西寺郷太と錦織一清 80’s音楽を語る

西寺郷太とA.B.C-Z 戸塚祥太 80’s音楽を語る NHK FM

西寺郷太さんと錦織一清さんがNHKラジオ第一『西寺郷太の 80’s STATION』の中で80’s音楽について熱く語り合っていました。

(西寺郷太)ここでスペシャルゲスト。スーパーゲスト。僕も大好きな兄さん、少年隊の錦織一清兄さんをゲストにお呼びします!

(錦織一清)おはよーございます!

(西寺郷太)急に(笑)。さっきはわざとダラけた感じを出していたのに。

(錦織一清)いまね、そこのエレベーター前でトッツー(戸塚祥太)とすれ違いましてね。そしたらトッツーが「舞台に出ることを言えなかったから、帰った後に郷太さんにフォローしてください」って言ってました。

(西寺郷太)アハハハッ! いいこと言いますねー。そうなんですよ。戸塚くん主演の舞台『恋するヴァンパイア』があるということと、12月13日に4枚目のシングルが出て、通常版の3曲目に錦織さんと一緒に作らせていただいた、『株式会社応援屋!!』のテーマ曲の『サポーターズ』が入るよということで。

『サポーターズ』

西寺郷太と戸塚祥太 A.B.C-Z『サポーターズ』を語る
西寺郷太さんと戸塚祥太さんがNHKラジオ第一『西寺郷太の 80's STATION』の中でA.B.C-Z『サポーターズ』について話していました。 (西寺郷太)そう。なんかスタッフとのミーティングで僕に対して戸塚くんがまだ開けていない引き出し...

(錦織一清)なるほど。トッツーも舞台をやるっていうから。だいたいトッツーの舞台とかA.B.C-Zって俺が結構やっていたんだよ。

(西寺郷太)やっていましたね。

(錦織一清)で、今年は違ったんだよ。「トッツー、今年どうするんだ?」っつったら、「もう今年はいいです」って言われちゃったから。俺。

(西寺郷太)アハハハッ、そんなことないでしょう?

(錦織一清)「もうたくさんだ」って言われて。

(西寺郷太)「もうたくさんだ」(笑)。いやいや、遠くから応援していると。

(錦織一清)そうなんですよ。

(西寺郷太)いやいや、そんなことないですよ。錦織一清さん、よろしくお願いします。

(錦織一清)よろしくお願いします。

(西寺郷太)僕は本当にデビューの前から、(NHKなので)商品名を言えないんですけど。チョコレートのCM……「西”寺”郷太、西”寺”郷太、Oh My 西”寺”郷太♪」って……(笑)。

(錦織一清)うんうん、合っている(笑)。そういうことよ。

(西寺郷太)赤と黄色と黒のあのチョコレート。

(錦織一清)そうなんですよ。まあ西寺さんっていう人のニックネームであったりとか、たまに小野寺さんとか。

(西寺郷太)山寺さんのニックネームにも。っていうようなチョコレートのCMの頃からのファンですから。僕は。

(錦織一清)はい。色分けされていたというね。あれで結構僕たち、色分けになっていましたからね。イメージカラーがね。

(西寺郷太)僕、だからちょっとあれはおかしいなと思っていたのが、「赤!」「黒!」って言って、「黄色!」って言うんですけど、「黄!」でいいんじゃないかな?って子供の頃に思っていたんですよ。

(錦織一清)アハハハッ!

(西寺郷太)「赤色」「黒色」……なんで黄色だけ「黄色!」って言うのかな? 「黄!」って言えばいいのにねってちょっと思っていたのが小学校の思い出で。そのあたりから僕、大好きで。で、1985年の12月12日に『仮面舞踏会』で少年隊、デビューされて。

(錦織一清)そういえば、来月になったらもうじきデビュー記念日っていうことになるんですね。これね。

(西寺郷太)ああ、そうですね。ワンツー、ワンツーで。

(錦織一清)これ、なんで12.12かっていうと、ゲンがいいっていう意味があって。これ、近藤真彦さんのデビューの時も12月12日だったの。そのゲンかつぎでね。僕らもずっと近藤真彦さんにお世話になっていて。普段、バックダンサーをやっていたから。その当時、ずっとツアーに一緒につかせてもらって。それでデビューの時にもだいぶお世話になって。

