吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。片岡鶴太郎さんにインタビューした際の模様について話していました。
片岡鶴太郎が見た80年代のお笑いシーンとは、吉田豪が迫るインタビュー https://t.co/ErlsAFdhkq pic.twitter.com/UefBIWivqA
— お笑いナタリー (@owarai_natalie) 2018年1月23日
(安東弘樹)豪さん、今日は誰についてでしょう?
(吉田豪)片岡鶴太郎さんですね。
(玉袋筋太郎)うわっ、来た。鶴ちゃん。
(安東弘樹)それでは片岡鶴太郎さんのあらすじとその筋をご紹介します。片岡鶴太郎さんは1954年12月21日、東京都荒川区生まれ。高校卒業後、声帯模写の片岡鶴八師匠に弟子入りし、浅草演芸場や東宝名人会などに出演されます。その後、『オレたちひょうきん族』で近藤真彦さんのモノマネや熱々のおでんを食べる元祖リアクション芸で大ブレイク。以降、『オールナイトフジ』や『夕やけニャンニャン』『プッツン5』などの人気番組で司会を担当。芸能活動の他、1988年にはボクシングのライセンスを取得。さらに画家としても全国で個展を開くなどマルチな才能を発揮。去年、インド政府公認のプロフェッショナルヨガ検定インストラクターに合格し話題となりました。
(玉袋筋太郎)うん。
(安東弘樹)そして、吉田豪さんの取材によりますと片岡鶴太郎さんのその筋は……その1、革命。全て新しいことをやろうの筋。その2、天才たちの中で探し求めたひょうきん族の筋。その3、夢を語らい酒を飲んだビートたけしさんとの筋。その4、これはヤバい。ひょうきん族で生まれたおでん芸の筋。その5、大事に見ておかないともったいない。さんまさんの筋。その6、アイドルの毛を食べた。寝起きドッキリの筋。その7、伝説的シーン、ショーケンにズボン脱がされるの筋。以上、7本の筋になります。
(吉田豪)はい。
(玉袋筋太郎)声帯模写やる前、トランポリンとかやっていたんじゃないかな?
(吉田豪)そうなんですか?
(玉袋筋太郎)そうそう。トランポリン芸人。あったんだよ、昔。そういうのが。隼ジュンだっけ? か、なんかのところでもやっていたんだよね、たしか。
(吉田豪)へー!
(安東弘樹)玉ペディア! そうですか!
(玉袋筋太郎)1から行こう。豪ちゃん。
(吉田豪)『CONTINUE』っていう雑誌が復活して、その一発目で鶴ちゃんをインタビューしてきたんですよね。ちなみに玉さんは鶴ちゃん、接点は?
(玉袋筋太郎)接点は番組で共演する時ぐらいかな。そのぐらいしかないんだよね。
(吉田豪)僕は本当に、本人にも言ったんですけど80年代のある時期、日本でいちばん面白かったのは鶴ちゃんじゃないかと思っていたぐらいの思い入れはあるんですけど。実は、その時代のことって鶴ちゃんの本を読んでも……特に最近の本とか読むと、全然触れられてないんですよね。80年代の自分が、いわゆるお笑いでピークにあったぐらいの時期って。
(玉袋筋太郎)まあ、そうだよね。
80年代のある時期、日本でいちばん面白かった
(吉田豪)で、その頃のことをちょっと否定的っていうか……だからその時代に鏡で見て、自分が醜いと思ってそれからボクシングを始めたり、みたいな感じで。あんまりいい感じで書かれていない。
(玉袋筋太郎)だからまあ、『オールナイトフジ』とか『夕やけニャンニャン』とか。
