高田文夫 20歳の頃の新宿と京王百貨店駅弁大会を語る

高田文夫 20歳の頃の新宿と京王百貨店駅弁大会を語る ラジオビバリー昼ズ

高田文夫さんが2020年1月13日のニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』の中でハタチの頃の思い出についてトーク。京王百貨店の第一回駅弁大会などについて話していました。

(松本明子)私はもう……。

(高田文夫)(成人式の)式なんかなかったの?

(松本明子)式、なかったです。出なかったですね。地元にも地元にも帰らず。でも先生の時は多かったんじゃないですか?

(高田文夫)おおいよ。だって俺が23年生まれでたけしさんが22年生まれ。それで円楽さんが24年。22、23、24年。この3年間を「団塊の世代」っつーんだよ。もう数が多いから、そんなもん成人式なんかないよ。めっちゃくちゃだよ。それどころじゃないよ。

(松本明子)フフフ、ええーっ?

(高田文夫)だから今ね、みんなに話してびっくりしたけどさ。おいらの頃はあれだよ。だからさ、今やってるんだけどさ、新宿の京王デパート。なあ。「ダサい」とか言うなよ? あれがまた古くて味があるんだよ。変化しないっていう。

(松本明子)老舗でございます。

(高田文夫)たしかに新宿、伊勢丹はお洒落だよ。で、小田急はまあまあで。で、ずっとその昭和40年代をいまだに引きずってるんだよ。京王デパートっていうのは。もう頑なな、老舗の味。あそこの一番の目玉がお前、駅弁大会。これがお前、いいんだよ!

(松本明子)今やっているんですか?

(高田文夫)今やっているよ。もうすごいごった返して。行ってきたよ、もうギャーッてすごいよ、もう。

(松本明子)先生、駅弁まで詳しいんですか(笑)。

京王百貨店の目玉、駅弁大会

(高田文夫)もうかにめしからさ、いかめし、のどぐろ弁当まで買って。飛騨牛弁当まで買ってさ。それでお前、一杯飲んだらたまらないよ、もう豪勢で。ブワーッと家のテーブルのところに並べてさ。かみさんがほしがるからさ、「ダメだ! 俺のもんだ!」ってブワーッと並べて(笑)。それでカニから飛騨牛からのどぐろから……もう俺は第一回から行っているから。なめるなよ、お前(笑)。

(松本明子)ええっ!

(高田文夫)ちょっと話をしたらびっくりしてたけどさ、俺は駅弁大会博士だからね。俺が18歳の時に第一回だから。66年。高校3年から大学入ったぐらいの時に第一回駅弁大会。

(松本明子)そこから今まで続いているんですか!

(高田文夫)そうだよ。俺、毎年行ってるんだから。詳しいよ! 50何回、ずーっと行ってるんだから(笑)。

(松本明子)駅弁ウォッチャーだったんだ(笑)。

(高田文夫)そうだよ。だから学生……18、9の時かな? だから京王の駅弁大会に行って。それで森駅のいかめし弁当とか、峠の釜めしとか。今年は1位、2位がそれだからな。チャンピオン復活したんだから。峠が今、1位を奪回したから。いかめしから。で、それを買って、新宿西口なんかは当時、なんにもないなよ。

(松本明子)えっ、高層ビルなんかも?

(高田文夫)だから淀橋の浄水場だから。それでそこで弁当を買って、なんか木のところかなんかにポッと座って。ベンチもないから。それで見ているんだよ。そうすると京王プラザがだんだんだんだんと建っていくんだよ。それをお前、駅弁大会で弁当を買って持っていって。それで食いながら京王プラザとかがだんだんできていくのを……「えっ、なんだこれ?」って思っていたら、どうも京王プラザっていうホテルらしいっていう。それが最初の高層ビルだから。

(松本明子)ああ、そうなんですか!

何もなかった新宿西口

(高田文夫)それが俺のハタチだよ。どんなハタチなんだよって……俺、笑われちゃったよ。「そんなハタチなの?」って(笑)。西口、それしかないんだから。もう浄水場だったからさ。

(松本明子)そんなハタチの思い出ですか、先生!

