安住紳一郎 久米宏を追悼する

ジェーン・スー 久米宏を追悼する 安住紳一郎の日曜天国

安住紳一郎さんが2026年1月18日放送のTBSラジオ『日曜天国』の中で亡くなった久米宏さんを追悼。TBSラジオの過去音源を紹介しながら、その功績を話していました。

(安住紳一郎)さて、皆さんもニュースで知っているとは思いますが司会者・アナウンサーとして活躍されました久米宏さんがお亡くなりになりました。お正月の1月1日に亡くなったということで。本来ならばね、1年で一番めでたい日にみまかるというのは反権力でならした久米さんらしいなと言えなくもありませんけれども。肺を患っていたと聞いています。

最後ね、サイダーを一気に飲んで。そして静かにお亡くなりになったというコメントも発表されていて。奥様の麗子さんのコメントも機知に富んでいて。さすがだなという風に感じましたけれど。「どこのサイダーだったのかな?」なんて気になったんで仲のいい先輩に聞いたら「三ツ矢サイダーだ」って言ってました(笑)。

(中澤有美子)そうでしたか。

久米宏が最後に飲んだのは「三ツ矢サイダー」

(安住紳一郎)TBSラジオでは今後、久米さんの特集を予定しているそうで。まだ発表にはなっていませんけれども。近いうちに久米さんの特集があるということは間違いなさそうです。今日はその特番を待てないという方のために懐かしい録音テープを2本、持ってきましたのでぜひお聴きいただきたいと思いますが。まず1本目は土曜ワイドの久米さんの中継の録音なんですけども。『土曜ワイドラジオTOKYO』は最初は永六輔さん。そして三國一郎さん。1978年くらいから当初はリポーターだった久米さんがメインになって。久米さんの土曜ワイドが始まったということになります。

そして毒蝮さん、吉田照美さんとつないで1991年からもう一度、第2期の永さんが始まって。それが25年ぐらい続いて。外山恵理さんがずっとやってましたけれども。で、2015年からナイツさんかな? なのでナイツさんになってもう10年、経ってるってことですよね。早いですよね。

(中澤有美子)そうですね。

(安住紳一郎)録音テープには「1973年11月10日放送」と書いてありますから、昭和48年ですね。もう52年前ですか。始まって3年目くらいということで。久米さんは当時、29歳だと思われますが。機材がとにかく進化していた時で。とにかくあっちこっちから生中継できるようになったという時代の興奮も録音から伝わってきて。久米さんがいろんなところから週に1回、生中継を入れるということなんですが。司会の永六輔さんの声も若いですし。あとはマニア的な見方で言いますと、永さんのアシスタントが誰だと思いますか? 52年前。今も現役ですよ。TBSラジオ、現役。

(中澤有美子)ああ、では……遠藤泰子さん?

(安住紳一郎)そうなんですよ。『森本毅郎・スタンバイ!』のアシスタントを今もやってますけれども。アシスタント、遠藤泰子さんですよ。声が女子高校生みたいですからね。遠藤さんの声、いつから変わったんだろうなんて、そんなような気持ちにもなりますけれども(笑)。高層ビルの窓拭きゴンドラからの久米さんの中継です

<音源スタート>

(遠藤泰子)『土曜ワイドラジオTOKYO』、お待たせしました。久米宏のなんでも中継です。

(久米宏)あっ、ええと僕は今、日本橋通り3丁目3番地にあるビッグビルの18階のスカイラウンジプリンセスというところにおりまして。大変いい景色ですね、なんつって(笑)。プリンセスにいるのはいいんですけど、プリンセスのガラスの内側にいるんじゃない。ガラスの外側にいるんで……僕は今、日本橋ビッグビル18階、地上65メートルの……今、17階まで降りてきましたけど。ガラス窓拭き用のワゴンの中側に、立ってられないです。
しゃがみこんでおりまして(笑)。ちょうど真下に中央通りがあって。なんでこの道はこんなに混んでるんでしょうね、今日は? えー、上りがだいぶ混んでおります。

冷静にやりましょう。これ、18階、17階、16階……16階の外側、今は中央通りの真上におります。17、16、15階まで降りてきました。交差点を人が次から次へと足を使って歩いていきます。右手を見てみますと東京八重洲口のステーションビル、あれも高いですけど。あれよりか、こちらの方が全然高いですね。屋上で紅白の幕を張ってなんか皆さん、おめでとうございまーす!

(永六輔)もう降りないんですか?

(久米宏)降りましょうって! もう、止まらないで(笑)。

(遠藤泰子)久米宏さん!(笑)。

(永六輔)マイクのコードは18階から下りてきてるわけ?

