いとうせいこうさんがNHF FM『今日は一日”RAP”三昧』にゲスト出演。宇多丸さんと80年代半ばから後半にかけての日本のヒップホップについて話していました。
(宇多丸)さあ、ということでその時、日本はどうなっているのか? ここから25分ほど、1980年代半ばから80年代後期に至るまでの歴史をたどってみたいと思います。ということでゲストをお招きしております。いとうせいこうさんです!
(いとうせいこう)よろしくお願いいたします。
(DJ YANATAKE)やった~!
(宇多丸)お待たせしました。どうです? NHK FMでですよ……。
(いとうせいこう)いや、いいよ。ここ、大瀧詠一さんがやっていたようなスタジオじゃないの?
(宇多丸)そうですよ。そういうところで真っ昼間から、やれスクーリー・Dだ、スプーニー・Gだ……(笑)。
(いとうせいこう)めちゃめちゃ悪いやつらの言い分を聞いているからね。
Schoolly D『P.S.K. What Does It Mean?』
(宇多丸)言い分と、あともう音楽ならぬ音楽の数々がね。
(いとうせいこう)そう。非音楽だったからかっこよかったんだよな。やっぱり。
(宇多丸)まさにそのあたり。ヒップホップの原理の部分も含めて。先ほど、1980年代に佐野元春さんとか当然、吉幾三さんの『俺ら東京さ行ぐだ』のヒットがあったりして、日本語でラップをする試みみたいなのがだんだん、ちょろちょろと始まってきた中で、でも本格的にヒップホップを革命的な文化として意識して輸入された人たちっていうのがいとうさんとか、近田春夫さんであるとかっていう世代だと思うんですけども。
(いとうせいこう)そうですね。
(宇多丸)いとうさんは最初にそのヒップホップなりラップなりの革新性を意識したのはいつごろですか?
(いとうせいこう)いちばん最初に80年代、僕が大学の時に(ラジオの)FENっていう極東放送……米軍放送ですよ。そこから聞こえてきたシュガーヒル・ギャングだと思うんですよ。で、そのハネた間のね、「ドーン、タッ、ドーンドーン、タッ、ドーン!」みたいな。「なんじゃ、これ?」と思ったのと同時に、その上にしゃべっていくでしょう? それってカントリーでもやるし、日本でも音頭としてやるわけ。「ああ、こういうやり方でしゃべっていくことがあるんだ!」ってむしろ共通性を感じたんですよね。有色人種的なものの。
(宇多丸)なるほど、なるほど。
(いとうせいこう)まあ、カントリーは白人ですけども。で、それ以降、適当な真似はしていたけど、84年か5年ぐらいか、よくわからないけどもその時にはじめてスクラッチをするDJたちに会ったの。藤原ヒロシとかDJ KUDO、工藤さんとか……。
(宇多丸)日本でいち早くね。藤原ヒロシはいまや、ファッションリーダーというのもあれだけど。最初はスクラッチをする、メガミックスDJなんてのをやっていましたけども。
(いとうせいこう)あと、映画の『ワイルド・スタイル』ですよね。何をやっているのかがようやくわかってきたっていう。
(宇多丸)音だけ聞いているとよくわからなかったのが、映像で見ると「ああ、レコードをこうやって」って。
(いとうせいこう)「回してジキジキやっているのはあれ、レコードをこすっているんだ!」って。でも、日本ではまだ5人ぐらいしかこすれる人がいなくて。しかも、その人たちとやるとなった時に彼らもあんまりよくわかっていない。僕はラップの方に興味があるから、あれは言葉を全部「AA、BB、CC、DD……」って。あんな乱暴な韻の踏み方、あるかね? みたいに。
(宇多丸)なるほど。割と原始的なというか、そういうライミングだったんですね。いとうさんからすると。
日本語でどう韻を踏むのか?問題
(いとうせいこう)そうそうそう。やっぱりポップスをずっと聞いていたから、「AB、AB、CCC……」とか。せめてそういう風に韻を踏むのが普通だったところを「AA、BB、CC、DD……」っていうのはもう子供の踏み方なんですよ。で、それをやっちゃうことがおそらく暴力的でかっこよかったんだろうけど、最初の僕にしてみたら「えっ、この韻は別に真似しないでもいいな……」って最初は思っていた。
(宇多丸)ああー。だからこそ初期のね……あ、説明が遅れました。いとうせいこうさんは日本語ラッパーの先駆けです。として、呼んでいるわけです。この説明を欠くとなんだかよくわからない。だから初期のいとうさんのラップはあんまり韻を意識していないのが多かったのはそういう部分ですか?
