(高橋芳朗)こういう時代に、やっぱりジェイ・Zが非常にトレンドに敏感な反応を示していて。さっきも言った通り、スウィズ・ビーツとかティンバランドとかネプチューンズとか、新しいプロデューサーを積極的に使っていたのプラス、こういうサウスの時代に南部のラッパーも起用し始めたと。
(渡辺志保)おおっ、さすがジェイ・Zですね。
(高橋芳朗)これが、代表的な作品で言うと、ジェイ・Zの『Big Pimpin’』にフィーチャリングでテキサスのUGKを連れてきたという。
(宇多丸)しかもこれ、ジェイ・Zで、それまででいちばん売れた?
(高橋芳朗)そうですね。『Hard Knock Life (Ghetto Anthem)』みたいなヒット曲もあったんですけど、まあこの曲はデカかったですね。うん。
(DJ YANATAKE)やっぱりみんな南の方が数字があることに気がつき始めたんですよね。
(宇多丸・高橋)アハハハハッ!
(渡辺志保)南のやつらを引っ張ると、売れるっていう。
(宇多丸)「数字、持ってるぞ!」っていうのが現実になっちゃった。それでまあ、でも『Big Pimpin’』は超かっこいいからね。これはしょうがない!
(高橋芳朗)この『ラップ・イヤー・ブック』で……。
(宇多丸)『ラップ・イヤー・ブック』っていう本ね。
(高橋芳朗)はい。すごい面白い本なんですけど。これに『Big Pimpin’』の制作秘話みたいなのが載っていて。最初、ジェイ・ZがUGKを誘った時、UGKはなんか断ったらしいですね。ピンプ・Cが。
(宇多丸)なんで?
(高橋芳朗)なんだろう。「俺たちの流儀に……」って。でも、ジェイ・Zは「絶対にこれ、ビッグな曲になるから!」っつって説き伏せたらしいですね。
(宇多丸)そういう感じだったんだ。
(高橋芳朗)それでUGK的にも大成功になったわけです。
(宇多丸)という、非常に大きな曲になったジェイ・Z『Big Pimpin’ feat. UGK』!
(高橋芳朗)ティンバランドのプロデュースです。
JAY-Z『Big Pimpin’ feat. UGK』
(宇多丸)はい。ジェイ・Z『Big Pimpin’ feat. UGK』でございます。2000年といことでね。
(高橋芳朗)UGKに声をかけたのがジェイ・Zの……。
(渡辺志保)ねえ。先見性というかね。
(宇多丸)さすが、ビジネスマンとしても優秀。
(渡辺志保)ビジネスマンですから!
(宇多丸)ということで、ジェイ・Zも完全にサウスモードに。
(DJ YANATAKE)やっぱりニューヨークにこれを持ってこれて、大ヒットしたのは本当にトレンドセッターだったんですね。
(高橋芳朗)そうですね。
(宇多丸)大きく流れが変わってきたところで、さらにね、田舎の意地を見せる。
(高橋芳朗)予想もしなかったところからヒット曲が生まれてきたという。
(宇多丸)どこですか?
(高橋芳朗)ミズーリ州セントルイス。
(宇多丸)これまで、セントルイス出身のラッパーっていうのはあんまり……。
(渡辺志保)なかったんじゃないですかね。ヒットを飛ばすという意味では。
(高橋芳朗)シーンはあったのかもしれないけど、フロントラインに出てきたことはなかったと思うんですけど、ネリーというラッパーが。
(渡辺志保)ネリー!
(高橋芳朗)どうですか? 広島出身の志保さんとしては?(笑)。
(渡辺志保)そうですね(笑)。ネリーの、まさに『Country Grammar』っていう曲でヒットを飛ばしてデビューしたラッパーじゃないですか。で、私は広島出身で、めちゃめちゃ方言がキツいんですよ。で、方言押しをしてくれるラッパーがやっと来た! みたいな。
(DJ YANATAKE)広島弁ラップがめちゃめちゃ流行るみたいなこと?
