吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、漫画家・永井豪先生について話していました。
(安東弘樹)さあ、ということで今日は漫画家、永井豪さん。もう「豪」つながりですね。
(吉田豪)僕もたまに間違えられるんですよ。
(安東弘樹)えっ、永井豪さんと?
(吉田豪)BUBKAの面々とイベントをやった後で歌舞伎町の中華料理屋で飲んでいたら、なんか若い男2人と女の子の3人組がいて。「サインください!」って僕に来たんですよ。「あの、書くものがないんで、お札に。1万円札にサインください!」って。
(玉袋筋太郎)ええーっ?
(吉田豪)「はじめてのパターンだな」と思って書いていたら、「あの、『デビルマン』を書いてる人ですよね?」って言われて。「あの……年齢を見てなんとなく察してくださいよ!」っていう(笑)。
(玉袋筋太郎)(笑)
(吉田豪)あれは僕の本当に子供の時の……
(玉袋筋太郎)間違えられたって、すごいよなー。
(吉田豪)間違えられましたよ。豪ちゃん違い。
(玉袋筋太郎)豪ちゃん違い(笑)。
(安東弘樹)そんな漫画家・永井豪さんのあらすじとその筋をご消化します。1945年、石川県生まれ。現在70才。石ノ森章太郎さんのアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』で漫画家デビュー。翌年、『ハレンチ学園』が大ヒットし社会現象となって漫画界の常識を塗り替えます。以降、『マジンガーZ』や『デビルマン』、『キューティーハニー』など数々のヒット作を夜に送り出し、世界的な人気漫画家へ。また最近では、作品が実写映画化されるなど、国や世代を超えた幅広い読者に支持され続けています。
(玉袋筋太郎)うん。
(安東弘樹)そして、吉田豪さんの取材。永井豪さんのその筋とは……その1、『リボンの騎士』にドッキドキだった青春時代。子供の頃から漫画のことしか考えていなかった筋。その2、『ハレンチ学園』騒動。スタジオに乱入してきた人は……の筋。その3、赤塚不二夫先生に怒られて、よし、もっとやろう! と思った筋。その4、梶原一騎先生のパロディーをやってヤバいなの筋。その5、あの時暴動に巻き込まれていた。永井先生と新日本プロレスの筋。その6、健康のために飲酒を減らしてゴルフ、ヨガ、ラジオ体操の筋。以上6本の筋です。
(玉袋筋太郎)おおー、でも70才って俺、もうちょっといってるかなと思ったんですけどね。
(吉田豪)キャリア的には相当ですけど、若くしてデビューしてるし。そして見た目は相変わらず若いという。
(玉袋筋太郎)若いんだよなー! 永井豪先生。
(吉田豪)ベテラン感がないんですよ。本当に飄々としていて。
(玉袋筋太郎)へー! こう、なんか大物感とかね、あるじゃないですか。そういうのが全然ないと?
(吉田豪)全然ないですね。フランクで。
(玉袋筋太郎)へー! まずこのね、『リボンの騎士』にドッキドキだった青春時代。子供の頃から漫画のことしか考えていなかった筋。やっぱり手塚先生なんだ。
(吉田豪)まず、そもそもの話なんですけども。これ、3月20日に大阪の日本橋のストリートフェスタっていうイベントで話したんですよ。これ、雑誌の取材とかじゃなくてトークイベントだったんですけど。これが日本全国のコスプレイヤーとかが集まるイベントなんですよ。路上を全部コスプレイヤーが埋め尽くす。会場に向かう途中もずーっとセクシーな格好をしたコスプレイヤーがいっぱいいるんですけど、永井先生、ずーっとそういうのに目が釘付けになっていて(笑)。
大阪・日本橋ストリートフェスタ
そういえば吉田豪の永井豪インタビューとかいうのもやってた pic.twitter.com/KKI3kY7dRY
— あきら (@SudaAkira) 2016年3月20日
(玉袋筋太郎)(笑)
(吉田豪)ずーっと。「うおーっ!」っていう感じで移動中にがっつきまくっていて。
(安東弘樹)普通のおじさんですね(笑)。
(吉田豪)そうなんですよ。「さっきからずーっと目、奪われてましたね」「もちろん!」みたいな感じで。
(玉袋筋太郎)だけどやっぱりそういうところで。永井先生で性の目覚めっていうのを俺たちも受けているから。常にそういったところで。
(吉田豪)『キューティーハニー』から何からね。
(玉袋筋太郎)そう。『けっこう仮面』からさ。
(安東弘樹)コスプレ、でもたしかにすごいですもんね。
(吉田豪)そうなんですよ。で、「やっぱり自分の作品でもコスプレイヤーとか、どういうのをやってほしいですか?」って聞いたら、「やっぱね、『けっこう仮面』とか……」「アウトですよ、それ!」っていう(笑)。
(玉袋筋太郎)捕まる、それ!
