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宇多丸・高橋芳朗 1980年代のラップ・ヒップホップの隆盛と進化を語る

宇多丸と高橋芳朗 NHK FM『今日は一日”RAP”三昧』を振り返る 今日は一日RAP三昧
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宇多丸さん、高橋芳朗さん、DJ YANATAKEさんがNHK FM『今日は一日”RAP”三昧』の中でラップ・ヒップホップの歴史を振り返り。1980年代の爆発的な隆盛と進化について話していました。

(宇多丸)さあ、そんな感じでラップの歴史をさらにたどっていきましょう! (BGMで)『Top Billin’』のビートで紹介っていうね。こうやって細かく入れていかないと入り切らないからね!

(高橋芳朗)アハハハハッ!

(宇多丸)で、入れているんですよね。ということで、1980年代初頭まで時代は来ましたけども。ここからですね、1983年。あるラップ第二世代と言えるグループが登場します。衝撃的なグループ、これみなさんもご存知かと思います。ラン・DMCというグループが登場するわけですね。『Walk This Way』というね、エアロスミスの曲をカバーした曲が非常に有名ですけども。

(高橋芳朗)うん。

(宇多丸)ラン・DMCはなにが革命的だったかといいますと、これまでにお聞きいただいたヒップホップ・ラップのレコードは演奏をし直しているわけですよね。自分たちがもともとネタにしていたものをバンドで演奏し直して。まあ、普通の音楽の基準で考えたら、そっちの方が同義が通っているというか。まあ、そっちの方が筋が通っている感じ、しますけども。それが、ちょっとディスコっぽいサウンドになっていくっていうかね。で、服装なんかもきらびやかな格好をして。「やっぱりステージに上がるんだからきらびやかな格好をしねえと!」っていう。これも当然の理屈なんですけどね。

(高橋芳朗)はい。

(宇多丸)なんですけど、それに不満を持つ若者たちがいた。若者たちはどういう不満を持ったか? というと、「いや、俺がかっこいいと思ったヒップホップは……」って。クール・ハークたちが始めたブロック・パーティーで、レコードの2枚使いってさっき言いましたよね? あの荒々しいサウンド。格好とかもそんなチャラチャラした格好じゃなくて、男らしい格好をして。「……そういう荒々しい格好がかっこよかったのに、なんかディスコになっちゃってガッカリなんですけど」みたいな。大きく言えばこういうような不満を持った若者たちが、俺たちの考えるかっこいいヒップホップを取り戻すという。ある意味、ヒップホップ・ルネッサンスとして登場をしたのがラン・DMCなんですね。

(高橋芳朗)うん。

(宇多丸)ということで、これからお聞きいただくラン・DMCのこれ、出世作と言っていいと思います。これはライブ音源なんですね。なので、先ほどDJ YANATAKEがやってくれたブレイクビーツ。レコード2枚を使った2枚使いというのを生でやっている曲です。しかも元ネタはビリー・スクワイアというロックミュージシャンの『The Big Beat』という、当時まだ最新のヒット曲ですね。

(高橋芳朗)うん。

(宇多丸)それを2枚使いするという感じ。それではお聞きいただきましょう。ラン・DMCで『Here We Go (Live At The Funhouse)』。1983年です。

Run-D.M.C.『Here We Go (Live At The Funhouse) 』

(宇多丸)フゥーッ! かっこいいー! はい。ラン・DMCで『Here We Go (Live At The Funhouse)』。1983年をお送りいたしました。

(高橋芳朗)それこそ宇多丸さん、ライムスターがまさにこの『The Big Beat』を使っているって言っていましたね。

(宇多丸)そうなんです。ライムスターというグループは、もういいです。「和製ラン・DMC」というか。ラン・DMCが作り上げたフォーミュラみたいなものを日本に置き換えてやっているグループと言って過言ではないと思うんですが。これね、またですがラン・DMCのご本人たちにインタビューした際の話ですが。

(高橋芳朗)おおっ、すごい!

(宇多丸)その時に、やっぱり僕らもラン・DMCに心酔していましたから。「あの『Here We Go』の『The Big Beat』2枚使いがかっこいいっす! ヤバいっす!」みたいな。ヘッズ丸出しでこうやってインタビューの時に熱い目をして迫ったら2人とも、「いやー……俺らが作ったわけじゃないからね」みたいな。ものすごい冷めた感じで。

(高橋・ヤナタケ)フハハハハッ!

