安住紳一郎 久米宏を追悼する

ジェーン・スー 久米宏を追悼する 安住紳一郎の日曜天国

(安住紳一郎)で、今やってる土曜の夜の『ニュースキャスター』という番組ありますが。三谷さんとやってますが。『ブロードキャスター』という番組の後継としてスタートしてるんですけども。最初は私、ビートたけしさんとのツーショットでスタートしてたんで。実はあれも久米さんと横山やすしさんの『TVスクランブル』のイメージで作ろうということでスタートしてるんですよ。なので『TVスクランブル』は『ニュースステーション』のちょっと前にやってた番組で。大変、評判が良かったんですけども。日テレさんの番組なんで資料がないということで横浜の放送ライブラリー、関内まで行ってね。それをなるべく忠実にイメージしてということでスタートしてるんですよね・。

(中澤有美子)知りませんでした。へー!

『日曜天国』が始まった経緯

(安住紳一郎)そうなんですよ。なのでもう、久米さんの影だらけっていうかね。うん。で、もうたぶん時効だから言っちゃうけども。このTBSラジオの『日曜天国』だってですよ、これはたぶん中澤さんも知らないと思いますし。スタッフもあまり知らないと思いますけども。まあ、言っちゃっていいと思うんですけども。この番組、2005年スタートですけども。久米さんの『ニュースステーション』が終わったのが2004年ですよね。で、久米さんがテレビの番組を辞めて、TBSラジオに戻ってくるかもしれないっていうような気配があったんですよ。当時。

で、日曜の朝10時。ここを久米さんにやってもらおうということで。久米さんメインで、その下に安住っていう企画書がまず、出てるんだよね。そうなんですよ。久米さんメイン、安住がサブ。で、「久米さんが永さんの下で鍛えられたんだからお前も久米さんの下で」なんて言われて。結局、それは実現しなくて私だけが残っちゃったんだけれども。その1年後、土曜日に久米さんが『ラジオなんですけど』を始めたという、そういう経緯なんですよね。なので……えっ、みんな、どういう気持ちになってるの?

(中澤有美子)ちょっと処理しきれないですね(笑)。

(安住紳一郎)処理しきれないよね。みんな、どういう気持ちでいるの?

(中澤有美子)皆さんどうでしょう?(笑)。

(安住紳一郎)皆さん、どういう気持ちでいるの? ねえ。えっ、どういう気持ちでいるの?(笑)。えっ、それはそれでパラレルワールドでよかった? どう?

(中澤有美子)本当にパラレルワールドですね。

(安住紳一郎)パラレルワールドだよね。もしかするとね、こういう感じにはなってなかったかもしれないということなんですよね。「影響を受けましたか?」という質問をされる時、ありますけれども。そんな次元じゃないということがこういう履歴からもおわかりいただけるかなと思います。そしてね、もう一つ。これは私ではないんだけれども。当時、ニュース・報道というのは大変高尚なもので。新聞記者とか、あるいはテレビの放送記者、あるいは官僚とか、学者出身の人じゃなきゃなかなかやらせてもらえなかったっていう素地があったんですけども。「ニュースをやりたいんだったらアナウンサーを辞めて記者に転籍しないとダメ」という時代が結構続いていて。中澤さんもそんな感じ、わかりますよね? 当時はね。

(中澤有美子)そうでした。はい。

(安住紳一郎)ただ、久米さんが「私はジャーナリストでもキャスターでもなくて、番組の司会者としてニュース番組をやってます」みたいなことを答えてくださった時があって。私の周りの報道志望のアナウンサーたちがその言葉にどれほど救われたかわからないというようなね、そういう時代でしたね。

(中澤有美子)本当にそうでした。

(安住紳一郎)そしてアナウンサー出身の辛坊治郎さんがいて、宮根誠司さんがいて、羽鳥慎一さんがいて、CBCの石井亮次さんがいて。で、うちの井上貴博と続くことになっているっていう系譜がありますよね。本当にその恩を感じている仲間は多いと思います。改めてね、久米さんのそうした発言に救われた仲間たちが多かったということを皆さんにも知ってもらいたいと思います。『Love Adventure』。そして『American Melody』とね、懐かしい『土曜ワイドラジオTOKYO』のエンディング曲をお聴きいただきました。

『日曜天国』も久米宏さん+安住紳一郎さんでやる予定だったというお話、初耳でした。実現はしなかったけれどもどんな風になっていたのか、想像するだけでも面白いですよね。安住さんにしかできない追悼トーク、とても素敵でした!

安住紳一郎の日曜天国 2026年1月18日放送回

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