宇多丸 映画『野火』を絶賛する

宇多丸 映画『野火』を絶賛する 宇多丸のウィークエンド・シャッフル

ライムスター宇多丸さんがTBSラジオ『タマフル』の映画評論コーナー ムービーウォッチメンで塚本晋也監督の映画『野火』を評論。絶賛していました。

(宇多丸)さあ、ということでムービーウォッチメンに戻りましょう。今夜扱う映画は、先週ムービーガチャマシンを回して決まったこの映画。『野火』!作家 大岡昇平が1951年に発表した同名原作を元にした戦争ドラマ。太平洋戦争末期、フィリピンのレイテ島を舞台に生き残った日本軍兵士の過酷な敗走を生々しいタッチで描いていく。監督、主演、制作、撮影、編集を手がけたのは『鉄男』からいろいろあって、前作『KOTOKO』などの
塚本晋也。共演はリリー・フランキー、中村達也、オーディションで選ばれた新人の森優作らということでございます。

えー、非常にね、『やってくれ』という待望論が多かった作品でございまして。なんですけど、公開館が本当に非常に少ないんですね。東京でも、ユーロスペースと立川シネマ・ワンですか。2館でしかやってないという感じですけど。で、まあそこのやっている館はもう、ユーロスペースはめちゃめちゃ入ってましたけど。決して多くない中ですね、メールの量はちょっと多め。要するに公開規模からすると、かなりみなさん、かなりの熱量でいただいているということでございます。

賛否で言うと、絶賛を含む賛が8割。否定派は2、3通とかなりの好評価。『戦争の悲惨さに衝撃を受けた』『自分史上最大のトラウマ映画』『いまこそちゃんと見られるべき作品』などの熱い感想メールが多かったということでございます。代表的なところをご紹介いたしましょう。

(リスナー投稿メール省略)

はい。ということで、私も『野火』、ユーロスペース。相当混んでましたけど、ちょっと早めに整理券を押さえたりなんかして行ってまいりました。2回、見ましたけどね。えー、塚本晋也作品ね、実はこの番組で取り上げるの、初めてですよね。まともに取り上げるのね。『桐島、部活やめるってよ』の劇中の上映作で『鉄男』があって。それにちょろっと触れたぐらいでございます。で、まあ僕、全部とは言わないけど、主要作品はひと通り見ているつもりなんですけど。前作の『KOTOKO』。2012年。Coccoさんが主演のやつ。

シネマハスラー時代に、サイコロの目には入っていたのかな?で、当たらなかったのかな?たぶん。当たんなかったんだよね。追って『KOTOKO』、見ましたけど。これまたもう、いろんな意味でものすごい映画でしたけどね。もう、衝撃ですよ。やっぱね。で、まあ塚本晋也監督。マジで世界的に評価されている。作品全てね。要するに、振り返っている時間っていうのはもちろんないんですが。その、あまりにも強烈な作家性。もちろん、作品ごとにトーンとか全然違う。特に2000年代以降、ちょっと作品性というかトーンが変わってきたっていうのはあるんですけど。

塚本晋也作品の一貫したテーマ

それでもまあ、どう考えてもね、明らかに『鉄男』から一貫したテーマのようなものが明らかにあると。で、それを僕なりにできるだけ噛み砕いて表現してみるならば、これ、どんだけ的確に言えてるかわかりませんけど。要は、何らかのきっかけで急激に変容していく、変わっていく肉体と意識。まあ、精神と言ってもいいですよ。肉体と精神。塚本作品においてはこの肉体と精神っていうのは完全に不可分のものというか。一体化したものですね。完全に一体のもの。

変容していく肉体と意識、精神を通して、人間とか人間性っていうものを成り立たせているギリギリの一線は何か?っていうのを突き詰めていく。で、その一線を越えてしまう快感を描くのか・・・『鉄男』なんかはまさにそれですけど。もしくは、その一線を越えた先から、もちろんそこには恐怖があるんだけど、恐怖の一線を越えた快感を描くのか、もしくはその一線を越えた先から、改めて人間とか人間性っていうものを照射し返すのかっていう。まあ、そういう作品や時期によって違いはあるんだけど。大きく言えば、塚本晋也作品、常にそういうことを語ってきたっていうことだと思います。

