、触れるような文化じゃなかったのが、10年ぐらい経ってようやくマンハッタンとかの主流文化になってきた。

で、たとえばロックバンドのブロンディであるとか。あるいはトーキング・ヘッズのスピンオフグループでトム・トム・クラブであるとか、そういう白人グループみたいなのもラップ、ヒップホップ文化の盛り上がりみたいなものを察知して、そういう曲の要素を取り入れたものをやったりとか。

Blondie『Rapture』

まあ、要するにマンハッタンの中心文化、メインストリーム的な文化にようやくヒップホップが「ああ、これは新しい!」って。すでに10年経っているんですけども、「これはヤバい文化だ!」っていうことでいち早くアンテナを張っている人のところには浸透し始めた。これがまあ1982、3年ぐらいのことだと思ってください。で、そこにまさに佐野さんは行ったわけです。で、佐野さんはそれまでは何て言うか、もうちょっとフォーキーなというか、昔ながらのロックミュージシャン的な。まあビリー・ジョエル的だったりブルース・スプリングスティーン的だったりする曲をやってたんだけど。

やっぱりそこで、もう熱気ムンムンのマンハッタンの中で、ヒップホップがまさにワーッと盛り上がっている中で。まあ1983年にハービー・ハンコックの『Rockit』なんていう曲もありましたけども。

Herbie Hancock『Rockit』

これの影響なんかもすごい大きいと思いますが、それをバーンと受けて佐野さんが出したのが『COMPLICATION SHAKEDOWN』という。

(日比麻音子)もう本場のダイレクトな影響を受けた1曲ということなんですね。

(宇多丸)まあ、平たく言うとすごく直でかぶれたというか。で、ただ当時やっぱり日本に帰ってきて佐野さんが『COMPLICATION SHAKEDOWN』を出した時にはファンの方もスタイルがあまりにも変わったから、やっぱりすごく戸惑われた方もいたし。賛否両論なんてことも言われた曲なんですが。やっぱりこれ、僕はライブのMCでも言ったんですが、「1984年に佐野さんが何に影響を受けたのか。ニューヨークで何を見て、何をやろうとしたのかということをこの2020年、ヒップホップが世界のポップミュージックのメインストリームになった今なら解像度高く理解ができる。だから今夜、このLINE CUBE SHIBUYAにいるみんなで1984年に佐野さんが仕込んだメッセージを俺たちで完成させるんだ」みたいなことを言って始めたんですよ。

(日比麻音子)なるほど!

(宇多丸)で、これからちょっと『COMPLICATION SHAKEDOWN』を聞いていただくんですが。これを、佐野さんがラップしているパートをRHYMESTERの俺とMummy-Dがずーっとユニゾンでグーッと……だからめちゃくちゃにね、もう近年のRHYMESTER史上、めちゃくちゃ一番練習をして。

(日比麻音子)この31年というキャリアの中でも(笑)。

(宇多丸)もうがっちがちに練習をして。もちろん粗相があっちゃいけないっていうことでやったんですけども。あのね、聞きどころとしてまず一番のところ。ちょっと長めに聞いていただきますけども、一番のサビのちょっと手前のところで「ライトを浴びてるジャジー・ジェイ 今夜はゴージャス」っていう。「ライトを浴びてるジャジー・ジェイ」っていう言葉が出てくるんですけども。このジャジー・ジェイっていうのを1984年の時点でわかる日本人、10人いなかったと思うんですよね。まあ、アフリカ・バンバータというヒップホップを始めたチームの中にいた、要するにパイオニア中のパイオニアのDJジャジー・ジェイという人がいて。その名前を入れているんですよ。絶対にわかるわけがないのに。

「ライトを浴びてるジャジー・ジェイ」

(日比麻音子)ああー!

(宇多丸)でも、そういう固有名詞を入れたりするのが、ブロンディの『Rapture』にもそういうパートがありましたけども。固有名詞を入れたりするというヒップホップらしさみたいなものも佐野さんはまずよく理解をされていて。で、佐野さんご本人に聞きました。「これ、ジャジー・ジェイってあのバンバータ周り、ズールーネイションのジャジー・ジェイですよね?」って聞いたら「そうそうそう。マンハッタンのディスコでジャジー・ジェイが一番のスターDJで。本当にスポットライトを浴びて、彼が登場するだけでドカンとなったんだ」みたいなことをおっしゃっていて。というディテールにまず注意をして聞いていただきたい。

(日比麻音子)はい。

(宇多丸)そして、もうひとつ注意していただきたいのは二番のサビが終わった後にブレイクが入るんですが、このブレイクのチャカポコチャカポコした感じ。これは今の耳で聞くと完全に『Apache』という要するにブレイクビーツ。ヒップホップが元々既存の音楽のレコードを2枚使いしてビートを長くしたりとか。それでみんなを踊らせたり、ラップを乗せたりするという、これがヒップホップの始まりなんですが。ブレイクビーツ2枚使いで『Apache』とかを回している感じを佐野さんは耳で聞いて、ヒップホップの本質的な部分を感覚的に理解してこのパートを入れたとしか思えない。

Incredible Bongo Band『Apache』

(日比麻音子)へー!

