(マキタスポーツ)俺、いまタレントとかがああいうことをやるべきだとも思うし。で、なんでそういう風になっているのかというと、理由も割とはっきりとしていると思うんだけど。タレントさんとかって、昔みたいに悪いことできないじゃないですか。
(サンキュータツオ)うん。もうできないよ。
(プチ鹿島)むしろ、社会のお手本を求められる。
(マキタスポーツ)「悪いこと」って言ったらあれだけど。たとえば、二号さん、三号さんって愛人を囲って、みたいなこととかが……
(サンキュータツオ)桂文枝師匠が怒られるんだもん。
(プチ鹿島)いわゆる一般社会、日常の社会とは別のね。
(マキタスポーツ)だから、その中で悪いことができなくなったら、いいことでって。欲望の総量がすごい人たちだから、いいことをやりますよ。で、それで、本当は「個人の悪徳は公共の利益」よろしく、自分のところで巡り巡って。それは投資としては悪いですよ。はっきり言って。そんなに回収はできないんだけど、絶対にそういう善行とかをやってれば自分のところに巡り巡ってくるっていうことを考えたっておかしくはないじゃないですかっていう。
(サンキュータツオ)だって、「情けは人のためならず」ってそういうことでしょ? これ、自分のためにやっているって、偽善でも何でもなく、自分の経済のための話だもん。
(マキタスポーツ)だって名誉欲とか欲望がすごい強いから芸能人やってるんだもん。そしたら、善行だってやりますよ。自分のビジネスのためには、やりますよ。でも「ビジネス」って言うと、すごく悪く聞こえちゃうけど、ただそういうもんだもん。芸能人って。
(プチ鹿島)あとは、あれですよね。どこまで人の野心とか生々しさとかギラギラしたものを認められるか、許容できるかっていうことだと思うんですよ。だから、「お主も悪よのう」でどれだけ許せるか。それが完全に法律とかを超えたら別ですよ。だって乙武さんとかだって、たしかにああいうことだけど、裏を返せばすごくエネルギッシュで野心家で。「野心家」って言えばすごく悪い言葉かもしれないけど、俺は政治家を目指す人に取っては、ものすごく大事なことだと思うわけ。
(サンキュータツオ)うん。
政治家に野心は大事なこと
(プチ鹿島)で、最終的に「お主も悪よのう」。で、「結果をどれだけ出してくれたの?」で。それが素晴らしい結果であれば、いいじゃないですか。
(サンキュータツオ)政治家は潔癖じゃあ……じゃ、田中角栄は本当に潔癖だったんですか?っていう話になっちゃうよね。
(マキタスポーツ)田中角栄のいまのもてはやされ方っていうのもすごいよね。
(プチ鹿島)あれもね、わかるんですよ。政治家が小粒になってさ。で、スケールが小さくてさ。そんな時に田中角栄みたいな人がいれば、それは昭和ロマンでさ、憧れると思うんだよ。でもね、あの田中角栄ブームに抜け落ちているのは、当時、じゃあ角栄はどう言われていたんですか?っていう。俺、覚えているけど、80年代の末期なんて、「このまま田中角栄支配が続いていたら、もう日本の未来はない」って。すごい閉塞感たっぷりだったんです。
(マキタスポーツ)うん。
(プチ鹿島)だからみんなそれを忘れちゃって。それはしょうがないよ。歴史って美化されるから。でも、田中角栄の秘書の早坂茂三さんとかが書いた本を読むのは、僕も大好きですよ。だって、ひとつの戦国武将の話ですからね。
(サンキュータツオ)そうだよね(笑)。
(プチ鹿島)そう。田んぼにわざと新しいスーツでじゃぶじゃぶ入っていって、「おばあちゃん!」っつって。一度会ったおばあちゃんの名前を言ったら、もうおばあちゃんは感激するに決まっている。もう、武将の話だよ。じゃあそういう人たらしがいま、いるのか?っつったら、たしかにいないから。それに対しての郷愁はあるけど、過去は忘れちゃうんだよね。
(サンキュータツオ)そうなんだよ。だから、僕、田中角栄って戦後日本の父性だと思うんですよ。お父さんだと思うんですよ。で、お父さん、さんざん生きている間は「嫌だ、嫌だ」って言っていて。「このままじゃ育たないよ、俺だって」とか言ってるのに、死ぬと「お父さん、いい人だったな」みたいないまの風潮もまた気持ち悪いけどね。
(マキタスポーツ)もう一方でさ、田中角栄がなぜパージされていなくなっちゃったか?ってことだって、日本的な仕組みが生んだことかもしれないじゃないですか。だから俺、やっぱり最近、歳をとってきたからかすごい思うんだけど、無常っていうところとかをすごく思うんですよ。なんか、「もののあはれ」というか。たとえば、田中角栄のこととかも10年、20年たったら忘れていくじゃないですか。
(プチ鹿島)うん。