(宇多丸)これ、どういうことか?っていうと、先ほど言いましたラップがレコード化される前、カセットテープでそのパーティーの様子が広まって、(ブロンクスではないニューヨークの他地域の)クイーンズにいる……彼らが住んでいたそこは割と品のいい地域だから。そういうところまで波及をしていったという話をしたと思いますけども。そのカセットテープでコールドクラッシュ・ブラザーズがやっていたルーティーンがこの『The Big Beat』2枚使いらしいんですよ。で、それに憧れてラン・DMCはこれを再現した。つまり、コールドクラッシュ・ブラザーズに憧れてそれをやったラン・DMCに憧れてやったライムスターみたいな、こういうヒップホップ家系図があるわけですよね(笑)。

(高橋芳朗)アハハハハッ! ラップがもうアグレッシブ(攻撃的)ですよね。

(宇多丸)なんかこう、さっきまでのオールドスクールラップとの違い、なんかわかってくれると思うけど。叩きつけるような感じだと思う。さっきまでの「ナナナナ、ナナナナ……」みたいな感じじゃなくて、叩きつけるようなラップ。だいぶ時代が変わっています。そして、いま1983年ですけども、どんどん時代が革新的な方向に動いていく。これ、じゃあ高橋芳朗さん。

(高橋芳朗)この時点でね、ギャングスタ・ラップっていうのがもう生まれているんですよね。しかも、ニューヨーク以外の東海岸の都市フィラデルフィアから。

(宇多丸)だから2つの意味で重要っていうことですよね。いわゆる現在に至るギャングスタ・ラップの始祖であり、そしてニューヨーク以外。要は、「ニューヨーク以外のラッパーは偽物」って言われている時代ですからね。そういう時代にフィラデルフィアから登場したという。

(高橋芳朗)それがスクーリー・Dというラッパーの『PSK, What Does It Mean?』っていう曲なんですけども。

(宇多丸)これ、僕も驚いちゃったんですけど、1984年なんですね。

(高橋芳朗)そうですよ! このビートがまたすさまじい。

(宇多丸)さっき、(ドラムマシーン)TR-808という話をしましたけど、これはTR-909。

(高橋芳朗)ドラムマシーンのTR-909で。

(宇多丸)なおかつ、ただの909のビートじゃないですよね。これ、私の好きなエピソード。

(高橋芳朗)お願いします。

(宇多丸)これから聞いていただきますけども、めちゃめちゃビートが強烈なの。「ドーン! シャシャシャシャシャッ……ドーン! シャシャシャシャシャッ……」って。で、後にね、いまだにサンプリングとか結構されているんじゃない?

(DJ YANATAKE)されてますね。

(宇多丸)じゃあ、聞いてもらおうか(笑)。先に聞こうか。じゃあ、スクーリー・D『PSK, What Does It Mean?』。

Schoolly D『PSK, What Does It Mean?』

(宇多丸)みなさんね、そろそろお気づきだと思いますが、この時代までのラップにはサビというものがございません。

(高橋芳朗)アハハハハッ!

(宇多丸)単に黙るだけとか、スクラッチが入るだけとかありますけども。これ、『PSK, What Does It Mean?(PSKって何の意味だ?)』ってこれは……。

(高橋芳朗)「Park Side Killers」っていう、スクーリー・Dが所属していたギャング集団のことです(笑)。

(宇多丸)フフフ(笑)。ねえ! まあだからまさにギャングっていうことですよね。これ、みなさんこの強烈なビート。いまこのNHKのスタジオの音響で聞くと、ちょっと恐怖を感じるような……。

(高橋芳朗)揺れたね!

(宇多丸)ドーン!ってきてすごかったんですけど、この深いリバーブね。TR-909の重厚なビートに加えて、深いリバーブがかかっているわけですけど、このビートを作った秘話が最高ですよね。要するに、まだ彼らも手探りを音楽を作っていて。要するに、ただの元ギャングがさ、「ちょっとレコードでも作るべ」ってやっているから、どこでどうレコーディングしていいかがわからないので。スタジオを借りたはいいんだけど、普段クラシックとかを録音するような、ものすごいちゃんとしたスタジオを借りちゃった。そしたらそこに、本当のリバーブ板? こうやって鉄のでっかい板をビーン!ってやってやる。電子的にやるんじゃない、本当の生のリバーブ板。それで、スピーカーからガンガンに元のビートを出しながらリバーブを鳴らして。要するに、生のリバーブなんですよ。

(DJ YANATAKE)へー!

