『ファイナルファンタジー』シリーズのプログラマーを務めた成田賢さんが2024年6月22日放送のJ-WAVE『ゆう坊とマシリトのKosoKoso放送局』の中でスクウェア入社と『ファイナルファンタジー1』制作チーム入りについて話していました。
(鳥嶋和彦)成田さんはその高給に釣られたのはわかってるけど。
(成田賢)私はですね、パソコンのプログラミングが好きだったんですよ。で、それが仕事にできて、アルバイトもできればいいなっていうところで。じゃあ、やっぱりゲームがいいなと思ってフロムAを見ていたら見つけたんですよ。さっきの繰り返しになりますけど。それで、大学が夜間だったんで本当に昼、やることがなくて。家でボーッとしてたら父に「穀潰し」と言われて。「なんで穀潰しなんだろう?」と思いながら……。
(Naz Chris)最近、聞かないですね。穀潰しって(笑)。
(成田賢)そうなんですよ。なんか急に言われて。「穀潰しって言われるのが困ったもんだな」と思って、アルバイトを始めようと思って。6月ぐらいだったんですかね? だから大学に入ってから2ヶ月ぐらい、そんな生活してて。で、ちょうどスクウェアがあって。で、まだスクウェアはパソコンのゲーム作ったんですよ。で、僕はパソコンのゲームを作りたかったので入って。で、1年ぐらいパソコンのゲームを作ってたんですけど。そしたら、ねえ。「時代はファミコンだ」宣言があって。私をはじめ、普通のプログラマーはファミコンって当時のパソコンの10分の1以下の性能しかなかったわけでみんなが「嫌だ!」ってなって。プログラマーが特に「嫌だ」って。
(鳥嶋和彦)ああ、そうか。仕事としてレベルが落ちるから?
下に見られていたファミコンのプログラマー
(成田賢)そうなんですよ。当時、やっぱりアーケードゲームの基盤のプログラマーが1位。PCが2位。ファミコンのプログラマーっていうのは、なんていうかちょっと……。
(坂口博信)底辺というか、腕があまり……「やりたくない」っていう感じか?
(成田賢)そう。やれることがやれなくなっちゃう機械に落ちちゃうので。腕がどうとかっていうよりも、才能が発揮できないってことで。だからこそ安かったわけですけど。でもいざ、始めてみたらちょうどFF1、2、3で、後で出るかもしれないですけども。ナーシャ・ジベリが来て。で、彼と拙い英語でしゃべっていたら、だんだんと「ああ、工夫次第でいろいろできるんだ」っていうのがわかってきて。それで面白くなって続けていたって感じですね。
(Naz Chris)ファミコンってことは83、4年ぐらいのことですよね?
(成田賢)私が大学入ったのが86年なんで。そうですね。だからスクウェア入社も86年ですね。
(坂口博信)だからFF1を作る直前ぐらいってことだよね。
(成田賢)そうですね。「パソコンはもうダメ」ってなって。「FFを最後の挑戦でやるぞ!」みたいな話になったのが1年後ぐらいで。
(坂口博信)ああ、そうですね。当時はMSXで『エイリアン2』を作ったりとか。パソコンとファミコンまだちょっと並走していたりして。
(鳥嶋和彦)ちょうど堀井さんとファミコン神拳になる前の特集でMSXとファミコンの特集をやって。そしたらMSXの方がやっぱりゲームがつまんないんだよ。
(坂口博信)そうですね。あれは、ゲームにはなかなか難しいマシンでしたね。何でもできるかわりにっていうかね。
ゲームには難しかったMSX
(堀井雄二)それでソフトをね、プレゼントしたんですよ。そしたら応募がファミコンの方が圧倒的に多くてね。
(坂口博信)ああ、応募が?
(堀井雄二)応募のハガキの数が。MSXよりもファミコンの方がね。
(Naz Chris)ジャンプでやったんですね。
(鳥嶋和彦)で、その時にファミコンが来るなって思って。ほら、コントロールがよくできているからピタッとキャラクターが止まるじゃない? あれがね、MSXではないんだよね。
(坂口博信)ああ、まだこのアナログのジョイスティックみたいなのでしたっけ?
(鳥嶋和彦)そうそうそう。
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<書き起こしおわり>