吉田豪 漫画家・永井豪を語る

玉袋筋太郎 田代まさしと話した清原和博の今後の見通しを語る たまむすび

(吉田豪)そうなんですよ。ものすごい、本人は人格者なんですけど。作品は全然不道徳じゃないですか(笑)。本当にちゃんとした人なんですよ。びっくりするぐらい。

(安東弘樹)僕らはうれしいですけどね。

(吉田豪)で、デビューして3ヶ月ぐらいでいきなり赤塚不二夫先生に作品のダメ出しをされたらしいんですよ。呼びだされて。『じん太郎三度笠』っていう少年マガジンで書いた作品について、「色恋を扱っちゃいかん。残酷なシーンがある。あんな作品を書いちゃダメだ」と怒られて。まあ、ヤクザの少年が主人公だったんで出入りのシーンがあって。倒れている人間に花を刺して生花状態にしたりとか、そういう漫画を書いていたと。まあ、ブラックなギャグを書いたら「やりすぎだ」と赤塚先生が言った。

(玉袋筋太郎)うん。

赤塚不二夫先生に怒られる

(吉田豪)永井先生は「赤塚先生がダメって言ったことを全部やろう!」っていうね。「あんなに過激な赤塚先生が「ダメ」っていうぐらいだから誰もやっていないな。誰もやっていないっていうことは自分が最初になるからきっとすごいことになるんじゃないか?」って考えて。怒られて帰宅してから、「子供漫画に恋愛を入れよう。セクシャルな描写をしよう。残酷シーンはどんどん入れていこう」っていう、いまの永井先生のあのスタイルができたのは赤塚先生に怒られたからっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)すげー! その発想がすげーな。

(安東弘樹)そこ、なかなかそっちに行けないですけどね。やめようと思いますけどね。普通ね。

(吉田豪)漫画界の偉い人に怒られて、よりそれをやってどうなるか?って何も考えなかったらしいんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)へー!

(安東弘樹)僕はアッコさんに「やめろ」って言われたことをやるって、できないですよ。

(吉田豪)できないですよね(笑)。「これは隙間だ、アナウンサーの!」ってならないですよね?(笑)。

(安東弘樹)なにもできないですよ、これは。ええーっ?

(吉田豪)しかも、そんなことをやっておいて、赤塚不二夫賞の審査員をやるんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)よくも、まあじゃないですか。よく引き受けたなっていう。そしたら赤塚先生が「あの時はごめんなさいね」って謝ってくれたっていうね。「いえ、いいんです。そんなの気にしてませんから」っていうね。

(玉袋筋太郎)本当に気にしていないっていう(笑)。

(吉田豪)そうなんですよ(笑)。強い!っていうね。

(玉袋筋太郎)で、このね、出てくる四文字熟語。「梶原一騎」という四文字熟語ですよね。梶原先生のパロディーをやってヤバいなの筋って、本当にヤバそうなんだけど。これ。

(吉田豪)まあ、あの時代の梶原先生をいじるっていうのは本当に怖いですからね。

(玉袋筋太郎)怖いでしょう!

(吉田豪)70年代。

(玉袋筋太郎)危ない、危ない。

梶原一騎作品パロディーで睨まれる

(吉田豪)永井先生曰く、いちばんヤバかったのは梶原先生の漫画のパロディーをやった時だったらしいんですよ。『柔道讃歌』っていう柔道漫画のパロディーを同じ雑誌、少年サンデーで散々いじったと。すると、赤塚賞のパーティーの席で梶原先生が永井先生の方をものすごく睨んできたと。遅れてやってきてジーッと睨みながら永井先生の横に座ったと。「これはヤバい、怒っている」と。で、どうしたかっていうと、パーティーが終わった瞬間にパッと梶原先生の前に出て、「すいません。つい悪ノリしまして。パロディーをやっちゃったんですよ」っていうね、普通にフランクに話したらいっぺんにチャラになって。梶原先生も一切怒らず(笑)。

(玉袋筋太郎)おおーっ! それ、すごいね!

(安東弘樹)でも、最初は怒っていたんでしょうね。睨んでいたっていうことは。

(吉田豪)怒りながらも、まあ「懐に入るのが上手い」って本人が言っているだけあって。全然怒られないらしいんですよ。フワフワした人なんで。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)で、怒られても全然気にせずに「いやー」って言っちゃうから、「もう、しょうがない」ってなっちゃう。それどころか梶原先生はずっと、ギャグ漫画がお好きな人なんで。永井豪先生と組みたいと考えていたらしいんですよ。

(玉袋・安東)ええーっ?