(宇多丸)だからこれね、ちょっとやそっとじゃあ再現できない。で、こうやってガンガン、デカい音でそのリバーブ板をバンバン揺らしてやっていたら、そのスタジオのオーナーがすっ飛んできて。「おい! なにやってんだ! 壊す気か!?」みたいな(笑)。「そんな音量で鳴らすもんじゃない!」みたいな。しかもまあ、これをNHKで言うのもどうかと思いますが、まあ彼らはアルコールと薬物でもうぶっ飛んでいるわけですよ。なので自分たちがどういう曲を作っているのか、いまいち定かでない状態で(笑)。

(高橋芳朗)『チェック・ザ・テクニーク』という本にその制作秘話が載っていますけど、「あれ以来何年かたって、ああいうサウンドをやろうと試みたけど、できなかった」って(笑)。

(宇多丸)そりゃそうだよ!(笑)。あと、ほら。「翌日目が覚めて、ビートを冷静に聞いてみたら、ヤバいのができていた」っていう。

(高橋芳朗)「うわっ、なんだ、これ?」って(笑)。

(宇多丸)フハハハハッ! 「うわっ、なんだ、これ?」(笑)。

(高橋芳朗)「クルーのみんなにプレイバックして聞かせると、すげーバカウケ」(笑)。

(宇多丸)フハハハハッ! だから本人すら、わかっていないし。

(高橋芳朗)偶然できたんですよ。

(宇多丸)でも、ヒップホップって実はここがいいところで。たとえば、サンプリングという手法がこれから後に出てきますけど。やっぱりちょっと偶発性っていうかさ。事故が生み出す新しい音楽みたいな、そういうところが痛快でもありますよね。そして、また何が痛快って、NHKのお昼にスクーリー・Dが鳴り響くという(笑)。

(高橋芳朗)アハハハハッ!

(宇多丸)あと、ラップが詳しい人だったら、このラップの仕方は完全に後のNWA、イージー・Eがコピーしているということにお気づきじゃないでしょうかね。

(高橋芳朗)そういった意味でも、もうギャングスタ・ラップのルーツのルーツですね。

(宇多丸)ということでございます。じゃあ、続いて……。

(高橋芳朗)まあラン・DMCを成功に導きましたラッセル・シモンズという。

(宇多丸)はい。ちょっと最近ね、ワインスタイン・ショックの流れで。

(高橋芳朗)告発されたりして、ちょっと賑わせていますけども。彼がパンクとハードロックが好きな白人の大学生のリック・ルービンという男と手を組んで、デフ・ジャムというレーベルを設立いたします。これが1984年。それで、第一弾アーティストとして送り出したのが……この人はデモテープをデフ・ジャムにバンバン送っていたらしいんですけども。当時16才のLL・クール・Jなんですね。

(宇多丸)これ、いまおっしゃったリック・ルービンというプロデューサーはまさに……ラッセル・シモンズはラン・DMCのランのお兄さんでもありますから。ラン・DMCのバックアップでもある。さっき言った、ヒップホップ本来の荒々しさを取り戻すっていう、やっぱりそういう精神ですよね。で、LL・クール・Jという若き……当時はまだ若干15、6とかそんな感じですよね。最初からめちゃめちゃラップが上手いという。いまだに現役ですし、俳優としても活躍していますが。じゃあ、クール・Jはどれにしますかね? このぐらいになるとね、どれをかけるかがちょっと……(笑)。

(高橋芳朗)アハハハハッ!

(宇多丸)だから、さっきからさ、ラン・DMCでも『Walk This Way』はかけずに『Here We Go』とかさ。

(高橋芳朗)まあでも、手堅くこれじゃないですか?

(宇多丸)行きますか。これ。じゃあ、これをヨシくん。

(高橋芳朗)行ってみましょう。LL・クール・Jで『Rock The Bells』です。

LL Cool J『Rock The Bells』

(宇多丸)はい。みなさんお気づきだと思いますが、この時代のラップにはまだサビがございません(笑)。ということで、LL・クール・J。これは85年ですね。まあ、でもパワフルな。クール・Jはもちろん静かにラップするのもめちゃめちゃ上手い人ですけども。もうこの頃からスキルはある意味完成されていますよね。

(高橋芳朗)すごいですねー。

(宇多丸)あと、まあムキムキマッチョなスタイルとかね。で、ゴールドチェーンをガーッとやってという。

(高橋芳朗)ファッション的にも変わってきた感じですね。

(宇多丸)なんか我々が……いまの、あんまりヒップホップを詳しくないような方が想像するラッパー観みたいなのはクール・Jあたりで完成した……。

(高橋芳朗)カンゴールのハットをかぶって、みたいな。

(宇多丸)みたいな感じはあるんじゃないですかね。さあ、そしてさらにこのデフ・ジャムがどんどん時代を変えていきますよね。

(高橋芳朗)で、LL・クール・Jと同じタイミングでデフ・ジャムからデビューしたのが白人ラップトリオのビースティ・ボーイズ。

(宇多丸)はい。いままでね、ずっと聞いてきた方はヒップホップのものすごいコアなシーンがニューヨークにあって。なんだけど、ロックシーンと交差しているというか。だからパンクをやっていたような若者たちが、「いまヤバいのはヒップホップだ!」ってなる自然な流れっていうのがあるわけですね。ということで、ビースティ・ボーイズの成功というのが後に……特にやっぱりミクスチャーロックの。

(高橋芳朗)そうですね。与えた影響は半端ないと思います。あと、スケーターカルチャーとか。まあ、現在のストリートカルチャーを作ったような人たちですよね。

(宇多丸)そうですよね。街にいる若者がパーカー着て、野球帽をかぶって、スニーカーを履いて……っていうのはまさにここから始まったっていう。帽子なんか当時、かぶってなかったもん!