変容していく肉体と意識を通して人間っていうものを成り立たせるギリギリの一線を突き詰める。この話だと思うんですね。常にね。で、その意味で、塚本晋也が大岡昇平の『野火』を、それも完全に自主制作体制でっていうですね。最初にこの話を聞いた時、『そんなこと、やっちゃうんだ。そんなこと、可能なんだ』みたいな驚き、もちろんあったんだけど。同時に、『あ、それは合う!それは間違いなく、最っ高にヤバいやつだ!』っていう風に確信できた。というのも『野火』。私も読んだのは高校生の時ですけど。もちろん、すごいガツーンと来て。

その他の大岡昇平作品ね、『レイテ戦記』『俘虜記』とかを読んだけど。やっぱいちばんガツンと残っているのは『野火』ですね。一応『野火』、どんなのか言わないといけないか。大岡昇平さん自身の従軍の経験。フィリピンの戦線に行って、本当に大変な思いをしたのをもとに、太平洋戦争。フィリピン戦とかっていうのは他の戦線もそうですけど、戦死者がいっぱいいる。50万人のうち、8割が要するに敵と戦って死んだんじゃなくて、餓死とか病死。そういう戦場だった。

で、果ては人肉食まで横行したっていうような現実っていうのを『野火』っていう小説は、なんか奇妙に突き放したというか、奇妙に乾いた主観描写でずーっと描くっていう。すごくちょっと本当、ガツーンと来る小説でございまして。そんなに長い小説じゃないっていうか、短くて、結構読みやすいんで。ぜひ、読んだことない方は読んでください。映画には無いようなセリフですけど、最後に日本に帰ってきた後の主人公の述懐する、ちょっと現在の世相に愚痴るところとか、結構いまの世相とかとヒットするところもいっぱいあったりすると思うんで。ぜひ、読んだことない方、読んでいただきたいんですけど。

とにかくこの『野火』っていう小説自体が、まさにさっき言ったような、僕が塚本晋也作品に共通する何かだって言った、急激に変化していく肉体と意識を通して、人間、人間性っていうものを成り立たせるギリギリの一線を突き詰めていくっていう、まさにその話だからですよね。『野火』は。で、事実、僕はこれは不勉強で。これまでは知らなかったですけど。塚本晋也さん自身、かなり前から『野火』を映画化したいっていうのをかなり前から。しかもすごい具体的なビジョンをもとに語っていて。

実際できた映画も、そん時に言ってることとほぼ一致しているっていうか。だからもう、インタビューなどでちょいちょいそういうのを語っていたりすると。で、まあ実際のところ、何度も、先ほどメールにもあったけど、現実化に動いたけど。たとえば従軍経験者。結構ね、ご存命の方も少ない中で、ちょっと早くやんなきゃいけないっていう取材をやったりとかしたんだけど、資金が集まらず。お金を出してくれるところがなく、みたいな経緯はあちこち。パンフとか、あと游学社っていうところから出ている副読本的な『塚本晋也×野火』という。この本もすごく参考になりましたし。

そのフィリピン戦っていうかね、それの背景なんかも詳しく書いてあったりとか。あと、これネットのあれですけど。シネマトゥデイの『「野火」への道 塚本晋也の頭の中』っていう、要するにメイキング記事みたいなのが連続連載であって。これがすごい、詳しく書いてあって。これを読むと結構びっくりするんだけど。『低予算だ、低予算だ』っていうけど、俺らが考える低予算のレベルを超えてますよね。完全に。だからちょっと、興をそぐといけないから、ぜひこれは見てから、この記事を読んでいただきたいけど。