(吉田豪)そう。神がかってましたよ。間違いなく。っていう話を本人にしに行くっていうのがテーマだったんですよ。そしたら、いまは結構でもそういう話をすごい懐かしく話せる感じになっていて。「いちばん過激にやっていた時。お笑いだけじゃなくてファッションとか全て新しいことをやろうとしていて。当時、まだタレントにスタイリストとかついてない頃に、自分の衣装の感覚だけではとてもじゃないけど間に合わないし。もっと新しいファッションに詳しい人はいないかと思っていたら大久保篤志っていうのが出てきて。彼と会って『ファッションの革命をしよう』という話をした。『これからバラエティー番組が増えていくから、その中で番組に合った、そして私のキャラクターに沿うというか。むしろファッションが先に行ってもいいぐらいのことをやっていこう』という話をしてやっていた」と。
(玉袋筋太郎)まあ、当時鶴太郎さんといくよ・くるよさんぐらいじゃねえか? 奇抜なファッションは。
(吉田豪)奇抜だった(笑)。
(安東弘樹)そうですよね。本当に目立ってましたよね。たしかに。
(吉田豪)「その中で『オールナイトフジ』という手探りの番組が出てきて。秋元康さんもいたり、作家の若い人たちもいたりして、みんな僕たちよりちょっと上ぐらいで、自分たちの番組ができて。で、番組も革命を起こしたいと思っていた時期だから、やりたいことを自由にやって。だから『オールナイトフジ』はほとんど下ネタばかりになって、面白がってどんどん過激にやっていた」と。
(玉袋筋太郎)そうね。鶴太郎劇団とか言って。コントやったりとかね。
(吉田豪)大学生にひどいことをやらすというね(笑)。ひどいことをやらせすぎて、お母さんの抗議で女子大生が出なくなったりとか。
(玉袋筋太郎)出なくなったりとか。もう『オールナイトフジ』なんかずーっと見てるんだから。俺なんか、もう。
(吉田豪)最高でしたよ。
(玉袋筋太郎)最高だったよね。あのビデオコーナーに向けてさ。
(吉田豪)AVがね、流れる貴重な番組でしたよ。
(玉袋筋太郎)うん。まあ、その中で新しいものっていうのがね。だからこの頃はもう、殿と離れている頃かな?
(吉田豪)ギリですかね。『ひょうきん族』もやっていた頃ですから。
(玉袋筋太郎)『オールナイトニッポン』、うちの師匠のに出ていたのが、たしかあれ鶴太郎師匠が26才ぐらいの時だと思うからね。
(吉田豪)おしゃれ小鉢時代ですよ。
(玉袋筋太郎)おしゃれ小鉢時代。そう。
(吉田豪)たけしさんにもれなく付いてきた時代。
(玉袋筋太郎)そう。山田邦子と鶴太郎さんが付いてくる。あと、若人あきらも付いてくる。太田プロ時代だよね。
(吉田豪)ただ、鶴ちゃんがだんだんああやって、ボクシングやったり画家やったりとかの方向に行く気持ちも、鶴ちゃんの気持ちになるとわかるんですよね。同世代にたけしさんとかさんまさんとか紳助さんとかがいて。
(玉袋筋太郎)いるんだもんな。
(吉田豪)シャレになんない人たちがいるじゃないですか。天才が。で、『オールナイトフジ』では下からとんねるずが出てきて。「俺、どうしよう?」になると思うんですよ。
(玉袋筋太郎)パワーズは消え……みたいな。
(吉田豪)フフフ(笑)。そうですよ。
(玉袋筋太郎)ちびっこギャングは消え……みたいなね。
(吉田豪)ウンナンも出てきて……みたいなね。
(玉袋筋太郎)そうそうそう! うん。
(吉田豪)なので、その2ですね。
(安東弘樹)天才たちの中で……。
(玉袋筋太郎)だって『ひょうきん族』だもん。
天才だらけの『ひょうきん族』
(吉田豪)そうですよ。強敵しかいないですよ。だからもともと一演芸人、寄席芸人からテレビの世界に入って。まあ、新しい道を作ってくれたのがひょうきん族のマッチだった。マッチできっかけを掴んで、これからテレビに行くってなった時、寄席芸人の匂いとか、テレビの中でどういうことができるのか。モノマネもどうやって壊していくか。モノマネって大前提で似ていることが必要で、そのいちばんの筆頭で仲が良くてライバル関係だったのが若人あきらさんという。
(玉袋筋太郎)若人さんのモノマネ、完璧だもんね!