(いとうせいこう)そうですね。特に『建設的』というアルバムを出す時に合宿して作ったんですけど。で、「じゃあ明日はこの曲、ヒップホップの曲をやる」っていう時に同室の藤原ヒロシに……僕はその時に歌詞を書いていたんだけど。「うーん、ヒロシ、これ韻を踏んだ方がいい?」って聞いたら、「踏まなくていいんじゃない?」って言ったのをよく覚えているの。
(宇多丸)なるほど、なるほど。
(いとうせいこう)だけど、「それでもたぶんラップの規則、お決まりだからサビの部分だけは入れとこう」って入れたのが「東京ブロンクス Baby Thanx For Machine Guns and Thanks」っていうのは……まあ啓蒙的に入れた。あとは実際はあんまり踏んでないんですよね。
(宇多丸)その後ね、でも『MESS/AGE』っていうアルバムで、今度は踏みまくりのをやったりとかもして。
(いとうせいこう)そう。だったらむしろ複雑に踏んで。頭韻も……まあ、あの時はまだ頭韻はあんまり踏んでなかったけど。頭韻を踏むとか、中間韻を踏むとか、脚韻を踏むとか、いろんなやり方をやってみようと。それがむしろ実験になるかもしれないって、実験的な方向からやったんですよね。
(宇多丸)まさにそれは、後についていく我々後進としても、その部分はやっぱり……日本語のポップスというか、聞き取れる、乗れる曲の中できっちりと韻を踏むという試みがあまり近年はされていなかったから。その部分に可能性を感じたというのは僕らの世代はありますけどね。
(いとうせいこう)そう。で、やっぱり最初に困ったのは、よく言うことだけど日本語は「膠着語法」っていうやつだから。「○○です」「○○でない」って、いちばん後ろで文の価値を決めるのに、そこで「です、ます」とか「だ、でない」で韻が踏みにくいわけですよ。
(宇多丸)同じ言葉になってしまったりね。
(いとうせいこう)そう。そうすると、「○○でない××」っていう風に倒置法を延々と繰り返すことになるわけじゃないですか。
(宇多丸)まあ、いまだに日本語ラップのひとつのテクニックとしてありますけどね。
(いとうせいこう)それが客にとって聞き取れているのか?っていう。伝わらないんですよ。いま、これから30年ぐらいたって僕が驚くのは、日本の若い子たちが倒置法でみんな理解をするところ。それは30年前にはほとんどなかったの。
(宇多丸)ああー!
(いとうせいこう)その脳はなかった。
(宇多丸)倒置法理解脳になった。要するに、日本語ラップ理解しやすい脳になった。
(いとうせいこう)そう! だって倒置法を3つ、4つ重ねるまではわかるけど、5つ、6つ行ったらもうポカンとしている。まあ、ライブをやっているからわかるわけ。
(宇多丸)実感としてそうだったのが。
(いとうせいこう)それがもう、全然違うね。そうなりましたね。
(宇多丸)慣れ……シンクロニシティ慣れというか。が、あるんですかね。
(いとうせいこう)なんでしょうね。
(宇多丸)じゃあいとうさんの曲を聞いてみましょう。やっぱりね、最初期の曲を聞かせてください。これ、1985年。しかもいとうさんはまだ『ホットドッグ・プレス』の編集部員ですよね。編集部員の分際で……(笑)。
(いとうせいこう)分際ですよねー。
(宇多丸)しかも、『業界くん物語』っていう、当時流行っていた……。
(いとうせいこう)まあ、情報漫画みたいなのを担当していて。それ自体をアルバムにしちゃおうっていうことでやった中に、当時仲間になっていたヤン富田さんがトラックを作って。で、藤原ヒロシとかダブマスターXとかKUDOとかが。しかもこれって、サビがあるんだよね。
(宇多丸)ああ、そうですね。当時ね。「この時代のヒップホップはあんまりサビがないですよ」って言っていたけども。
(いとうせいこう)これは結構サビがあるという意味で融合しているんです。それまでのポップスと。
(宇多丸)サビもあるし、あとこの中でいとうさんはヒューマンビートボックス。いわゆるボイパもやっているし。あと、前半と後半でラップの仕方を変えるっていう。後半ではいまで言うスリック・リック風の……。
(いとうせいこう)僕はものすごい彼らの影響を受けていたから。
(宇多丸)まあダグ・E・フレッシュとスリック・リックの『La Di Da Di』っていう……ヒューマンビートボックスでスリック・リックがラップをするっていう、それに影響を受けていたのもあるし。
(いとうせいこう)うん。
(宇多丸)トラックはちょっとマルコム・マクラーレン風だったりとか。1985年でこれだけ……。
(いとうせいこう)一応リズムはZ-3MC’sを参考にしていると思うんだけど。
(宇多丸)Z-3MC’sっていうのを参考にして(笑)。で、それぞれ『業界くん物語』のテイをやりながら、ちょっとセリフボーストとオチをつけるっていうのもやって。ここにね、ある意味ヒップホップ解釈の全てが入っちゃっている。
(いとうせいこう)そうなのよ。後から僕も気づいて。去年そのことに気づいたのよ。
(宇多丸)とんでもない曲です。お聞きください。いとうせいこうさんで『業界こんなもんだラップ』。1985年です!