『えっ?あれってそんな風に作っているんだ!』みたいな。まあそれを、要するにボランティアスタッフ含めのK.U.F.U。工夫と努力で補った作品だと。で、まあ世界の塚本晋也が『野火』をっていう、このどう考えてもヤバくなりそうな企画に、結局お金を出すところがなかったっていう、その事実自体はやっぱりまあ、ご覧になった方で思う方は多いと思う。『えっ、そうなの?』って。怒りと情けなさがわいてくるところもあるんですよ。

たとえば、ねえ。それがダメだとは言わないけどさ。『永遠の0』はあんなにドカンと作るのに、これは作れねえのかよ?みたいなのはさ、思ったりはするんだけど。それはそれとして。僕はね、結果としてこれは完全インディーズ体制はですね、できあがった『野火』という今回の作品を見る限り、僕はむしろプラスに働いているという風に思いますね。だからちょっとその、なんて言うのかな?『大変だったから偉い』って言ってるんじゃなくて、『これ、作品的にプラスに働いてね?』っていう風に思うんですよね。

まず、単純にぜんぜんそんな予算の映画に見えねえしっていうのがあるんですよ。メイキングを見るとびっくりする。メイキングの話を聞くと。要するに、周到にすごくコスト配分が計算されているってことですね。それの成果があって、画的にも世界観的にも、もうこの話に必要十分なスケール感は十分に表現されている。これよりもっとね、結構なお金をかけているはずなのに小さい話にしか見えない作品なんて、山ほどあるわけですから。

ここぞ!という時にやっぱフィリピンのロケショット。大自然のショットを入れて、その中にたたずむ主人公。塚本さん自身が演じる田村っていう主人公と、あと、国内で撮った撮影部分みたいなものの組み合わせの上手さっていうか、計算であったりとか。まあ、特殊メイクとか小道具とかの見せ方の工夫ですね。やっぱり、コストがかけられるのが限られているからっていうあたり。そこが、実は計算が非常によくできている。なので、それがショボく見えない。お金にしては。っていうか、この話に必要なスケール感を確保できているっていうのもあるし。

むしろですね、肉体と意識の変容っていうのを経験していく主人公の主観にグッと視点を絞らざるを得ないっていうね。まあ、俯瞰的な説明みたいなのを思い切り良く廃した。たとえばこれ、いつ、どこの戦争の話か?なんてのも、明示はされないわけですね。そういうのは全部廃して。映画としての体感性みたいなところに特化して作っているっていうか。っていうことによって、この作品の必要な部分っていうか、いちばん大事な部分。エッセンスのところがよりエッジを増してですね、よくなったという風にむしろ思うんです。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』との共通点

その意味で、やっぱり近いのは俺、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』かもしれないなと思うんですよ。もういきなり状況に放り込んで。で、その体感性を通してメッセージを伝えていくみたいなところはね。

たとえばその、冒頭でね、主人公田村が非常に理不尽な命令を受けて、右往左往。繰り返し繰り返し、同じところを行ったり来たりさせられる。あれはもう、天丼ギャグですよね。で、まあその天丼ギャグのところで、別に説明がなくても、『はい。これは軍隊風だけど、もう組織として全く機能していない集団だな』とかですね。

あるいは、『もはや「戦争」っていうけど、敵のと戦いですらない状況である』とかですね。要は戦争映画ではない。たとえば敵の表現の仕方というか。敵と撃ちあったりって言うけど、撃ってくる敵なんか見えないですからね。なんだかわかんない、向こうから降ってくるものみたいなものとしか描かれない。全然戦争ですらない状態になっている、みたいなところに、まあ予算の関係もあって絞っているっていうのがこの『野火』の体感性であるとか、さっき言った乾いた主観性みたいなものにプラスに働いているし。

あと、画面がね、たしかに『デジタル然とした安っぽい画面だ』っていう言い方もできると思うんだけど。デジタルカメラですよ。ただね、そのデジタル画面の劇的じゃなさというか、スタイリッシュじゃなさというか。全てが無造作に、日常の延長線上でそこにボスン!とむき出しである感じがあるからこそ、たとえば途中で目の前で、無残に人がモノ化していく。要するに死体という物になっていく、その様。

