松尾潔 1981年アメリカR&Bチャートを振り返る

http://ecx.images-amazon.com/images/I/61kp70ghl0L._SS400_.jpg 松尾潔のメロウな夜

松尾潔さんがNHK FM『松尾潔のメロウな夜』の中で1981年のR&Bチャートを振り返り。この年にヒットした曲を聞きながら、解説をしていきました。

(松尾潔)続いては、こちらのコーナーです。いまでも聞きたいナンバーワン。2010年3月31日に始まった『松尾潔のメロウな夜』。この番組は、メロウをキーワードにして、僕の大好きなR&Bを中心に大人のための音楽をお届けしています。ですが、リスナーのみなさんの中には『そもそもR&Bって何だろう?』という方も少なくないようです。そこでこのコーナーでは、アメリカのR&Bチャートのナンバーワンヒットを年度別にピックアップ。歴史的名曲の数々を聞きながら、僕がわかりやすくご説明します。

第28回目となる今回は、1981年のR&Bナンバーワンヒットをご紹介しましょう。1981年。この年はね、もう本当にグループが強かったんですね。ファンクものっていうのが強かったんです。まあ、ファンクバンドという言葉でイメージされる『ど』がつくファンクというよりも、洗練を感じさせるポップファンクが多かったというのが特徴ですね。もちろん、これのちょっと前からディスコブームっていうのがあって。それが落ち着いてきたんだけれども、大所帯という形式はまだ残っていたという、そういう時代背景が当然ございます。

日本ではこの頃、こういった形態のバンドのことをボーカル&インストゥルメンタルバンド。略して『ボインバンド』なんて言ったりもした・・・まあ、どうなんでしょうね?言った人がいたというぐらいなんですが。そのボーカル&インストゥルメンタルバンド。アメリカではね、セルフ・コンテインドバンドっていう言い方がすごく多かったんですね。いまでもセルフ・コンテインドバンドっていう言い方をしますけども。

なかなかね、ファンクバンドという名称を安易に使わずに、それを避けているような印象があるんですけどね。それはまあ、聞いてみるとすぐにわかるんですが。そうなんですよね。そこに、なんて言うのかな?ブラックミュージックの一言だけではない、ちょっと、まあ当時のアフリカン・アメリカンの生活様式が少しずつ変わってきたっていうこともあるんだけども。ホワイトマーケットと言われる、白人層を取り込むことがかなり意識的に行われ始めた、そんな時代のポップファンクなんですね。

まあ、そういったグループもの全盛の話をしたわけですが、今日はそういったファンクバンドではなくて、ソロアーティストの著しい活躍をしたという。そういった男性を集めてみました。しかも、メロウなもの。とりわけメロウなものを集めてみましたので、まずは2曲、ご紹介したいと思います。スモーキー・ロビンソン(Smokey Robinson)から行きましょう。1981年4月4日から5月2日まで、5週連続のナンバーワンを記録したのは『Being With You』。ねえ。もうスモーキーの安定した曲作りと、あとは歌いっぷりっていうんですかね?

この人ももともとはボーカルグループ、ミラクルズ(The Miracles)の出身なんですけども。この頃は、ソロシンガーとしての佇まいがもう身についているっていう感じですね。そして、81年の5月16日から23日まで、2週連続ナンバーワンを記録しましたのはレイ・パーカー・ジュニア。レイ・パーカー・ジュニアという、一応バンド名義になっていますけどもね。実質的にレイ・パーカーの独壇場でありました。このレイ・パーカー・ジュニア&レイディオ(Ray Parker Jr., Raydio)の『A Woman Needs Love (Just Like You Do)』。こちらをご紹介したいと思います。

アルバムタイトル『A Woman Needs Love』のタイトルトラック。これはもう、日本でもういまでも、毎晩どっかのソウルバーで流れているんじゃないでしょうかね?では、2曲続けてお楽しみください。スモーキー・ロビンソン『Being With You』。そしてレイ・パーカー・ジュニア&レイディオで『A Woman Needs Love (Just Like You Do)』。

Smokey Robinson『Being With You』

Ray Parker Jr., Raydio『A Woman Needs Love (Just Like You Do)』

いまでも聞きたいナンバーワン。第28回目にして、もしかしたら、いちばんど真ん中かもしれませんね。今日の選曲はね。『ソウルバー的に』っていう意味ですよ。スモーキー・ロビンソンの『Being With You』、そしてレイ・パーカー・ジュニア&レイディオの『A Woman Needs Love (Just Like You Do)』。2曲続けてお聞きいただきました。

1981年のR&Bナンバーワンシングルは合計で17曲ございます。久しぶりに全曲、ざっと言ってみましょうか。この年、前年からの持ち越し。クール・アンド・ザ・ギャング( Kool and the Gang)の『Celebration』で始まりました。

レイクサイド(Lakeside)『Fantastic Voyage』。

ギャップ・バンド(Gap Band)『Burn Rubber on Me』。

そして『Don’t Stop the Music』。これはヤーブロウ&ピープルズ(Yarbrough & Peoples)。

そうなんです。ここまで4組全部、デュオかグループですね。そして、スモーキー・ロビンソンの『Being With You』。ア・テイスト・オブ・ハニー(A Taste of Honey)の『 Sukiyaki』。ジョージ・デューク(George Duke)のプロデュースでしたね。

レイ・パーカー・ジュニア&レイディオの『A Woman Needs Love』。チャカ・カーン(Chaka Khan)『What Cha’ Gonna Do for Me』。