(吉田豪)そうなんですよ。歌も上手いし、モノマネの勝負をしたら敵わない。どうしたらいいか?っていうことで、似ていることにはこだわらないで、面白い笑わす真似をしよう。だからやる前にかならず「小森のおばちゃまよ」とか全部名前を言うという。「マッチでーす!」とか。
(玉袋筋太郎)そうかそうか。
(吉田豪)そうなんですよ。似てなくていいから、ゴリ押しで行く。具志堅さんだったら「ちょっちゅねー」とか。フレーズでなんとなくやるっていうね。
(安東弘樹)わかるようにしてやる前提っていう。でも、その走りですね。そういうののね。
(吉田豪)似てなくてもいいという。
(玉袋筋太郎)考えてみりゃあ太田プロってさ、まだその当時は井手博士もいたからね。モノマネで。九州から来た天才モノマネ芸人って。
(吉田豪)井手らっきょさん。髪があった頃ね。
(玉袋筋太郎)そう。円形脱毛症でカツラをかぶった頃の井手らっきょもいたわけよ。
(吉田豪)大変ですよ。
(玉袋筋太郎)見た目もいいしね。
(吉田豪)いい男でした。
(玉袋筋太郎)だけどやっぱり小森のおばちゃまだよね。マッチだよな。
(吉田豪)で、「『ひょうきん族』はたけしさんがいて、さんまさんがいて、紳助さんがいて、山田邦子さんもいて。天才と言われる方々がいて。そういう方々と一緒にやっていたから、自分の資質から何からよく見えて、はっきりした答えがすぐに出た」と言っていましたね。「自分の資質というのは誰かに憑依して笑いを表現するモノマネだから、自分のキャラクターそのままだとそういう人たちと比べたら弱い。絶対的な差があった。だからこそ、役者になっていった」っていう話になるんですね。
(玉袋筋太郎)ああ、役者ね。
(吉田豪)「憑依するっていうことで、渥美清さんを尊敬していたから。自分の中の喜怒哀楽とか感情とかはお笑いだけじゃ表現できない。じゃあ、役者だな……」っていう風になっていくんですけども。
(玉袋筋太郎)渥美さんとも親交があったっていうしね。あと、勝新太郎さんも最後の『座頭市』で鶴太郎さんを使っているけど、それはもう勝さんの指名だったんだよね。あの時。スケジュールすごい忙しいんだけど。そのせいで製作・進行が遅れたとかね、あったって話だよ。
(吉田豪)うん。
(玉袋筋太郎)で、ここだよ。
(吉田豪)ここですね、ポイントは。玉さん的には黙ってられない感じの。
(玉袋筋太郎)ちょっと微妙なところなんだけども。
(吉田豪)まあ、いまちょっと微妙な関係らしいというのは……。
(玉袋筋太郎)デリケートゾーンですよ、ここは。
(安東弘樹)ビートたけしさんとの筋。
(吉田豪)たけしさんっていうのは鶴ちゃんにとってどういう存在か?って、いちばん気になるじゃないですか。一時は本当にものすごい深さだったわけで。
(玉袋筋太郎)深いよ。
ビートたけしと片岡鶴太郎
(吉田豪)最初の出会いが鶴ちゃんが24才ぐらいの時で。東宝名人会のオーディションに受かって。で、演芸場の出演が許可されてトップバッターで出た。お客さんはまだまばらで温まってなくて、鶴ちゃんが15分ネタをやってその後がツービート。お客さんはいないんだけど、たけしさん以降の芸人さんが全員舞台袖でツービートを見ていた。たけしさんのネタが面白いってみんな評判にはなっていて。で、鶴ちゃんもツービートの漫才を見て、一緒に着替えてその後に飲みに行って。それから毎日たけしさんと一緒にいて、一緒に酒飲んで、正月も一緒にすごすようになると。
(玉袋筋太郎)まあ、そこにもう1人、すがぬま伸っていうのもいるんだよ。
(吉田豪)いましたね(笑)。
(玉袋筋太郎)いたんだよ。すがぬま伸っていう芸人さんが。そうそうそう。
