杉作J太郎 ラッシャー木村を語る

杉作J太郎 ラッシャー木村を語る 痛快!杉作J太郎のどっきりナイトナイトナイト

杉作J太郎さんが南海放送『MOTTO!! 痛快!杉作J太郎のどっきりナイトナイトナイト』の中でラッシャー木村さんについてトーク。1980年代、日本でただ1人、ラッシャー木村だけが男だった時代について話していました。

(杉作J太郎)(メールを読む)「一方、黒のロングスパッツはラッシャー木村さんのような感じがするので抵抗が少ないです」というね。なるほど、わかる気がしますね。これはこの世代、僕らぐらいの年配の人しかわからないかもしれないけど、ラッシャー木村っていうのはね、やっぱり我々男子にとっては本当に最後の砦というか。ラッシャー木村だけが男だった時代があるんです。1980年代。

全ての男性がテニスラケットを持ってね、淡い色の、柔らかい色のトレーナーとかを着てね、髪を長くして。そして、「女を口説くにはこういう飲み屋に連れて行った方がいい」みたいなノウハウ本みたいなのが山ほど売れて。1980年代から世の中が一気に、もう(鶴田浩二『傷だらけの人生』のように)ケダモノごっこがまかり通る世の中になっていったわけですよ。

ただ1人、ラッシャー木村だけが男だった時代

で、そんな中でただ1人、ラッシャー木村だけが男だった時代が日本にはあるのです。そのラッシャー木村は国際プロレスというところにいたんですが、国際プロレスが潰れた後、新日本プロレスに活路を見出しまして、アントニオ猪木の新日本プロレスに殴り込みをかけるわけですね。田園コロシアムで。そして、ラッシャー木村がマイクを持ちまして、他所の団体にはじめてきたものですから、「みなさん、こんばんは」って言ったら、大爆笑が起きたんです。

オロオロするラッシャー木村。「みなさん、こんばんは」って言ったら「ウワーッ!」ってなって。それからもう、ラッシャー木村は「こんばんはのおじさん」みたいになってしまいまして。そして、笑われながらも対抗していかなきゃいけない。そしてそのラッシャー木村の家には、もう心無いプロレスファンが襲撃をかけるようになりまして。家で飼っていた犬まで脱毛症みたいになってしまって。生卵とかどんどんぶつけられて。家にどんどんどんどん。で、国際プロレスではヒーローだったラッシャー木村がもうお笑いみたいになっちゃってますよね。

で、そのラッシャー木村の服装が黒タイツだったんです。そしてピッチリとした黒タイツで、割と体重があるので、小股でチョコチョコ動く様がよりおかしかったんですね。顔が怖かったから。顔が本当、鬼みたいな……まあ、鬼みたいな顔の人はこのスタジオにも1人、いらっしゃいますけどもね。言われてみればたしかに、藤田ディレクターはラッシャー木村にちょっと似ているかもしれません。ほんでそのラッシャー木村さんは、自分がそう悪役みたいになった時にね、ある文章を、あれは新聞だったか雑誌に書いたんですね。僕はもう一生忘れることができませんが。

ラッシャー木村さんのつづったその言葉というのは、「人はそれぞれが別の場所で別の実を結ぶのだと思う」っていうね、文章を書いたの。もうね、本当に人と張り合うとかね、人と何かを比べるとか。お金が儲かった、儲からないとか。あの家はいい、ダメになったとか、そういうことじゃない。「人はそれぞれが別の場所で別の実を結ぶのだと思う」というこのラッシャー木村さんの一文。僕は本当に、「いま、この広い日本でラッシャー木村だけが男なんだな!」って思ってね。周りが全部ね……いや、もちろん日本中に男らしい人はたくさんいましたよ。それはいたと思いますけども、そうですね。テレビとか媒体の中の話なのかもしれませんね。もうほとんどが優しくなっていったんですよ。

まあもちろん、男性が優しくなることはいいことなんですけども。まあ、ちょっと難しい領域に話が入ってきたので、ちょっと元に戻ります。すいませんでした。まあでも、この方がおっしゃるようにラッシャー木村さんみたいな感じがするので黒いタイツに憧れるというのは、これは人それぞれのラッシャー木村がいるかもしれませんね。たしかに黒いタイツってスポーツマンがスポーツの時に穿くタイツかもしれませんから。はい。

<書き起こしおわり>

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