Oronoと田中宗一郎 音楽評論家という仕事を語る

Oronoと田中宗一郎 音楽評論家という仕事を語る Inter FM

音楽評論家の田中宗一郎さんがInterFM『Oh Wow, Very Cool!』に出演。SuperorganismのOronoさんと音楽評論家という仕事について話していました。

(Orono)木曜日の夜11時を回りました。InterFM897、オロノがお届けする『Oh Wow, Very Cool!』。今日はまた、素晴らしいゲストを呼んでいます。音楽評論家の田中宗一郎さんです。

(田中宗一郎)こんにちは。田中宗一郎です。

(Orono)元気ですか?

(田中宗一郎)元気じゃないね(笑)。

(Orono)元気じゃないの?

(田中宗一郎)やっぱりね、体中ガタが来てるから。若くないから。だってオロノさんのオヤジさんよりも俺、年上でしょう? だからいろんなところにガタが来てて。でも、リスナーの人って俺のこと、わかるのかな?

(Orono)いま説明します。12歳、13歳ぐらいの頃にすごいなんかインディーロックが自分は好きになって。で、なんかロキノンの雑誌とか……もうヴァンパイア・ウィークエンドとかとかMGMTがやってたインタビューが載ってる雑誌とかを全部買い漁って。

(田中宗一郎)洋楽のロッキング・オンね。俺、その会社にいたんだよ。

(Orono)でしょう?そう。だから知ってたの。すごいだから、なんか変なおじさんがTwitterでいるな、みたいな感じで。だから13歳ぐらいの頃から知っていたの。ロキノンはいっつも読んでいたし。それで、どうやって会ったんだっけ? 普通にインタビューで会ったんだっけ? そうだ!

(田中宗一郎)だからSuperorganismが最初に来た時にインタビューしたんだよね。

(Orono)初めて来た時……だから去年の2月? そうだ。インタビューを……あれはなんていう雑誌?

(田中宗一郎)あれはいま、自分がやっているザ・サイン・マガジン・ドットコムっていうWEBの。

(Orono)そうだ。それであのインタビューはもう歴史的なインタビューで。自分たちにとって。もうあの時、すごい毎日のようにインタビューとかを世界のいろんなところでやらされてて。基本的に大したインタビューじゃないの。まあ出たばっかりのバンドだから。「どこで会ったんですか?」とか「ネットでどうやって音楽を作ってるんですか?」みたいなクソつまんない質問して聞いてくれなくて。すごいみんなインタビューがもう嫌になっていた時期だったの。それで日本に来て、また1日中インタビューやらされるっていう日があって。たぶんタナソーさんとやったやつが最後のインタビューだったんだよ。

(田中宗一郎)たしか、そうだね。

インタビューのクオリティー

(Orono)それでもうクオリティーが高すぎて、もうタナソーはトップだから。音楽……洋楽ライターの中で。それをでも、自分は知っていたけど他のメンバーは知らなかったから。もうすごいあれはみんな覚えてる。いまでもたまに話す。「あのインタビュー、よかったよね」って。

(田中宗一郎)だって紙の雑誌からインタビューとかがネットになるようになってから、海外だとロングインタビューみたいなのはなくなったし。日本だと本当にくだらない内容……「日本の印象はどうですか?」から始まって、最後にかならず「読者にメッセージをください」みたいな。そんなの、いらないじゃん! みたいな。そういう風になっちゃったんだけど、たぶん20年ぐらい前はいろんなジャーナリストのインタビューの質問を……海外は特にそうだし、高かったのよ。でも若い人ってそういう面白いインタビューその存在を知らないでしょう? だからね、大変だよね。

(Orono)そう。だから自分も日本ですごい不満なのが、そういう「日本のティーンで女の子で海外でがんばってて、かわいくて……」みたいな。自分ではかわいいと思ってないけど、なんか「かわいい」みたいにすごく言われるのとか、もうなんかそこで終わってる人とか、それだけでメッセージしてくるやつとかがもう超嫌いなの。ムカつくの。それは彼らのせいじゃないっていうのも十分わかっている。日本のせいだから。レーベルだけで頭が動いてるのが。だけど、そこだけで終わってないインタビューがやっとできて、本当に嬉しかった。