たとえばね、最初のショックシーンですけど。こう、言い争っていると、足音かな?っていうぐらい、向こうからドッドッドッ・・・これは機銃掃射らしいものなんだけど。ドッドッドッドッて来て、バッとこっちを見たら、その人の顔がパカーンと割れている。もう、要するにさっきここにいた人が、物になっている。それこそ、さっきニコ生の放送になりますけど、三宅隆太監督のね、怪獣が倒れる手前の、何かが抜けた感じ。物になっちゃった感じみたいなの。それにも近いショックだと思うんだけど。

それが、要するにデジタルの無造作な、スタイリッシュじゃない映像であること、詩的じゃない映像であることによって、いまこの現実と地続きの、要するに身も蓋もなさっていうか。身も蓋もない、そこにあるものとして体感できる感じっていうか。そういう風に考えると、たとえば『プライベート・ライアン』。もちろん、戦争映画描写とか、暴力描写っていうのを歴史的に変えたエポックメイキングな作品だけど。あれのノルマンディー上陸シーンってやっぱりさ、昔のニュース映画リール風であったりとか。なんかまださ、詩的である余地があるっていうかさ。ポエティックである余地があるとか。

たとえば、フィリピンの自然とそこで争う人間たちっていうのの対比っていうようなもので描いたので言うと、『シン・レッド・ライン』ってあるけど。あれの自然の描き方って、すごいさ、詩的じゃん。詩的。ポエティックじゃない。それに対して人間はちっぽけだって言うけど。今回の『野火』のフィリピンの大自然っていうのは撮っているけど、そういう優しさとか詩的なんてもんじゃなくてさ。たしかにキレイだけど、なんか毒々しいっていうか。なんか、ここじゃ生きていけねえな感っていうか。俺たちは。

なんかそういう、禍々しさとかも含めて、全然詩的じゃない。スタイリッシュじゃない。安っぽいからこそ、いや、『そこにある身も蓋もない現実だから』っていう感じが増している感じがするんですよね。はい。で、もちろん昔の話とあんまり思えないとか。そういう効果もあると思うんですよ。もちろん、ここがいちばんだろうけど。外部の余計な口出しとかですね、一切気にせずに作られた作品ということで。ここまであらゆる意味で容赦ない作品になったっていうのは、やっぱりいま作られる意義のある作品になったっていうのはやっぱりあると思うんですよ。

市川崑版『野火』との違い

たとえばね、これは先に、昔作られた。『野火』の実写版って先にあって。市川崑版が1959年にあるんですよ。これはこれで当時としては間違いなく立派な作品だったはず。立派な作品なんだけど。場面場面としては原作に忠実なように見えて、この映画は見ると、要所でものすごくソフト化されているんですよ。いろんな描写だとかメッセージが。たとえばラストとかがちょっと、『西部戦線異状なし』を意識したのかな?みたいな感じのラストになっていたりするんだけど。

そこと比較すると、今回の塚本版『野火』っていうのがいかに原作小説のエッセンスをむしろ研ぎ澄まし、むしろ容赦なく先鋭化させた映画か?っていうのがより際立つっていう風に思うんですよね。比べてみると、本当にいいと思いますけど。

で、それってのは、もちろん見た人全員が度肝を抜かれるグロ描写。これだって、すごい大事なんですよ。これ、要するにグロであることっていうのは別にエンターテイメントのためにやっていることじゃなくて、この映画にとっては絶対に大事なこと。むしろ本質でもある。さっき言った肉体の変容の話でもあるから。環境の変容の話でもあるから、それは大事なんだけど。いちばんのポイントは、今回の『野火』。主人公。つまり戦争参加者っていうものの加害者性っていうものから逃げてないっていうか。それと向きあおうとしているところが、今回の大きな違いだと思いますよね。