いとうせいこう『業界こんなもんだラップ』
(宇多丸)若きいとうさんがいろんなことをやっています。「俺の考えるヒップホップ」を全部この1曲の中にブチ込もうとしていますね。
(いとうせいこう)詰め込んでいるんですよね。
(宇多丸)すごいですよね。
(DJ YANATAKE)最初、いきなり「ズールーキング」から。
(いとうせいこう)なんで「ズールー」って言っているのかももうわからないもん。
(宇多丸)まあ、たぶんアフリカ・バンバータ。
(いとうせいこう)なんだろうけどさ。確実にね。でもそれはやっぱりアフリカの文学とかああいうのが好きだったから。「ああ、ズールーといえば……」って。
(宇多丸)「ズールー戦争」とかね。
(いとうせいこう)そうそうそう。っていう風に僕は解釈をしていたんだろうね。
(宇多丸)でもなんか、いいですよね。みずみずしいですよね。ヒップホップという文化に。僕はいとうさんたちが「これからはヒップホップの時代になっていくんだ!」って1986年ぐらいの段階で断言していたんですね。で、それにまんまとやられて、この道に来てしまったんですよ。
(いとうせいこう)すいませんでした(笑)。
(宇多丸)本当、あなたのせいなんですけども。リスナーの方にわかりやすく、何にいちばん革新性を感じました?
(いとうせいこう)人のものをサンプリングして持ってきちゃうっていうところですよね。80年代っていうのはニュー・アカデミズムっていうものがあったりして、「新しい哲学も新しい思想も新しい何かもできないんだ。全部は組み合わせにすぎない」って言って、「すぎない」って言いながら皮肉に笑っていたのが、すぎない中からすんげー面白いものが出てきちゃった。じゃあ組み合わせで何でもできるんじゃん!って。
(宇多丸)ポストモダンでも全然元気だぞ! と。
(いとうせいこう)全然いいんだ。踊れるんだって。踊れるポストモダンね。それが現れちゃったっていうのが東京からの解釈だったんですよ。たぶんニューヨークはそういう風には考えていなかったと思う。それともうひとつ、面白いことは僕はよく人に言うんだけど、この前にディスコDJがいたわけですよ。で、ディスコDJっていうのは同じようなBPM、早さに上手く曲を調整して「AからB、BからCからDからEから……」ってやって一晩をすごすわけじゃないですか。ところがヒップホップの、クール・ハークがやったと言われているけども、クール・ハークのすごいところは「AからA、AからA、AAAAAA……」って延々と繰り返すという。コロンブスの卵ですよ!