(渡辺志保)そうそうそう! それが、全米のリスナーが広島弁のラップをみんなで歌っているみたいな感じじゃないですか。これって。なので、そういうのはすごくね、田舎に住む中学生? 高校生だったかな? そんな私としては、「キターッ!」みたいな。
(宇多丸)痛快だったと。
(高橋芳朗)ねえ。地方から出てきたっていうのを全面に打ち出してますからね。これね。
(宇多丸)『Country Grammar』って……。
(高橋芳朗)フフフ(笑)。
(渡辺志保)ネリーはやっぱりルックスもすごくかっこよかったし、ファッションもいわゆるダボダボファッションの本当に地を行くような感じで。どんだけデカいシャツ着てるんだ? みたいな。そういうのも、やっぱりビデオとかを見ながら興奮していましたね。当時。
(宇多丸)あと、やっぱり節をつけたというか、メロディックなフロウとか。
(渡辺志保)そうですね。歌うようなね。これは本当にいまのシーンにつながるような。
(高橋芳朗)たしかに。ラップと歌の境界線を行くような感じのフロウですね。
(宇多丸)そうそう。ここでやっぱりまたちょっと一時代変わったなっていう感じがしましたけどね。じゃあ、これはさっそく志保さん、お願いします。
(渡辺志保)では、聞いてください。ネリー『Country Grammar』。
Nelly『Country Grammar (Hot…)』
(宇多丸)ねえ。ネリーの陽気なね、田舎言葉。
(高橋芳朗)フフフ(笑)。やっぱりちょっと田舎感、あるかな?
(渡辺志保)あるかも。だから、ジェイ・Zとかのスケールに比べるとやっぱりちょっとローカルヴァイブスが……。
(高橋芳朗)『Big Pimpin’』の後に聞くとね。
(宇多丸)なんか都会派とさ、田舎で陽気にはしゃいでいる感じがね。
(渡辺志保)いいんですよ。それがね。
(宇多丸)パーティーにはね。
(DJ YANATAKE)でも、その地元発のスターだと、みんなが応援したら……数字を持っていたんですよ。
(高橋芳朗)フハハハハッ! 数字(笑)。
(渡辺志保)そう。数字を持っていた。だからレーベルとかも「こいつら、ちゃんと耕せばいいものを出してくるぞ」っていうことでね。
(高橋芳朗)でも結構当時、ネリーは無敵でしたよね。『Hot In Herre』とか『Dilemma』とかね。
(渡辺志保)そうそう。ケリー・ローランドとね。
(高橋芳朗)全米ナンバーワンヒットを連発していて。
(DJ YANATAKE)「あいつ、田舎の兄ちゃんだったのに、急にポップスターになっている!」みたいな感じだったと思いますけどね。
(宇多丸)なんかその感じで、「ああ、潮目が本当に、本っ当に変わった!」って俺は感じたのはやっぱりネリーですね。Harlemで見ていて、ネリーで大盛り上がりしていて、「ああ、これは潮目が……」って。
(高橋・ヤナタケ)フハハハハッ!
(宇多丸)「これは潮目が変わったわ!」って。
(渡辺志保)ネリーとか、あとはちょっと後かもしれないけどジャ・ルールとかがね、出てきて。ああいうちょっと女性シンガーとの絡みがよりアップグレードされた感じはありますね。
(宇多丸)はい。ということでウェイウェイしてまいりました。
(高橋芳朗)ここで南部とか地方勢の躍進の一方で、独自に一大巨大帝国を築き上げていたのがドクター・ドレーのアフターマス!
(宇多丸)脈々とドクター・ドレーは、デス・ロウの後はアフターマスというね。映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』でもラストで「アフターマスという新しいレーベルでやるよ」っていうところで終わってますけども。
(高橋芳朗)で、ドクター・ドレーの『The Chronic』の後のセカンドソロ・アルバム『2001』が1999年の暮れぐらいに出たんでしたっけ?