(高橋芳朗)アハハハハッ! でも当時のビースティ・ボーイズはそんなことを……彼ら、結構キャリア長く活躍をしていくわけだけども、ものすごく刹那的に感じましたけどね。

(宇多丸)うんうん。すぐにやめちゃうんじゃないかぐらいのね。こんな立派なアーティストになってくるっていうのはちょっと想像がつかなかった。

(高橋芳朗)めちゃくちゃヤンチャでね。でも、デビューアルバムの『Licensed to Ill』はラップアルバムとしてはじめての全米チャート1位。

(宇多丸)うんうん。すごい。まあ、ここまでは割とニューヨークローカルだったヒップホップ・ラップっていうのがこのあたりからだんだんメジャーになっていくということですかね。これ、ビースティ・ボーイズは普通だったら、『Fight For Your Right』がかかるあたりですけど、先ほどからみなさん、お気づきのように我々はそういう気はさらさらございません。もうね、出禁になる勢いでビースティ・ボーイズ。これもヨシくん、お願いします。あえてのここに行ったというあたり。

(高橋芳朗)でも、このへんもやっぱりリック・ルービンのハードロック路線を押し進めている感じだと思います。聞いてください。ビースティ・ボーイズで『The New Style』。

Beastie Boys『The New Style』

(宇多丸)はい。お聞きいただいているのはビースティ・ボーイズ『The New Style』。1986年。

(高橋芳朗)ビートがすごい(笑)。

(宇多丸)ちなみにみなさん、NHK FMのいま異常にでっかい……これ、広さどんぐらいですか? 体育館ぐらいありますよね。すっごい広さのスタジオでやっていて、その上に備え付けられたスピーカーで、脳天からこの重たいヒップホップビートが降ってくるんで。

(高橋芳朗)『PSK』とか『The New Style』が降ってくる(笑)。

(宇多丸)さっきから僕、正直恐怖を感じております。

(高橋・ヤナタケ)アハハハハッ!

(宇多丸)ということで、ビースティ・ボーイズ。1986年のこの『Licensed to Ill』。非常に斬新なサンプリングというか、元ネタセンスと言われていたけど、実はでも先ほどから説明しているようなヒップホップ黎明期のブロック・パーティーで使われていた、定番のネタが割と多かったりして。だから、要はやっぱり彼らはヒップホップマニアだったんですよね。ヒップホップの白人ヘッズが「俺たちならこうやるぜ!」って出したのがビースティ・ボーイズでございます。

(高橋芳朗)パンクス上がりだったんですけどね。

(宇多丸)そういうことで、86年ともなるとラン・DMCが『Walk This Way』で全米ヒットを飛ばして。

(高橋芳朗)さっき宇多丸さんが言っていた『Walk This Way』が1986年に全米4位の大ヒットですね。

(宇多丸)まあ、まさにこのぐらいになると、先ほどからヒップホップの主役はずーっとDJだったりブレイクダンスだったりしたんですけど、完全にラッパーに主役が移るのがこの1980年代半ば。

(高橋芳朗)そうですね。まさにNHKで当時、ラン・DMCの中野サンプラザの来日公演がテレビで放送していましたね。

(宇多丸)NHKホールですよ。私ね、行きたくても行けなかったんでね。

(高橋芳朗)僕も行きたくても行けなくて。でも何度も何度もビデオで、擦り切れるまで見ました。

(宇多丸)うんうん。このぐらいからやっぱりね、日本人ラッパーの芽がさらに出てくるわけですけどね。そしてね、先ほどから重たいビートがガンガン来ていますけど、ここでさらに、1986年まで来ましたけども。さらに、また時代が……ヒップホップのサウンドがまた劇的に変わるんですね! ヤナタケさん!

(DJ YANATAKE)アハハハハッ!

(宇多丸)ヤナタケさん! ヒップホップの歴史が進化していく様、楽しいですね!(笑)。

(DJ YANATAKE)楽しいですね!(笑)。準備しながらなんで、一生懸命ですけども(笑)。

(宇多丸)先ほどからずっとね、(BGMも含め)曲はヤナタケさんが出してくれていますからね。

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