リック・ジェイムス(Rick James)『Give It to Me Baby』。

フランキー・スミス(Frankie Smith)の『Double Dutch Bus』。

イヴリン・キング(Evelyn King)。『Champagne』が取れた時期ですね。イヴリン・キングの『I’m in Love』。

ダイアナ・ロス&ライオネル・リッチー(Diana Ross & Lionel Richie)で『Endless Love』。

ザ・フォートップス(The Four Tops)『When She Was My Girl』。

ルーサー・ヴァンドロス(Luther Vandross)『Never Too Much』。デビューヒット。ザップ(Zapp)のロジャー(Roger Troutman)のソロ作品。『I Heard It Through the Grapevine(悲しいうわさ)』。

クール・アンド・ザ・ギャング『Take My Heart』。

そして、アース・ウィンド・アンド・ファイアー(Earth, Wind and Fire)『Let’s Groove』という。

クール・アンド・ザ・ギャングで始まり、アース・ウィンド・アンド・ファイアーで終わるという、ここだけ取ってみるとまあ、なんか初心者編みたいな、そんな名前なんですが。それぐらい重要な1年ですよ。で、いまザーッとね、曲名とアーティスト名を言いましたけども。1980年代を通してアルバムってどれぐらい売れていたのか?っていう話なんですけども。1980年代の10年間でR&Bチャートでアルバムが20週以上、トップワンを記録したっていうことが4回あったんですね。ひとつは、言うまでもなく、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)『Thriller』ですよ。これはもう、37週間ですか。合計。

そして同じ時代ですけどもね、ライオネル・リッチーの『Can’t Slow Down』。これは23週間。そしてライオネル・リッチーよりもっと売れたものとしては、フレディー・ジャクソン(Freddie Jackson)の『Just Like The First Time』という86年の暮れから87年にかけて半年ぐらい。26週間ナンバーワンというモンスターヒットがございましたが。そしてもうひとつ。81年にリック・ジェイムスが『Street Songs』で20週間ナンバーワンという偉業を達成しております。

実はこの4枚しかないんです。で、さっきリック・ジェイムスの『Give It to Me Baby』のお話をしましたけども。『Give It to Me Baby』は当然この『Street Songs』に入っておりまして。まあ、リックの『Super Freak』なんかと並んで代表曲に数えられるものなんですが。何が言いたいか?と申しますと、ブラックコミュニティーにおいては、マイケル・ジャクソンの『Bad』。あとはなんだろうな?アニタ・ベイカー(Anita Baker)の『Rapture』。プリンス&ザ・レボリューション(Prince & The Revolution)の『Purple Rain』。

こういったものよりリック・ジェイムスの方がブラックコミュニティーでは愛されていたということです。まあこれは一概には言えないですよ。ですが、まあそれぐらいの勢いがあったのがリック・ジェイムスだったということが言えるでしょう。リック・ジェイムスと言うとね、プリンス以前のファンクのキングでした。ジェイムス・ブラウン(James Brown)、ジョージ・クリントン(George Clinton)、リック・ジェイムスがいて、プリンスがいて。ミネアポリスファンクがあって。そしていまのマーク・ロンソン(Mark Ronson)の『Uptown Funk』へつながっているという、こういう流れが見えてくるといまのシーンも本当に楽しく見えてきますよ。

この番組ではね、ちょっとそういうみなさんの理解を深めるための一助となればと思って、あえていまにつながるような見地で昔の音楽をご紹介しているんですけども。81年というのはもちろん昔なんだけれども、いまの音楽シーンにつながる要素っていうのがかなりこの時期に出ているんだなっていうことを痛感する、そんな1年ですね。81年。重要な1年です。

では、この1981年にあって新世代の息吹を感じさせてくれた、この男性シンガーのデビューヒットを最後にご紹介しましょう。10月24日から31日。2週ではありましたけども、その後、この曲の価値はタイムレス。そしてプライスレスですね。アルバム『Never Too Much』から『Never Too Much』。ルーサー・ヴァンドロス。

Luther Vandross『Never Too Much』

いまでも聞きたいナンバーワン。今週は1981年のR&Bナンバーワンヒットをご紹介いたしました。最後にお楽しみいただきましたのは、ルーサー・ヴァンドロスで『Never Too Much』。この年、10月24日、31日。2週間に渡って連続ナンバーワンヒットを記録しました。面白いのは、このルーサー・ヴァンドロスが1位になる前の、その前にトップだったザ・フォートップス『When She Was My Girl』という曲がございますけども。ルーサーはその翌年、82年、83年とアリサ・フランクリン(aretha franklin)のアルバムのプロデュースに励みますが。

そのアリサ・フランクリンのアルバムの中でフォートップスをゲストに迎え入れて、共演をモノにしております。その時のプロデュースを手がけたのがルーサーですね。そして、そのフォートップスのひとつ前のナンバーワンヒット。ダイアナ・ロスとライオネル・リッチーの『Endless Love』。こちらに関してもルーサー・ヴァンドロスは後に、マライア・キャリー(Mariah Carey)とデュエットカバーをしているということを付け加えておきましょう。

まあ、ルーサーにとってね、この長い下積みの後、メジャーシーンに出て最初にヒットが出た時の同時期のヒット曲っていうのは、やはり格別の思い入れがあったんじゃないかな?という風に思います。彼の人間らしい側面を見る思いです。

<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/32657

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