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PUNPEEと田島貴男 音楽的ルーツと『接吻』制作を語る

PUNPEEと田島貴男 音楽的ルーツと『接吻』制作を語る SOFA KING FRIDAY
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ORIGINAL LOVE・田島貴男さんがJ-WAVE『SOFA KING FRIDAY』に出演。PUNPEEさんと自身の音楽的ルーツや名曲『接吻』の制作話などをしていました。

(PUNPEE)田島さんってやっぱりポップソングとかラブソングとは別に、すげー尖った感じの曲だったり。包帯を巻いてライブしたり。そういう部分が2つあると勝手に思っているんですけども。

(田島貴男)はいはい。元々はね、そっちだったんだよね。

(PUNPEE)ああ、その尖っている感じっていう?

(田島貴男)中学校ぐらいから音楽が好きになって。それで割とすぐの時期に、僕らの世代のミュージシャンはだいたいそうなんだけど。パンク/ニュー・ウェイヴっていう音楽……ロンドンパンクっていうのが76年、77年ぐらいに起こってさ。それでそれが日本に入ってくるのがだいたい78年、79年ぐらいかな?

(PUNPEE)ああ、当時はちょっと時間がかかって。

(田島貴男)そうそう。めっちゃ時間がかかっているんですよ。いまと比べて当時は。しかも、その入ってきかたも一気にバーン!ってネットでみんなが知れるっていう状況じゃなくて、本屋とかレコ屋。しかもマニアックな。そういうところに行って、たとえばパンクみたいなもののビデオが流れていたりとか、音楽のレコードが売っているとか。そういうのがそこだけで知れるっていう感じだったの。だから僕、中学の1、2年とかの時に、その当時はまだ日本に輸入レコードっていうのは日本になくて。直輸入レコード屋……僕はその当時、神戸に住んでいたんですけど。直輸入レコード屋さん、いまで言うと日本のレコード会社を通していなくて。だから1500円とかで買えるやつ、あるじゃん?

(PUNPEE)ありますね。輸入盤。

(田島貴男)そう。輸入盤屋さん。それがはじめて神戸にできて。

(PUNPEE)結構その当時の尖っている感じの音楽を輸入したり?

(田島貴男)そうそうそう。だからセックス・ピストルズとか。まあその当時はピストルズはもうなくて。PiLってういジョン・ライドンが新しく作ったアブストラクトなグループの新譜がね……2枚目のアルバム『Metal Box』というアルバムがあるんですけど、それが出ていて。で、『Metal Box』って缶に入っているのね。

(PUNPEE)それで売っていたんですか?

(田島貴男)缶で、1万円ぐらいする。45回転のアルバムが中に3枚入っていて。

(PUNPEE)ああ、レコードが。

(田島貴男)そう。そういうのが新譜が置いていたり。それで「なんだ、これ?」とかって。それで中学1年の時にそういうものを見て、「すごいことが世の中にはあるんだ!」って思っちゃって。そこから高校ぐらいまで、ずっとそういうニュー・ウェイヴとかパンクとか、まだヒップホップが出てくる前。

(PUNPEE)たとえば髪を尖らせたりとかしていたんですか?

(田島貴男)そうそうそう。

(PUNPEE)あ、してたんですね。

(田島貴男)だから高校の1、2、3年はずっとこう、立っていたのよ。でも僕らの世代って結構やっているやつは多かったんだけど。その、ダイエースプレーっていうさ、すげー安いやつで。

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ダイエースプレーで髪を立てる

(PUNPEE)俺、ダイエースプレーってなんかで見た気がする。本に書いてあったかも。

(田島貴男)300円ぐらいかな? めちゃくちゃ安いスプレーがあって。糊みたいなの。とにかくカッチカチになるんです。それをだからお風呂から上がったら、全部頭を下に向けてさ。それでザーッとやって。

(PUNPEE)ああ、下に向けた状態でやると、こう……?

(田島貴男)全部が立つんで。それでそのまま寝るんですよ。

(PUNPEE)あ、それで寝るんですか。寝て、次の日?

(田島貴男)次の日、起きてもそのままの状態で。だから固すぎて。

(PUNPEE)ああ、なるほど。1回、寝なきゃいけないんですか?

(田島貴男)いや、朝は時間がないじゃん?