(吉田豪)あの、検索してください。画像を(笑)。これが路上にいたらアウトっていうのがわかりますよ(笑)。
(安東弘樹)でも、近い方、最近いらっしゃいますよ。コスプレイヤーで。本当に、点しか隠れていない人とか。
(吉田豪)はいはい。絆創膏貼っているぐらいのね。
(玉袋筋太郎)いいねえー!
(吉田豪)まあ、そんな永井先生も基本は手塚治虫先生の『ロストワールド』に出会って漫画家を目指すようになった人なんですけど。もともと小中学生の時はおとなしいタイプで。で、高校生になった時に「漫画家になったら体力がいるな」と思って体操部に入部。漫画家としての体力づくりだったんですよ。
(安東弘樹)そこでですか?
(吉田豪)全て漫画家になるために、映画とか落語とかスポーツ観戦とか。全て漫画のためにやってきて。
(玉袋筋太郎)漫画のためにな。
(吉田豪)だから青春時代、実は恋愛はほとんどしなかった。それよりも漫画で、むしろ漫画のキャラクターに惚れていたっていう。それが手塚治虫先生の『リボンの騎士』とかで。当時、女の子向けの雑誌で連載していたので、買いに行くのが恥ずかしかったけど買っていて。で、「1回だけリボンの騎士がドレスを着て胸元に谷間を表す1ミリぐらいの線が1本だけ入っていて。それを見てドッキー!と来て。そういうのをもっと書いてほしいのに、なかなか書いてくれない。じゃあ、自分が……ってなったのかな?」って言ってましたね。
(玉袋筋太郎)ああー!
(安東弘樹)1本の線以上は書いてくれないから。
『リボンの騎士』で目覚める
(吉田豪)そうなんですよ。まあ、その後ね、性教育漫画とか手塚先生も書くんですけどもね。
(玉袋筋太郎)ああ、メルモちゃんとかな。
(安東弘樹)でも、その1本の線なんだよなー。わかる!
(玉袋筋太郎)これなんだよ。じゃあ、自分でやるしかねえと。
(吉田豪)そうなんですよ。で、手塚先生の影響は相当大きくて。手塚先生の葬儀で号泣されていたっていうのは有名なんですよ。で、ちなみに手塚先生のその葬儀の時はつのだじろう先生が酔いつぶれて。で、いろんな先生同士が取っ組み合いをしていたりとか。そういう中で永井先生が1人、もう号泣していたっていうね。
(玉袋筋太郎)泣いていたんだ。すごいなー。やっぱそれぐらいすごい存在ですよね。手塚先生っつーのは。
(吉田豪)パーティーで見かけて手塚先生のもとに飛んでいってご挨拶して。「昔のあの作品が好きです」とか話したけど、手塚先生はいまのことしか眼中にないから。「ああ、そんな話はいいんだよ」って言われて。「来月からこういう話を書くから」とか、誰も知らない、まだ読者も読んでいないような作品のことばっかりする人だったと。でも、永井先生は気遣いの人だから、「昔のあれが好きなんですよ」って言われるとちゃんと付き合うっていうね。
(玉袋筋太郎)おおー! たしかにな。
(安東弘樹)さあ、そんな中、『ハレンチ学園』ですね。これは社会現象になりました。
『ハレンチ学園』でPTAと戦う
(吉田豪)デビュー早々にね、スカートめくりだなんだで。大問題になってPTAが糾弾して。で、漫画がPTAと戦う展開になっていくっていうね(笑)。
(玉袋筋太郎)ああー、そうか!