(田中宗一郎)ああ、よかった(笑)。

(Orono)でも、それを読んでいないやつが多いの。たぶん。これを聞いている人たちとか。若い人、インタビューとか読まないから。だからこれを聞いてる人にタナソーとスーパーのやったインタビューを読んでほしい。

(田中宗一郎)たぶんね、Googleでちゃんと「スーパーオーガニズム 田中宗一郎」で入れれば出てくる。

(Orono)でも、いちばん最初に出てくるはず。結構トップリザルトだった気がする。

(田中宗一郎)でもあれだよね。邦楽しか聞いてない子たちが読むにはテクニカルタームっていうかさ。固有名詞っていうのが多すぎるからね。だってロバート・クラムとかカニエ・ウェストとか……。

(Orono)でも、知ってほしいの。全然わかんないじゃん。

(田中宗一郎)だってWEBの記事だったらそこからググれるもんね。固有名詞を全部ね。だから便利なんだよね。紙の雑誌を読むよりもね。

(Orono)便利。でも、そういうなんだろう? 「テクニカルなタームばっかり俺は使いすぎてないかな?」って思ったりする時ってある? たとえばさ、ライターとして……なんで書くの? なんで音楽評論家っていう仕事をやってんの?

音楽評論家になったきっかけ

(田中宗一郎)フフフ、音楽評論家を始めたのはね、本当に成り行きなのよ。20代の前半に大学を卒業して。本当は大学院に戻りたかったの。研究者になりたかったの。

(Orono)何の研究者?

(田中宗一郎)人文系の研究者になりたかったんだけど俺は親がいなかったから全然金がなくて。で、大学時代も結局、大学の学部の奨学金っていうのをゼミの先生に相談に行ったら「ああ、いいっすよ」って3年分、学費を出してもらって。それがなかったら除籍になっていたよね。そのぐらい金がなかったから、とりあえず働いて、お金を貯めてからもう1回、大学院に行こうと思っていたんだけど。

だから適当な代理店にでも入ればいいやってパーッと入ったんだけど。そしたら、自分をすごい世話してくれた大学の恩師が自分が大学を春に卒業するじゃん? 夏にいきなりガンで亡くなっちゃったの。で、「ええっ! 帰る場所がなくなった!」みたいな。それで腰掛けのつもりで代理店で働いてたら最悪な会社で。

それで「もうとにかく、この会社を出れるならどんな会社でもいい」って思って延々と転職先を探していて。なんかね、経済研究所とか受けたりしていろいろとやっていたんだけど。そのうちにこのロッキング・オンていう、いまだとフェスやっていたりとか雑誌をやっている雑誌社……当時は社員が12人ぐらいしかいなかったんだけど。そこに応募して面接して……みたいなことをやったら受かったのよ。

(Orono)それ、何歳の時?

(田中宗一郎)26かな? だから最初はとりあえず前の会社……・研究者にもなれなかったし、クソみたいな会社に勤めていたから、「ここから出れるんだったらどこでもいい」みたいな発想だったの。で、「邦楽についても書きなさい、洋楽についても書きなさい」って。なおかつ、その当時のロッキング・オンっていう会社はたとえば、営業成績を上げるよりも部数を上げるよりも、それぞれが書いた原稿が読者に支持されるか、されないかみたいな。

もしくは、社内の人間が「いやー、これはいい原稿だね!」っていう風に認めてくれるか、認めてくれないのかみたいなので会社の中でのヒエラルキーみたいなのが決まるような、結構特殊な会社だったのよ。で、そうなると、とにかく内部の人間を納得させて、読者が「この原稿がいちばん最高だった!」みたいな原稿を書かないと給料が上がらねえな、みたいな。それで嫌々書き出したみたいな。

(Orono)ふーん。じゃあ、その書いてやりたいこととか、社会にもたらした影響とか、そういうのないっていうこと?

