宇多丸さん、高橋芳朗さん、DJ YANATAKEさんがNHK FM『『今日は一日”RAP”三昧』の中で90年代日本のヒップホップの盛り上がりについてトーク。『さんぴんCAMP』前後のシーンの熱気について話していました。(BOSEさんインタビュー、ZEEBRAさんインタビューに続いてのパートです)。
(宇多丸)(キングギドラ『見回そう』K DUB SHINEのバースの途中で)すいませんね。渋谷のドンなのにね。K DUB SHINEも素晴らしいラッパーで、もちろん素晴らしい作品をいっぱい出していますし。なんですが、ちょっとごめんなさいね。時間の都合で。キングギドラの歴史的名盤と言っていいでしょう。日本語ラップ史に残る名盤『空からの力』より『見回そう』をお聞きいただきました。1995年の作品でございます。
(高橋芳朗)はい。
(宇多丸)といったあたりで、シーンの話はたっぷりしたんで。この90年代の日本のヒップホップの熱気というのを味わっていただくために、ポンポン行きましょう。
(DJ YANATAKE)さっきも行ったんですけど、本当に前半。90年代初頭はまだまだヒップホップだけじゃなくてレゲエとかハウスとかもみんな一緒くたに「クラブ・ミュージック」みたいに言われていて。
(宇多丸)そうだね。一晩でハウスもかかる。レゲエもかかる。そういうのが普通でしたよね。
(DJ YANATAKE)そうなんですよね。そういうのがクラブチッタでイベントをやっていたりしていたんですけども。まあ、コンピレーションが出せるようになってきたりしたんですが、それが評判がよかったんでしょうね。で、92年ぐらいからいろんな人がソロで出せるようになってくるということで。そこでライムスターとかもね、デビューしていくという。
(宇多丸)あと、いま後ろで流れていますけど、実はめちゃめちゃ当時から人気があったキミドリ。
(DJ YANATAKE)そう! もう本当にマイクロフォン・ペイジャーの登場も衝撃でしたけど、僕らはやっぱり下北沢・新宿・原宿方面としてはやっぱりキミドリが……。
(宇多丸)キミドリ、ちょっとどういう感じか、一瞬だけみなさん。こういう感じです。
キミドリ『白いヤミの中』
(DJ YANATAKE)まあ、彼らも下北沢のZOOとかそういうところで。
(宇多丸)マイクロフォン・ペイジャー、キミドリ、僕ら、ECD。石田さんとかYOU THE ROCK★。あと、後にはメロー・イエローもあったし。あと後のソウル・スクリームになるパワーライスクルーの面々とか。とにかくね、下北沢のZOOというクラブにみんないて、みんな一緒にやっていました。だから。
(DJ YANATAKE)そうですよね。『スラムダンク・ディスコ』。
(宇多丸)『スラムダンク・ディスコ』というMUROくんが主催してやっていたイベントで。そこで、だから客なんかいないんだから。客はプレイヤーなんだから。要は、他の出演者にカマすためにやるわけよ。というね。それがいかに、すごく僕らの糧になったか。もちろん、EAST ENDとかもライバルで。そんな感じでやつらを負かすためにやるみたいな感じがあったわけですけども。
(DJ YANATAKE)それがね、でも92年、3年でそこの熱量が94年にバーン! と。『今夜はブギー・バック』とかね『DA.YO.NE』で、爆発する土壌ができていくというね。
(宇多丸)一方で、だから93年かな? に、とある某レコード会社が「もう日本語ラップは売れないから出しません」って言った後に、だから実はその大ヒットが生まれたし、こういうアンダーグラウンドシーンの充実も生まれた。ざまあみろ!っていうね、話でございます。
(高橋芳朗)アハハハハッ!
(宇多丸)さあ、ということでその90年代日本のヒップホップシーンをまさに代表する曲をこれから2曲、お聞きいただきますけども。まず1曲目はやはりマイクパス物の名作。名義はLAMP EYEだけども。まあ後の雷という90年代東京を代表するハードコアグループ雷に成長していくLAMP EYE。ZEEBRAさんも参加していますし、BUDDHA BRANDのDEV LARGEも参加している曲でございます。LAMP EYEで『証言』!
LAMP EYE『証言』
(宇多丸)(ZEEBRAのバースの途中で)はい。ここから先、ジブさんのパートですけどね。ジブさんはさっきさんざん出てもらったんでね。
(高橋芳朗)すごい熱量!
(宇多丸)熱量がね、ねえ! これは外タレのライブに入れてくれなかった怒りでここまでの曲が書ける!
(高橋・ヤナタケ)フハハハハッ!