(吉田豪)それから間もなく、『THE MANZAI』が始まって、あれよあれよという間にたけしさんが売れていって。1人の芸人さんがスターになる様を間近で見たんですね。全てが手本で学ぶことばかりで、本当に引っ付く。おしゃれ小鉢時代。
(玉袋筋太郎)そうだよ。おしゃれ小鉢だよ。
(吉田豪)その時に、「鶴太郎も太田プロに来いよ。これからテレビの仕事も増えてくるから。俺が言うから」っていうことで太田プロに入り。いまは弟さんも含めて太田プロで……っていう。
(玉袋筋太郎)太田プロだよ。うん。
(吉田豪)たけしさんは辞めたのにっていうね。「太田プロへの道を付けてくれたのも、テレビの道を付けてくれたのもたけしさん。片岡鶴八師匠以外の恩人」っていうね。で、「当時、どんな話をしていたんですか?」って聞いたら、「いちばん覚えているのはお正月で、2人でお風呂に入りに行って、浅草で2人きりで新年のお酒を酌み交わしていたら、そこにテレビがあって。かくし芸大会をやっていて。それを見ながら、『俺たちもああいう番組に出なきゃいけない。あの番組は芸人とは違う人たちがお笑いをやっている。お笑いのプロの俺たちがああいうところに出てやらないといけない。でも、あれはかくし芸としてやっているから、芸人として売れてそこに出た時、かくし芸でどういうことをやるか? ああいう番組にはタレントとして出ないといけないな』とか、そういうことを言っていた」と。
(玉袋筋太郎)ああー。いいね、いいねえ。
(吉田豪)いいですよね。「ただ、影響は受けたけど、たけしさんと身近に接すれば接するほど、勝てないという思いが出てくる。強烈なキャラクターと匂いを発しているから、抜けきれなくなる。ずっと一緒にいれればいいけど、そうはいかないし。自分の生き方をしなきゃいけないから、どこかでたけしさんと離れなきゃいけない。師匠にも『私と同じことをやったって売れないんだからね』って言われていて、たけしさんと同じことをやっても、同じ道に行けばおしゃれ小鉢である程度までは行けるけど、自分の存在とか芸というものを確立するためにはどこかで別れなきゃいけない。たけしさんの否定じゃないんだけど、たけしさんにはないものというものを……そういう自分探しが始まって。それが革命を起こそうとしたような話につながっていく」というね。
(玉袋筋太郎)なるほど。
(安東弘樹)そうかー!
(吉田豪)ただ、思いの外離れちゃって、結構ピリッとした関係になったらしいという噂を聞いてますよ。
(玉袋筋太郎)ねえ。うーん……。
(安東弘樹)そこは、これまでにします(笑)。
(吉田豪)フフフ(笑)。
(玉袋筋太郎)ねえ。でも、なんだろうね? やっぱり関西のお笑いもバーッと、『THE MANZAI』とかで来てたけど。その中で関東ではツービートっていうね、うちの師匠が受け止めたというかさ。それをカウンターを入れてやっつけていくわけじゃない? そこにいた、東京芸人の鶴太郎さんとかツービートっていうのは、俺はすごい好きだったよね。やっぱりこれは守ってくれている人たちだっていうものがあったけど、それがバラバラになってしまって……っていう、UWF的な。別々になっちゃったっていう気持ちはあるよね。うん。
(安東弘樹)そうか。まあ、東京に生まれ育った人にしてみたら、そういう思い入れは強いですよね。
(玉袋筋太郎)強いのよ。だから当時の太田プロっていうか、それでうちの師匠が独立してオフィス北野を作って、たけし軍団っていうのを作ってやっているっていうのは、すごいそういうところはありましたよね。うん。
(吉田豪)4に行きますか?