(高田文夫)そう。そこからずーっと続いているんだから。駅弁大会。今、まだ。1月21日まで。これ、すごいんだよ。

(松本明子)第54回。毎年毎年すごい人気ですよ!

(高田文夫)毎年各地から職人さんが来て、作っているんだよ。ビジネスホテルに泊まって早起きして。ブワーッとご飯を炊いて。すごいんだから。これはすごいよ!

(松本明子)これ、早く行かないといつも売り切れちゃうんですよ。人気のは。

(高田文夫)毎日毎日作るから。これ、66年スタートなんだよ。もともとはね、調べてもらったら大阪で高島屋さんが始めたらしいね。で、それをどうのこうので東京に持ってきて。だからその第一回の告知のポスターは日暮修一だっていうんだからすごいよ。知らないと思うけど。昔、ビッグコミックの表紙のイラスト、似顔絵を描いていた人だよ。あの人が描いていたっていうのもすごいよ。京王百貨店はさ、福袋商戦とか冬のバーゲンよりも駅弁大会の方が売上が上回るっていうんだから(笑)。

(松本明子)すごーい!

(高田文夫)1年、これだけで食っているっていう……「食ってる」って言っちゃいけないけどさ(笑)。京王、みんながんばっているけどさ(笑)。

(松本明子)人気企画ですよね!

(高田文夫)もうみんな、手を出せないもん。北海道美味いもん展とかは断片的にはやっているけども、全国の有名弁当だもん。

(松本明子)そこに行けば一挙に。

(高田文夫)これが美味いんだよ。これで一杯やったらたまんないんだよ! で、ちょっと表の景色が動いたりしてポポポポーッ♪なんてさ、もう動いてもらえばさ、こっちのもんだよ!

(松本明子)これは人気ですよ。これはぜひとも行ってもらいたいですね。

高田文夫20歳の頃の新宿

(高田文夫)だから俺がハタチの頃なんてそんなもんだね。で、そうだよ。東口に行くともうフーテンがいるんだよ。寅さんじゃなくて、その後のフーテンな。ラリっちゃって。もうプワーンってさ。長髪でゴロゴロゴロゴロと東口のあの公園のところで。

(松本明子)ギターを弾いたりして?

(高田文夫)そのフォークゲリラは西口なんだよ。東口はフーテンがゴロゴロするんだよ。ラリっちゃって。で、芸術家と一緒に風月堂にワーッと行くんだよ。で、西口ではフォーク集会が始まるわけだよ。それこそさ、その後の方になぎら健壱なんかも参加するけど。それで「たまっちゃいけない。ここは通路です。集会しちゃいけない」って警察が言って。それがフォークだよ。で、東口にはフーテンがいて。それでそれを抜けて俺が行くと紀伊国屋ホールができたばっかりで。そこで田辺茂一社長が「談志、お前、独演会をやれ」っつって。あそこで談志が一人会っつーのを始めるんだよ。そこにハタチの頃の俺は通い詰めるんだよ。

(松本明子)へー!

(高田文夫)それで学校、日芸は学園闘争だから。それでちょっと足を伸ばして花園神社に行くと唐十郎たちがウワーッとお芝居をやっているんだよ。テントをやって。それでまた大島渚なんかが映画に撮ったりして。横尾忠則が主演でさ。『新宿泥棒日記』なんてさ。田辺茂一さんとか談志師匠が酒を飲んでいるシーンが映っているんだよ。ドキュメンタリーでな。いいんだよ。あの頃がちょうど俺のハタチだよ。

(松本明子)先生はもう渋谷も新宿も知っていますね!

(高田文夫)もう全部がシマだから。渋谷から新宿、全部知っているから。

(松本明子)青春ですね、先生。ねえ。

(高田文夫)青春だったね。だけどね、この駅弁大会で思い出したよ。それで西口にどんどんと高層ビルができていくんだよ。そこからいろんなホテルとか建っていくんだよ。で、最終的には都庁ができたからね。都庁なんてついすぐそこ、東京駅のところにあったんだからね。ニッポン放送のすぐそこだったんだから。いろいろとあるよ。

(松本明子)歴史ですね。ありますね!

<書き起こしおわり>

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