(宇多丸)うんうん。
(いとうせいこう)物事をめっちゃくちゃ単純化したら、ものすごいグルーヴが生まれちゃったという。で、そこにテクニクスのSl1200っていう手を離したらすぐに立ち上がるターンテーブルがたまたま彼らの手元にあったという。この謎っていうか歴史の不思議さというか。
(宇多丸)そこでそのテクノロジーが揃ってなかったら。ベルト方式のレコードプレイヤーしかなかったらできないですもんね。
(いとうせいこう)頭が「グワ~ン……ズン、ダッ♪」っていうんだったら……。
(宇多丸)ダイレクトドライブのターンテーブルがあるからですよね。
必要な機材がたまたまそこにあった
(いとうせいこう)そう。それはディスコで急にいきなりポンって始めたかったDJがいたから、その人たちのために職人さんが作ったんでしょう? まさかこんなことのために使われるとは思ってないじゃないですか。
(宇多丸)レコードの盤の上に手をおいて前後させるためには作ってない。
(いとうせいこう)「ふざけんなよ!」ってことじゃないですか。いや、当時やっぱりスクラッチをやりに行く時に、どうしても針が飛んじゃったりするっていうんで、DJたちがいろいろ情報交換をしていましたよ。「針の上に50円玉を乗せるのがいい」とかいろんなことを言って。で、胴鳴りもしちゃうから、台の上にターンテーブル2台とミキサーを乗せてライブに行こうとする時に、この台自体がどうしても「ボーン!」ってなっちゃう。
(宇多丸)だから間にインシュレーターを本当は挟まなきゃいけないんだけど。
(いとうせいこう)そう。それがわからない。だから何度もいろんなところのディスコの人たちとみんなで、抑えてみたり何したり……結局、「重いものを乗せる」っていうのをそこで現場でわかるわけ。
(宇多丸)ああーっ! 工夫していった。まさに。
(いとうせいこう)不思議だったなー、あの時代。面白かった。だから。
(宇多丸)いいですね。でもまさに、アメリカの本場のやつらも全然試行錯誤しながらやっている段階だから。ほとんど実は時差はなかったんですよね。
(いとうせいこう)ランDMCの話をさっきしていた時、あそこのNHKでやった時に前座が僕らだったんですけど。リハが盛んに止まっていたもん。やっぱりノイズが乗っちゃったりとか、あるいはあの人たちが面倒くさくなって止めちゃったり。その時にスタッフでいた白人の人が、たしか2階か3階で僕は見ていたんだけど。そのスタッフの彼を見たら、その止まってしまうランDMCを見て俺たちに向かって笑いながら「ミュージシャンじゃねえからな」って言ったのをよく覚えているの。
(宇多丸)ああー。でも、そこに……。
(いとうせいこう)そこが俺はかっこいいと思ったの。
(宇多丸)「そこじゃない!」っていうことですよね。
(いとうせいこう)「それがいいんだよ!」って言い返したかったけどね。
(宇多丸)でも逆に、たとえば先ほどチラッと名前を出しましたけども近田春夫さん。もともとは、要するにミュージシャンシップの塊というか。音楽のことを知り尽くしたような人が「これからはヒップホップだ!」ってなってやられた。しかもこれ、次にかけようと思う曲は近田春夫さんがプレジデント・BPMというラッパー名で活動されて。この影響も僕らはすごく受けていましたけども、それで出した『Hoo!Ei!Ho!』という曲をかけようと思うんですが。
(いとうせいこう)はい。
(宇多丸)これが面白いのは、まずさっきの膠着語法。日本語の膠着語法を近田さんは……。
(いとうせいこう)そう! 逆利用するのよ。頭いいなー、近田さん。
(宇多丸)開き直って。じゃあ、もう日本語の同じ語尾をそのまま行けばいいじゃないかっていう感じでやっている。あとで聞けば一発でわかりますけども。で、『Hoo!Ei!Ho!』ってどういうことか?っていうと、改正風営法ですよね。1980年代半ばに風営法が改正されて、ディスコが12時でもう閉まっちゃうっていう時代になった。で、そこからクラブの時代。ディスコ文化がクラブに移行していくという。
(いとうせいこう)変わっていくし、小箱がいっぱいできていくわけだよね。
(宇多丸)で、これは世界的にですよ、80年代半ばから90年代にかけて、クラブミュージックの時代になっていくわけじゃないですか。要するに、日本の全然関係ない法律の改正とその世界的な音楽というか文化の流れが……。
(いとうせいこう)たまたまだよ、これ。たまたま。
(宇多丸)だからね、風営法改正がなかったら、ひょっとしたら日本はクラブミュージックの流れに乗り遅れていたかもしれない。
(いとうせいこう)ディスコ勢は強かったからね。
(宇多丸)そういうことかもしれないし。だから不思議なシンクロニシティというのがあるという曲です。では、1987年。近田春夫さんの別名、プレジデント・BPMで『Hoo!Ei!Ho!』。
President BPM『Hoo!Ei!Ho!』
(宇多丸)すごいですねー。NHKでね。まあ、これは昔の風営法。風営法はさらに再改正されましたから。ある意味、脱法な遊び方のすすめをしているわけですからね。
(いとうせいこう)そうなんですよ。だから「イエーッ!」って言っているところはライブでは「法律を破るんだ」って言っていたからね。
(宇多丸)明白にね(笑)。まあでも、プロテストということでね。
(いとうせいこう)そうですよ。そういうもんだよ。