(安東弘樹)これはヤバい。ひょうきん族で生まれたおでん芸。
(玉袋筋太郎)おでん芸。
(吉田豪)ねえ。「いまだにあれが継承されていることについてどう思っていますか?」っていうのをね。
(玉袋筋太郎)そうだよね。おでんは、ねえ。
伝説のおでん芸
(吉田豪)「本当、ダチョウに譲っておいてよかったと思います。いま、また取り返していますけど」っていうね。「まあ、よく言われることですけども、本当にあれはなんてことないところから始まった。『ひょうきん族』で冬の設定で、美術さんがセットでおでんを用意して。『湯気が出てりゃあいいだろう』って火をつけたままで。コントをやっている最中に本当にグツグツと煮立ってきて。たけしさんが蓋を取ったら湯気がすごい出て、たけしさんの目が変わった。『これだ!』っていう。で、これはヤバいと思った。たけしさんは『おばあちゃん、おでん好きだろ、おでん?』って言ってくっつけて、逃げて……」っていう。それが面白かったんで、翌週からは毎週毎週おでんがあって、雪だるま式に大きくなっていくっていう。
(玉袋筋太郎)うん。
(吉田豪)だからリアクション芸でもなんでもないんですよね。ただ熱いから逃げているという。
(玉袋筋太郎)熱いんだよ、本当に。
(安東弘樹)リアルに熱いんですね。
(玉袋筋太郎)特にうちの師匠のおでんのダシをぶっかける時の、まあ怖いからね。ヤベえ!っていう。本当に熱いから。マジで熱いんだもん。
(吉田豪)「テレビでしょ?」ってナメている人たちもビビるレベルの。
(玉袋筋太郎)一度かぶってみればいいさ。浴びてみりゃあいい。あのシャワーを。おでんシャワー。
(安東弘樹)芸じゃなくて、本当にリアルに逃げたっていう。
(吉田豪)たぶんいまは安全なものでどうリアクションするか? みたいな世界になっているだろうけど、あの時代って違うじゃないですか。僕も『スーパージョッキー』に1回出たことがありますけど、熱湯風呂に指つっこんでビビりましたもんね。
(玉袋筋太郎)熱い!
(安東弘樹)本物なんですね。
(吉田豪)いまは熱くないものでどうリアクションするか? の時代じゃないですか。
(玉袋筋太郎)いや、当時さ、ディレクターとかADがわかってねえんだもん。本当に熱湯にしちゃってんだもん。ダメだっつーの!
(吉田豪)入れるわけねえだろ!っていう(笑)。
(玉袋筋太郎)俺たちはプロだからちゃんと受け身取るっつーんだよ! でも、熱いんだよ。そっからスタッフと演者の溝ができてくる。「俺たちを殺す気なんだな、こいつらは。なにも人間と思ってねえな! ぜってーこいつらよりも大きくなってやろう。なあ、博士!」とか言ってたよ。
(吉田豪)ダハハハハッ! いい時代じゃないですか。
(玉袋筋太郎)まあ、でも体力芸っていうかさ、うちの師匠がやっていた意地悪大挑戦とかもやっぱりそうだったもんね。鶴太郎さんがいて、稲川淳二さんがいて、魁三太郎さんがいて、林家ペーさんがいるっていうかさ。まあ、俺にとっての黄金のラインナップなんだけどね。爆笑だけどね。そこは。でも、まだおでん芸はあるんだよ。
(吉田豪)継承されていますからね。
(玉袋筋太郎)なかなかいまね、でも体力芸ができなくなってるんだよな。
(安東弘樹)いろんな意味でね。
(玉袋筋太郎)バカバカしいことやりたいんだけどね。
(吉田豪)でも、鶴ちゃんがいま、そこを取り返しに行っているっていうのがいいんですよね。
(玉袋筋太郎)そうなんだよ。さあ、そしてさんま師匠の話。
(安東弘樹)見ておかないともったいない。
明石家さんまと片岡鶴太郎
(吉田豪)せっかくなんでさんまさんの話も聞いておこうと思って。そしたら本当に大絶賛レベルじゃないぐらいに褒めていて。「本当にさんまさんは日本語が世界共通語だったら、間違いなく世界的にトップだと思う。いろんなコメディアンを見ていても、あそこまで底抜けに明るくてハンサムでスピード感もテンポもあるし、華もある大スターはいままでのお笑いの中でも見たこともないし。世界的に見ても稀有だと思う」と。で、さんまさんも一時、英語を学んで世界進出しようと思ったんだけど、言葉がネックでなかなか難しいって。「スピード感が失われないのもすごいし、久しぶりに会っても若いし元気だし。そういうさんまさんが見られるのもあと10年か20年だと思う。国民のみなさんに『この20年、大事にさんまさんを見ておかないともったいないよ』って言いたい」という。
(玉袋筋太郎)ほうほうほう。
(吉田豪)でも、そんなさんまさんに30年前、言ったらしいんですね。「さんまさん、たけしさん、紳助さん、邦ちゃんがいて、それぞれに役割があってみんなに敵わない。だから俺はドラマとかそっちの方に行きます」って言ったら、「なんでやねん? 関係ないやろ、そんなもん。そんなの自分が思っているだけや」なんて言ってくれてっていう。
(玉袋筋太郎)おうおう。
(吉田豪)で、そんなさんまさんに僕、この間NetflixのCMの仕事で、ちょうどこういう話をいろいろしていた時期があったんで、芝居のモチベーションについて聞いたんですよ。さんまさんもドラマとかやっていたじゃないですか。鶴ちゃんと共演して『男女七人』で。そしたら、「昔からいまに至るまで、モチベーションは『女優に会える』ということだけだ」って言っていて(笑)。
(玉袋筋太郎)フハハハハッ!