(田中宗一郎)そういうのは本当にやってるうちにできてきた。だから役割意識を感じるようになったのはたぶん何年も経ってからじゃないかな? で、当時のロッキング・オンってね、本当にいまのたぶん20倍ぐらい売れていたの。だから本当にその、たとえばインタビューがドーンと載るとか……表紙とかじゃなくて、ディスクレビューのいちばん頭に取り上げられるだけで2、3万枚ぐらい売れますみたいな。そのぐらい影響力があったのね。

で、会社に入った時にはそういうの、よくわかんないわけ。でもいろいろ……レコード会社の連中とかと話したり、他の音楽批評家の連中と話したりとかすると、「ああ、えらいことになっているんだな」みたいな。だからすごい自分はパワーを手に入れちゃったんだみたいな感じがあって。たからあれですよね。エヴァンゲリオンでもマジンガーZでもいいんだけどさ、「あ、なんかすごいのに乗っちゃった……」みたいな。となると、やっぱりこうスパイダーマンじゃないけど、責任が伴うわけじゃない?

「ものを書く」ことの暴力性

なおかつ、「ものを書く」っていうのは基本的には暴力でしょう? かならず誰かを……ひとつの事を書いたらかならず誰かを傷つけるじゃない? だって好きなアーティストとか作品のことをけなされたら、かならず傷つくでしょう? そうじゃなくても、自分が全く嫌いなものをバーン!って褒めただけでも「えっ!」って思う人っているわけじゃん? だからそういう暴力でもあるし、何かしらの責任が伴うんだなって感じるようになったのは、書き出してから1、2年たってから。

(Orono)その責任は、好き?

(田中宗一郎)責任は、嫌いだね。

(Orono)じゃあ、やめちゃえば?

(田中宗一郎)でも、責任も義務も嫌いなわけ。で、権利を主張するのも嫌いなの。でもそれってさ、社会の外側でしょう? 「それら全部、嫌」って言ったら。で、責任については基本的には考えない。いまはね。で、当時はやっぱりそのマジンガーZに乗っちゃったからさ、自分が「あいうえお」って書いた時点でマジンガーZの手を振り回すみたいなもんだからさ。マジンガーZとかエヴァが手を振り回すと、10人ぐらい死ぬじゃん? それは気をつけなきゃな、みたいなことは考えていたんだけど。でも、やっているうちに「ああ、なにをやっても人を傷つけるわ」と思うようになって。だったらもう、「自分が暴力を振るってる。人を傷つけるという前提で引き受けよう」みたいな開き直りができたんじゃないかな?

(Orono)濃い内容だね。じゃあ、そういう自分の書くことがテクニカルすぎるとか、あんまり考えないっていうこと? もう好きなままに書いている?

(田中宗一郎)うん。ただ、いままで自分が書いてなかったようなスタイルで毎回書きたいとか。少なくとも5年前にやってないこと、1年前の自分が読んだら「ああ、こんなことも書けるんだ」みたいなことを書きたいみたいなことは毎回考えるかな。

(Orono)すごいカニエみたいなことを言っている。

(田中宗一郎)ああ、そう? イエーイ! アーティストだぜ(笑)。

(Orono)フフフ(笑)。いや、でもだからすごい上りつめたんだと思う。

(田中宗一郎)そうかな?

(Orono)でも、わかっていないじゃん? 自分ではそういう意識、ないじゃん? カニエはどう思っているのかな? 意識、あるのかな? ちょっとはあるかな?

(田中宗一郎)でもやっぱり、うーん……。

(Orono)でもその、何かがやりたいとか、そういうのはあんま考えてないっていうことだね。本当にやんなきゃダメなんじゃないかな? あいつは。

(田中宗一郎)うん。まあ、そうだね。この前、コーチェラの時のサンデーサービス、見た?

(Orono)見てない。バスでボーッとしていた。だってクソ暑いんだもん。

(田中宗一郎)だってステージとかじゃないわけよ。平たい大地みたいなところで……。

(Orono)うんうん。(Superorganismの)他のみんなは行っていた。

(田中宗一郎)でしょう?

(Orono)でも、朝の8時、9時から2、3時間やるやつだから。もう嫌だ。

(田中宗一郎)もう激スピリチュアルなわけよ。もう「Oh, God!」の世界なわけですよ。俺、唯物論者だから全然宗教的なあれはないので。それで泣いたりとかしているのよ。

(Orono)でも、そういうの感じない?

(田中宗一郎)「感じる」っていうか、カニエってそういう人じゃん。だからある種の、ここ数年のカニエのパブリックイメージじゃない、素のままのカニエがいちばん出てるタイミングなんだと思ったな。

(Orono)うん。

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<書き起こしおわり>

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