スチャダラパーのBOSEさんがNHF FM『今日は一日”RAP”三昧』にゲスト出演。宇多丸さんと1980年代末から90年代の日本のヒップホップとスチャダラパーについて話していました。
(宇多丸)ということで、ラップの歴史を紐解く10時間。『今日は一日”RAP”三昧』ですが、ここまで1970年代のラップ誕生からスタートして、1980年代後期、90年代ラップの非常に、まあカンブリア爆発というかね。表現的にも地域的にも広がったという話をしてきました。で、先ほど日本のパートでいとうせいこうさんをお招きして、日本人ラッパーのパイオニアとしてお話いただきましたけども……。
(宇多丸)ここから先。80年代後半から90年代の日本では何が起きていたのか? 一言でいえば、いとうさんたちを見て、アメリカのヒップホップも盛り上がってきて、「ああ、俺もラップをしよう!」という若者たちが続々と出てきて。当時はコンテストとかもいっぱいあったので、そういう中で、ほとんどでも結構なメンツ、プレイヤーがここで出揃っていて。たとえばMUROくんとかね。MUROくんはB-FRESH3というグループ。当時はDJ KRUSHさんがやっていたグループですけども、そのクルーとしてMUROくんもいましたし。僕もライムスターの前身グループ。GALAXYというサークルのメンバーとして参加していましたし。
(高橋芳朗)うんうん。
(宇多丸)あと、後にEAST ENDで大ブレイクするGAKU MC。GAKUくんとかもこういうところに出ていたり。YOU THE ROCK★もいたりとか。A.K.I. PRODUCTIONSのA.K.I.がいたりとか。群雄割拠の時代になります。ということで、そんな中、やはりこの方にお話をうかがわないといけないだろうということで。本日、スタジオにはお越しいただけないということで事前に私がインタビューしてまいりました。まあ私がね、とにかくね、クヤシーッ!っていうね。私の嫉妬の対象でもございます。ご紹介いたしましょう。スチャダラパーのBOSEくんにインタビューしてきたので、こちらをお聞きください。
<インタビュー音源スタート>
(宇多丸)スチャダラパーのBOSEさんです。よろしくお願いします。
(BOSE)はい。お願いします。
(宇多丸)『今日は一日”RAP”三昧』ということで。
(BOSE)やってるね! これ、そんな長いラジオ番組、やるの?
(宇多丸)なかなかないですけどね。しかも、NHKさんですからね。で、BOSEさんに聞き,たいのはまずはラップを始めた時の話。ラップを始めたのはいつごろですか?
ラップを始めたきっかけ
(BOSE)これはね、スチャダラパーをやろうと思って名前をつけたのは1988年なんですよ。ANIと「暇だからラップグループでもやろうぜ」って。
(宇多丸)「暇だから」?
(BOSE)「暇だから」っていうのは、2人で合宿免許を取りに行っていたんだよね。合宿免許って暇なんだよ。すげー時間があって。
(宇多丸)ああ、まあね。昼間以外はね。
(BOSE)なんにもないから。「ラップでも書こうぜ」って。
(宇多丸)でもその時は、ヒップホップ・ラップって好きだったんですか?
(BOSE)もちろんANIはもうターンテーブルを持っていて。
(宇多丸)それって当時では珍しいんじゃない? DJセットね。
(BOSE)まあ、それはもちろんいとうせいこうさんのラップがあり、タイニー・パンクスがあんだけテレビに出ていたりもして、もうDJセットを持っているのがかっこいいってなっていたじゃないですか。
(宇多丸)そういう先人たちの盛り上げはありつつ、みたいな。
(BOSE)だからあれをやりたいよねっていう感じで。せいこうさんのライブとか見に行っていたからね。それをやろうって。
(宇多丸)って、思っていて。じゃあラップをしてみようと。その時に、私がボーちゃんからお話をうかがいたいのは、いとうさんとか近田春夫さんとかもやっていたし。タイニー・パンクスとか、その前の世代と僕らの世代……だから1970年代前後生まれの世代のやり出したラップって、明らかに技術的なブレイクスルーが僕はあると思っていて。要はどういう風に自分でラップをしようみたいな考えはありました? 前の世代に対して。
(BOSE)でも最初はね、それはデモテープを作って高木完さんに気づいてもらってプロデュースしてもらう時に言われたんだけど、「やっぱりちょっとせいこうっぽいよね」って言われたの。
(宇多丸)最初のデモテープ?
(BOSE)うん。最初のデモテープ。
(宇多丸)要は日本語的なラップというか。
(BOSE)そう。日本語ラップで、いとうせいこうさんがラップの韻の踏み方のパターンを作ったじゃないですか。あの言葉を「ナントカ、俺はナントカ……」っていうラップの。
(宇多丸)抑揚のつけ方というか。
(BOSE)あの感じをやっぱり真似していたよね。最初はね。って、言われて。もちろん完ちゃんのラップはまたちょっと違ったじゃない?