(吉田豪)仕事の息抜きで女優さんに会えるぞ!っていう。
(玉袋筋太郎)はー! そう思えばいいんだな。
(吉田豪)「女優のキャスティングで決めているだけ」っていう。で、そう言ったら、「本当にそうだと思う」って言っていて(笑)。「芝居は自分ができるものじゃないから、女優さんと会うための遊びで行っていて。だから、つながり関係なく平気で髪型を変えたり。そういう人。本当にお笑いが大好きで、そっちなんですよ」っていう。
(玉袋筋太郎)なるほどね!
(安東弘樹)そうかー。女優さんに会えなかったら、別にドラマに出ないんですね。さんまさんは。
(吉田豪)理想の女優が出ているんだったら、やるっていう(笑)。
(安東弘樹)正しいな! さあ、そしてアイドルの毛を食べた。寝起きドッキリの筋。
(玉袋筋太郎)『スターどっきりマル秘報告』だよね。
(吉田豪)そうなんです。いろんな人が寝起きドッキリ、やってきましたよ。田代まさしさんからなにから。
(玉袋筋太郎)やったやった。井手らっきょもやった。
アイドルの毛を食べる寝起きドッキリ
(吉田豪)でもやっぱりね、鶴ちゃんのが別格というか、異常に面白かったんですよ。すごかった。で、その話を聞いたら、「本当にね、やっぱりアイドルの毛を食いましたから。子供の時に宮尾すすむさんとかがやっていて面白いと思って。ドッキリがレギュラーになった時に『寝起きをやりたい』って言って。遊べるし、寝ているという前提で起こすまでが勝負だから、いろんなことができる。相手はアイドルだし、当然ギリギリのところまで。どこまで触っていいか。下着は当然ないだろうけど、アイドルの部屋に入った時のファンの心理って、毛なんかあったら俺は持って帰るし、舐めるよなと思って、それをやらなきゃいけない。で、やったら『また毛を食う鶴太郎』なんて言われて……」っていうね。
(玉袋筋太郎)ああーっ。
(吉田豪)で、なんであのテンションでできたか?っていうと、あれは本当に明け方に狙うんで、ディレクターと寝ないで朝まで酒を飲んで、そのまま行くらしいんですね。
(玉袋筋太郎)あれ、前乗りなのよ。
(安東弘樹)そりゃあそうでしょうね。
(玉袋筋太郎)オールスターの水泳の時に撮っちゃったり。
(吉田豪)そうなんですよね。プロデューサーが一緒だったんですよね。
(玉袋筋太郎)これはね、もう本当に言えないような話がたくさんあってね。
(吉田豪)ちょっと聞いてますよ。
(玉袋筋太郎)なあ!
(吉田豪)で、そういうしがらみがあるから、断れなかったらしいんですよ。『スターどっきり』ってスター的には出ないでいい番組じゃないですか。でも、出ざるを得なかったらしいんですよ。横のつながり。
(安東弘樹)ああ、なるほど。
(吉田豪)『夜のヒットスタジオ』とかもだいたい一緒だったから、そのへんに出るためにも、試練としてやらざるを得ない。
(安東弘樹)まあ、ねえ。「横のつながり」でわかっていただけると思いますけども。
(吉田豪)そうなんですよ。だから、そういうテンションでやっていたんでタイガー・ジェット・シンの紛争でドアノブにひたすら頭を打ち付けたりとか。ああいうことをやれたんですよね。ただ酔っ払っていたから。ひたすら部屋に入らないで暴れるっていう。
(玉袋筋太郎)鶴太郎さんのジェット・シン、面白かったよな。
(吉田豪)最高でしたよ!
