プチ鹿島 新元号「令和」典拠報道・新聞各紙読み比べ

プチ鹿島 新元号「令和」典拠報道・新聞各紙読み比べ YBSキックス

(プチ鹿島)昨日、僕は本当にしみじみとしてしまったんですけども、「保守ってなんだろう?」って思うんですよね。だからいまの安倍さんの政策を支持することが「保守」なのか、もしくは長く続く「これだけは変えちゃいけないよね」っていうものを守るのが「保守」なのか。どっちなんだろう?って思うんですが。

(海野紀恵)ええ。

(プチ鹿島)菅官房長官が昨日、発表したじゃないですか。ちょっと声が高ぶってましたけどもね(笑)。

(海野紀恵)ちょっと、若干ニコニコされてましたよね?(笑)。

(プチ鹿島)そうそう(笑)。で、その後に安倍さんが談話を発表されたじゃないですか。あれも聞いていたんですけど、僕はやっぱり「あれ?」っていうことがあって。やっぱり、あそこは政策を発表する場じゃないじゃないですか。元号の説明というか、そういう談話の場面なんですけど、「働き方改革」とか「抵抗勢力」とか、言っちゃあ生々しいものが入っていたわけですよね。これ、なんかすごくざわざわしていて、どこかの新聞がこれを掘り下げてくれないかな?って思ったら、今日の東京新聞の「こちら特報部」っていうのがね、ずばり書いてくれたんですよ。やっぱり新聞って便利ですね。

(海野紀恵)うんうん。

(プチ鹿島)「違和感あり 首相会見 政策PRなぜ『まるで所信表明』」っていう。たしかに所信表明みたいですね。

(海野紀恵)そうか。はい。

(プチ鹿島)で、実は安倍さんと40年間のお付き合いがあるという政治評論家の有馬晴海さんという方があの談話を見て、「だんだん話が手前味噌になっている。抵抗勢力は新元号とは何の関係もない。お祝いの場で言う必要のない言葉が並んだ」って。40年間も付き合いのある政治評論家が言っているんですよ。だからそう感じたのは僕だけじゃなかったんですね。「えっ、抵抗勢力?」っていう。で、今度は宗教評論家の大角さんという方がこんなことを述べています。「代替わりの時にたまたま首相という立場にある人は『選定作業にあたらせていただいた』というぐらいの抑制が必要。自らの政策を持ち出すのは出過ぎた印象だと話す」ということで。まあ、考えてみれば昭和から平成になる時の竹下登さんと小渕恵三さん。あの時はもちろん昭和天皇が崩御されたという、そういう大前提がまずあったから、そんなににぎやかムードにならなかったというのはたしかなんですけども。

(海野紀恵)うん。

(プチ鹿島)あの時のあの粛々さと比べると今回はなんか働き方改革とかいろいろと入れちゃって、「自分が決めた」アピールをしすぎなんじゃないか?っていう。そういう論点も面白かったですよね。で、あとはみんな、「国書からの出典は初だ」って胸を張っているんですが、しかしより古い中国古典には似た漢文があり、結局は中国の古典が出典なのではないか?って。だからこれ、実は発表される前に「日本と中国のダブル出典という形で決着をつけるのでは?」っていう、そういうニュースもあったんです。でも、実は漢籍、中国の古典が出典であるということに関しては昨日、記者会見で問われても明言はしていないんですよ。やっぱり「日本初」っていう。

(海野紀恵)うん。

中国古典との関係は明言しない

(プチ鹿島)で、さっきの笹川さんの言説を読んでみると、こんなことが書いてあったんですよ。「日本には優れた造語の歴史がある。特に明治以降は和製漢語が中国に導入されている」という。つまり、中国からいただいているだけではなく、日本から和製の漢語を逆に中国に輸出しているんだっていう。これ、つまりは「日本すごい論」なんですよね。だから「国書から選ぼう」っていう。

(海野紀恵)うーん。

(プチ鹿島)だけど、元をただすとやっぱり中国からじゃないかっていうことで。日経新聞の春秋という一面のコラムでは「初めて国書から元号が生まれたと寿ぐだけでなく、アジアと日本の文化の流れを大きな目で見つめる契機にすればいい」っていう。そうですよね。

(海野紀恵)そうですよね。全体。

(プチ鹿島)もう日本だの中国だのって……だからこれ、面白かったのは朝日新聞が識者、歴史学者とか詳しい人に聞いているんですけども。実は万葉集が流行る時っていうのは国力が下がっている時なんですって。

(海野紀恵)へー!

(プチ鹿島)他国、隣国に強い国ができると、一致団結するために……みたいな。それってまさに現在の中国もそうじゃないですか。だからそんな近視眼的な理由で漢籍を避ける?って思っちゃうんですけども、元をただせば結局は中国だったっていうね、オチがついてしまったということで。だから小渕さんと竹下さんの時と比べてだいぶ談話とか会見、発表の仕方が異なっていて。これ、最後にお話すると、いま発売している文藝春秋っていう雑誌があるんですけど。これ、平成31年間、1年で1人ずつ人物をあげて、その人に詳しい人がお話をしているんですよ。

(海野紀恵)ええ。

(プチ鹿島)たとえば平成元年は竹下登さん。それに関してコラムを書いているの後藤謙次さんっていう、僕はいまサンデーステーションでご一緒しているすごいジャーナリストの方なんですが。その竹下さん、「汗は自分がかいて手柄は人にあげる」というのが信条で。本当は竹下さん、亡くなった後に親族に聞いたら、やっぱり元号は自分で発表をしたかったけど、手柄は小渕さんに。やっぱり元号に関して一生懸命だった小渕さんにやってもらったっていう。まあ、そういう竹下さんのと比べると30年経ったらえらい違うなっていうね。

(海野紀恵)そうですね。

(プチ鹿島)張り切っちゃったね。菅さんね(笑)。まあ、つまり革命が起きたっていうことですね。で、もっと言うと、じゃあ「革命」という言葉が強すぎるならば、でも「平成」っていう時代に政治家たちが何を一生懸命アピールしていたのか? それは保守政治家に限って「改革」なんですよね。小沢一郎さんから始まり、小泉純一郎さん、安倍さんも小池百合子さんもそう。「保守的な」と言われる人ほど「改革」というものを旗印に掲げていたじゃないですか。

だからこの「平成とはなにか?」っていうのを語るのにあたって、やっぱり保守の人に限って改革を旗印に掲げていて。それでそれが成功したのかどうかはわからないですよ。失敗してるのもありますけども。だから保守にとっての改革とはなにか?っていう意味で。そして平成の最後に改革中の改革、元号を中国の古典を典拠とするのをやめて、日本の古典から選ぶという。僕に言わせるとそれは革命なんじゃない?っていうのが昨日、とどめのように再確認できたんです。

(海野紀恵)おおー、面白い!

(プチ鹿島)ということでございます。火曜キックス、スタートです。

<書き起こしおわり>

タイトルとURLをコピーしました