(久米宏)マイクのコードは屋上からですね、下ろしてるわけです。

(遠藤泰子)うわーっ、ねえ、あの、しゃがんでるんでしょう?

(久米宏)しゃがんでるんです。正座しております。

(遠藤泰子)ちょっと、立ってみて?(笑)。

(久米宏)僕、安全ベルトをして……立てない、立てない! 下にいる人の頭の上がハゲてるのが見えます。あれが今日、世話してくれたここのビルの所長さん。ラジオ聞いてるから、怒られちゃう。こんなこと言ってると(笑)……。ああ、もうマイクロフォン、マイクロフォンがダメだ! マイクロフォン、いっぱいだ。止めて! マイクロフォンが危ない。マイクロフォンがもう、持ち上がっている!

(永六輔)立て、立て、ほら(笑)。

(久米宏)このね、ゴンドラをね……あっ、また上がり始めた! もうダメだ。マイクロフォンを外そう! 止めよう! ここで止めましょうね。本当に止めよう! 止めましょうよ、ねえ。山本さん!

(永六輔)マイクロフォンにぶら下がってでも頑張んなきゃ?(笑)。

(久米宏)バッ……永さん、また人のことだと思って! この気持ち、わからない? もう僕、おしっこを我慢して……やめたい! もう本当に! 中継担当、久米宏でした。どうするの、これ? マイクロフォン、離していいの?

(永六輔)勝手にやめちゃっているよ(笑)。

(遠藤泰子)アハハハハハハハハッ!

(久米宏)やめますよーっ!

<音源おわり>

(安住紳一郎)久米宏さんの52年前の現場からの中継ということでね。声が若々しいですし、思わずね、永さんのことを「バカ」って言いそうになって「バ」で止めてるあたりがね(笑)。今もその現場の緊迫感が伝わってきますけれどもね。

(中澤有美子)本当にそうですね(笑)。ワクワクして聞きました。

永六輔さんに「バカ」と言いかける

(安住紳一郎)そうですね。久米さんもすごい。永さんもすごいけど、遠藤さんがすごいね、やっぱりね。

(中澤有美子)そうですね。とても華やかなお声です。

(安住紳一郎)55年、アシスタントをやってますからね。本当に声が……遠藤さんもいつから今のようなお声になったんだろうね。

(中澤有美子)そうですね。とっても興味あります、自分も。

(安住紳一郎)そうね。今はもう(モノマネして)「毅郎スタンバイ!」っていう感じのね、味のある声だもんね。

(中澤有美子)好きです。それも好きです。

(安住紳一郎)それも好きですけどね。時代に合わせて生き抜いてきたんだなっていう感じもね、伝わってきて。うん、すごみがありますね。そしてもう1本、テープを持ってきましたが。これはですね、もうちょっと令和の時代にはやっぱり流せないレベルですね。体調の悪い人はボリューム下げた方がいいと思います。

(中澤有美子)ええっ!

(安住紳一郎)私たちもこれを昨日聞いて、あまりの圧の強さにやっぱりなんか、うん。みんな下向いちゃったもんね。

(中澤有美子)ええっ?(笑)。

(安住紳一郎)いや、楽しい話なんだけれども。うーん。50年前の東京がいかに騒がしかったかっていうことだと思うんだけれど。ほら、あのドラマも去年、あったでしょう? 『不適切にもほどがある!』っていう。で、吉田羊さんがタイムスリップして「30年前の日本、どうだった?」って聞かれて「30年前の日本はとってもうるさかった」っていうセリフがあったけど、私はそれを思い出したもんね。すっごい賑やかだから。で、これ、平日の午後の番組だからね? 夜とかじゃないからね。スタジオは愛川欽也さんと見城美枝子さんね。見城美枝子さんもTBSアナウンサーの大先輩だから。ケンケンね。キンキンとケンケン。見城美枝子さん、私、最近銀行で見かけたけど。

(中澤有美子)ああ、そうですか。

(安住紳一郎)『それいけ!歌謡曲』というのの平野レミさんと久米宏さんのコーナーがあって。ジュークボックスで中継先で番号を打ち込んで。一般の方にクイズを出して。曲が流れてきて男性歌手が歌っているか、女性歌手が歌っているかを当てるっていうね。「男が出るか、女が出るか?」っていう。で、そのままリクエスト曲に移っていくという、たぶんこれは毒蝮さんのミュージックプレゼントにつながっていくコーナーになっているんだろうと思うんだけれども。まあ毒蝮さんのあのコーナーもね、かなりえげつないコーナーだったけども。まあ、当初のスタートもやっぱりすごかったんだなということが伝わってきます。車を運転されている方は一度、お止めください。

(中澤有美子)そんなに?(笑)。

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