(宇多丸)すごいことです。これはね。でも、やっぱりシーンっていうのがどれだけの熱量を溜めていたのか。日本のヒップホップシーンを代表するクラシックとされております。『証言』でございます。
(高橋芳朗)はい。
(宇多丸)そして、その90年代……93、4年ぐらいから始まって、90年代の我々の世代のシーンの盛り上がりのひとつの象徴となるのが、1996年7月7日。ECDが主催し、日比谷野外音楽堂で開かれた『さんぴんCAMP』ということになるわけです。約4000人を動員し、これでひとつ……そこでMUROくんが「こんなシーンを待ってたぜ!」っていう名言をしましたけども。そこでまず日本のヒップホップシーン、ひとつのエポックとなった。そこで一時代が完全に出来上がったという感じだと思います。ということで、その『さんぴんCAMP』時代を象徴する1曲。そしてたぶん日本語ラップのクラシックみたいなのを並べて、まあこれなんだろうな。やっぱりな。いろんな意味でとんでもない曲なんですけどもね。お聞きください。BUDDHA BRANDで『人間発電所』。
BUDDHA BRAND『人間発電所』
(DJ YANATAKE)はい。聞いていただいておりますのはBUDDHA BRANDの『人間発電所』。オリジナル96年バージョンでございます。
(高橋芳朗)もう、なんかさんざん聞いた曲だけど、こういう流れで聞くとまたたまらない感慨がありますね。
(DJ YANATAKE)いまスタジオにいる人がみんな口ずさんでいるっていうのが、またね。
(高橋芳朗)なにを言ってるんだかわからないけど、口ずさんじゃう。
(宇多丸)これ、僕らライムスターでこの曲をツアーでカバーしたんだよ。だから3人とも歌えるんです。これは。
(DJ YANATAKE)ああ、そういうことだ。あと、この時代は僕、さっきレコード屋さんで働いていたって言いましたけども。このNHKのあるすぐ横の渋谷の宇田川町っていうエリアがとにかくレコード屋さんが本当にたくさんあって。アナログブームが起きて。ギネスブックにも載っているようなぐらい、本当にたくさんのレコード屋さんがいっぱいあったんですけど、まさにこの真っ只中にこの歌……『証言』とか『人間発電所』が発売されて。これがもう、奪い合い、取り合い。
(高橋芳朗)セールの時、大変だったんでしょう? 争奪戦で。
(DJ YANATAKE)争奪戦。朝から何百人も並ぶような状況があったり。何万円もプレミアがついたりしてこのへんで売られていて。それぐらいの熱量がこの街にあったということは言っておきたいなと思います。
(高橋芳朗)その中のね、1曲。また重要な曲があったんじゃないですか?
(DJ YANATAKE)そうなんですよ! それが今日はなんと生で、この後に見れるということで……。
(宇多丸)私たちの話をしていますか?
(高橋芳朗)アハハハハッ!
(DJ YANATAKE)来ていただいております(笑)。
(宇多丸)僕らを呼びましたか? 僕らの話を。ということで、いまスタジオ。私はブースの前を離れまして、ハンドマイクを持っております。ライムスター3人がただいまスタジオ内に揃っております!
(Mummy-D)イエーッ!
(DJ YANATAKE)よいしょー!
(宇多丸)Mummy-Dさん……(笑)。マイクを持たないと……(笑)。
(DJ JIN)よいしょー!
(宇多丸)我々、島根のライブ帰りで。メンバーも一緒にかけつけてくれました。ということで、これからしばらくライムスターがスタジオライブをカマさせていただいてよろしいでしょうか?
(高橋・ヤナタケ)イエーッ!
(宇多丸)YES!ってな感じで私がマイクロフォンNo.1、宇多丸! そして……。
(Mummy-D)マイクロフォンNo.2、Mummy-D!
(宇多丸)そしてターンテーブル1 and 2、DJ JIN! ということで、俺たちこの2MCと1DJ。言ってみればヒップホップ界における3ピースバンド的な、ラン・DMC的なスタイルを追求しているという。今日、聞いていただいている方にはわかると思います。ということで、俺たちのオールドスクールなスタイルをカマしてやりましょうか。
(Mummy-D)やりましょう。
(宇多丸)どんな風か、DJ JIN、カマせ!
(スタジオライブおわり)
(宇多丸)ということで、ライムスターのスタジオライブは以上。いまやったのは『B-BOYイズム』というね、まさに宇田川町でもめちゃめちゃ売れたんでしょう?
(DJ YANATAKE)売れた売れた! めちゃくちゃ売れた!
(宇多丸)めちゃくちゃ売れた(笑)。宇田川町でもめちゃくちゃ売れた曲でございます。といったあたりでこの日本のヒップホップシーン、90年代パートは終了。続いては渡辺志保さんのコラムコーナーです!
<書き起こしおわり>