(安東弘樹)変な構図ですけどね。考えてみればね。
(吉田豪)現実をどんどん取り込んで行ったんですけど。で、その頃、ワイドショーとかでも『ハレンチ学園』とはいかがなものか? みたいな感じでよくやっていたらしいんですよ。PTAが糾弾したりで。で、そんな頃に、「もう『ハレンチ学園』の話はしないんで、出てください」っていう風に大阪の番組に呼ばれたことがあったと。
(玉袋筋太郎)ほうほう。
(吉田豪)で、番組自体は無事に進んで。「ああ、本当に言われた通りだな」と思っていたら、途中でなぜかボロボロのジーンズを履いたアフロヘアーの大きな女性がスタジオに乱入。『ハレンチ学園』のことを激しく罵りだしたらしいんですよ。で、一方的にやられて反論する間もなく番組が終わっちゃって。
(安東弘樹)罵られたまま?
(吉田豪)「なんだ? あの女性、素人じゃないな。番組に騙された」と思っていたら、その数ヶ月後にその時の女性が歌手デビューして。名前は和田アキ子だったっていうね。
(玉袋筋太郎)すっげー!
(安東弘樹)ああ、すごいワードが飛び込んできました。
(玉袋筋太郎)アッコにおまかせ!
(安東弘樹)いやいやいや、このね、五文字を見るだけで私、緊張するんですよ。
(吉田・玉袋)(笑)
(安東弘樹)平和の「和」に田んぼの「田」。カタカナの「ア・キ」。漢字の「子」。
(吉田豪)あんまり平和の感じがしない名前ですけどね(笑)。
(玉袋筋太郎)ヒットマンだもん。
(安東弘樹)緊張するんですよね。えっ、デビュー前?
(吉田豪)デビュー前だそうですよ。
(安東弘樹)どういう流れなんですかね、これね?
(玉袋筋太郎)なんなんだろう?
(吉田豪)だから仕込みで来たんだろうとは思ったらしいんですけど。また永井先生がすごい呑気な人だから。そういうことがあっても「割と面白かったし、まあいいやと思った」っていう感じで。
(玉袋筋太郎)へー!
(吉田豪)「いろんなことがあるな」ぐらいの感じで。
(安東弘樹)じゃあ、マーガレット和田でデビューする前なんですね。
(吉田豪)ですね。
(玉袋筋太郎)マーガレット和田。ええーっ?
(安東弘樹)あの、国際歌手にしたいので、当時のホリプロさんがつけたらしいです。通用する名前ということで。
(玉袋筋太郎)マーガレットだったんだ!
(吉田豪)まだ大阪の路上で暴れている頃ぐらいですね(笑)。
(玉袋筋太郎)ステゴロの(笑)。
(安東弘樹)あの、拳銃の弾を手でつかめると思っていた頃ですね。
(吉田・玉袋)(笑)
(安東弘樹)アッコさんは本気で思っていたらしいです。当時。全っ然怖くなかったって。
(吉田豪)「大丈夫やろ」って?(笑)。
(玉袋筋太郎)でも永井先生ってほら、作品の中に永井先生が出てくるじゃない? その感じなんだろうね。キャラはね。
(吉田豪)そうそうそう。あんな感じですよ。のほほーんとした。
(玉袋筋太郎)そうそうそう。ああ、それなんだ。
(吉田豪)だから高校生の頃も、なんか先生から1人だけ糾弾されて立たされて。1時間怒られたりとか結構あったらしいんですけど。全く平気で。むしろ、友達から「お前のおかげで授業が1個つぶれてよかった」って言われると、「いいことしたなー」みたいな感じで。全く気にしないタイプっていう(笑)。
(安東弘樹)ポジティブなんですね。
(玉袋筋太郎)いや、もう逆にできている人なんじゃないですか? その頃から。
(安東弘樹)ただ、そんな永井先生が、その3ですよ。赤塚不二夫先生に怒られて?