(渡辺志保)そうですね。もうアルマゲドンか『2001』か、みたいな感じで。
(高橋芳朗)これがまあ、衝撃的でしたよね。なんか、ジワジワと本当に侵食していったというか。中毒性がすごく強かったというか。
(宇多丸)やっぱりずーっと聞いていても飽きないシンプルなワンループであり、それがもっと研ぎ澄まされたというか。
(高橋芳朗)『Still D.R.E.』とか……(イントロを聞いて)これですよ!
(渡辺志保)これですね!
(高橋芳朗)『Still D.R.E.』と『The Next Episode』がずーっとHarlemでもいつまでかかるねん!っていうぐらい。
(DJ YANATAKE)なんならいまだにかかってますからね(笑)。
(高橋芳朗)フハハハハッ!
(渡辺志保)でもこれ、クラブで聞いた時の衝撃みたいなのはすごかったですね。「こんな風に音が響くんだ!」みたいな。
(宇多丸)うんうん。ドクター・ドレーはデカい音で聞くとさらに実力がね。
(高橋芳朗)なんかいきなりはピンと来なかったかな。クラブで繰り返し聞いている中で、「やっぱすげえな!」っていう。
(宇多丸)『The Next Episode』とかもう死にましたけどね!
(渡辺志保)あれは、イントロからね、ちょっとズルい感じがしますね。
(高橋芳朗)『The Next Episode』も聞きたいな……。(イントロがかかる)ああっ、来た!
(宇多丸)イントロ掴み曲はいいですよね。ちょっと聞こうか。
Dr. Dre『The Next Episode ft. Snoop Dogg, Kurupt, Nate Dogg』
(宇多丸)やったー! よく出来ているよ。本当に。ということで、いまスヌープがラップしていたし、このへんはまださ、メンツがある意味さっき聞いていたデス・ロウラインとそのまま来ているわけだけど、ここでまた、ほら。
(高橋芳朗)そうですね。そのドクター・ドレーの『2001』が出た1999年にドクター・ドレーのバックアップでデビューしたのがエミネムですよ。デトロイトから。
(宇多丸)エミネム、来てしましました! エミネムっていうのがまたね……さっき、90年代の時にヴァニラ・アイスが出てきて、白人ラッパーがキングの座に座るのか?って。それは単純のヴァニラ・アイスがあんまりかっこよくなかったっていうのが大きいんだけど、もうエミネムは超絶に上手いし。テクニカルで。
(渡辺志保)それこそフリースタイルバトルのシーンから成り上がってきたっていうね。
(宇多丸)それでいて、たとえばサード・ベースとかみたいな、黒人ラップに近づける白人スタイルじゃなくて、結構さ、声の出し方から何から、全然白人感を出したままスキルフルっていうか。で、あとやっぱりすごい考え抜いて作られたリリック。
(渡辺志保)そうね。『Stan』とかね。
(宇多丸)そうなの。だから、やっぱりエミネムの登場も割と勇気づけられるというか。「ちゃんと日本人は日本人らしくて、頭を使ってやるので全然いいんだよな」みたいな。エミネムにはすごくね……がんばってほしいです(笑)。
(渡辺志保)当時、私もすごい衝撃的だったのは、クリスティーナ・アギレラとかブリトニー・スピアーズとか、それこそイン・シンクのことをすごいディスっていたのね。PVの中でもすっごい卑猥な感じでブリトニーをディスっていたりとかもして(笑)。
(宇多丸)ゲスの極みですよね。本当に。
(渡辺志保)そうそう(笑)。で、こういうのってそれこそネリーとかジェイ・Zとかそういう本流の黒人のラッパーは絶対にしないことじゃないですか。そういうのを面と向かって、そこで突っ走っていたっていうのもすごく衝撃的でしたね。
(高橋芳朗)めっちゃ茶化していたもんね。
(宇多丸)やっぱり白人キッズ感というか、ホワイト・トラッシュ感というか。
(渡辺志保)悪ノリ感みたいなのが、またちょっと違ったのかなと。
(高橋芳朗)で、エミネムといえば、2002年に自分が主演した映画『8マイル』が公開されて。
(宇多丸)これもね、映画としてよく出来ていたからね。またね。で、これによってある意味、常に映画とか映像メディアが他の地域や他の国――日本も含めた――に、文化を広めていく役割を果たしているんだけど。『8マイル』によってさ、たとえばフリースタイルバトルっていうのを志した人だっていっぱいいると思いますから。デカいですよ、これは。
(渡辺志保)デカい!