(宇多丸)高木完さんはもうちょっと英語寄りというか。
(BOSE)英語をちょっと日本語みたいにしたりね。
(宇多丸)これ、いい意味でだから「雰囲気」重視のラップでしたね。
(BOSE)そうなんですよ。で、まあそのハイブリッドだったんじゃない? 最初から、割と。で、完ちゃんのラップも大好きだったから。
(宇多丸)雰囲気っていうか、かっこよさ重視っていうか。その時にアメリカのラップとかも聞いていたわけじゃないですか。そこに寄せたい意識とか、ありました?
(BOSE)あるある。だからその時、すでにジャングル・ブラザーズとかデ・ラ・ソウルのファーストとかが出ていたりしたんで。ジャングル・ブラザーズとかのラップって日本語に真似しにくいじゃん?
(宇多丸)ボソボソ言う感じでね。
(BOSE)ボソボソやっているし、日本語とは全然違う乗せ方だったんで。
(宇多丸)低い感じでラップするのって難しいじゃないですか。
(BOSE)難しかったですよ。ラップはやっぱり勢いよくアクセントをはっきりしてしゃべってリズムに乗っているというのが……日本語は特に16ビート。「タタタタ、タタタタッ……」って乗るから、そうじゃない、いわゆる英語で言う子音的な部分。音になっていない部分を……。
(宇多丸)子音がね、日本語は少ないんですよね。
(BOSE)それがないから、難しくて。
(宇多丸)僕とかボーちゃんは割と「タンタンタンッ!」って張る感じでね。
(BOSE)そう。タンタンタンッ!っていうのが日本語としてはまあ、正しい日本語みたいなところもあるし。だけど、デ・ラ・ソウルとかジャングル・ブラザーズみたいなのをなんとか真似したいと思って。その時は特によくSHINCOと歌詞を書いていたんだけど、言葉の置き方とかを分解して。それこそ、同じ音で日本語にはめて。
(宇多丸)まあ、空耳っていうかね。
(BOSE)空耳ですよね。で、やったりしていました。ダジャレみたいにしたりとか。
(宇多丸)なんかこう、僕は「絶対に向こうのラップをベースに置いている世代が来たな!」って思って。
(BOSE)なるほどね。同世代じゃない。
アメリカのラップを分解して日本語を当てはめる
(宇多丸)同世代。だから僕らは全く同じ発想で、「アメリカのラップの聞こえを日本語に上手く置き換えられれば前の世代よりもはるかにかっこいいラップができるはず!」っていうビジョンがあったんですよ。だから、そのへんはやっぱりそうなのね。
(BOSE)そう。そんで、かつ、せいこうさんの詩的な、日本人ならではのああいうストーリーみたいなのとかはかっこいいと思ったから、これが混ざらないかな? と。
(宇多丸)「上手くバランスが取れれば……えっ、勝てるんじゃね?」って(笑)。
(BOSE)そうそう(笑)。だいたいそうなんだよ。真似をして。「これとこれのいいところを……」って。さらに僕らはお笑いも大好きだったから。お笑いの要素を。ダウンタウンが大好きとか。そういうのを入れれば。
(宇多丸)当時からね、早かったもんね。
(BOSE)大好きだったから。それは感覚が近いと思ったんだけど。「あの要素とかを入れたら、絶対にいい」と思って。
(宇多丸)あれですね。僕はいま、もっぱら技術的な話をしていましたけど、やっぱりラップする内容も、たとえば日本人がやるならこうだろうな……みたいなのを考えました?
(BOSE)それはね、特にデ・ラ・ソウルとかジャングル・ブラザーズがたとえば翻訳をされているやつを一生懸命読んで。「なるほど。こういう変なことを歌っているんだな。この人たちは」と思って。
(宇多丸)その前はね、もちろんみなさんのイメージ通りですよね。「俺がナンバーワン!」みたいな感じだったのが。
(BOSE)ちょっと日常的なことで。変なことばっかり言っているな、みたいなのを要素として入れていて。それこそ、好きなものが『モンティ・パイソン』みたいなのだったりするんだろうな……みたいな。ビースティ・ボーイズとかそうだったけど。お笑いとかが好きでやっているんだろうな、とかっていうのを。
(宇多丸)割と近い感じね。
(BOSE)そう。これを完全に自分らのフィールドだけでやれば、アメリカ人にもわかんねえし。
(宇多丸)ああー。だから向こうで言えばそういう『モンティ・パイソン』だったりとか、トラックだったJBみたいなのをドリフに置き換えたりとか。
(BOSE)そうそう。みたいなのをやるとか。そうすれば。
(宇多丸)クレイジーキャッツに置き換えたりとかっていうことをやっていましたよね。
(BOSE)そうすれば、技術も日本語の響きもそうだろうし、音的にも内容的にも……本当にね、若気の至りですけど、世界に1個しかない感じになれるんじゃないかと思ったんですよ。
(宇多丸)うんうん。でも、間違いない。全く、実際になっていますし。
(BOSE)そう思ったんですね。
(宇多丸)それででもまさに、スチャはいまと違うのは、メジャーで契約をしてアルバムをコンスタントに出せるっていう立場はもうスチャしかいないような状況の中で、後にEAST ENDとかも出てくるけども、ふと『ブギー・バック』っていう……。
(BOSE)そうだね。事故ですよ。
(宇多丸)あ、事故ですか?