たとえばですね、降伏しようと思うけど、やめるっていうところの描き方が、とある事情でやめるんだけど。起こることはほぼ同じなんですよ。市川崑版も。原作がそうやって書いてあるから。でも、今回ははっきり『お前、そんな権利あんのか?』っていう風にやっぱり見えるようになっているとか。それと、クライマックスの描き方とかももちろんそうだし。あと、たとえば教会のシーンがあるんですけど。教会である惨劇が起きるんですけど。そこのシーンなんかは単純に今回の方が映画としてサスペンスフルになっているっていうか。

『はっ!』って気づいて、あれ?向こう、気づかれた?立ち上がると・・・みたいなね。すごく映画的にいい見せ方になっているっていうのもあるし。とにかくですね、『野火』。この物語の主人公は加害者性っていう。その一線を越えてしまったことで、人として、なんなら生き物として、決定的に変容してしまうわけですよ。そしてそれは、たとえ無事に生きながらえたとしても、決して戻ることはできない、許されない一線なんだっていう話に今回、なっているわけですよ。

だから、『見なきゃよかった』って感じる人は、すごく正しいんですよ。見てしまったが最後、それは不可逆的な体験をしてしまうっていうことなんです。戦争に行くってことはさ。で、今回の映画オリジナルのエンディング。戦後、一見平穏に暮らしている主人公のシーンっていうのがね、あるんですけど。そこでどうやら、その一線を越えてしまった人らしい、その夫の背中をただ見つめる奥さん役の中村優子さん。これまた非常に絶品なんです。素晴らしいんですけど。

少なくとも、要するにですね、原作小説は『俺は一線を越えてないんだ』っていう風に、自分では・・・実際はどうかわかんないっていうグレーさは残しているけど、今回の映画版『野火』はさらにグッと黒に近いグレーなバランスで示される。要するに、主人公の決定的な変容。もう後戻りできないところまで行っちゃってるんです、この人はっていう。こここそが、今回の『野火』のいちばんの恐ろしく、鋭いところだと思います。はい。

これはもちろん、現代の戦争だってそうなんですよ。そのフィリピン戦じゃなくたって、たとえばイラクだってなんだって、『アメリカン・スナイパー』でも描かれてましたけど。帰ってきた兵士が、もう完全に病んでしまうっていう。いまだって普遍的にあることだし。

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あるいは、この番組でも扱いましたドキュメンタリー『アルマジロ』。あそこで描かれた戦闘って、近代兵器を持った現代の軍隊だけど。あの戦闘ってオーガナイズされたものに見えます?全然見えなかったですよね。っていうか、大して変わりないってこと何じゃないですかね?

そして、これを演じるのが一見普通の人に見える塚本監督自身だったのも、やっぱりベストだと思うんですよ。当初の構想で『ベストは浅野忠信』って監督は言っていたらしいけど、いやいやいや、塚本さん。これがいいんじゃないでしょうかね。キャストは本当に素晴らしくて。さっき言った中村優子さんもそうですし。リリーさんの安田っていうね、人好きするけど小ズルいおじさん。でも、ねえ。あの彼はサバイバル力が高いだけなんだけどさ。

あと、ブランキー・ジェット・シティの中村達也さん。弾が避けていくっていう感じのカリスマ性。なるほど、あの眼光。なるほど、この人についていれば、生き残れるかも!って思えるからこそ、原作とはちょっと役柄が重ねられてるんですけどね。木のところに座って・・・っていうのは別の役柄なんですけど、今回は中村達也さん扮する伍長の役になって。これが要するに、あんだけ頼りになる戦場のカリスマだった人が、もう錯乱してるっていうのが、より絶望感を増すし。そして人肉食をほのめかす役割っていう意味でも、スマートなアレンジだと思います。要するに彼から全て、人肉食っていうのはほのめかされる。

あと、オーディションで選ばれてっていう森優作さん演じる永松。森優作さんってこの方、市川崑版がミッキー・カーチスっていうね。幼さっていうのもそうだけど、やっぱりラストの血まみれの口をバッ!って開いて。黒目がちなかわいい目が、ちょっと小動物っぽいんだよね。もう、素晴らしい。あの表情一発で、この方、もう素晴らしいと思います。