(吉田豪)で、永井先生のもとに編集を通して何度も「一緒にやろう」っていう話がきていたのをずっと丁重にお断りしていたと。そしたらヤングジャンプが創刊する時に創刊記念ということで、基本原作者と組まない永井先生が小池一夫先生と組んで。『花平バズーカ』という素晴らしい作品を。

(玉袋筋太郎)おっ、『花平バズーカ』。

(吉田豪)を、出した。そしたら永井先生のマネージャーが梶原先生に呼びだされて。「なんで俺がダメで小池がいいんだ?」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)そりゃそうですよね。

(吉田豪)そりゃそうですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)違う意味でのバズーカ、入ってきたよ。

(吉田豪)向こうもライバル関係ですからね。でも本当ね、呑気なんですよ。永井先生。だって『けっこう仮面』っていうの自体、川内康範先生の『月光仮面』のパロディーで。それも本当にいじったらヤバい人じゃないですか。

(玉袋筋太郎)ヤバいヤバいヤバい!

(吉田豪)あの耳毛の本当に怖い人ですから。森進一ばりに追い込まれてもおかしくはない物件ですよ。

(玉袋筋太郎)怖いですよ!(笑)。

(吉田豪)でも、気にしないんですよ。

(安東弘樹)そうですよね。そこですよね。

(玉袋筋太郎)そうだ。『けっこう仮面』だよ。それでエビ反りアタックやってんだよね。

(吉田豪)そう。

(安東弘樹)しかも向こうは少年のヒーローですよ。

(吉田豪)しかもね、書いているのは国士の人ですからね。国士の人が「なんでこんなエロ漫画にしやがって!」って。怒りますよ、普通。でも、なんともならないのがこの人っていう。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)で、永井先生の若い頃って、漫画界にやっぱり無頼派の人物が多かったイメージなんですよね。ジャンプだったら本宮ひろ志先生とか。チャンピオンの編集長の壁村耐三さんとか。そんな話を振っても、「壁村さんは本当に恐ろしくて。ケンカは強いし、酔うと何するかわかんない。永井先生から見てもめちゃくちゃで。手塚先生に暴力を振るったっていう噂、あれも本当にあったことだ」って(笑)。

(玉袋筋太郎)ええーっ、手塚先生に!? 暴力を?

(吉田豪)まあ、伝説ありますからね。

(玉袋筋太郎)「ベレー帽、取れ!」とか言ったのかな?

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)「メガネ、外せ!」って。

(吉田豪)「礼儀がなっていない!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)こえー!

(吉田豪)ただ、本宮先生は無頼派は無頼派なんですけど、「漫画のプレッシャーで原稿用紙を見ただけで気分が悪くなる。見たら吐くんだよ、俺」って言っていて。それに対する永井先生の返事が「白い原稿があるなら、画を書けばいいじゃない」っていうね。基本、呑気っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)すげー!

(吉田豪)本宮先生は1回ね、連載途中で失踪したこともあったけど、そんな風に思いつめることはないですねっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)永井先生はね。

(吉田豪)全然っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)湧き出るんでしょうね。じゃあ、才能がもう、次から次へと。

(吉田豪)「まあ、プレッシャーの果てにパッとアイデアが浮かぶから。パッと書けた時はうれしいんで、そんな逃げるとかの気持ちはわからない」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)フワッとしてましたね。

(安東弘樹)いろんなタイプがあるんですね。同じ漫画家さんでもね。さあ、そしてその5。これは本当もう玉さんの完全にフィールドですけどね。

(玉袋筋太郎)あの時暴動に巻き込まれた。永井先生と新日本プロレスの筋。これだよね!

新日本プロレスと永井豪

(吉田豪)永井豪先生がなぜか新日本と深く関わっていた時期があって。これは骨法の堀部師範っていう人が猪木さんのマッサージとかをいろいろやっている関係から、なぜか猪木さんが中のインサイダーでいろいろ仕掛けとかを考える人になって。で、堀部さんが骨法の漫画を永井先生が書いたりとかしていた関係もあって、永井先生がかつての梶原一騎的な感じで引っ張りだされたっていうことなんですよね。

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(玉袋筋太郎)猪木がね。

(吉田豪)そう。「猪木さんがマスクマンを作りたがっているから、来てくれないか?」って言われて。

(玉袋筋太郎)こん時ね、やっぱりうちの師匠もたけしプロレス軍団でマスクマンを作りたいっつって。ほいで、うちのたけし軍団が考えたのがマスク・ド・メロンっていうメロンのマスクとかね。