(BOSE)事故だと思いますよ。
『今夜はブギー・バック』は事故
(宇多丸)『ブギー・バック』っていう曲はこれ、ヒップホップ好きからすると元ネタというか、「ああ、こういうことがやりたいんだな」っていうのは、ナイス&スムースというグループがいて。まあ歌とちょっとチープな感じのトラックと。
(BOSE)ねえ。だから小沢くんも後にそのことを、「あれはスチャダラが誘ってくれて、『ダサくてかっこいいのを作ろう』っていうやつを……」って。それってさ、本当にわからない。ナイス&スムースをアメリカ人の子供たちや若い女の子たちが「キャーッ!」って言っている感覚はやっぱりわからなくて。「これ、ギャグでしょう?」って(笑)。
(宇多丸)要はナイス&スムース、ちっちゃいおじさんと背の高いおじさんが……フハハハハッ!
(BOSE)すごくかっこよさげに「俺はすごくイケてて……」って歌ったりラップをしているという。
(宇多丸)っていうのを、ヘタウマな感じの歌と、チープなトラックと……なんか、たまんない感じね!
(BOSE)あれがヒップホップの本当にいわゆる核となる魅力だと思うんだけど……あれって日本人から見たらやっぱりややメタな視点で見るしかないじゃん!
(宇多丸)アハハハハッ! まあ「ちょっと笑うよね」みたいな。
(BOSE)だってあれをガチで「かっこいい!」とかって、難しいじゃない?
(宇多丸)着てる服とかね。まあ俺はもうその時代は見失っていたんで。本当にかっこいいと思っていたけど(笑)。
(BOSE)本当に!?(笑)。 だってテロンテロンのさ、サテンみたいなさ……。
(宇多丸)黄色と緑の(笑)。
(BOSE)そんな服、売ってねえし……みたいな。
(宇多丸)黄色と緑のジャージで、後ろがなんかくすんだ青のジャケで……これ、みなさん検索してみてください。
Your occasional reminder that Nice & Smooth's first album is just a beast and a true hip-hop classic. pic.twitter.com/jUhUSpaPrP
— Victor LaValle (@victorlavalle) 2017年10月10日
(BOSE)見てください。言ってもアクの強いギャルに囲まれた……なんかあれ、わかりにくいと思うんですよ。
ナイス&スムース
(宇多丸)顔のヒゲを剃っていないギャルたちに……(笑)。
(BOSE)アハハハハッ! でもそれが魅力的だったわけでしょう? そこがやっぱり、日本人の虚弱な体で見たら、やっぱり本当に引いた目線で……。
(宇多丸)たしかに。ここにはないものだから憧れるっていうのはあるよね。
(BOSE)ダサくてかっこいいっていうしか捉えようがなかったんだけど。それをでもなんとか、面白くできないかな?っていうアイデアが『ブギー・バック』の元だから。なんか、僕らが歌詞を書いて小沢くんもそれを受けて「プッシーキャット」みたいな普段は絶対に使わないような言葉を使うとかさ。
(宇多丸)いやいや、本当だよ。全体に小沢さんとしてはちょっと……。
(BOSE)ありえない歌詞を使うとかっていうので、面白いものを作ろうとしたんだね。
(宇多丸)じゃあ割とそこは、遊びじゃないけどもキャッキャ言いながらやっている感じですか?
(BOSE)そう。だから本当だったらあの頃に書いていた自分らの歌詞だともうちょっとシリアスになったりとかっていう方向もありえて。かっこいいかっこいいだけの曲もありえたんだけど、やっぱり歌詞とかに関してお互いに無責任になれる部分もあって。
(宇多丸)やっぱりそれはベースに「こういうことをやってみようぜ! キャッキャ!」っていうのがあったから?
(BOSE)そうそう。面白がってやらないと。そこはまあ、フリッパーズ・ギターだった人ですし。
(宇多丸)もうすでに大スターでしたからね。
(BOSE)だから、なんか皮肉な笑いみたいのはわかっていたから、そういうアプローチでやったんだよね。