宇多丸 父・石川信義の教えを語る

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宇多丸さんが2025年3月15日放送のJ-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』に出演。高木完さんと父で精神科医の石川信義さんについて話していました。

(高木完)今回、来ていただいて「聞きたいな」と思っていて。「いいですよ」って言っていただいたんですけど。僕、Wikipediaを見ていて、お父さんがすごいね。

(宇多丸)はい。石川信義という名前で精神科医で。私から説明すると、もうとっくに亡くなっていますけども。日本の開放病棟っていう、要するに精神病者であっても鍵をかけて閉じ込めるなんてことをしたら余計に悪くなっちゃうし。そもそもそれは人権侵害だしっていうんで。あの当時、日本人にはなかった開放病棟の病院を1から作ってやっていたという。主にその精神病者を開放していくというか。

(高木完)そんなやり方を……しかも結構、前じゃないですか?

(宇多丸)そうですね。僕がちょうど生まれた頃なんで。

(高木完)すごい人がいたんだなって。だから書物も読もうと思っていて。

(宇多丸)ぜひぜひ。岩波新書から出ていて。

(高木完)ねえ。この収録には間に合わなかったんだけど。

(宇多丸)ただね、よく父も言ってましたけど。「ちょっともう内容が古いからな」みたいな風に言っていて。

石川信義『心病める人たち: 開かれた精神医療へ』

(高木完)ああ、お父さん、そこまでちゃんと言及してたんだ。息子にしゃべっていたんだ。「ちょっと古いな」とかって?

(宇多丸)「ちょっと古いな」とか。あと、やっぱりその日本の社会でやるのにはこういう限界があったとか。これ、イタリアのバザーリアっていう人が本当にやったことなんだけど。要するに病院に閉じ込めていること自体に問題があるから。精神病院そのものを解体して、その地域の人や地域でやんわりと受け止めていくみたいなシステムにしていこうと。で、現にそういうシステムをバザーリアっていう人はやったんですよ。頑張って。

(高木完)ああ、イタリアではね。

(宇多丸)そう。で、父はそれに学んで「じゃあ、日本でもそういう風にしていこう。病院の開放から、次はその病院もなくしていく方向にしていこう」っていう風にしたんだけど……やっぱり日本はなかなかそういう精神病の方に対するいろんなものが。

(高木完)まあ、環境とか。

(宇多丸)そういうのもあったりとかで。まあ「偏見」と言わせてもらいますけど。とかもあって、やっぱりなかなか難しかったのとあと病院の経営サイドとのいろんなあれもあったりして。結構最終的には若干、志半ば感はあったかなという風に……。

(高木完)じゃあそのお父様の活躍というか、仕事っぷりっていうのは子供の頃から見ていたんですか?

(宇多丸)いや、群馬の病院なんで。前橋なんで。でも、今はすっかり違う感じの病院になっているみたいですけど。まあ遠いんで、どっちかって言うと彼らが帰ってきて、メシを食いながら……。

(高木完)ああ、都内に帰ってきて?

(宇多丸)そうです。そうです。帰ってきて、ご飯を食べる時にその話も聞くし。やっぱりその、なんていうか僕にとってどっちかっていうと先生っていうか。

(高木完)多感な時期にね。

(宇多丸)でも社会問題とか……たとえばそれこそ完さんたちが原発問題をワーッてやって。その時、僕も感化されて。それでようやく社会問題に初めて興味を持ったっていう。

(高木完)広瀬隆さんの本とか。

(宇多丸)そうそう。で、「原発、どう思うんだ?」みたいなことをぶつけてみたりとか。

(高木完)ああ、お父さんとそういう話をしていたんですね。

(宇多丸)「資本主義、おかしいんじゃないか?」みたいなのとか。

(高木完)じゃあ80年代の真ん中へんから終わりぐらいにかけて。

(宇多丸)で、父もバリバリ学生運動してたような人だから。まあそういう話をしたりとかっていう関係ですかね。だから、まあ偉大ではあったんだと思いますけど。

(高木完)じゃあお父様が読んでいた本とかをさ、「こんな本、読んでるんだ」みたいな感じで見たりとか、そういうこともあったの? 子供の頃とか。

(宇多丸)本というよりはその精神医療のそういう……だから要は日本で社会が弱者っていうのに対してどういう扱いをするか、みたいなことはやっぱり常に話してたし。あと、「後を継げ」みたいなことを言われたこと全くないし。「医者になれ」とか言われたこともないんですけど。

(高木完)でもそういう方だから、余計にそうことを言わないよね。「自分の好きなようにやれ」って、おそらくは……。

(宇多丸)なんだけれども「自分の意見を言える職業についた方がいいと思うよ」っていうことは言われていて。「自分の意見を言えないっていうことが一番つらい、キツいことだから」って。

(高木完)うわっ、それはすごいパンチラインっていうか。

「自分の意見を言える職業についた方がいいと思うよ」

(宇多丸)そうそうそう。「ああ、なるほどな」と思って。だから自分の意見が……今、自分の意見を言う仕事をしてますから。

(高木完)まあそれだけって言ったらあれですけど(笑)。

(宇多丸)そうそうそう! 本当にそれだけ(笑)。自分の意見を言うだけの仕事をしてて(笑)。

(高木完)すごいね! それ、いくつの時に聞いたの?

(宇多丸)それはだから、それこそ受験ちょっと前。高校の時とか。僕も「どうしようかな?」みたいな。

(高木完)じゃあ、それはお父さんにそれとなく言ったわけかな?

(宇多丸)相談っていうわけじゃないですけどね。いやいや、ヘラヘラしていたかったんですよ。完さんとかを見ていて(笑)。

(高木完)っていうかね、俺も子供に言うけど。でも受験しただけ偉いですよ。俺、ちゃんと受験したこともねえし。就職もしたことないよ。

(宇多丸)いや、僕もないですよ(笑)。

(高木完)だからそれを子供に言うっていうのは……(笑)。

(宇多丸)あれ、やっぱり完さんとかヒロシさんとかを見ていて。「ああ、ああいう感じの人になれねえかな?」って甘い考えで(笑)。

(高木完)いやいやいや、それは思うと思うよ(笑)。

(宇多丸)でもさ、冷静に考えたらたとえばいとうさんとか、全然講談社に就職して。ちゃんと働いて。

(高木完)ああ、せいこうはね、ちゃんとやってやってましたからね。

(宇多丸)そうそうそう。「よく考えたらあの人、就職してんじゃん。ずるい!」みたいな(笑)。

(高木完)ずるいかな?(笑)。まあ、でも肩書きとして、ありますからね。大学も出られてるしね。

(宇多丸)でも当時の講談社、どうにかしてますよ。だってあんなさ、働きながら『業界くん物語』なんて、あんな好き勝手やって。

(高木完)しかもあれ、講談社のい紐つき企画ですからね。言ってみれば。その前にね、スタンダップコミックもやっていたからね。

(宇多丸)そうそう。だからなかなかおおらかな時代だなっていうか。そんなことかもしれないけれども。

(高木完)まあ、それはそうですけど。じゃあお父様の「自分の意見が言えない職業にはつくな」っていうか……。

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