あと、役名とかないですけど、僕、大好きなところがあって。蛆がわいているから、『死体かな?』と思って。『やっぱり、こうなるのが運命か』ってボソッと言うと・・・これ、原作小説にもあるんですけど。市川崑版にもあるんだけど、『なにを!?』って言うんだけど。今回は、蛆がわいたその死体のまま、『ああっ!?』って言う。うわっ!っていう。あの感じの悪さ。ベスト。このシーンの描き方、原作小説すら超えた、やっぱり恐ろしいシーンになっているんじゃないでしょうか。

とにかくですね、どんな政治的思想的信条をお持ちであろうと、『こんな目には絶対にあいたくない』とか。『こんなことは起こってほしくない』っていうところは間違いなく骨身にしみるはずの87分間ですよね。で、要するに、戦争に行きたくない若者っていうのをさ、利己主義って言ってはばからないあの方とか、見たらどういう風に思うのかな?なんて興味深いあたりなんですけども。はい。

まあ、映画としてのね、描写の素晴らしさなどを細かく言ってきたら、あんまり時間がないんで。先ほど、『敵は見えない』とかさ。あとさ、今回、パロンポンだっけ?そこに向かえばいいんだっていう原作とか市川崑版に比べても、どこに向かおうとしてるのか?なにをしているのか?が全く不明。もう戦争としては全く成立していない。何をしているのか、よくわからない、その徒労感。しかも、あの状況は本当にあったっていうことですよね。そこはやっぱり骨身にしみるところじゃないでしょうか。

とにかく、映画というのは『こんな目には絶対にあいたくない』っていうのを想像力を働かせて疑似体験するという。なので、いいですか?この2015年の夏に、クーラーのきいた劇場で、清潔な水分を摂りながら、飢えの心配もなく、これが見れる世の中に感謝ですよ。感謝、感謝!ですよね。うん。で、誰がなぜ、こんな事態を引きおこしたのか?改めて調べてみれば、すぐ出てきますんでね。これもそれこそ、副読本のね、游学社から出てるやつとかにも書いてありますんで。

絶対に映画館で見るべき作品

まあ、絶対にひとつ言えるのは、さっき言ったように『マッドマックス 怒りのデス・ロード』級に、体感性っていうのを通じて伝わってくるものが非常に多い。あと、没入感っていうか。ライド性って言ってもいいと思いますけど。なので、絶対に、これ断言します。絶対に映画館で見た方がいいです。そういうデジタル風のカメラとかって言って。だったらテレビとかに相応しいチープさか?っていうと、そうじゃなくて。絶対に映画館で見た方がいい。音とかもすごく大事なんで。と、思います。

先ほど言いましたように、塚本晋也作品の通底するテーマ。肉体と意識の変容を通じて、人間性というもののギリギリの一線というのは何か?というのを突き詰めていくそのテーマの、まさに集大成にして、その塚本晋也的作品テーマが容赦なく、いま我々がいるこの現実とリンクする力をものすごい作用を持っているっていう意味において、間違いなく最高傑作だという風に思いました。はい。

で、これがやっぱり東京でたった2館で。小さいところで2館でっていうのが、ねえ。作るのにお金が集まんなかったのは今更グチャグチャ言ってもしょうがないけど。これ、心あるシネコンとか、ちょっと全国でもっともっと広く見られていいんじゃないですかね?それこそ、国民全員必見級で見られてほしいっていう風に思う作品です。あの、決して楽しい映画じゃないですし、決して面白い映画じゃないですし。ですけども、この夏、ねえ。これより面白い映画はありますよ。『インサイド・ヘッド』は面白いです。素晴らしい完成度とか、そういうのはありますけど。

この夏、いちばん重要な一本ですよね。間違いなくね。はい。あの、やっているうちに、絶対に映画館に行っていただきたい作品だと思います。塚本晋也作品っていうのの入り口としても、『野火』、おすすめですので。はい。そういう意味で、単純に映画ファン的に言っても、見ない理由はないと思います。ぜひ劇場でウォッチしてください!

<書き起こしおわり>

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