(PUNPEE)なるほど。じゃあ、夜にそれをやって?

(田島貴男)それをやって寝るという。

(PUNPEE)結構頭皮には堪えそうな……。

(田島貴男)そうそうそう。でも若いから大丈夫。そういうのは。高校生だから。

(PUNPEE)田島さんにもそんな時期があったんすね。でも、その流れからどうしてそういう『プライマル』とかだったり……。

(田島貴男)そうだよね。飛躍、すごいよね(笑)。

(PUNPEE)すごい。「急」でもないですけど(笑)。

(田島貴男)まあ、その間に20年ぐらいあるんで。あ、10何年かな? で、高校ぐらいまでずっとパンク/ニュー・ウェイヴみたいなのを聞いていたんだけど。まあ時代もあって。ちょうど僕が大学に入ったぐらい。1986年ぐらいかな? そのぐらいにラン・DMCが出てきたのよ。その前まで、ヒップホップは日本にほとんどなかったんだけど。そしたらさ、ラン・DMCが入ってきたら急にね、ニュー・ウェイヴとかパンクの人たちがいなくなったっていうか。フッと、時代というか空気がガラッと変わっちゃって。それでラン・DMCみたいなああいうヒップホップっていうのはとにかくいちばんかっこいいものだって。

(PUNPEE)その人たちがそうなっちゃったっていうことですか?

(田島貴男)なったというか、なんか急に色あせたんだよね。

(PUNPEE)へー。そのパンクスというか。へー。

(田島貴男)ジョン・ライドン自身もそうだったから。PiLっていうグループをやっていた彼自身もヒップホップとかが出てきたら急にそっちの方向に行っちゃって。クラッシュのミック・ジョーンズっていう人とかも急にそういう感じになったの。全員が。

(PUNPEE)へー。ああ、もう全部流れが変わった?

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ヒップホップの登場で流れが変わる

(田島貴男)全く変わって。それで僕らにとっては新しすぎて、ついていけなかった。俺なんかだからさ、大学に入ったもんだから自分はまだニュー・ウェイヴが好きな部分があって(笑)。でも急になんていうか、ラン・DMCとかLL・クール・Jとかさ。いろいろと出てきて。いわゆるいまで言う超オールドスクールですけども。だんだんそれがある種、クリエイティブなアーティスティックな音楽に変化していくっていう時期で。

(PUNPEE)はいはいはい。

(田島貴男)だからあの時期は、そのいわゆるとんがった人たちはみんなさ、「これは面白いぞ!」ってそっちに流れていくんだけど、俺自身はまだ気分的にニュー・ウェイヴなの。「急には行けないっす」みたいな。

(PUNPEE)「そっちには急には行けない」って(笑)。

(田島貴男)俺はそっちに急には行けないって。こんなに髪を立ててやっているし。それでどうしようかな?って思って。ただ、ブラックミュージックだといわゆる楽器を弾いて曲を作って……っていうフォーマットがあって。まだね、ヒップホップもあるけれどもいわゆるブラック・コンテンポラリーとかブラックミュージックっていうのも完全になくなったわけではなかったから。当時は。だからそういう影響を受けながら自分の音楽をできるんじゃないかっていうところがあって。それでブラックミュージックばっかりを聞くようになって。

(PUNPEE)でも結構それが考えるきっかけになったというか。ポップスとかの曲の構造を探るきっかけになった感じですかね?

(田島貴男)うーん。

(PUNPEE)俺、結構あの話が好きで。田島さんがすごいパンクキッズだった時に郡山の体育館にスティービー・ワンダーが来たっていう。

(田島貴男)衝撃でした。

(PUNPEE)その話が結構好きで。その時、友達に誘われて割と渋々めじゃないですけども。

(田島貴男)そうそうそう。その時、髪を立てていたから(笑)。

(PUNPEE)フフフ、髪を立ててスティービー・ワンダーを(笑)。で、そんなに気が進まなかったけど、見に行ったら……。

(田島貴男)3曲目でね、勝手に踊っていた(笑)。

(PUNPEE)その話、すごい好きで。

(田島貴男)スティービー・ワンダーなんか、いちばん顕著ですよね。曲が凝っているっていうか。やっぱりいま、レコードを聞いたりなんだかんだするようになって。あと、ジャズを習ったりもして余計にわかるんだけど。そんぐらいの深さっていうかさ。凝っていた、いわゆる工夫をしていたっていう意味ではすげえ工夫をしていたんだなって。特にスティービー、20代の黄金期、絶頂期があるんだけど。あの頃の音楽はそうですね。50になってわかった部分があるんで。