(宇多丸)しかも、本人の実像にある程度沿っているわけだからっていうね。じゃあ、エミネムは、いろんな曲がありますけども。ゲスの極みみたいな曲もありますけど。
(高橋芳朗)ありますけど……じゃあその曲を行きましょうか。映画『8マイル』の主題歌ですね。エミネムで『Lose Yourself』。
Eminem『Lose Yourself』
(宇多丸)はい。映画『8マイル』の主題歌でございます。エミネムで『Lose Yourself』。2002年でございます。
(DJ YANATAKE)なんかエミネムは新しく、またMCバトルを題材にした映画を。プロデュースした映画『BODIED』っていうのを……。
(渡辺志保)トロント映画祭だったかな? で、公開されて。すごく前評判はいいみたいですね。
(DJ YANATAKE)楽しみですね。
(高橋芳朗)あと、ここでちょっと言っておきたいのが、この時にドクター・ドレー、エミネム、スヌープ、アイス・キューブ、イグジビットとかを引き連れて、『Up In Smoke Tour』っていうのをやって。
(渡辺志保)ありましたね!
(高橋芳朗)あれがヤバすぎでした。
(渡辺志保)めっちゃVHS見てましたよ。私、それ。
(高橋芳朗)もうCISCOでヤナタケさんに無理やり……もう袋に入ってましたね(笑)。「このVHSは絶対に見ておけ!」っていう感じで。ビデオ、買いましたわ。
(渡辺志保)とんでもないツアーでした。
(宇多丸)超巨大ツアーというか。スタジアム級でガーッとやって。
(DJ YANATAKE)いまも動画なんちゃらで見れると思うんで。見た方がいいですね。
(宇多丸)まあ、要するにヒップホップがそんだけ巨大な動員もするし、超豪華なショーをするぐらいの規模になったというかね。最初からしたら本当に考えられないことでございます。さあ、それでアフターマスはもう1人ね。
(高橋芳朗)そうですね。ドクター・ドレーがエミネムに続いて送り出してきたのが50セントですわ!
(宇多丸)まあ、だからとにかくドレーのラッパーフックアップ力、発掘力っていうか……だって50だって急に出てきた人じゃないじゃん。
(高橋芳朗)1回、トラックマスターズっていうプロデュースチームのバックアップで90年代にデビューしているんですよね。その時はあんまりパッとしなくて。まあ『How To Rob』っていう曲がちょっとヒットしたんですけども。
(宇多丸)『How To Rob』(笑)。だからすごいですよ。彼の発掘力と育成力というか。
(渡辺志保)そうですよね。しかもエミネムがヒットして、同じ系統のラッパーに光を当てるのではなくて、また全く違うニューヨーク出身のすごいサグ野郎だった50セントを引き入れるというところがすごいなと。
(宇多丸)50セント、売りは一応ドラッグディーラーをやっていて。
(高橋芳朗)あと、1回メジャーレーベル、コロンビアと契約をしてドロップされるんですけど、彼がどうやって這い上がってきたか?って言ったら、ミックステープなんですよ。
(宇多丸)ミックステープ。これ、「ミックステープ」っていうのは説明がいるんじゃないですか?