(西寺郷太)あ、来た!(BGMに『仮面舞踏会』が流れる)。かっこいい! たとえばでも、こういう僕の好きな錦織さんのエピソードとして、もともとパフォーマーであり、歌ったり踊ったりすることのエキスパートであることはわかっていたんですけど。楽曲を作ったりする時のアレンジとかアイデアもかなり出されていたというのを。この『仮面舞踏会』の「タカタカタカッ! タッターッ!」っていう頭も錦織さんが「こういうのを入れたらどう?」って言ったと聞いているんですけども。

『仮面舞踏会』制作秘話

(錦織一清)もちろん僕だけじゃないんだけども。その頃に出版にいた鎌田さんとかね。元子供ばんど、うじきつよしさんたちと一緒にやっていた方が僕らのレコーディングディレクターで。割とそういう……まあ言い方は失礼かもわかんない。郷太にも失礼かもわかんないけど、「バンド上がりの人」っていう、そういう人がディレクションをやったりとか。

(西寺郷太)僕はまだバンドですからね(笑)。

(錦織一清)まだ上がってないしな(笑)。

(西寺郷太)まだバンドやっています。ありがとうございます。

(錦織一清)で、それと一緒になって考えたりとか。レコード会社の人といろんなことを考えたりして。イントロの「Tonight ya ya……♪」もそこで生まれたのかな。だいたいあれ、『仮面舞踏会』ができるまでに3ヶ月ぐらいかかっていますからね。

(西寺郷太)最初は違う曲だったんですよね。予想していたのと。

(錦織一清)タイトルも全く違うし。で、何回もレコーディングして。僕らは合宿所生活をしていましたから。もちろんジャニーさんがいてね。で、かならずレコーディング終わったら、「今日やったレコーディングの分、聞いてください」って聞かせると、返ってくる言葉は「とりあえずこれ、楽曲としては成立している。とりあえずいい曲にはなっている。ここから何かが必要だ」ってことをまず言われて。

(西寺郷太)ああ、ジャニーさん。

(錦織一清)かならず言うのよ。

(西寺郷太)なるほど。そういう話、僕大好きです。もうリアル80’sのね。で、「ちょっと引っかかりをつけろ」っていう。

(錦織一清)「仕掛け」っていうんだけどね。「なにか仕掛けがほしい」とか。

(西寺郷太)だからイントロの仕掛けだったり、それこそ「ワカチコ!」とか。ああいう言葉だったりってのも……(BGMで『デカメロン伝説』が流れる)。あっ、すぐ来る! 優秀!

(錦織一清)はい。もうこの間、打ち合わせしましたから。

(西寺郷太)フハハハハッ!

(錦織一清)一昨日打ち合わせしたんで。

(西寺郷太)これ、実はね、台本通りに僕ら、しゃべっているだけですからね。一語一句そのまま。

(錦織一清)はい。句読点も守っていますから。

(西寺郷太)フハハハハッ! でも僕、言ったんですよ。この後、錦織さんは演出されている舞台の稽古がもともと入っていた中で急遽お願いしたので。30分しかいれない錦織さん。後から「ええーっ!」って言われるのはあれなんで、先に言っておきますけども。

(錦織一清)どうしようか? 稽古、遅らせようかな? あ、向こうでスタッフが「ええっ?」っつってますね。あ、台本通りにやっていますから。

(西寺郷太)それも台本通り(笑)。

(錦織一清)ト書き通りですから。「錦織、背もたれにもたれかかる」っていま、書いてあります。

(西寺郷太)フハハハハッ! そこから、「立って挨拶する」っていうね。いきなり、さっきのね。

(錦織一清)そうそうそう。まあラジオでは大事なことだよね。

(西寺郷太)見えないところで。見えないおしゃれをしているということで。

(錦織一清)でもNHKさんにはだいぶ僕もお世話になりましてね。去年も年末でしたかね? さっきもトッツーとすれ違いましたけども。A.B.C-Zがやった番組とかにも出していただいたりとか。

(西寺郷太)あ、ラジオですかね? 僕も一緒に出させてもらったりしたこともあって。はいはい。

(錦織一清)僕、だって16の時にはじめてドラマに出たのがNHK大河ドラマだったからね。これもみんな知らないと思うけど。30年、40年ぐらい前の話になりますので。

(西寺郷太)あれ、なんでしたっけ?

