宇多丸さんが2022年9月1日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で関東大震災の際に発生した朝鮮人虐殺についてトーク。『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』『TRICK トリック 朝鮮人虐殺をなかったことにしたい人たち』『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』などの本を紹介しながら話していました。
(宇多丸)まあ、ちょっとそんな楽しい話もあるんですが。やはりですね、9月1日はどうしてもこの話をしておきたい。本日、皆さんご存知かと思いますが。関東大震災から今年で99年という年でございます。1923年、大正12年9月1日の11時58分に主に南関東で大規模な地震災害が発生して、本当に大きな被害が出ました。およそ190万人が被災し、およそ10万5000人が死亡、あるいは行方不明と。それを踏まえて今日はね、「防災の日」とか言って、いろんな防災訓練したりとか。それの防災意識を高めるような報道みたいなのもしていて。
もちろんもちろん、それも大事なことでございますね。東京だってまたいつ、地震が来るかわかりません。そんなのはもちろん、当然のことなんですが……だからこそ、もうひとつ、その防災意識というのを。「自分の身を守る」というのもそうですけど、なんていうんですかね? 私たちの社会の良識とか、私たちの心っていうか。それは大丈夫なのか? という話をもう1回、振り返っておかなきゃいけない件として、これもね、今更……先ほどの『荻上チキ Session』でもその話をしてたんで。もちろん「またその話か」ってことかもしれないけども。
関東大震災後の不安とか、あと電気がつかないとか、あとはいろんなそういう恐怖というのがある中で、流言飛語・デマが飛び交って。当時、日本に住まわれていた朝鮮人の方とか、中国人の方とか。あとはどさくさに紛れて社会思想的に当時、危険視されていたような、たとえば社会主義者の人であるとか。無政府主義者だと目されていたような人が、これはもう完全に主に官憲の手で捕まって、拷問されて殺されてしまったとか、処刑されたという話なんかも結構あったりするんですが。
まあ、そのデマによって一般市民……もちろん警察とかも結構、その片棒を担いでいるんですけど。そしてメディアもね、誤報を積極的に流すことで、すごく不安に陥っている民衆の大衆心理に火をつけて。やれね、「井戸に毒を投げた」だの「火をつけて回っている」だとか、「向こうの方から大群が来る」とか、そんなので恐怖に駆られた人たちが次々とその人を殺した。これ、普通の人たちが殺したんですよ?
で、その恐ろしさに関してっていうことは先ほどの『Session』でも、私が毎年おすすめしている本『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』という本を書かれた加藤直樹さんが出られていて。これ、要するに、当時の証言。リアルタイムのいろんな証言を集めて、実際にどういうことがあったのか?っていうことを検証するという、その本を書かれた加藤直樹さん。
加藤さんはそれと並んで『TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』という本も続けて出されていて。実際、僕がこの『九月、東京の路上で』をおすすめするということも何年ぐらいやっているのかな? とにかく、この本が出てからずっとやってる感じですけど。前の『ウィークエンド・シャッフル』時代から。
(宇多丸)その時とかに、たまにSNSとかで「いや、本当にこういう不逞の輩がいたという報道があったんだ」みたいなことを今、出してくるような人がいて。いやいや、それがデマなんだっていうの。誤報というか、意図的に流された非常に悪意のあるデマで。そんなことを21世紀の今、出してくる人がまだいるっていうことにも危機感を感じるところだし。
ということで、その加藤さんはいわゆるそういう「なかった論」ですね。もちろん、その関東大震災の件だけじゃなくて、たとえばその「ホロコーストなかった論」だとか。そういう「なかった論」っていっぱいあるじゃないですか。それに対して、それがいかにある種の型を持ってその「なかった論」というものを押し付けてくるかという。でも、それに対してたとえばね、去年も私、ここですごい文句言いましたけど。
東京都知事である小池都知事が、要するに関東大震災によって亡くなった朝鮮人の皆さんへの追悼文、それまでの都知事はずっと伝統的に出してきたんですけど。なぜか小池さんは、これはもう明らかにはっきりした意思を感じますけど。5年連続でその追悼文を出してない。で、小池都知事が去年、言ってたのは「諸説あるんで」っていう。その「諸説」ってなんですか? 「なかった」という説のことですか?