(高橋芳朗)カセットテープではないんですよ。
(DJ YANATAKE)CDなんだけど(笑)。
(宇多丸)要は、ミックステープって昔はテープでやっていたのの名残りですよね。呼び方の名残りで「テープ」って言っているけど。
(高橋芳朗)まあ、わかりやすく言うと「自主制作アルバム」なんですかね?
(渡辺志保)そうですね。結構「ストリートCD」なんて言われることもありましたね。当時。
(高橋芳朗)はいはい。それを非公式で。自分たちで作っているんだけど、レコード会社を通さないで、非公式で。ヒット曲のオケを使って自分たちで新たに歌詞を乗せて。
(宇多丸)いわゆる「ビートジャック」というやつですね。
(高橋芳朗)そうですね。それで、1枚アルバムを構成したものを、CD-Rでバンバン街で売っていくという。
(DJ YANATAKE)何でもありっていう感じだよね。本当に当時、ニューヨークに行ったことがあるんですけど。本当に道端でいろんな人がもう、ゴザを敷いて売っていたり、タバコ屋さんの横で売っていたり。それでもう、成り上がって店を大きくしたやつもいたりとか(笑)。
(高橋芳朗)フハハハハッ!
(宇多丸)面白いよね。だから、要は最初は人のレコードを使ってラップを乗っけて……っていう時代です。で、最初はサンプリングだの何だのも無断でやって。まあ、ぶっちゃけダメじゃないですか。で、やっぱりこの時代にになっても。めちゃめちゃ、だってスタジアムを埋める、そういう時代になってもなお、やっぱりヒップホップを動かす原動力はなんかちょっとグレーゾーンっていうか。グレーじゃないよ。もうブラックです!
(高橋・ヤナタケ)フハハハハッ!
(宇多丸)真っ黒けですよ。そういうイリーガルなというか、ストリートなやり方でのし上がっていくという。
(DJ YANATAKE)面白かったですよ。「あそこのあいつのところには、もうあれが入っていて。あいつのところにはもう50セントの新しいのが入っている」とか、情報を聞いて。ストリートをCDを探すんですよ。
(宇多丸)ヒップホップっていうのはだからね、他のジャンルと違うのはそういう情報ネットワークっていうか。
(渡辺志保)たしかに、そうですね。私も当時、だからマンハッタンレコードに言って、新しい12インチの値段を聞いて。でも、優しい店員さんが「○○の方が10円安かったっすよ」みたいな感じで教えてくれて……とか。そういう宇田川町のレコ屋のネットワークもかなり頼りにして、当時レコードとかCDとか買っていた気がします。
(宇多丸)ネットワーク、口コミ文化というかね、そういうヒップホップの本質があるからこそ、いわゆるミックステープ、ストリートアルバムというのでのし上がっていったと。
(高橋芳朗)あと、50セントで言っておきたいのが、『How To Rob』っていういろんなラッパーをディスする曲で出てきた人なので、本当に誰にでも噛み付いていくんですよ。この人は。そんなのもあって、襲われて撃たれているんですよね。
(宇多丸)一応、9発撃たれたと。
(高橋芳朗)9発撃たれたって言われてますね。そういうところから生還してきたというバックグラウンドがあって。その時、ずっとヒップホップを聞いてきた人間からすると、何を考えるか?っていうと、やっぱり頭をかすめるのは2パックとビギーのことなんですよ。
(宇多丸)銃撃されて死んでしまったという。
(高橋芳朗)だから、そういうヤバい死のイメージを50セントがなんとなく引きずっている。利用している感じはすごいあったなという気はしました。
(宇多丸)それでいて、ちょっと顔はファニーっていうかさ(笑)。
(高橋芳朗)アハハハハッ! ちょっととぼけた感じ、ありますね。
(宇多丸)ちょっと親しみやすい顔をなさっているとか。このあたりね。いまは俳優としてもすごい活躍していたりしますけども。
(渡辺志保)彼もまた実業家として名を馳せてますからね。
(宇多丸)ああ、そうだ。飲料水とかありましたね。さあ、ということで、50セントといえば、僕はもうこのビデオとか大好きですけども。
(高橋芳朗)アハハハハッ! まさにエミネムとドレーがラップマシーンを作り上げていくっていうビデオですね。
(宇多丸)(『巨人の星』の)オズマのようなね!