(PUNPEE)はいはい。また改めて聞いてみて。

(田島貴男)そうそう。「あ、こんなことしていたのか、スティービーは!」っていう。やっぱり彼は当時のいろんなソウル・ミュージックがあるんだけど。

(PUNPEE)すごいBメロとかで難しいことをするけど、ちゃんとサビでポップになるとか。そのバランスとかが結構面白くて。

(田島貴男)よくできてる!

(PUNPEE)なんか、やっぱり小難しいことを入れたくなるじゃないですか。いろいろと聞いている身としては。そのへんのバランスを考えて作ったりもしているっていう感じ。なんかそういうのを書いていたりして。自分もわかりやすいフロウやメロディーで行きたいんですけど、やっぱり昔の結構そういうドープな時代のやつらにもちゃんと聞いてもらいたいから、ドラムブレイクを昔の定番の打ち方と同じにしたりとか。あとはこう、いきなりそこでテクニックを使ったフロウをしたり……っていう工夫をしちゃうんですよ。ただわかりやすいんじゃなくて。

(田島貴男)うんうん。いいんだよ、それで。

(PUNPEE)それがすげえ共感を勝手にしてしまいました。

(田島貴男)でもやっぱり、曲の面白さとか深さとかっていうのは、その曲を考えている時間とかさ、あとは熱量っていうか。それって現れるもんね。

(PUNPEE)その曲にですか? たしかに。スルッと書いた曲は結構スルッとわかる気もするな。

(田島貴男)あのね、ただいろいろと長いこと考えて曲とかを書いているうちに、時々スルッとめっちゃいい曲ができたりするのよ。

(PUNPEE)フフフ(笑)。それはちなみに田島さんで言うと、なんですか?

(田島貴男)『接吻』とかそうだよ。

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ORIGINAL LOVE『接吻』

(PUNPEE)あれは結構短期間で?

(田島貴男)あれはあっという間にできた。だからなんかさ、その前にめっちゃいっぱい失敗したり、いろいろと考えて作った曲とかがいっぱいあるわけ。

(PUNPEE)無意識に蓄積していたものが?

(田島貴男)そう。いろいろとやってきた中で突然スルッとさ、ある程度手法とかが自分に身についたのかもしれないね。だからその時に急に1曲、なんも考えずにフッとできるみたいな。

(PUNPEE)あれ、タイトルもなんで『接吻』にしようと思ったんですか? 言ったら日本語じゃないですか。

(田島貴男)そうだよね。タイトル、反対された。

(PUNPEE)当時ですか?

(田島貴男)「日本語で『接吻』って、そんなの難しいだろ?」って言われて。

(PUNPEE)最初はじゃあ、普通に「Kiss」みたいな感じで?

(田島貴男)なんかね、周りの人は「ちょっと『接吻』じゃあ古典の昭和文学みたいだから……」って。だけど僕は『接吻』ってつけたのはなんか、昔の萩原朔太郎っていう詩人がいて。その詩人に『接吻』っていう詩があるんですよ。

(PUNPEE)へー。元ネタはそうなんですか。

(田島貴男)そう。っていうかね、萩原朔太郎だけじゃなくて昭和初期の詩人って『接吻』っていう詩をいろんな人が書いている。で、僕は昔、そういうのが好きだったから。だからそういうタイトルをつけたかったっていうか。あえて。なんかだから、たとえば『大人のKiss』とかそういうトレンディーなタイトルをいろいろと周りの人は言ってきたんだけど。でもそれって流される雰囲気がプンプンしていて。その時代なりなんなりの。で、それはちょっとな……っていうところは自分としてはあって。

(PUNPEE)結構そこは自分の中でも通したところだったんですね。

(田島貴男)通したところでもあって……っていうのはありましたね。

(PUNPEE)なるほどです。

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Stevie Wonder『Sir Duke』

<書き起こしおわり>

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