(玉袋筋太郎)毛も濃いしさ。いいんだよな! よかった、よかった。
(吉田豪)で、聞いたんですよ。「いまだから聞きますけど、正直な話、寝起きドッキリはどれぐらいガチなんですか?」って。あれはだから、水泳大会とかがあると大磯のホテルにみんな泊まるじゃないですか。で、マネージャーには「寝起きドッキリをやります。タレントに言うか言わないかはそっちで決めてください。我々は鶴ちゃんを含め、本当に知らないテイで行くから、入った瞬間に『これは言ったな』ってバレたら、次からお前のところとの関係が変わるぞ」ってディレクターがプレッシャーかけるんですって(笑)。
(玉袋筋太郎)フハハハハッ! 昭和芸能界! 芸能界ってこういうシステムだったんだ! いま知った、僕は!
(吉田豪)フハハハハッ!
(安東弘樹)玉さんはね、時々嘘を言うんです(笑)。
(玉袋筋太郎)知らなかったなー!
(安東弘樹)じゃあアイドルの人、すごいハードルですね。
(吉田豪)ですよ。「だから本当にガチンコでこれは知らせてなかったなって子は何人かいた。本当に驚く時ってこう驚くよなっていうリアクションをしてくれた」っていうね。いやー、恐ろしいですね。昭和ってね。
(玉袋筋太郎)昭和、危ない。危なっかしいよな!
(安東弘樹)リアクション、わかるもん。
(玉袋筋太郎)だからやっぱり、キョンキョンっつーのは男前だなっていう話に戻るわけですよ。
(吉田豪)やっぱり事前に言うとよくないっていうのが、最近氏神一番さんが正月の特番で落とし穴に落とされて。落とされるなり、素で怒って。「マネージャー呼んで」って言い出すっていう、すごい微妙な空気になるドッキリをやっていたんですよ。
(玉袋筋太郎)フハハハハッ!
(吉田豪)で、本人に聞いたら「俺は下手だから事前に言ってくれなきゃダメなんだよ!」って言っていたんですけど……事前に言ったらそんないいリアクションも何もできないじゃないですか。絶対にわざとらしくなる。
(玉袋筋太郎)そう。難しいんだよ。ドッキリっちゅうのは。
(安東弘樹)知っているドッキリは地獄ですね。まあ、いまアナウンサーは当然NGになってますけども。
(吉田豪)フフフ(笑)。
(安東弘樹)そう。地獄なんです。さあ、そして伝説的シーン。ショーケンにズボンを脱がされる。
(吉田豪)はい。まず鶴ちゃんの番組で梅宮辰夫さんを抜擢したりっていうキャスティングが好きという話をしていたんですよ。最初に。そしたらそれは「『元気が出るテレビ』がたけしさんと松方弘樹さんだから、鶴ちゃんは梅宮さんでしょ」っていう、それだけのことだったっていうね。
(玉袋筋太郎)なるほど。
(吉田豪)で、「『鶴太郎のテレもんじゃ』っていう番組で岡本太郎さんを引っ張り出したのも面白かったですね」って言ったら、元気な年寄りを全部呼ぶような企画だったらしいんですよね。だから岡本太郎さんがいて、益田喜頓さんもいて、杉兵助さんもいて、上原謙さんもいて。浪越徳治郎さんもいて。「これ、すごいですよ。1人1人死んでいきましたけどね!」っていうね。
(玉袋筋太郎)そうだよね。うん。
(吉田豪)岡本太郎さんがバラエティーのレギュラーって衝撃でしたからね。
(玉袋筋太郎)うん。たしかに。レギュラーか。しかも。
(吉田豪)ところが鶴ちゃん、当時は絵なんか描いていないから、どれだけ偉い人なのかも全然わかんなくて。で、レギュラーになって毎朝「先生、おはようございます」って杉兵さんからダーッとみんな挨拶に行って。で、岡本太郎さんの楽屋で「鶴太郎です。おはようございます」って行くと、「なんだ、誰だ?」「片岡鶴太郎です」「名前なんかどうだっていい!」っていう(笑)。で、翌週になって「鶴太郎です。おはようございます」って行くと、「誰だ?」「片岡鶴太郎です」「名前なんかどうだっていい!」っていうね。「なかなかのタヌキですよ!」っていう。