(高橋・ヤナタケ・渡辺)フハハハハッ!
(宇多丸)古いよ!
(高橋芳朗)古すぎます! 説明がいるやつですよ!
(宇多丸)(『ロッキー4』の)ドラゴとかね(笑)。ドラゴとかオズマとかそういう感じの。それを作っているっていうビデオなんだよね。だから、ラップエリートというかね。そうでしょう。だって、ドレーが見出してっていう感じだからね。
(高橋芳朗)志保さん、カマしてください!
(渡辺志保)はい。ここで一発カマして行きたいと思います。50セント『In Da Club』。
50 Cent『In Da Club』
(宇多丸)はい。50セントで『In Da Club』。2003年の曲でございます。この、もちろん50のラップもそうだけど、やっぱりドレーの最小限の要素で最大限の効果を生むというか。なんなの、このかっこよさは? しかもクラブで大音量で聞くと、もう全然違うんですよね。
(渡辺志保)そうそうそう。本当にDJの方には一生かけ続けてほしいですね。
(宇多丸)そしてぜひね、『In Da Club』のビデオを! オズマね(笑)。オズマの様子を(笑)。
(高橋芳朗)「オズマ」でググッてください(笑)。
(宇多丸)フハハハハッ!
(DJ YANATAKE)これなんて、本当にストリートの黒い社会から成り上がってきたやつの曲を、ビヨンセがこのトラックで歌ったりとかするぐらいまでの大ヒットでしたからね。
(宇多丸)まさにでも、本当に這い上がったんだよね。彼は自力でね。そしてドクター・ドレーのいいラッパー発掘力、審美眼という意味ではまだまだ続くんだよね。
(高橋芳朗)そう。エミネム、50セントと来て、ザ・ゲーム。まあ、Gユニットの一員として出てきたんですけども。
(渡辺志保)そうですね。彼は西海岸出身でね、また違うところからね。
(高橋芳朗)N.W.A.リスペクトみたいな人ですよね。で、さっき『In Da Club』がかかっていた時に志保ちゃんが、50が本当に暴力性が強かった、みたいな話をしていたんですけど。ここで身内だったはずの50セントとザ・ゲームのビーフがドカーン!って始まるわけですね。
(渡辺志保)このへんから、ヒップホップシーンのビーフもどんどん複雑になっていくというか。入り込んでいくというか。そういう感じがしましたね。
(宇多丸)ありましたね。
(高橋芳朗)Hot97のラジオ局の前でゲームが撃たれたとか撃たれないとか、ありましたね。
(渡辺志保)ライブ中にゴタゴタがあったりとかね。
(高橋芳朗)で、それをさらにミックステープ上でディス曲合戦とかを延々と繰り広げるわけです。で、ゲームが8分、9分ぐらいの長いフリースタイルをカマしたりとか。このへんは熱かったですね! たまらない!
(渡辺志保)しかも情報がね、追いつきにくいというのがまたちょっとね。
(宇多丸)2003だから、もうインターネット時代に入っているから。要は情報のサイクルが早くなっているんだよ。回転が。
(渡辺志保)そうなんですよ。だから追いつくのも大変っていうね。
(宇多丸)いまなんか、もう大変じゃないですか。
(渡辺志保)いや、大変。大変(笑)。追いつけないからっていう。
(宇多丸)ふざけんな!ってことですよね(笑)。さあ、ということで、アフターマスが絶好調というあたりまで来ました。