(宇多丸)というね。で、佐野さんはちなみに僕らのパフォーマンスを終えた後に「まさにそのニューヨークで彼らがマイクを握ってオールドスクールなパフォーマンスをしている時のあの熱気をそのまま持ってきたようだ。はじめてこの『COMPLICATION SHAKEDOWN』という曲が正しく解釈された気がする」みたいなこともおっしゃっていただきまして。

あと、歌詞の内容についていろいろと打ち上げの、歩く道の廊下でいろいろと僕は質問をしていたんですけども。「気分的にはボブ・ディランがヒップホップと出会ったら……とか、そのぐらいのバランスの中身をトライしてみた」みたいなこともおっしゃっていました。では、前置きが長くなりました。お聞きください。1984年、佐野元春さんで『COMPLICATION SHAKEDOWN』です。

佐野元春『COMPLICATION SHAKEDOWN』

(宇多丸)はい。1984年のアルバム『VISITORS』からのシングルカットということかな? 佐野元春さんの『COMPLICATION SHAKEDOWN』。このチャカポコチャカポコのあたりがIncredible Bongo Band『Apache』。ヒップホップの国家と言われるビートをたぶん耳で……当時はその元ネタとかもわかっていないから。昔、当時のDJっていうのはネタを隠しているから。耳で聞いて「こういう、このパートがヒップホップなんだ」っていう本質を佐野さんは掴んでいたっていう。これがやっぱりね、その佐野さんが新しい音楽、新しい文化を前にしてわくわくしている感じがこの曲には詰まっていて。

あと、歌詞の話もいろいろと聞いて。佐野さんが「やっぱりそのニューヨークに行った時のドキュメンタリーでもあるからな」って言っていて。その時のいろんな佐野さんの不安な気持ちとか興奮してる感じが全部ここに入ってて。やっぱり感動をするんですよね。

(日比麻音子)わあ! だからときめきが凝縮されている。

(宇多丸)そう。で、僕らやりました。すごくライブも、佐野さんのお客さんはRHYMESTERをそんなに知らない方も多かったと思いますが、乗っていただいて。まあ、アウェイに強いRHYMESTER、がっつり盛り上げてまいりました。でね、楽屋に帰ってですね、とにかく周りはそうそうたるメンツなわけですよ。すごいメンツなんですよ。で、俺らはライブが終わって、この後に出番は最後にみんなで出てきて「わーっ!」ってやるところだけなんで、正直俺らはプロドリならぬ普通に「飲みてえな、一杯」なんて。

(日比麻音子)フフフ、始めていたわけですね(笑)。

(宇多丸)まあ、Dがこっそり(小声で)「ビール、買ってきてくれない?」って。袋に入れて……ただ、周りに先輩たちがいて、まだ本番前の人とかいるから、ビールを買ってこさせて。やっぱりプシュッとやって「ウエーイ!」ってやるのも悪いなって思って。お互い、Dとか俺とかもなんか廊下の隅っことかで。中学生みたいにやっていたの。そしたら、途中で出番を終えた小坂忠さん。もう本当にもうもう、大御所中の大御所。小坂さんに対して他の周りの、それこそ堂島孝平くんとかもみんなも固くなっているような状態よ。で、小坂さんが帰ってきて、そしたら小坂さんがやおら終わったから、まあいいんだけど。ビールを出してきてプシュッとやったわけ。

そしたら周りのね、それこそ山中さわおさんとかね、「あれっ? これは……よろしいんでしょうか? これは……小坂さんが飲まれたということは、我々も、よろしいんでしょうか?」って。みんなこう一斉に立ち上がって「よろしい感じで……?」みたいな感じで。みんな飲みたかったみたいな。「山中くん、流れが変わった!」なんて言って。そしたら「あ、ごめん! 俺ら、買ってきて廊下の隅っことかで飲んでいたんで。これ、飲む?」とかなんか言って。それでみんなね、一気に。実は本当は緊張していたんだけど、その酒を飲むとか飲まないとかで一気にみんなが……(笑)。

(日比麻音子)素晴らしい! そうそうたるメンバーが(笑)。

(宇多丸)はい。そんな感じで佐野さんのライブに出てきたというお話でした。これ、3月28日にWOWOWでオンエアーしますので。興味がある方は見てください。

『新日本製薬 presents SONGS & FRIENDS 佐野元春「Cafe Bohemia」』

<書き起こしおわり>

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