そんな「説」はないですから。本当に恐ろしいことが起こったし。それを現に、東京の普段は善良な人たちがやってしまったというその現実というものがあるのみで。そこで諸説って言うこと自体がめちゃくちゃ暴力的なことなんですよね。僕に言わせれば。なので、仮にも都知事という立場にいらっしゃる方が、そんな、なんていうか本当暴力的と言っていいような発言をされるというのは驚きですし、怒りを禁じ得ないし。そして、東京オリンピックをよくまあ、そんなスタンスでやったもんですよね? もう今、東京オリンピックは次から次へとね、そのとんだ張りぼてぶりが明らかになっていますが。そんな中で、腹立たしいも程があるなと。
(宇多丸)なので、毎年この話をしてます。『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』でも書かれてても。これも毎年、同じことを言ってますけども、繰り返し言います。もちろんこれ、僕も含めて、お聞きの皆さんね、普段は善良に暮らしてますよ。もちろん暴力も振るわない。でもやっぱり人が恐怖とか、あと義憤みたいなのものに駆られた時って、危ないんですよね。この本にも出てきますけど、とても理知的な、紳士的な方が自分の日記に書かれていて。
「噂が流れていて、朝鮮人の人が殺されてるらしい。かわいそうだな。そんなわけがないだろう」。そういう風に思っていた人が、翌日には「どうやらこれは本当らしいな。街でワーッと人がたかっていて、みんなで棒で叩いたりしているから、俺も一発殴ってやろうかと思って。それで行ってやった」みたいに書いている。で、その翌日には「冷静になったらやっぱりあれ、違ったよな」みたいなことを言っているという。
でもなんか、それって他人事に思えないっていうか。きっと本当に恐怖に駆られたり、あとは「これは正しい」というような正義……たとえばなにかを守るため、みたいなね。「我々のコミュニティーを守るためだ」というような、「守るため」というワードが時にはものすごい危険性を帯びるということはもちろん、歴史がいろいろ証明してますけども。要は、「俺たち、自分のことをあんまり信用しすぎない方がいい」っていう。
(宇内梨沙)いや、本当にそうですよね。
自分だって危ないことを自覚する
(宇多丸)そうなんですよ。「気をつけなきゃいけないんだ」っていう。それを忘れた時が危ないんだということですから。
(宇内梨沙)ソースがなくても今、SNSで炎上していると、ただそれだけでその人が叩かれてしまったりして。それと同じことですよね?
(宇多丸)同じこと。というか、SNSというものは、デマが一旦流れ出すと結構、その流布されるスピードが速いし。たとえば場所の特定とかも含めて、より危険なツールもある。もちろん、僕はそのネットとかSNSそのもの、全体としてはポジティブなことは多いと思う。だって、たとえばそういうことがあっても……僕が思うのはね、たとえば関東大震災で「棒を持って叩いてやろう」ってなった時。その時は「よかれ」と思ってやっている人がいたとしましょう。
でも、たとえば今だったら、それを誰かがそれこそ「ウエーイ!」とかって撮っていたりして。「あなたがやっているそれ、残りますからね」っていうことじゃないすか。だから前みたいに誰も見てないところで起こった何か、みたいなところは減っているわけだから。
(宇内梨沙)常に証拠が残るというか。
(宇多丸)だから皆さん、そこも肝に銘じておいた方がいいからね。いろんなことをする時に「おりゃー!」なんてやっていても、「あんた、それこそデジタルタトゥーだからね?」っていう。そういうことにもなりかねないというのは、考えておくべきだし。で、まさに明日僕、映画評でね、高橋ヨシキさんが初長編監督をした『激怒』っていう作品を扱うんですけども。そこで描かれるディストピア社会っていうのは、やっぱり市民が警察権力とある種、結託して。自警団化して。で、「街の平和を守る」という名目で非常に表面上はきれいきれいないいことを言いながら、その自分たちの気に入らない他者と認定した人を容赦なく排除していく。そしてそこに暴力も辞さなかったりもする。でも、それを本人たちは「正義」だと思ってるっていうことが描かれていて。