(玉袋筋太郎)すごい人はね、名前を覚えない! 石原慎太郎さんもそうだったもん。10年共演して。
(吉田豪)あんだけやってんのに(笑)。
(玉袋筋太郎)「君!」って。最後まで「君」だった。
(吉田豪)で、鶴太郎さんの伝説のシーンといえば、『オールナイトフジ』でのショーケンさんとの絡み。本当に大好きで僕、いまだによく映像を見るんですけども。
ショーケン『オールナイトフジ』ライブ
(玉袋筋太郎)ああ、ショーケンさんのね。
(吉田豪)『オールナイトフジ』のライブのゲストでショーケンさんが出てきて、かなり泥酔されていて。途中から鶴太郎さんを呼んで。ちょうど『愚か者よ』を歌っていた時期で。マッチも『愚か者よ』だったんで、呼んで、ひたすらもう脱がすんですよ。で、鶴ちゃんは結構素の表情になっていくっていうか。「なすがままだったんですよ。ただ、よく覚えてないの。酒飲んでますからね」っていうことでね。「『お前が歌え!』って言われて歌っている間にどんどん脱がされて。たぶんなにがあっても対応できるサブだから、本当に何か出ちゃったとしても上手いことカメラワークで隠せるだろうし、それはそれでオイシイからどこまで行くか、ちょっと他人任せのところで。最終的にどう着地したのかも覚えていない。ただ、翌週に大きな桶でお寿司が届いて。『鶴ちゃん、先週はありがとう。ショーケンさんからだよ』って言われたのは覚えている」と。
(玉袋筋太郎)おおーっ!
(吉田豪)お詫びの寿司が届いたっていうね。
(玉袋筋太郎)へー!
(安東弘樹)いやー、なんか昭和後半の芸能史をザーッと見てきたような感じがしますけども。
(吉田豪)でも、個人的に本当に鶴ちゃんがよかったのが、いままた一回りして戻ってきている感じなんですよね。普通にただ痩せただけだと結構……体を鍛えたりすると、お笑いって笑えなくなるみたいな話もよくあるじゃないですか。でも、ヨガまで行くと笑えるんですよね。そして、それを掘ってみると、やっぱり本人もそのつもりであの5才児用のキッズパンツを穿いて、わざわざ脱いで会見をやるとか。完全に狙っているんですよね。
(玉袋筋太郎)ああー。
(吉田豪)で、「最近新しいネタあるんですよ」って映像を見せてもらったのが、美脚モノマネっていう、小森のおばちゃまの真似をいま、あえてやって。なおかつ、痩せたから前よりも似ているんですよ。
(玉袋筋太郎)ああーっ! たしかに、たしかに。
(安東弘樹)たしかに。リアル美脚になっているんですね。
(吉田豪)全くいまの世代がわからないモノマネを。
(玉袋筋太郎)スパッツ穿いてね。
(吉田豪)体を張ってやり始めていて。「一周回ってまた戻ってきました」って本人も言っていて。
(玉袋筋太郎)そうかー!
(安東弘樹)戻れるのがすげえな。いや、これをもっともっと読みたい、知りたいという方はこのインタビュー、1月23日に発売された雑誌『CONTINUE Vol.51』に前編が掲載されています。
(吉田豪)フフフ(笑)。玉さん、また筆談が始まってますよ(笑)。聞いてないですよ、その話は(笑)。
(玉袋筋太郎)あ、ごめんごめん。
(安東弘樹)さらに2月に後編が掲載された『Vol.52』が発売予定。『CONTINUE』は2010年の廃刊から復刊したんですね。
(吉田豪)この出版不況の時代にね。
(玉袋筋太郎)たしかにそうだ。
(安東弘樹)ぜひ、そちらもチェックしてみてください。吉田豪さん、今日もありがとうございました。
(吉田豪)ありがとうございました。どうもー。
(玉袋筋太郎)ありがとうございました。
<書き起こしおわり>