(吉田豪)あれ1回、玉さん入ってましたよね? 中に。

(玉袋筋太郎)入っていた。入っていた。入れたことあったよ。『スポーツ大将』で。入れられたよ、俺。マスク・ド・メロン。

(吉田豪)どう見ても玉さんの……

(玉袋筋太郎)俺だったよ、あれ。あと、皮かむりんとかさ。そういうのをやっていて。そりゃあね、ダメだよね。

(吉田豪)早すぎたんですよね。

(玉袋筋太郎)早かった。

(安東弘樹)ああ、時代がね。

(吉田豪)ただ、タイガーマスクが大当たりした後、タイガーマスクがいなくなって子供人気がなくなった。このままじゃマズいと思って、猪木さんがマスクマンを作りたがっているから来てくれないか?って言われて会いに行ったら、「いま、マニアックなプロレスばっかりになっていて、子供たちが来なくなった。子供たちが来るようなプロレスをもう少しやりたいから、マスクマンのヒーローを作ってくれ」と。でも当時、いきなりそんなヒーローを出したら、それこそUWFだなんだの時代だったから、これは総スカンを食らうと思ったんで、とりあえず悪役を出しましょうってことで生まれたのがビッグバン・ベイダー。

(玉袋筋太郎)ビッグバン・ベイダーだよ!

(安東弘樹)そういう流れなんですね。

(吉田豪)たけし率いるTPG(たけしプロレス軍団)が新日本に宣戦布告し、その秘密兵器として送り込まれたビッグバン・ベイダー。で、いきなり大暴動になったと。

(玉袋筋太郎)大暴動だもん、あれ。俺、たけし軍団にいながら、「たけし、帰れ!」っつったから(笑)。

(吉田豪)まあ、観客みんな言ってましたからね(笑)。

(玉袋筋太郎)そう。猪木側についちゃったんだな。でもTPG、俺たちほら、浅草キッドの博士の部屋が事務所の連絡先だったからね。電話番号が。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)で、俺が外人招聘係っちゅーか、接待係で。で、社長が井手らっきょだから。バカ社長。

(吉田豪)だからね、井手さんがよくやっていた「どうですか、お客さん?」っていうのはその時のね、暴動での猪木さんのマイクのネタなんですよね。誰もわかんないですけど(笑)。

(玉袋筋太郎)じゃあこん時、永井先生もいたんだね。じゃあ、両国に。

(吉田豪)当然。デザインをした人として最前にいたらしいんですよ。よりによって。そしたら、大暴動になって巻き込まれて(笑)。後ろからいろんなものが飛んできて、途中から逃げ出したっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだよな、あれ。危ないよ。火まで放ったんだから。危なかったんだよなー。

(吉田豪)そうです。両国、使えなくなっちゃってね。

(玉袋筋太郎)でもあのベイダーの甲冑はかっこよかったよね。うん。

(吉田豪)ところが、あの甲冑。肩のところから上に向かって煙がシューッ!っと出るデザインなんですけど。実はあれはミスだったと。実はマスクの下の方から出る予定で、マスクを外した瞬間にプシュー!っと出て顔の周りがぼやけて。霧が晴れてきたら顔が見えてくるっていうものにしたかったのに……明らかに設計を間違えちゃったっていう(笑)。

(安東弘樹)なるほどね。

(吉田豪)ただのミスだったっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)でもまあ、ベイダーはあの甲冑を置いてから、「ベイダー!」ってやると、シューッ!ってね、出るような動きにしたもんな。ああ、そうなんだ。絡んでいるな、いろいろ。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)玉さんがちょいちょい絡んでますね。本当に。

(玉袋筋太郎)すいません、本当。

(安東弘樹)そしてその6が、これ、健康のために飲酒を減らしてゴルフ、ヨガ、ラジオ体操? これ、ある意味若干ガッカリではないですけども。なんか、ねえ。

永井豪とお酒と健康

(吉田豪)はいはい。まあ、お酒に関してはお父さんが大酒飲みだったので。子供の頃から鍛えられて。小学生ぐらいから日本酒をちょびちょびやったりとかで。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)小6の時には「ビールは苦くてちょっと嫌だな」と思っていたら、4つ上のお兄さんが「ビールは喉で飲むんだよ」とアドバイスして。小6でビールの美味さも理解したというね。

(玉袋筋太郎)これ、俺も親父に言われた(笑)。「ビールは喉で飲め」って。

(吉田豪)おおらかな時代ですね(笑)。

(安東弘樹)舌に当たっちゃうと苦いだけで。

(玉袋筋太郎)苦いんだよ。うん。

(吉田豪)ねえ。子供の頃は泡しか舐めないから、全然美味しくないんですよね。

(玉袋筋太郎)「美味しくない。こんな苦いもの」って言っていたのが、いまいちばん美味しいものになっちゃった。

(吉田豪)(笑)。そして高校生の頃には飲み友達が集まって、永井先生は1人で一升飲んだり。「20代、30代の頃の勢いのまま飲んでいたら、今頃身体を壊していたと思う」っていう。まあ漫画家さんね、たしかにお酒でやらえちゃった人、多いですからね。

(玉袋筋太郎)多いな。うん。

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