非常に、もちろん『激怒』という作品はエンターテインメントにもなっていて、ある種ちょっと誇張されてるところもあるかもしれないけど。でもやっぱり僕、改めて今回、関東大震災のいろんなことを読んだりするとね、「あれは誇張じゃないかもな」っていうか。結構、あれは全然……さすがヨシキさんっていうか。全然、デフォルメじゃないよねっていう。「いつでも人間はこうなる」ってことをやっぱり見据えてるという。だから本当にこれは別に僕、高みから言ってるつもりは全くないです。僕は自分が信用できないんですよ。で、そうならないように必死で、やっぱり我々は鏡を見なきゃいけない。
あの、他国のこと考えるとわかりやすいと思うんですよね。僕がこういう話すると、あたかもすごく……ほら、なんか言うじゃん? 「日本が嫌いなら……」とかさ。いや、違う、違う、違う。僕は日本とか東京を愛してやまないからこそ、ちゃんとしよう。これからはこういう過ちをしないように。日本が世界に好かれる国でいたいし。東京は世界に好かれる都市でいたいし。好かれる日本人でいたいからこそ、言ってるんで。
他国で考えれば、わかるじゃな? 「あいつら、ひどいことをするな」っていうような国がふんぞり返ってたらね、「なんだ、あいつら?」っていうことになるし。たとえばアメリカとかもね、アメリカっていう国はいろいろひどいことしてますよ。それは日本に対してもそうだし、他国に対しもそうだけど。ただ、同時にその暗部を見つめる人たちもすごくいて。暗部を見つめる作品もいっぱい作っていて。これは大したものだと。韓国だってそうじゃないですか。自国の暗部を見つめる作品をいっぱい作っていて。それは大したもんだと思うじゃないですか。
だからそれと同じことで。なんていうか、他国に対して胸を張るっていうことは、虚勢を張るっていうことじゃないですから。ちゃんと鏡を見ている人たちのことを、やっぱり我々は見ているから。でね、毎年『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』という本をおすすめしてるんですけど。あとは『TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』。どちらも加藤直樹さんの著書でございます。本日の『Session』にも出られていたんで皆さん、タイムフリーで聞いていたんですが。
(宇多丸)それともう1個、おすすめしたいのがこれ、2018年。比較的さらに最近、出たやつですね。同じく証言集なんですけど。『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』ということで、西崎雅夫さんという方が編集された本で。ちくま文庫から出ております。
『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』
(宇多丸)でですね、これ、読まれた方も結構いると思います。これはですね、同じようにいろんな人の証言を集めてるんですけど。たとえば子供たちの作文だとかね。リアルタイムでそれを経験していた子供たち。で、子供たちだからやっぱりある種、くもりない目で「ひどいな」って思ってる子供の目もあれば、同時に完全にやっぱり大人の空気に……その罪深さ。「大人たちがこういうノリだから、子供たちもこういう風に考えちゃうだろうが」っていう罪深さもこの子供たちの作文からわかってきたり。
あと、やっぱり興味深いのは当時の文化人たちがいろいろ記していることですね。リアルタイムの文化人もあれば、後年回想して……という文章も載っているんだけども。やっぱりね、リアルタイムの文化人、いろんなこと書いてるけど、ちょっと他人事な感じがあるなとか。そういうのもあるし。後年の回想で僕、「ええっ?」って思っちゃったのはね、黒澤明さんとかね、いろんな方が寄せられてたりするんだけどね。これは木佐木勝さんという編集者の方ですね。当時、29歳の編集者の方。この方、田山花袋の担当だったという。あの『蒲団』でおなじみの。
で、「田山花袋の腕力沙汰」という記事で、これを見て「うええ……」ってなっちゃった。要は田山花袋が当時、どういうことを言ってたか?っていうのを回想されてるんですけど。「『君、朝鮮人が井戸に毒を投げ込むというのは本当かね?』と花袋翁は半信半疑らしい調子で私に尋ねたが、私自身も現場を目撃したわけではなかったので曖昧な返事をしておいた。そこで花袋翁は言ったものである。