(錦織一清)『峠の群像』。

(西寺郷太)あ、『峠の群像』だ! 『峠群』だ。

(錦織一清)そうなんですよ。……『峠群』?

(西寺郷太)いや、いまはじめて略しましたけども(笑)。『峠の群像』見てましたよ。そうですよね。

(錦織一清)そうなんですよ。

(西寺郷太)最初の大河。

(錦織一清)大河ドラマ。それ以来、パタッと大河の話は来なくなりましたけどね。

(西寺郷太)ああ、本当ですか?(笑)。

(大雨警報のお知らせが入り、放送一時中断)

(西寺郷太)……みたいなテイで、三田寛子さんが「ちょっと私かな?」って思ったら、「ミタミタ、ミタミタ、三田佳子」っていうね。あれ、大好きなんで、もう1回見たいんですけどね(笑)。

(錦織一清)あの当時のディレクターの高野さんっていう、カノックスっていう制作会社の人がいて。僕はその人そっくりに演じているだけなのよ。昔のTBSの水曜劇場とかをやられていた久世(光彦)さんの会社で。そういうね、どっちかっていうと本当にテレビなんだけど、たとえば屋根の上でギターを弾いていると最後のシーンでエンディング、そのままずーっとカメラを引いていくとスタジオの全俯瞰になって。屋根が地べたに置いてあって、その上で歌っているだけだとか、そういうギャグをやる久世さんという方。もうお亡くなりになっていますけども、すごい巨匠がいたんですね。その人のお弟子さんなんです。だからそういうちょっとアンダーグラウンドチックなことが好きでね。

(西寺郷太)そういうジョークが好きだったと。

(錦織一清)だから登場人物の名前として「三田○○」さんっていう人が出ていて。三田寛子ちゃんっていう名前では出ていないですから。

(西寺郷太)ああ、本人の役を言ってちょっと笑わせるという。メタフィクションというんですかね。面白いですけども。だからね、先ほどの放送は僕の方がトッツーよりは12、3個ぐらい上なんで。まあ80’sを僕は子供の頃に聞いていたっていうので、先生みたいな役割をさせてもらったんですけども。まさに錦織さんには……リアルに80’sの芸能界およびエンターテインメントを最前線で走っていた錦織さんにいろんなことを聞きたいという時間なんですけども。もう時間がどんどんなくなってきているんですが。

(錦織一清)そろそろお別れのお時間でしょう?

(西寺郷太)いやいや、まだ早いでしょ! まだ早いんです。

(錦織一清)うわっ、びっくりした。本当にあっという間だった。

(西寺郷太)「あのー」って言って帰るの、やめてくださいね? いつもやるでしょう。「大事な話があります。……さようなら」っていうやつ、やめてくださいね。

(錦織一清)はい。

(西寺郷太)当時、ディスコでめちゃ遊んでいたという。横須賀の。

錦織一清とディスコ

(錦織一清)ディスコね、80’sっておそらく郷太も知っていると思うけど、ディスコブームって実は70年代で終わっているんですよ。第一次ディスコブームっていうのは終わっていて、80年代はだんだん実はディスコっていう文化が衰退していった時期で。なかなか、ただディスコとかが好きな人間って、僕らも子供の頃にちょっとおませさんというかね。自分のアニキぐらいの歳の人とか、友達のお兄ちゃんとか、そういうのから話を聞いているから、どんどんどんどん頭でっかちになっているわけよ。で、そういう番組とかも見出したりするわけだ。ソウルの番組があったりしてさ。

(西寺郷太)うん。はいはい。

(錦織一清)で、だんだん生意気になってくるわけ。それで、「じゃあそういうところに行けるような歳になったら、ああいうことろに行ってみたいな」っていうのが願いが叶わずだったのよ。ちょっと衰退していった時なんで。だからそういう……たとえば僕らは楽曲が好きで、そういうお店に行くわけで。やっぱり踊りやすい曲ってあるしっていうことで探しあぐねていたら、横須賀って米軍があるじゃない? そのそばにいいディスコがあるよっていう情報を聞いてね。

