坂口博信『ファイナルファンタジー1』制作チーム立ち上げを語る

成田賢 スクウェア入社と『ファイナルファンタジー1』制作チーム入りを語る TOKYO M.A.A.D SPIN

坂口博信さんが2024年6月22日放送のJ-WAVE『ゆう坊とマシリトのKosoKoso放送局』の中で『ファイナルファンタジー1』制作チーム立ち上げについて話していました。

(鳥嶋和彦)で、電友社で何本か作って、ファミコンに参入した初めが『ファイナルファンタジー』ではなくて?

(坂口博信)ではなくて、渋谷さんとやった『キングスナイト』っていうのが自分たちとしては初めての作品で。

(Naz Chris)それが87年。

(坂口博信)鳥嶋さんの知らない『キングスナイト』っていうやつで。

(鳥嶋和彦)で、『ファイナルファンタジー』はその次?

(坂口博信)その後に『とびだせ大作戦2』。あと、なんか3Dマリオみたいなのを作って。で、セガの『アウトラン』が流行っていたんで「やっぱりレーシングゲームじゃね?」っつって。『ハイウェイスター』っていう、もう※※※のまがい物のパッケージを使ったゲームを作ったりとかね(笑)。

(鳥嶋和彦)ひどいメーカーだな(笑)。

(坂口博信)いやいや、いろいろとやっていたんですよ。あと、やりましたよ。ちょっと置いて、ディスクシステムが出たじゃないですか。で、やっぱりほら、堀井さんとかもアドベンチャーゲームをやっていたし。僕もパソコン時代、アドベンチャーゲームをやっていたので『水晶の龍』っていうアドベンチャーゲームを作ったり。いろいろやってました。

(鳥嶋和彦)で、いよいよFFが始まりますっていう。FFはどういうきっかけでやろうってなったの?

『ドラゴンクエスト1』の衝撃

(坂口博信)以前ね、堀井さんと3人でラジオをやらせていただいた時の話ですけど。やっぱりドラクエが出て。当時、成田が言ったようにPCでは、これは成田が入る前になりますけど。PCではRPGを作ってたので、自分たちもRPGが好きだっていう。ただ、ファミコンというチープなマシンでは不可能だろうと。そこにドラクエがいろんな工夫をして。グラフィックも圧縮してたし、例のいわゆる復活の呪文みたいな形で本来、セーブができないはずなのにやれるっていうことで目が覚めて。

というか、「やれるじゃないか!」っていう、ちょっとしたカルチャーショックというか。それで「やらなくちゃ!」っていうところでその当時のメンツで「やろう!」って言ったところ、渋谷さんしか付いてきてくれなかったっていう(笑)。ナーシャは日本語わかんないので、わけもわからずに「ナーシャ、やるぞ!」っつって連れてきて(笑)。で、もう1人、アルバイトの子がいたんですけども。という、その最弱のチームだったんですね。

(渋谷員子)でも、ソフトを買ってきた日のことは覚えてますよ。『ドラゴンクエスト』を買ってきて。

(坂口博信)みんなでやったよね。

(渋谷員子)そう。「買ってきた」ってセットして。で、坂口さんがもう適当に名前つけたのが「あううお」だったんですけども。それでみんなで見ながら「おおーっ!」ってなって。

(坂口博信)「やれるんだ!」みたいなね。

(渋谷員子)で、私は「ああ、カニ歩きなんだ」って(笑)。「横移動するんだ」っていう。

(鳥嶋和彦)そうそう。正面からだもんね。

(渋谷員子)それが第1印象だったんですけど。でも、数日経ったら坂口さんがもうエンディングまで行っていて。「すごい面白かった! こういうの、作りたい!」って言ったのを覚えています(笑)。

(坂口博信)渋谷さんだけだよ。ついてきてくれたのは(笑)。誰もついてきてくれなかった(笑)。

(成田賢)なんかもっといそうですけどね。ドラクエ、すごかったじゃないですか。

(坂口博信)当時は田中弘道が『エイリアン』の版権をスクウェアが取ってたんで。『エイリアン2』をMSXとファミコン同時だったかな? 「やるぞ!」ってプロジェクトを立ち上げて。

(堀井雄二)それ、売れそうじゃん。

(坂口博信)みんな、20人ぐらいそこに行きましたね(笑)。

(鳥嶋和彦)そっちにガサッと行ったわけだ(笑)。

(坂口博信)で、あともうひとつはヒトミさんがやったやつ、なんかあったよね? Cチームかなんか。アドベンチャーゲームかなんかかな?

(成田賢)えっ、ヒトミさんがプロデューサーをやっていたの?

(坂口博信)あの女性の、宣伝部だった有名な彼女が一応、チームリーダーで。女性向けみたいな、当時としてはちょっと時代は早かったのかもしれないけど。「女性層でいこうよ」っていうので社内もある程度、いいプロジェクトだってことでそこにもゴソッと10人とか、15人とか。

(渋谷員子)いや、絵描きはそんなにいませんからさ(笑)。

(成田賢)坂口さん、マシマシですよ?(笑)。Aチーム、Bチーム、Cチームで3つ、あって。そこに20人ずついたら、60人じゃないですか。

(坂口博信)ああ、そうだ。そんなにいないね(笑)。全部で40ぐらいか。

(渋谷員子)絵描きは4、5人しかいなかったですよ?(笑)。

(坂口博信)まあ15、10、4とかですかね。じゃあ(笑)。

(鳥嶋和彦)で、始まって。FFって何ヶ月ぐらいで出した?

(坂口博信)1年、経たない。

(成田賢)経たないと思いますよ。きっと。

(坂口博信)10ヶ月ぐらい?

10ヶ月ぐらいで開発が終わる

(成田賢)なんじゃないですか。だってナーシャがどんどんプログラムを作っていくから。それみんな、データを入れなきゃって感じで田中さんとか河津さんとか、みんなやっていたじゃないですか。

(渋谷員子)87年でした?

(坂口博信)87年。

(渋谷員子)87年ですよね。12月ですから1年、絶対に経っていないですね。

(坂口博信)経ってないですね。当時は、そんなもんですね。

<書き起こしおわり>

坂口博信 ナーシャ・ジベリの天才的プログラミングを語る
坂口博信さん、成田賢さんが2024年6月22日放送のJ-WAVE『ゆう坊とマシリトのKosoKoso放送局』の中で初期『ファイナルファンタジー』シリーズなどを手がけた天才プログラマー、ナーシャ・ジベリについて話していました。
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