『昨夜、夜警をしていた時、近所をうろついていた朝鮮人が追われて僕の家の庭へ逃げ込んできて、縁の下に隠れてしまったんだ。僕はそいつを引きずり出して、ぶん殴ってやったよ』と」って……もう田山花袋なんか二度と読まない、みたいな。「クソッ、蒲団野郎が、この野郎! もともと『蒲団』なんてろくなもんじゃねえと思っていたけど」……みたいに思わざるをえないような話とか。
(宇内梨沙)でも、じゃあ自分が絶対にそうならないと言えるのか?っていうと、その環境下に置かれた時にはわからないからこそ……。
(宇多丸)全くおっしゃる通りです。自分の家の中だしね。ちなみに田山花袋って俺、知らなかったんだけど。今回、写真を見たらものすごくゴツい人なのね。だからこの調子でイキり散らかしてたら、怖いわ……みたいな。でも、とにかくそうなんです。おっしゃる通り。僕もさっきから何度も言ってますけど。「僕は大丈夫」って思って皆さんに説教してるわけじゃなくて、この俺がまさに危ないからだっていう話をしております。
(宇内梨沙)私自身もそう思います。本当にそういう極限状態に追い詰められたことは一度もないから。そうなった時に自分って本当に優しい自分でいられるのかな?って。
(宇多丸)本当に。「水がない。食べ物がない。明かりがない。怖い!」って……やっぱり恐怖とかって、飢えの恐怖、暴力の恐怖ってね、本能に。
(宇内梨沙)正しい情報が入ってこない中で。
(宇多丸)そうそう。で、断片的なあれで「そうらしい」ってなったら「キーッ!」ってなっちゃうというのは理解もできるから。
(宇内梨沙)ウクライナ戦争ですら……現代ですら、今そうなっているのに。
(宇多丸)全くおっしゃる通りです。なので、だから、俺たちは1回、やらかしてるから。その「1回やらかしている」という鏡は、あってはならないことだったけど。これを何か生かすということが唯一、この件の救いでしょうから。逆に言えば、これを忘却するということはやっぱり……。
(宇内梨沙)そうですね。なかったことにしてはいけない。
かつてあったことを忘却してはいけない
(宇多丸)そう。それは犯罪的なことだと思うんですね。小池さんには本当に猛省をうながしたいというか。ちょっと考えられないと僕は思ってますけど。なので皆さん、今日おすすめした3冊、ぜひ機会があればお読みください。『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』。これ本当に名著です。ころから株式会社というところから出ています。加藤直樹さん著。
あと『TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』。これ、いろんなネット上に流布するデマとか、そういうものをどういう風に捉えていくかという、そういう今のネットリテラシーとか情報リテラシー全般のためにもなる本です。これもころから出版。加藤直樹さん著です。
そして『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』。西崎雅夫さんが編まれております。こちらちくま文庫から。これもおすすめなので。
(宇多丸)これ、パートにわかれていて。それぞれの手記が別個なんで。別にどこから読んでもいいっていう本なんで。「気軽に」っていう言い方は向く本じゃないけど。興味があるところからもちろん読み始めればよろしいかなと思ったりします。すいませんね。木曜は楽しいお話が……。
(宇内梨沙)いや、大事なお話です。
(宇多丸)でも、楽しい話をね、未来永劫続けるためにもやっぱり……ということです。
(宇内梨沙)だって1923年の出来事って本当に今、ギリギリ。本当にあった事実を伝えていくにはギリギリの……来年には100年後になってしまうので。ここから100年、200年と経ったら、本当に何が事実かわかんなくなっちゃう中で、やっぱり。
(宇多丸)で、なんか「諸説」だなんて……絶対に許しちゃいけないことなんで。お付き合いいただいてありがとうございます。
(宇内梨沙)いえいえ。大事なことだと私も思います。
<書き起こしおわり>