(マキタスポーツ)これ、だから俺、よく言えば日本人的な特性として、そういうメンタリティーっていうのは、こういう脆弱な土地に住んで……つまり、地震が昔からあったり、火山の上に生活が。四方が海に囲まれて。かと思えば、温暖湿潤で緑が常に絶えずあって。四季があって、水源が豊富にあって……っていう。住みいいんだか、住みにくいんだかわからないようなところに随分前から住んでいて。天変地異、水害の類のようなことがあって。「ああ、全部台無しだ」っつって。
(サンキュータツオ)うん。
(マキタスポーツ)で、リセットしちゃった時に、じゃあどうやって前を向いて歩いて行くかっていう時に、「永遠ってものはないですよ」とかっていうものを割とポジティブに解釈して、いい意味で曖昧模糊としていい加減な態度でそれに接することによって前を向けるとかってことが、ひとつには無常っていう観念の中に含まれていると思うんですよ。だから、あれだけすっげー超ヤバかった平家だって、ずっと泰平の世が続くわけではなかったわけで。
(サンキュータツオ)「平家ヤバい」とか言っていたのにね。
「平家ヤバい」
(マキタスポーツ)「平家超ヤバい。平家に乗るでしょ!」って言っていた時代だって、「ああ、平家おごっちゃったね」って。あれだけずっと永遠に続くものもなくなっちゃうんだねって。
(プチ鹿島)「おごっちまったね!」って。
(マキタスポーツ)で、そういうことを思えば……
(プチ鹿島)専門家が同じ態度でした。僕、2年前、3年前ですか? マグマ学者の巽教授っていう神戸大学かどこかの先生とイベントでお話を聞いたんですよ。先生の書いた本を事前に読んでいこうっつったら、温泉に入った話とか、美味しい食べ物をいただいた話が半分ぐらいなんですよ。
(サンキュータツオ)(笑)
(プチ鹿島)というのは、やっぱりこの国。火山と地震の国に生まれた以上、そのおかげで温泉もあるし、食べ物もあるわけだから。それをいただくしかないと。で、書いていることはすごいんですよ。やっぱり、大火砕流的なものが日本の歴史だと、5500年に1回のペースで続いているんですって。ところが、前回の5500年前からそのペースで計算すると、もう7500年ぐらいたっているんですって。ということは、もう2000年オーバーしてるわけです。だからロシアンルーレットの弾丸がどんどんどんどん減っているわけですよ。
(サンキュータツオ)うん。
(プチ鹿島)だからその先生の話を聞くと、すごく怖くなるわけですよ。僕もお客さんも。で、「よくこんなニコニコ話ができるな」と思ったら、「いやいや、でもひとつの救いは、地球の何千年、何万年というスパンと我々の人生の何十年っていうスパンが重なったら本当に不幸だけど、重ならない可能性を信じるしかないし、重なるとしても温泉とか食べ物とか楽しもうよ」っていう。僕はそういう……
(サンキュータツオ)楽しめる時に楽しむっていう。
(プチ鹿島)だからもちろん今回、九州でこういうことがありましたけど。だからしょうがないっていうんじゃなくて、一方でそういう無常観も抱えつつ、あとはじゃあ目先のね、正しく怖がるとか対策するっていう。そのバランスじゃないですかね。
(マキタスポーツ)その無常観で、なんでもかんでも「しょうがねえ」って言うことではないんだよね。だからひとつの見方とか考え方として、だと俺は思うよ。だって俺、そんな学者先生じゃないからさ。1万年単位で見てねえもの。
(プチ鹿島)そう。でも1万年単位で見ている人が、リアルな生活になると温泉とか美味しい食べ物をずーっと本に書いているんですよ。
(サンキュータツオ)それはだから、悟りだよね。だからこういうちょっと混迷した時とか、昂ぶっている時って、やっぱりみんな普通だったら、普通の国だったら宗教とかにすがるわけでしょう? それこそ昔、学がない時代とかはやっぱり仏教とか、あるいはキリスト教とかが救ってきたわけですよね。ただ、この国にはそういう宗教的な、一神教的なものがないから。
(プチ鹿島)うん。
(サンキュータツオ)それは「正義」っていう宗教とかね、飛びつきますよね。ゾンビ化していくよね。
「正義」に飛びついてゾンビ化
(マキタスポーツ)なにに救済されるか?っていうことで言うと、いま、悪意というのもおかしな話だけど。「南無阿弥陀仏」って唱えていれば絶対に極楽浄土に行けるっていうぐらい簡単なものじゃないと飛びつけないと思うんだよね。
(サンキュータツオ)だからいま、その「南無阿弥陀仏」が「不謹慎」なんだろうね。
(マキタスポーツ)そう。不謹慎のそういうお経を唱えるみたいなところがあると思うんだよ。
<書き起こしおわり>