(西寺郷太)はいはい。

(錦織一清)僕らは高校も定時制に行っていたから、ちょっと僕らよりも歳の上の人で、免許証を持っている人もいたりしたわけ。で、車で連れてってもらったりとか。

(西寺郷太)もうジャニーズでものすごくダンスをレッスンしていたり、田原俊彦さんだったりのバックで踊ったりしながら、その時のスキルで? あの若い錦織さんがエネルギッシュに踊っていたら、みんな輪とかできちゃうんじゃないですか?

(錦織一清)ああいう踊りはね、実はディスコというフロアではしないんですよ。迷惑かけるでしょう。危ないでしょう。

(西寺郷太)急にバク転したりして(笑)。

(錦織一清)一生懸命すぎるでしょう?

(西寺郷太)アハハハッ! でも、一生懸命じゃない錦織さんの踊りも僕、大好きなんで。こう、揺れる。

(錦織一清)だから揺れる……それを「グルーヴ」って言うじゃないですか。それを体に入れに行くのがディスコだったんだなー。

(西寺郷太)なんかチャチャのやり方もいろんな種類があるっていう……。

(錦織一清)ローカルルールがありますからね。東京のチャチャだったりとか、横浜のハマチャチャとかいろいろとありますからね。

(西寺郷太)これね、飲んでいると錦織さんがね……バーで錦織さんの好きな曲をかけるんですよ。そしたらね、踊って説明してくれるんですよ。

(錦織一清)体が動いちゃうんですよ。どっかいなかっぺ大将なんですよ。音が鳴ると踊り始めちゃうっていう。

(西寺郷太)アハハハッ! いや、恐ろしいぐらいのメールが錦織さん宛に来ているんですよ。こんなに来ていてびっくりしているんですけども。

(錦織一清)恐ろしいぐらい来ているんでしょう? 恐ろしいメールが来たら、言わないでね。

(西寺郷太)アハハハッ! 「あなたに話があります……」みたいな。いやいや、東京都、40代の方。「ニッキさんの深夜ラジオをカセットに録音予約していました。3時まで聞いて寝不足で学校に行きました」ということで。すごい方もいますね。福岡県40代の方。「『バラードのように眠れ』が好きです。この曲、某歌番組でマイクを電話の子機を使って歌っていたのを覚えています」。

(錦織一清)ああ、はいはい。やったね。

(西寺郷太)埼玉県の方。「少年隊、ニッキ大好きです。リクエスト曲は少年隊『ABC』です」。僕はもうこの曲が大好きで。もう日本人が出したシングル曲でいちばん好きです。

(錦織一清)山下達郎さんは僕に「こういうのをやってりゃいいんだよ!」って言っていたからね。

(西寺郷太)「……この曲は毎回、真っ黒な衣装で」って。それこそ1987年で、ちょっと黒の衣装でミラーというか、銀の鉄板みたいなので。

(錦織一清)あれがね、重いんだよ。いまだったら、鉄っぽい軽いものって出ていると思うんだけど、あの頃は本当に鉄板だから。重かったね!

(西寺郷太)「……とっても素敵でした。冬の恋をテーマにしているので、寒くなるといつもこの曲を思い出します」。いやー、これ、「恋は最初じゃないのに 巡り会うたび怖い」っていうのが、もう光GENJIが出てきて、若者が出てきた時に少年隊のファンだったり少年隊は二度目以降の恋なんだけど、でもドキドキするよっていう感じがもう1行目で出ちゃっていて。すごいんですよ。世界観が。もうこの曲、大好きです。

『ABC』

(錦織一清)今度、使ってみようかな? 女の子に会った時に。「僕だってこの歳になってね、恋は最初じゃないんだけど、巡り会うたびに怖いんだよね」って。

(西寺郷太)アハハハッ! いまね、あえて僕、黙りましたけども。

(錦織一清)でも、別れる時には「そろそろお別れのお時間です」って(笑)。

(西寺郷太)ファンがいま、感動していますよ(笑)。

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