宇多丸さん、高橋芳朗さん、DJ YANATAKEさんがNHK FM『今日は一日”RAP”三昧』の中でラップ・ヒップホップの歴史を振り返り。1980年代初頭ごろの、本格的にラップ・ヒップホップが成立する直前の日本の状況について話していました。
(宇多丸)これ、いま1970年代初頭から1980年代初頭の話をしましたが、「その頃、日本では?」って言われても、その頃日本では、何もなーい!
(高橋芳朗)アハハハハッ! アメリカでもこんな感じですからね。
(宇多丸)そうそう。アメリカだって、たぶんニューヨークのごく一部のイケてる人だけが知っている音楽で。
(高橋芳朗)まだローカル音楽ですよ。
(宇多丸)だから全然たぶん中西部の人とか全く知らない状態。
(DJ YANATAKE)そうですよね。いろいろ調べても、やっぱり1970年代の日本におけるラップ・ヒップホップはほぼなにも残っていないというか。
(高橋芳朗)ところがですね、まあ日本に輸入されるのはだいぶ時間がたってからだという風に思われるかもしれませんが、実はめちゃめちゃ早い例もあるんですということで。いま、後ろで流れているのは『咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3』という。これは『スネークマンショー』という、のちにレコードになります。最初はラジオ番組だったりしたんですけど。1981年にリリースされた曲なんですね。これは小林克也さんと伊武雅刀さんがそれぞれキャラクターを演じて。ちょっとブロンディーの『Rapture』風のトラックですよね。
(DJ YANATAKE)そうですね。
(宇多丸)で、日本語でやっているじゃないですか。これ、ブロンディー風になっているから、ブロンディーに影響を受けてやったのかな?って思われがちなんですけど、これ、小林克也さんに直接お話を聞いた時に得た証言なんですが、実はこれ、さっきの『Rapper’s Delight』がありましたね? シックの『Good Times』の感じを使ってやったシュガーヒル・ギャングの『Rapper’s Delight』という曲が1979年にリリースされて大ヒットしている時に、それをニューヨークで聞いた桑原茂一さんかな? 『スネークマンショー』を主催されている。が、「番組でもこんな感じのを日本でもやろう!」っていうことで。
(高橋芳朗)うんうん。
(宇多丸)当時はまだサンプラーもないですから、シックの『Good Times』のブレイクビーツというか、頭の「ドンドンドンドン……♪」の部分を、テープを切り貼りしてループされて。輪っかを作って、要するに擬似的なサンプリングループというのかな? それを作って、ニューヨークから帰ってきてすぐ。1980年初頭とかにすぐ。正確な日時はちょっと僕、調べきれなかったんですけど、とかに放送でやったそうなんです。だからそれって『Rapper’s Delight』の直接的な影響を受けて日本に置き換えているわけじゃないですか。だから、1980年代初頭にはほぼリアルタイムで日本に輸入されていたということなんですよ。
(DJ YANATAKE)すごいですね!
(宇多丸)ということがわかって。
(高橋芳朗)テープの切り貼り?
(宇多丸)テープの切り貼りでというね。研究の結果、そのあたりがわかっております。ちょっと『咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3』を聞いてみましょうか。
『咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3』
(宇多丸)まあ非常に有名な曲なんで。ちなみに小林克也さんはとあるハンディビデオカメラのCMソングだったと思うんですけど。それでザ・ナンバーワン・バンド『うわさのカム・トゥ・ハワイ』という曲で。これ、リクエストもいただいておりますが。1982年にやっぱりラップ曲を出したりとかしているんですけど。
(宇多丸)で、本格的に日本のラッパーが出てくるのはもうちょっと後なんですが、非常に重要作として1984年に佐野元春さんがリリースした、シングルとしてリリースしました『COMPLICATION SHAKEDOWN』という曲。みなさん、ご存知の方もいっぱいいるんじゃないでしょうか。佐野さんは1年間、ニューヨーク生活をされて。それまでのスタイルをガラリと……それまではビリー・ジョエル的なというか。そういう感じだったのが、要はもう80年代初頭のニューヨークにいて。ニューウェーブシーンの中にもヒップホップがものすごい入っていて。そういう空気を吸った佐野さんがその興奮をそのままに作ったアルバム『VISITORS』があって。その中の曲が『COMPLICATION SHAKEDOWN』。これ、ヒップホップマニアとして聞くと、実は歌詞の中に重要なラインが含まれておりまして。
(高橋芳朗)ほう!
(宇多丸)途中で「ライトを浴びてるジャジー・ジェイ」っていう。
(高橋芳朗)おっ、ジャジー・ジェイ!
(宇多丸)これ、たぶん当時の日本人は1人もわからなかったと思うんですよ。この意味は。ジャジー・ジェイというのはアフリカ・バンバータ率いるズールーネイション一派のDJなんですよね。要するに、ヒップホップシーンのど真ん中にいるDJ。だからまさに佐野さんはそのジャジー・ジェイを……たぶんブロンディーの『Rapture』がいろんな名前を読み込んでいるのを……。
(高橋芳朗)ファブ・ファイブ・フレディーとかグランドマスター・フラッシュとかを読み込んでましたね。
(宇多丸)っていうことを模しているのかもしれませんけども。もうこの時点で佐野さんがヒップホップど真ん中の空気を吸っているのが証明されているという。これは後から研究の結果、わかったあたりです。では、こちらをお聞きください。1984年、佐野元春さんで『COMPLICATION SHAKEDOWN』。
佐野元春『COMPLICATION SHAKEDOWN』
(宇多丸)はい。お聞きいただいているのは1984年、佐野元春さんで『COMPLICATION SHAKEDOWN』でした。この打ち込み感。
(DJ YANATAKE)本当に直輸入感、ありますね。
(宇多丸)だからめちゃめちゃ早かったんですよ。やっぱり。さらにこの1984年は、これリクエストもいただいているんですが、吉幾三さんの『俺ら東京さ行ぐだ』。これも1984年なんですよ。
(DJ YANATAKE)はい。
(宇多丸)だからこれぐらいになると、日本語でもラップをしてみようかなという試みがちょいちょい、あちこちで。他にもね。
(DJ YANATAKE)完全にラップと意識したものが。
(宇多丸)そうです。吉幾三さんもやっぱり「ちゃんと向こうのラップを意識してやった」っていう風にインタビューに答えられてますんで。
(宇多丸)なんですが……まあ、本格的にやっぱり。
(DJ YANATAKE)そうですね。まだヒップホップとかラップとかっていうものが手探りだし、理解はできていないような状況っていうことですよね。
(宇多丸)完全にヒップホップ文化として消化したのは80年代半ば。ある革命的なことが起こりますので、これは後ほどのコーナーでお送りしましょう。
<書き起こしおわり>
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